クトゥルフ陰陽捕物帳
光田寿
クトゥルフ陰陽捕物帳
三人のTへ。
* *
【現在にて――】
司書は何気なく棚から、ある一冊の本を取り出す。
彼は何気無く、それを私に見せるのだ。
* *
在ル噺【歴史の裏】
歴史とは
ここから語るは――遥か昔、まだ人々の裏に隠れ、
当時の史を見返し語るは、妖、鬼と云う者共は黄泉の国の神々であったのでは無いかと想われるのではあるまいか。そう、「それ」らに対し、当時の朝廷は苦しみ
「それ」ら苦祟不は、土佐国の一部では、方言にて「
当時、魔神が起こした数々の変事は歴史の闇に
だが、土佐国から出ず、怪しきかつ巨大な力を持つ魔神が次々と起こす変事に対し、当時の朝廷と
しかし、魔神を封じる、
そう、この話こそ、奇妙奇怪なる技を正義のために使い、邪神たちを封じ込むために立ち向かう、十人の男たちの――始まりと――そして終わりの物語である。
* *
其ノ一『魔神殺し』
眩惑は向かいに座っていた
「
「無有か、町で寺の住職に化け、人々を惑わし
儂はそう呟き、
「馬鹿を云うな。
反瑞と呼ばれた名。そう、儂こそが、十傑の大将を勤めている、
そんな儂は、先ほどの眩惑の言葉に、奇怪な引っかかりを覚えた。
「んん? ちょっと待て、今、おかしな事を云ったな。無有法螺吹を倒したでは無く――殺された?」
「そうだ。あまりにも不可思議であろうが」
何故、眩惑が不思議がっているのか。儂は意味合いを察し、唇をひく付かせた
「ほう……。そうか、人、もちろん儂ら十傑にも封じるだけで殺せぬ、魔神である無有法螺土が何者かによって殺された……」
こちら側の意図を察したのか、眩惑は語り始めた。
「うむ、それもだ――封じ込めた土蔵の中で、首が無い
「即ち、下手人は魔神だと云うわけか」
魔神を殺せるのは魔神だけ。儂はと――俄に声をひそめ問いを返す。不可思議すぎる謎だと確信した。魔神が魔神を殺した。何のために? もちろん、魔神同士の対立はある。だが、無有を封じ込めていた静魔の御殿の離れ――その土蔵。
「否、反瑞よ。それもあるまい。我々が無有を閉じ込めていた土蔵には結界の護符が貼ってあった。ほかの魔神を寄せ付けぬためにな。
儂は目の前の眩惑の顔をじぃっと見つめた。寺の一室には青く輝いた月の光が、目の前にいる男の顔を怪しく照らしている。儂は、不思議な謎と考えながら、
「ふぅむ、あい分かった。下手人は人。だが人では到底太刀打ち出来ぬ、魔神をどのようにして殺したか。その
「無有が封じ込められている、あの場――土蔵の周囲で数えれば、下男の
「して、土蔵の中の様子は?」
矢継ぎ早に儂は問うた。眩惑は額から口元に手を
「それは封じ込めた貴様が一番良く分かっていることであろう。戸に鍵はかかってはおり、奴を封じるための護符が多く貼られている。もちろんこれは、土蔵の壁全体にもだ。先ほども述べたが、人が鍵を開き入る事は可能だが、魔神が入る事は不可能。だが、人に魔神は殺せぬ。土蔵の中、銅鏡、座布団などが置いてあった。一応の対処とし、覗き窓が土蔵の扉上に
確かに奇怪なる殺しだ。ゆらぁりと
「不開ノ
眩惑の不敬な物云いからも
