次回「CLAUDINA」美冬が飲む研究室のコーヒーは苦い
――暁の空の下には残酷な程に荒れ果てた風景が続いている。
点在する草臥れた民家は、疾うの昔に見飽きた。
屋上で一服している俺の目を喜ばせるものといったら、欠伸をしながら面倒そうに猫背で荒野を歩いている『宣教師のレキ』ぐらい。
誠に教会都市は視界の果てまで詰まらぬ場所だ――
――《はい、郁美です》
数回の呼び出し音の後、耳に当てた通信端末装置から小鳥が歌うような柔らかな声で彼女は応える。
「俺だ。今大丈夫か?」
フェンス越しの朝日が眩しい。
煙草を摘まんだ手を翳すとブレス念珠にあしらわれた紅玉が光を反射し目が眩む。
露を含んだ清潔な微風が荒野を渡り、一房に束ねていない俺の髪と戯れ非常に煩わしい。
《おはよー、デズ。ちょっと待ってね……》
郁美は移動しているらしく、誰かと話す声や機械的な駆動音が通信端末装置から微かに聞こえる。
《あ、丹野さーん。ちょっと電話してきますね》
ふむ……彼女は研究室に居るのだろうか?
「もしかして『実験中』か? アレなら掛け直すぞ?」
まだ機を改める余裕はある。最悪、強行するという手段もな……
《ううん、今外に出るとこー……はい、お待たせ! もう大丈夫だよー。こんな朝早くに、どうしたの?》
元気一杯に答える彼女だが声の奥底に疲れを押し込んでいるのは瞭然だった。
恐らく俺を気遣っているのだろうが、それは俺の覚悟をより一層のものとさせ、たゆたう眠気を覚ましてくれる。
「あぁ、今日は暇だからユウと遊びに行っても良いか? 昼頃には着くはず」
どうせ学園は休みだ。アイツにゃ悪いが酩酊に輪を掛けさせてもらったしな。
ユウも暇だろうし誘えば付いてくるだろう……
《わーい、きてきてー。お昼の『12時』には帰れるはずだから、一緒にご飯食べよー》
十二時まで郁美は部屋に居ない……それは好都合だ。
まだ運命の女神は俺に微笑んでくれているということか。
ならばユウと少し遊んでから研究所へ誘ったとしても十分に余裕はあるな。
「了解。邪魔して悪かった。終わったら連絡くれ」
ユウを『出し』に使うようであまり気が進まないが『お前』のためでもあるんだ……
《うん、じゃあまた後でねー》
前日の安息日に便乗した何かの動きがあったはず。それを確かめねば――
――「おるかー」
デズモンドが呼び掛けながら呼び鈴をいくら鳴らそうが返事はない。
血の通わない冷えた扉が俺たちを拒絶し、リノリウムの長い廊下を監視カメラが睨みを利かせているだけ。
天然素材から製造されたその床は、歩く度に悲鳴を上げる学園の古い廊下とは大違いだ。
「みぃちゃん、居ないのかな」
「いや、眠ってるのかもしれん。それか風呂に入ってるのかもな」
研究所居住施設二階の『目的地前』についたは良いが、どれだけ待っても状況は変わらない。
唯一の変化と言えば、デズモンドが呼び鈴に興味を失い、廊下に這いつくばって玄関の下に設けられた動物用出入口から中を覗いていることぐらい……まるで不審者だ。
「デズモンドサマ、みっともないデスヨ……」
「おおう、悪い悪い」
「ちなみに今何時?」
「ほれ」
のそりと立ち上がった彼が見せてきた、錆びた銀の懐中時計は規則正しく時を刻み『十一時』になることを教えてくれる。
秒針の進む小さな音は、なんとなく眠たげに俺の耳に届いた。
「十一時には帰宅してるって言ってたんだよね?」
「そう聞いてるが『見たところ』帰宅している形跡が無い。大方実験が長引いてんだろ。取り合えず中で待ってようぜ」
彼は猫がするような大きな欠伸を一つした。早起きをしたせいで眠いのだろう。朝から仕事があったらしいし。
「うん、それが良いかもね」
「さぁ、扉の封印を解きたまえ、彷徨う鳥の留まるのをユウサマは見る事が出来る人なんだ」
「ちょっと何言ってるか解らないですね……」
「はいはい、ごめんなさいでしたー。ボクは合鍵を没収されてしまったのでユウサマが持ってるやつで開けてください御願いしまーす」
恭しく場所を譲ってくれる笑顔の彼に促され、ドアノブの上に付いた鍵穴に合鍵を差し込むと確かな手応えがあり、遠慮がちな解錠音が廊下に響く。
玄関を開けると密閉性の高い室内の空気が動く気配がした。
それに構わず玄関へ踏み入ると、綺麗に掃除された段差のない空間が俺たちを迎えてくれるのだった。
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