郁美よ大地にかえれ




――千景は爽やかな笑顔で、いつも私を癒してくれて本当に感謝してる。



「そんなことより何か困り事? まさか、また『狂信野郎』が……」



「それはもう大丈夫だって。あれから何もないよー」



嘘は言ってない。



でも『優唯』の事を考えると今でも胸が押し潰されそうになる。


けどそれを千景に悟られる訳にはいかない。これ以上私の為に……



「あー。ちか、信じてないでしょ? ほら、この通り身も心も元気元気」



「そっか……それならいいけどさ」



千景は本当に安心したようで晴れやかな顔をしてる。


その表情は、居心地の良い日溜まりでお昼寝している子犬みたいで私まで顔が綻んじゃう。



「ちかの方はどう? 聞い感じだと忙しそうだけど?」



「忙しいけど順調かなー。うちら支援班は有能なのが多いから助かるわ、開発班と違ってねー」



千景はステンレス素材の実験用流し台へと向かって、いつも通りお湯を沸かしてインスタントコーヒーを作り始めたみたい。



「……っとと。そういや『例のブレード』あったでしょ?」



「高周波振動の方? 確か『早主任』が推奨してるんだよね」



「そそ、今は男子連中がソレで野菜とか斬って遊んでるわ。それもなぜか早主任が率先してね……あんな下らない事を良くもまぁ思い付くもんだよ。本当、天才って羨ましいわ」



「そ、それはスゴい状況ね」



「もうすぐ『お蔵になる』かもってのにねぇ……はい、いくみは『三点セット』だよね」



彼女は私の分もコーヒーを用意してくれたみたいで、専用のマグカップを運んできてくれた――








――「それじゃ、お言葉に甘えて……」



郁美に近づき、軽く屈んで手を伸ばし『内腿』触れる寸前、玄関の下に設けられた小さな出入口から『小さな茶色い縫いぐるみ』が突然突入してきて中断してしまう。



「あ、こた! おかえりー。おとうさんたち来てるよ、よかったねー」



縫いぐるみの正体は小型犬の『小太郎』だった。


以前郁美から聞いた話によると、小太郎は『Tiny Poodle』と呼ばれる種類とのこと。


体長と体高はほぼ同じで、成犬でも25cm程度、体重は3kg前後にしかならないらしい。


独特のカールを持つ体毛に覆われ、顔や口全体、それに短い鼻や耳が小さく、全体的にこじんまりした印象を受ける。俗に言う『Neoteny』と言うやつだ。驚いた時に大きな瞳から見える白目が可愛いと個人的に思う……まぁどうでも良いことだが。


性格は陽気で飼い主に従順、社交性と学習能力が高く、犬の友達と遊ぶよりも飼い主や人間と遊ぶ方が好きという何とも変わった性質を持つ。


元々は猟犬や使役犬として活躍していたプードルという大型の犬種を改良して生まれたので、普段は鳴りを潜めている野性が表れた時は凄まじいものがある。特に、飼い主である郁美に危機が迫った時などは、失われることのない本能を垣間見ることができる。


小太郎のような小型犬でも、その気になれば人間の肉を引き裂き、骨を容易に噛み砕くことができるが、決してそれを『しない』という事を忘れないように……と郁美に言われたっけな。



そんな小さな獣である小太郎は俺に駆け寄り、後ろ足だけで立ち上がって少しでも俺に近づこうと必死になっている。



「コタロウ、どうした? まだ遊び足りないのかい?」



「チビ助とはさっきも遊んだんだがなぁ……」



「そうなの?」



「うん。十時過ぎに着いたから、暫く動物達と遊んでたんだよ」



「あ、結構早く着いてたのね。2人が部屋に居てビックリしちゃったんだよ?」



いやいやビックリしたのはコッチの方だ。なにせ『あの郁美』が約束の時間に居ない上に車椅子まであったのだから。


これにはデズモンドも、苦言を呈してしまうだろう……



「まぁな。時間まで余裕があったからな。コイツは小次郎と昼寝してたぜ?」



ってあれ? デズモンドは何も気にしていないようだ。霧の国へと旅立つ覚悟までしたというのに、なんとまぁ心が広いことか。


俺も彼の、懐の深さを見習うとしよう。とはいえ元より郁美を責める気など更々無いのだがな。



「あの時は他の子達も沢山居たから、きっと遊び疲れてたんだよ」



小太郎の無邪気さに、先程までの『助平心』をすっかり抜かれてしまった。それは、どうやらデズモンドも同様らしい。


俺が方膝を付くと小太郎はそこに駆け上がり、俺の顔を舐めてくる。そのまま小太郎を腕に抱くと、満足したかのように顔を埋めて丸くなってしまう。



「そうだったんだ。私はさっきまで研究室に居たんだから来てくれれば良かったのに」



「そんな訳にはいかないよ。俺達が行ったら邪魔になってただろうし……」



「ううん、そんなことないわ。やっぱり約束の時間に余裕を持って帰って来れてたんだもの。ほら……」



郁美に促され耳を澄ます。


すると十二時を告げる時計塔の鐘の音と、研究所の所々に設置されているスピーカーから緩やかな音楽と共に『時報』が流れ始めていることに気がついた。



「さすが郁美、時間『ぴったりの御帰宅』とは御見逸れした」



ん? 『ぴったりの御帰宅』……だと?