「ふぅむ。確かに奇怪だが、無有と
儂は目を瞑り、ある闘いに思いを巡らした。
* *
回想ノ一【裏の闘い】
ザザザァ……。
ザザザァ……。
波の音と同時に、今まで儂自身が見ていた「それ」が、じんわぁりと崩れてゆく。場は東桜津の外れ。白浜の近くにある襤褸寺。いつも着ている襤褸同然の衣は脱ぎ捨て、今は白く染めた式服を着ている。着物、袴、
「無有よ。儂は貴様ら苦祟不が魔が付けど、神などと呼ばれている事に納得できん。所詮は化け
「よく云うのぉ、反瑞よ」
無有はにたぁりと嗤うと、
「いくら凡人よりも強い力を渡されたところで、所詮は万物をも操れぬ人の力。我ら、魔神にはかなわぬ宿命と
そう呟いた無有の人差し指の先。黒い、
――――悪しき力で作り出した刃か! 受け止めれぬ。
儂は高速で放たれた円き刃を、紙一重でかわす。
キィ……。
円き刃は一瞬だけ音を立て、襤褸寺に直撃した。が、止まる事を知らぬ「それ」は、柱、
「陰愚 駄苦蛇 綸花 龍神 文殊……」
儂は、とある呪文を口にし、護符を前にかざす。円き刃は、護符と衝突した刹那に、鈍い光を放ちはじけとんだ。鈍色の煙がもくぅりと立ち上り、少し鼻に入る。
ずきりとする痛みが右手からした。儂の腕、式服がまたじんわぁりと朱黒く染まった。
――――少々、かすったか。
* *
其ノ弐『壁の向こうの鼠』
「その顔、無有との闘い時分を思い出していたか?」
そこで、無有と闘っていた覚えは立ち消えた。眩惑には全てを見通す法力でもあるのか。儂は苦笑しながらも、あぁと頷いた。
「だが、この襤褸寺で奴を封じ込めたのは儂一人では無い。貴様も含めた皆の力の
少々照れくさく感じたが、今は
「しかし分からぬは――下手人の正体もそうだが、何故、首を持ち去ったのかと云う理由もだ。そこで一筆、変事の状況を纏めてみた」
眩惑は意味深げな、不遜な笑い方をし、床に紙を広げた。そこにはこう書かれている。
変ノ一、魔神は魔神にしか殺せぬ。
変ノ二、人に魔神は殺せぬ。
ここまででは、変ノ一、変ノ二から今回の魔神――無有殺しの下手人は魔神の仕業と考えられる。
変ノ三、魔神は十傑の持つ、護符を苦手とする。
変ノ四、護符は魔神を封じ込めるだけでは無く、魔神の業を封殺出来る。
変ノ五、魔神を封じ込めていた土蔵は大量の護符が貼ってあった。
変ノ六、魔神を封じ込めていた土蔵は土壁であり、扉も魔神を封じた後、再び土で埋め込まれ人が入ることは無理である。
以下、変ノ五、変ノ六から土蔵には魔神も人も入れぬ形相を示している。
変ノ七、唯一の土蔵と外を繋ぐものは覗き窓だけであった。覗き窓は中の魔神が出るどころか、外から人が入ることも無理からぬ小さな穴である。
「うぅむ、纏められてはいるが……分からん。下手人の正体……。お主なら既にこれという者に目をつけておるのだろう?」
「下男の草間、奴しかおらぬ」
眩惑は断言した。草間の人となりはよく知っている。金に執着を見せ、女に
だが儂の頭はここで止まる。御殿の中、土蔵の近くには草間一人しかいなかった。では草間を下手人にすると、先の問いが蘇る。
いかにして人である草間が、魔神である無有を殺すことが出来たのか?
