狙われたラグナシア

ラグナシアの『大蛇討伐祝賀会記念ライブ』はアンコールを含めて二時間の大舞台となり、無事に幕を閉じた。


この祝賀会のことを、人によっては『追悼式』や『慰霊の日』と呼ぶが、食べ物等を取り扱う多数の屋台が出店されているので、市民の大多数は『感謝祭』や単に『祭』と呼んで楽しんでいる。


そんな祭の綺羅きらびやかさとは裏腹に、民衆は相も変わらずワイシャツとスラックスという見栄えのしない教会都市指定の服装なのでへだたりを感じてしまう。


デズモンドの話によると、文明崩壊前の祭では皆が思い思いに着飾っていたらしいのだが、にわかには信じがたい。


オペラハウスからは続々と人が出ていき、皆が一様にリンネの称賛を口にし、興奮冷めやらぬ中、再び祭へと身を興じている。


俺たちもオペラハウスから出て、直ぐ近くにある人気のないスタンド灰皿の側で、デズモンドとエイハブとたむろっているところだ――





――ふと見上げた雲一つない青空には『幾千もの星座』が輝き『二つの太陽』と『満月』が仲良く並んでライブの成功を祝っているかのようで、こちらまで嬉しくなってくる。


サポートメンバーの完璧な演奏にラグナシアの極致のダンス……まさに女神の如きライブだったとしか言いようがない。


何よりも彼女の今回の衣装は、俺の想像を絶する露出度だったので衝撃的だった。


普段は『あんな』胸元を強調する彼女を見ることが無いので当分は忘れられないと思う。



「今回のライブも凄かったね、教官」



「そうだね。私は開幕早々どうなるか心配だったが、取り立てて大きなミスもなかったし、一安心だ」



エイハブは胸を撫で下ろしている様子で、いつも通り煙草を吸っている。


デズモンドも同様に煙草を吸っているのだが、いつもと違うのは鼻血を垂らしているということだ。


みっとないので注意してあげよう。



「デズ、鼻血出てるよ。どうせ、ろくでもないこと考えてるんでしょ?」



「うむ、良くわかったな。ラグにゃんのドエロさを思い返してた。実にしからん。これだから祝賀会は最高だぜ」



デズモンドは俺に手を差し伸べてきたので、仕方なく『固い握手』を交わす。



「うん、そうだね。激しく同意するよ」



「いやはや郁美に『高画質録画機能付き赤外線前方監視双眼鏡』を作ってもらって正解だったな。色んなものが丸見え……」



デズモンドが双眼鏡で何を観ていたかを暴露し始めたその時、筆舌ひつぜつに尽くし難い殺気を近くで感じた。


恐る恐るその方向に目を向けると、エイハブが文字通り『目の色を変えて』デズモンドを睨み付けているではないか。


いつものけがれを知らない子供のようなエイハブの灰色の瞳は、化物に取り付かれたような紅い瞳へと変貌へんぼうげていた。


ただならぬ気迫に、俺は震撼しんかんして彼の手を離してしまう。


デズモンドはエイハブの異変に、まだ気づいていないようで、怪訝けげんな顔で俺を見ているばかりだ。



「ん? ユウどうした? なにをそんな震えて……」



俺が目線で、デズモンドにエイハブの方を見るように促すと、彼は、ぎこちなくエイハブに顔を向ける。


エイハブはデズモンドと目が合うと、ゆっくりと口を開く。



「おい貴様、私の可愛い教え子の舞台を、そんなイヤらしい目で観ていたか? それに、郁美にそんな不埒ふらちな物を作らせていたとはな……」



冷静な口調のエイハブは、怒りのせいかドス黒く燃え上がる炎に包まれている様に、俺の目に写る。


いや、あの炎は本当に燃えているのかもしれない。なぜなら超絶熱いのだ……


デズモンドの顔からは、みるみる色が失われていく。


彼も、エイハブの『地雷』を踏んでしまったことにようやく気づき、鼻血を出した顔面蒼白という何とも奇妙な形相を作り出していた。



「あ、いや、待て、早まるな……そう言うんじゃなくてだ……そう! 言葉の綾だ。あんな扇情的な衣装を着こなせるのは、神以外ではラグナシアだけだなって関心してたんだ! あの発言に下心はない! それにあの双眼鏡は郁美の研究の副産物だから仕方ないんだ! ちゅうか、ユウも使ってたんだから同罪だろ!」



「おいデズ! 俺を巻き込まないでくれよ! そもそも双眼鏡に、そんな機能が付いてるなんて俺は知らなかったし!」



「おい、エイハブ! 俺とユウがした固い握手、見たよな?! 例え知らなかったとしても、ありゃ言い逃れできねぇよな?!」



「いや……ユウは良い。私は、生徒同士の慕情に口出しはしない主義だからな。それにお前は予約を忘れた……その報いを受ける時だ」



エイハブの怒りの矛先はデズモンドにのみ向けられていることが確定した。



「そりゃないぜ、兄弟……」



エイハブの炎は、依然として燃え盛っており、留まることを知らない。


デズモンドには申し訳ないが、安心した、助かった……というのが俺の本音である。


ただでさえデズモンドと同程度の化物染みた戦闘技術を有するエイハブなのに、本気を出されたら俺なんかではたまったものでない。火を見るよりも明らかだ。


エイハブの逆鱗に触れたら瞳の色が変わり、灰燼すら残すことを許さない……とデズモンドから聞いたことがある。


だが紅い瞳は前兆に過ぎず、瞳が蒼くなったらマジでