男か? ペルセウス愛に死す


俺はエイハブに連れられ、警備兵と神衛隊ベルセルクの目を避けるように、厳粛げんしゅくで薄暗い聖域内を駆け抜け『リンネ様と書かれた紙』が貼られている楽屋に無事潜入したは良いものの目的の人物が見当たらない。



「ラグナシア居ないね、教官」



楽屋は学生寮の自室よりも広く、壁際には鏡台が取り付けられており、エイハブは部屋の中央にある机のパイプ椅子に腰掛けて、笑顔で一升瓶を大事そうに抱えている。


割れた鏡台には、銀色のウィッグと衣装が整理整頓されてある。



「確かに『ここ』には居ないな。ならユウは、何処に居ると思う?」



一つだけ心当たりがある。楽屋に備え付けられている『入浴施設』から水の流れる音が微かに聞こえている。


俺の視線から察したのか、エイハブはニヤニヤしている。



「ふむ、良い勘をしている。よし教官命令だ、偵察して来い」



偵察する……?

風呂を……?

俺が……?


いやいや……いやいやいやいや!



つい真顔になってしまう。

そんなことして良い訳がない。

女の子の入浴を覗くなど言語道断だ。



だが教官の命令なら仕方がない。


上官の命令は絶対なのだ。


いやはやエイハブ教官は鬼ですぞ。



僭越せんえつながら不肖ふしょうこのユウが! 偵察任務を遂行してくるであります!」


「おう、鼻血出てるぞ」



エイハブに、隙のない敬礼を噛まし、大義名分を得たので、さっそく偵察任務を開始するとしよう。


気配を消し、浴室へと続く更衣室の扉に近づき、耳を済ます。


ここからでも水飛沫が体に当たる音が聞こえる。


どうやら浴室内に居るのは一人のようだ。


というより『ここの風呂場』は一人用なので当たり前か……こんな簡単な任務で冷静さを欠いてしまうとは情けない。


ゆっくり深呼吸をして、音を立てないようにドアの取手を捻り、隙間から誰も居ないことを確認し、姿勢を低く保ち脱衣場へ侵入する。


微かに聞こえていた水飛沫が、よりいっそうのものとなってきた。


浴室からの熱気が伝わっているのか、脱衣場の温度は僅かに上昇している。


シャワーを浴び始めて暫く時間が経っているということか。急がなくては……


そう思うと俺の心拍数もほんの少し上昇してしまう。それは偵察任務の緊張感から来るものではないのは明白である。


落ち着け、これは正式な任務なのだ。決して不埒ふらちな行いをしているのではない。


そう自分に言い聞かせながら、脱衣場と浴室を隔てる磨りガラスの引き戸の前まで来た。


対象がこちらに気づいているようすはない。相変わらず気持ち良さそうにシャワーを浴びている。我ながら完璧な潜入だ。



あとは戸を開けて観察するだけ。



その前に手を合わせて拝んでおくとするか。


実技訓練を真面目に受けていた甲斐があったというものだ。


有難うエイハブ! アンタが俺の教導師で良かった!



……任務に戻ろう。浴室内は湯煙で充満しているだろうが、それぐらいなら十分に対象を認識できるはずだ。


流行る気持ちを抑え、ゆっくりと、少しだけ戸を引く。


許せ、ラグナシア。エイハブから言われて無理矢理こんなことをさせられているのだ。慚愧ざんきに耐えない。すまない! と心の片隅で思いながら、期待に胸を膨らませている自分が非常に情けない……



だがこれは偵察訓練の一環なのだ。エイハブが俺に課した試練なのだ。エイハブに報告するために、じっくりと観察させてもらうとしよう。



そんな俺の目に写ったのは……









盛り上がるようなたくましい筋肉が付いた脚。





がっしりとした鎧のような腰。





見事に六つに割れた屈強な腹筋。





神を連想させる固く締まった胸筋。





そして艶かしく温水を受け止める、









……嘘だと言ってよ、エイハブ。





「キャー! ユウさんのエッチー!……なんつってな! ラグにゃんだと思った? 残念、デズモンドサマでした!」





さっきからシャワーを浴びていたのはデズモンドだったのだ……



俺のワクワクを返してほしい。



彼は笑いながら気持ち良さそうにシャワーを浴びてやがる。腹立つ顔してんなぁ、そのまま溺れちまえば良いのに。



ゆっくりと浴室の戸を閉め、かなりムカついたので、脱衣場にあるデズモンドの着衣を手にしてエイハブのいる楽屋へと足早に帰還することにした。


しかし、今度は楽屋に居たはずのエイハブが見当たらない。



とりあえずエイハブが座っていた隣に腰掛け、机の上にデズモンドの衣服をとりあえず置いておく。



それからどれ程の時間が過ぎ去ったのだろうか。今から三十六万分……いや、十四分だったか。


大体その時間が過ぎた頃に『いちご牛乳』と書かれた小さな瓶を持ったエイハブが楽屋に入ってきた。


ここに居た時より若干こざっぱりしているような気もするが些細な問題だろう。



げんなりとした顔で座っている俺を見るや否や、エイハブは腹を抱えて笑う。



「ユウちゃんったら、ラグにゃんが本当にシャワー浴びてると思ってたとか超絶ウケるんですけどー。笑い過ぎてお腹が痛い! 息が出来ない! 息が! 笑い過ぎて! マジウケぴー!」



あぁ、このやり場のない思いは、どうすればいいのだろうか。


そんな俺をさかなに、エイハブは牛乳に入った牛乳を飲み干すのであった。





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