土蔵にて、確かに覗き窓はある。しかし眩惑曰く大の大人が入ることも出ることも出来ぬ場だ。壁には結界とも云える大量の護符を貼った、土壁が立ちふさがっているというのに。
何故なのか……。
* *
回想ノ弐【裏の窮地】
「ほう、右の手に傷を負いながらも、全てを切り裂く刃をかわしたか。さすが十傑の
かかかかかと
右手を見る。
「くそったれぃ、化け
先ほどの円き刃の攻めを用心しながら、何歩か踏み込む。腰元の刀を取り出し、
「
横一文字――――が、浅い。手元の感触で解かる。
「邪魔を……」
最後まで言葉を
「ぐぅ」
――――後ろから斬られただと? 馬鹿な。
目の前で、儂を見下した無有が再び嗤う。
「馬鹿めが、貴様はただ、敵を増やしただけだ」
後ろを見る。背を先ほどの蛸の足が鋭利な刃と成り、切り裂いたのだ。蛸の足はにゅるぅりと蠢き、左端は人間の手の形に成り、右端は黒き鋭利な刃を光らせていた。
「それ」は、まるで
斬られても斬られても只、
だが、右手と背、数箇所に傷を負った。悔しむ想いを過去に捨て、儂は前の無有を見据えた。
* *
其ノ参『護符と土壁の不開ノ間』
ゆぅらゆぅらと白浜の海岸が襤褸寺の外を揺れている。無有との闘い以降、儂がこの襤褸寺を
「して、眩惑。奴の死体を、真っ先に
儂が聞きただすと、眩惑を頭をぼりぼりとかいた。次に
土蔵の不開ノ間にて、先に無有の骸を見たのはこの男なのだ。あの
* *
幕間【
朝廷からの使いが、彼に伝えが入れたときのことである。羽佐間眩惑は妙に厭な予感がしていていた。反瑞が住処としている襤褸寺は正反対の方向にある。自分が
使いと共に静魔の御殿の方角へと足を急がせた。東桜津の白浜を息を切らしながら横切る。砂が足をさらう。海の潮も紫立ち、
――――否、否否否。
胸中で何度も呟く。呟きながらも、焦りだけは消す。高き石崖が
走る。土蔵だ。一瞬だけだが、そこが異形の場に思える。覗き窓から黒い液、そして妙な臭いが眩惑の鼻を衝いた。
「
小さな窓から覗き、眩惑は思わず口を押さえた。床と壁、銅鏡、果ては天井にまで飛び散った黒い鮮血は、沙汰の限りである。
そこには、切り裂かれた魔神の体。
――――無有。
――――これは一体、どうなっているのだ。
眩惑は衝撃を感じた。
* *
回想ノ参【裏の集結】
「太刀筋は見事だが、我の本質を捕らえてはおらぬようだなぁ、反瑞」
式服の中に、
――――
儂は、何歩か後方に引き距離を取った。じんわぁりと辺りを侵食していく闇。
「
地が、木々が、襤褸寺の残骸が、蜃気楼のように揺れだす。儂は意識を必死で食い止めた。連れて逝かれれば終わりだ。
体自体への攻撃は効かぬ事がよめた。距離を取ったところで、円き刃の攻めをされれば終わりなのだ。
――――やはり封じるしかあるまい。残された道は、儂――即ち
黒く染まった地面が
――――これまでか。
ざわぁざわぁ。
瞬間、
「陰陽十傑の
妙に馴れ馴れしい土佐の言葉。
「
「おぅ! 間抜けやが、憎めん大将よ。おんしのためにと助太刀しちゅうがや。また、あの魔神の馬鹿たれ坊主を封じるためにな。式の蟲共を大量に作ってきたがやが――俺だけでは無いがやぞ」
「眼 対 光 多 苦 祟 熱 陣 幻ッ」
呪文が唱えられた瞬間、先刻の常闇の黒さは光に腕を引っ張られるが如く消え去っていった。儂は顔を上へ向ける。常闇に感じられた地が赤く染まり、熱く燃え
――――眩惑か。
「うつし世の夢を破るには、現世の
眩惑の声。儂は那智川の式が食い尽くした闇から、ささぁっと飛んだ。だぁっ、と足の裏に地の感触が蘇る。
「我ら魔神に逆らうとする、新手が二人か。人より少々、力が使えるだけの陰陽師風情がぁ! 護符使い、蟲の式使いに、熱の眩惑。これだけで、我の
かかかかか――。
厭な嗤いが三度こだまする。強がりでは無い。こ奴には遠い過去から人々を脅かしてきた因縁が在る。が、儂が次に見たのは、先ほど円き刃が倒した巨木の後ろから、護符を突き刺した幾本かの針であった。
「がぁぁあガガガ!」
無有が悲鳴を上げた。体が串刺しになっている。動きだけだが封じ込めた形だ。もはやそこには、先ほど儂を、黒き常闇に連れて逝こうとした、嗚呼、その姿は見受けられない。
「余裕を目の前にしての嗤い。下らぬ思いは断ち切ってはどうですか、無有」
「
陰陽十傑の中でも一回り小さい。まだ十四に成ったばかりの
――――時は来た。己の最後の攻撃には成らぬことと、十傑の信念に跪(ひざまづ)け無有。
「この場にいる、十傑に告げる。奴の体を目掛け、護符を貼りつくせ!」
儂の言葉と同時に、那智川と眩惑が門の上から、残月が大木の陰から、持ちつくす全ての護符を無有に放つ。
「がががガがガががガガががガぁぁ!」
じゅわぁり、じゅわぁりと奴の蛸の手が焼け焦げる。臭気が鼻を衝く。この臭いには慣れたものだ。儂らは
――――最後に狙うはこの部分よ。
己の護符を取り出し、己の手で叩き付けた。びたぁりと貼ったそこからは、もはや粘液もあふれ出ていない。じゅわぁり……じゅわぁり……。
「……――――」
封じた――――が、無有の体はまだ熱を持っていた。
「いかん! このままではまた転生か――あるいは蘇るぞ、反瑞! どこかしら、こ奴を封し、閉じ込める場が必要だ。どこか、どこか狭い不開ノ
眩惑が叫ぶ。襤褸寺は壊れている。ここから近い場で、狭く閉じ込める場所。
「白浜近くにある、静間の御殿! そこの蔵だ。あそこなら封が出来る。四人で運び、十人全員で護符を蔵全体に貼り、こ奴の全てを封じる!」
* *
其ノ四『持ち出された、もの』
「この奇怪なる魔神殺しに下手人はいるのか?」
儂はこらえきれず、眩惑に問うた。
「下手人がいると申すなら――先にも申した通り、草間だ」
「草間だと?」
「うむ、下手人にならぬ下手人と申したほうが良いか?」
少々、困惑した。儂は眩惑を見据える。相変わらず青く輝く月の光は奴の顔を照らしている。
「すまんが、眩惑。儂にはちぃとばかし意味が通じぬ」
「先に無有は草間を
「眩惑、貴様が云いたい変事の真相とは――」
「反瑞よ。そう、奴は銅鏡に映り込んだ草間に対し、刃を放ったのだ。反瑞、貴様が闘いで受けたあの円き刃の業だ。だが、刃は放たれた相手を追うに属するものなのだろう。それは奴と闘こうた貴様が分かっているのではないかえ? 放たれた円き刃は、銅鏡の前でピタァリと止まると、宙で回り反対側の草間目掛けて跳ね返った。即ち、銅鏡と窓から覗く草間、その間にいた、無有の首を刎ね飛ばしたのだ」
「なんと! 奴は己が放った円き刃により、
「うむ、あ奴自身の自害であり災難とも云える。迂闊、此処に極めりなる神よのう。また、草間を狙った円き刃は土蔵の壁に貼られている、封なる護符の力にて消えてしまったに違いあるまい。荒唐無稽な話だが、筋が通っているのもまた確かであろう。それは無有を封じ込めるために一役かった、お主が一番よく分かっているはず」
目の前の男が、己が技を放つ時の如く、次は儂を言葉で眩惑しているのかと訝しんだ。だが、自らが無有と闘った時、確かに円き刃の技は、儂が
「しかし次は首の問いかけがある。体から切り離された奴の首はどうなった。土蔵という場からは無くなっていたのだろう?」
「コロコロと転げ、土蔵の玄関まで着いた。首だけなら、覗き窓からでも簡単に
「首の持ち去りは草間がやったと申すのか」
「うむ。おそらく金勘定に汚い草間のことだ。魔神の首を売れば、一攫千金になるとでも考えたのではあるまいかな? 何せ、人を脅かす、苦祟不の一人であり、魔神の知の大将首だ」
眩惑が語る
――――それは。
「首は生きていたのではないのか?」
己の口から、不意に出た言葉を――儂自身――己の頭で解するのに時間がかかった。汗が
「眩惑、先の