デズモンドは『十一時』に郁美と約束したと言っていた。それなのに姿が見えなかったから彼女を二人して心配していたのだが……


考えるだけ頭の中の混乱は収拾がつかなくなり、二人の会話が理解できない。腕に抱いた小太郎は、そんな俺の事を不思議そうに見詰めている。



「こたはゆぅくんに撫でてもらいたいのよ。ねー、こたー」



小太郎は郁美に返事をするように小さく吠えた。その吠え声は成犬らしからぬ愛嬌で溢れ、どこにも獣性は見当たらない。



「ほぅ……郁美はチビ助と、遂に『話せるようになった』のか?」



「ううん、それはもう少しかかりそうなの。こたたちイヌの話す言葉は私たちの言葉とは違うから、何が言いたいか解らないでしょ? けど、それは逆も同じなの」



「チビ助達犬も同様に、俺達の言葉は解らない……ってぇことか?」



「うん。でもね、こたは私たちの声を聞けば何を言ってあげてるのか分かるの」



「だがそれじゃ一方通行じゃねぇのか?」



「もぅデズ、私とこたが何年一緒に居ると思ってるの? 当然、私もこたの言いたいこと解るのよ?」



郁美は慎ましい胸を張り、珍しく得意気に言い切る。だがデズモンドは、イマイチしっくりきていないようだ。



「はぁ……俄にゃ信じがたい話だ。言葉が通じても理解し合えない同種の連中もいるってのに……」



「みぃちゃんの言いたいこと、俺には解るよ。伝えようとする努力こそが大切ってことでしょ?」



「そうそれ! さすがゆぅくん! 私の言いたいことを簡単にまとめてくれるなんて、やっぱり頭良いのね」



例え言葉の意味を理解出来なくとも、互いに理解しようと努力することで、いつしか分かり合える日が来る……そう言うことなのだろう。


教会都市と研究所の仲を取り持とうとする郁美らしい考え方だ。



「俺とみぃちゃんの仲だもん。ま、俺達に言葉は不用だけどな。ね、みぃちゃん?」



「ねー、ゆぅくーん」



「……お前さん、間接的にだが俺を陥れてないか?」



「デズ、ゆぅくんに限ってそんなことないわ……と言うことでゆぅくん、こたに応えてあげなきゃでしょ?」



「うん、そうだね。コタ、さっきはあんまり構ってあげられなくてゴメンな」



腕の中の小太郎はとても温かく、毎日郁美にブラシで手入れをされている柔らかな毛並みの手触りは非常に良い。一生でも触っていられるぞ。



「チビ助よ、いつまで経っても甘えん坊よのぉ……お前さんは特にな」



デズモンドは小太郎の頭を優しく撫で、慈悲に満ちた眼差しを送る。



「こたもゆぅくんのこと大好きだもんね。ふたりとも、リビング行こ。こたもご飯食べて午後の警備に備えなきゃだもんね」



「うん、そうしようか」



「おう、飯でも食いながら駄弁るとするか」



「そうそう、ちかが後でスイカ持ってきてくれるってよ」



「スイカ? なにそれ美味しいの?」



「そういやお前さんは西瓜を見たことねぇんだったな。西瓜ってのは、十日間で決められた題目の話を十人で十話ずつ話してくんだ。今日は千景の番らしい」



「へぇ……それは楽しみだ」



「ゆぅくん、だまされちゃダメよ? デズが言ってるのは、どちらかと言うとメロン……いえ、放っておいて行きましょう。あのね、スイカは……」



先程の疑問など完全に忘れ、皆でリビングへと向かうのだった――








――The Ten Commandments of Dog Ownership――





1. My life is likely to last ten to fifteen years.

Any separation from you will painful for me.

Remember that before you buy me.


2. Give me time to understand what you want of me.


3. Place your trust in me- it's crucial to my Well-being.


4. Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment.

You have your work yourentertainment and your friends.

I have only you.


5. Talk to me sometimes.

Even if I don't understand your words,

I understand your voice when it's speaking to me.


6. Be aware that however you treat me, I'll never forget it.


7. Remember before you hit me that l have teeth

that could easily crushthe bones of your hand

but that I choose not to bite you.


8. Before you scold me for being uncooperative obstinate or lazy,

ask yourself if something might be bothering me.

Perhaps I'm not getting the right food

or I've been out in the sun too long

or my heart is getting

old and weak.


9. Take care of me when I get old ; you, too, will grow old.


10. Go with me on difficult journeys.

Never say, "I can't bear to watch it ." or " Let it happen in my absence."

Everything is easier for me if you are there.

Remember I love you.





Author――Unknown――




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