4月 丸に危険の危でマルキ(2)

 一部の市民になめられないようにするために、水道局営業課収納係は武道経験者を求めた。

 そんな予想は、少なくともヴィジュアル面に限り、翌朝の朝礼で否定された。

 いたのだ。収納係に。昨日帰り際に擦れ違った“堅気ではなさそうな”男たちが。

 収納係の村沢係長に紹介される田実を、何の感慨もない様子で見つめる中年と巨漢の青年、そして、まったく興味なさそうに中途半端に視線を動かしている初老の男。

 揃いの作業着は、こうして局内で見たならば、他と何ら変わりのない水道局のユニホームであるし、何より胸には「水道局」という文字がしっかり縫い取ってある。

 が、人相はやっぱり昨日と変わらず凶悪であり、どう見たって堅気の人間には見えなかった。

 少しでも人間としての知恵があるならば、この三人に包丁突きつけたり鈍器を振りかざしたりなんてことは考えないだろう。

 地味な水道局のユニフォームを着ているにもかかわらず、堅気とは百八十度違う方を向いている雰囲気の男たちに真っ向から戦いを挑もうなんていう向こう見ずは、単なる獣であって人間ではない。

 彼ら以外には危険なまでに強面の局員はいない。しかし、彼らさえいれば収納係は安泰のような気がする。

 となると、結局『危険な仕事』というのは何なのか。


「――以上です」

 朝礼後、田実は事務担当から業務に関する説明を受けた。

 収納係には事務・精算・停水という三つの担当があるが、田実は停水に配属された。

 停水の主な仕事はその名の通り滞納処理のうちの給水停止関連に関する業務で、月平均およそ千件もの滞納世帯に対し給水停止を行う。

 件数が多いからだろう、十人いる係員のうち六人が停水担当だった。

「何か質問はありますか」

 事務担当の山木――昨日、田実がフロア内を見学していた際、脇目も振らずに淡々と仕事をこなしていた眼鏡の男は、資料に沿って一通り説明を終えると、仕事中と何ら変わりのない表情の乏しい顔をこちらに向けた。

 田実は横に首を振る。

 大半が昨日のうちに聴いていた内容を少し掘り下げた程度のものであったし、先日までいた資産税課の仕事の内容に比べると幾分易しく、迷うような部分は少ない。

 強いていうならば、渡された資料を見、一通り説明を受けても、どこにも危険と思えるような部分が見当たらないというのが、唯一引っ掛かったこと。

 もしかすると『危険な仕事』というのは資産税の課長の間違った思い込みだったのではなかろうかと田実は思い始めていた。

 収納係に取り分けて『危険な仕事』というのはなさそうだが、その姿を目にしただけで逃げ出したくなるようなある種『危険な男たち』はいた。

 あんな強面が三人もいる係、さぞや危険に違いない――だが、大の大人、それも本庁の課長がそんな安易な発想で、外局の一係を危険な職場だと決め付けるだろうか?

 けれども本人から何の話も聞かないまま、勝手に武道経験者だと思い込んでいた課長のことだから――

「……君、 ……田実君、田実君」

 肩に手を置かれ揺さ振られ、ハッと顔を上げ辺りを見回す。

 と、

「何か疑問点でも?」

 変わらない表情で、口調ばかりはさすがに訝しげなものにした山木が、自身の手にしていた資料をパラパラと捲った。

 どうやら田実が考え込んでいた原因が、資料や自身の説明にあると思ったらしい。

 否定しようとして、口ごもる。

 ならば何を考えていたのかと問われても内容が内容だ。到底答えられない。

 そうこうしているうちに、ああ、と山木が小さく声を上げた。

「ここのところでしょうか」

 山木が示したのは、六枚あるの資料の四枚目の下辺り、滞納処理に関するうち給水停止伺兼解除報告書についての件。

 給水停止伺兼解除報告書というのは停水対象者の情報や停水期日等が盛り込まれた二枚綴じの紙で、収納係はこれを元にして滞納処理を行っていく。

 しかし、それはすでに了承済みの事柄だ。

 困惑しつつ山木の細い指先を見つめていると、その指先が印刷されている報告書の見本の一部を、トントン、と叩いた。

 おそらく備考欄と思しき空白の欄。そこには「要注意人物の記載有」と記されている。

 気にも留めていなかった部分だった。

 そんなことが書いてあったのかと凝視するうち、その田実の沈黙を肯定と取ったのか、山木は説明を始めた。

「滞納者に対する給水停止というのが安全な業務ではないというのは、すでに説明した通りですが、とりわけ危険な人物に関してはここに印が付けられます。まず、丸に注の字のマルチュー。これは暴力団関係者を表します。特注と書かれるのは、過去重大なトラブル――たとえば局員に対して暴力沙汰を起こした人物です。そして、丸に危険の危の字のマルキ、なんですが――」

 抑揚なく、かつ淀みのない説明は、そこでプツリと途切れた。

 そうして資料から目を離し、しばし細身の銀縁フレームのブリッジを左手の中指でなぞりながら思案顔だった山木は、やがて小さく息をついた。

「――上手く説明することができません。マルキに関しては実地で説明を受けた方がよいでしょう。少なくとも月に三、四件はありますから」

 マルキ。丸に危険の危でマルキ。

 もしやそれが資産税課課長の言っていた『危険な仕事』なのだろうか。

 思わぬところから転がり出てきた“危険”という言葉に、田実はひっくり返りそうになる声をどうにか抑えて問う。

「あ、あの! そ、それって危険なんですか?」

 それでもやっぱり勢いづいてひっくり返ってしまった声。

 そんな様子に驚いたのか、パチパチと目を瞬かせた山木は、その目を細め、言った。

「危険、といえば危険ですが、それ以上に貴方の相方に内定している方の方が、見方によっては危険かもしれません」

 今度は田実が目を瞬かせる番。

 しばらくパチパチとやって眉をひそめる。

「誰、なんですか?」

「市川さんです。この係で一番年長の……少し怖そうな方ですよ」

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