「だが、草間は行動はどう説明する。いくら魔神と云えども、魔神共や人も通さぬ壁。封じられた土蔵の中では何の力も使えぬ。人の草間を操ることも出来ぬのだぞ」
「力を使わずとも、間と場の様子を利用すれば良いだけの話。我々が己らの力を理解しているようにな。草間のしみったれた性質を理解し、首を持ち運ばせた。その間、草間にどこまで自覚があったのかは分からん。だが、無有の方の
襤褸寺の外に見える、白浜の砂が風で舞い上がっている。儂は酒を飲み干し、立ち上がった。
「草間に会ってくる」
「今の
「だからこそなのだ。奴の首をその後どうしたかを聞き出すしかあるまいに」
儂は襤褸着のまま、襤褸寺を出ると、静魔の御殿へ駆け出した。
* *
座敷牢の中、草間は
「草間、入るぞ」
儂は牢の扉を開けると、先ほどの解を草間に聞かせた。草間の目に少しだが光が蘇った――が、やがて「何か」を思い出したのか、再び常闇が蘇りがくりがくりと震える。儂は草間の肩を支え、震わした。
「草間ぁ! お前、何を見たぁ! あの場で起こったことは、さきほどの解で正しいのか!」
「く、首が生きていたのは……ほ、ほ、ほ……本当です。でんもなぁ……でんもなぁ……」
顔全体が青ざめ、嗚咽を漏らした。
「さ、さ、最後に、奴の首は喋ったんです――。あの言葉は忘れられん……」
「何と云ったんだ!」
草間は虚ろな目で
「人よ、感謝するぞ――……」
「……それだけか?」
「いや、その後に、こう……にたぁりと嗤ったんです……ヒ……ヒヒ……」
「それから……」
「こう云いやしたぁ。あぁ、
やはりか。奴は首だけになり逃げ出したのだ。儂は厭な予感が当たっていたことに、歯軋りした。だが、次に草間が告げた言葉は驚くべきものであった。
「――お、俺は怖くなったんだ。まだ生きている上に……奴の首からは血が出ておらなんだぁ……。それどころか、首の
――――まさか、まさか、まさか。
「これで、十傑の中に紛れられる。嗚呼、愉快愉快だと――そ、それに奴の体は――ヒヒヒ……」
儂は草間が呟いた言葉が頭から離れなかった。
考えろ。先ほどまで襤褸寺にて対面していた男の顔を。
考えろ。無有の骸を発見したのは誰かを。
考えろ。古寺にて、無有と死闘を繰り広げたとき、切り落とした、奴の蛸の手がまだ生き、再び別の「それ」へと変化していたことを。
首が持ち出させた理由は、土蔵の中から逃げ延びるためでは無かった。
――――奴は再び、首だけから
* *
再び襤褸寺の一室。先ほどまでと同じ座布団の上。一人の男。
顔が――顔が分からない。中空の月は曇天の中に埋もれてしまった。光がかからない、男の顔。酔いはすっかり冷めている。外の――白浜の波の音だけが耳に響く。
ザザザァ……。
ザザザァ……。
対面する儂と――その男。儂は男に声をかけた。
「眩惑、貴様。本物か?」
「さぁてな」
儂は襤褸切れの服から、再び護符を取り出した。目の前の男――かどうか解からぬ「それ」は常闇の奥底から搾り出す声を出した。
「反瑞よ、主にはな、ちと黙っていた事があった。封に覆われた不開ノ間でな、無有は首だけが切り取られたと云っておったろう」
「それ」はかかかかかと厭な嗤いをした。瞬間、常闇が辺りを支配するのが分かる。
「首が無い骸と思い込んでいたのだろう? 違う違う」
かかかかかか……。
「体はな、小さな肉に分けられていたのだ。草間が運んだのは首だけじゃぁない。全ての肉だ。首、右と左の手、また腕、胴、右と左の足の付け根、また足とな。この数の意味合い分かるであろう?」
「眩惑が我の骸を見つけた? 阿呆よのぉ。既にあの土蔵に我はいなかった。外に出、再び戻った体で、眩惑を突き刺した時の快感はたまらなんだぞぉ」
――――奴が体を切り分けた目処は土蔵から逃げることでも無い。
――――首だけが奴に再び成ろうとしていることでも無い。
――――一人だけが十傑に紛れることでも無い。
今更ながらも歯を食いしばった。
後ろからもう一人、襖をそっと捲り何者かが背に立つ。
そっとそちらを見やると――儂の顔がそこにあった。
――――こ奴の目的は――。
――――こ奴の目的は……。
にたぁり……。
――――増殖だ。
* *
【あるいは現在の――――】
「この文章は一体なんです?」
民俗学者である私は、その司書に聞いた。
「いやはや、なんというかがかねぇ、この辺りに伝わる怪奇の民間伝承らしいんですけども、どうもこれが、ほんまにあった事がどうかが疑わしいてねぇ」
彼はアゴを摩りながら、困った顔をする。高知の
「ほやから、こうして東京から、えらい先生に調べにきてもらいよるがやないですか」
「しかし、これは――、あまりにも馬鹿馬鹿しいというか、創り話ではありませんか。平安の時代、それも京都などなら虚構としての文学として分かりますが――高知の――」
「高知は田舎や言いたいがですか?」
「いやいや、違います」
私は首をブンブンと振り、彼を宥めた。辺りの棚に収められている古い蔵書や歴史書が目に入る。
「えーとですねぇ、まず、ここに書かれている伝記――と言いますが、これは歴史物、またはクトゥルフ物のパロディ、もっと言えば、それらを含めた本格ミステリとしても読めるのです。開ノ間――即ち、密室からの首の消失――と見せかけた、バラバラ死体全体の消失……」
と言ってしまい、あまりにもマニアックな会話過ぎたかな、と後悔した。大衆文芸依存症と称されても仕方がないかと諦めた。だが、目の前の司書は、ニヤニヤと笑い、そうでしょうそうでしょうと頷いた。私はつづける。
「えーと……、ですから、この『儂』という――陰陽師の一人称ですか? この方は事実を語っているのでは無く、完全に虚実を語っているのです。まず、陰陽師などという職業自体が――」と、ここまで語った時点で、司書が少し上を見上げた。図書館の天窓からは後少しで沈む日の淡い光と、沈んだ後の闇が重なって降り注いでいる。
「先生は嘘やぁ言うんやねぇ」
司書はずぅっと天窓を眺めている。
「先生、実はね、この資料に書かれちゅぅ襤褸寺あるでしょう。この寺、どっかの考古学者さんが調べたとこんによるとねぇ、どうも、この図書館の場所やと言われちゅぅがよ」
「……」
「ほいて、つい、この
私は頬にたらぁりと妙な汗をかいた。
「ほんっま、昨今の時代は嫌いやなぁ……」
ザザザァ……。
――――波の音が耳に入ってくる。
ザザザァ……。
――――この近くに浜などあったか?
にたぁり……と司書が嗤う。
「骸骨らぁ、何人やったと思う? ちょぉど十人」
彼は――。
「えぇ、このちょぉど、十人。そん中の、誰が書いた史実やと思います?」
分からない――が――。
「もしかしたらぁ、先生も……」
私は司書のネームプレートを――。
「我の中の一人かもしれんぞぉ……」
それを、それだけは決して見ないようにしている――。
「かかかかかかか――」
見てはいけないのだ――。
嗚呼、あのプレートにはきっと『はざま』と書かれているのだから――。
増殖はどこまでつづく――。
<了>
* *
【参考・引用文献】
○鳥山明『ドラゴンボールZ(17巻~22巻)』(集英社:ジャンプコミックス)
○都筑道夫『退職刑事』(創元推理文庫)
* *
○<ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日>(監督・今川泰宏/光プロ/ショウゲート/フェニックス・エンタテインメント)
○<銀魂 シーズン其ノ四 10>(原作・空知英秋/集英社/製作・テレビ東京/電通/サンライズ)
○国枝史郎『国枝史郎伝奇短篇小説集成』(作品社)
○『衣食住にみる日本人の歴史(2)』(監修・西ヶ谷恭弘/あすなろ書房)
クトゥルフ陰陽捕物帳 光田寿 @mitsuda
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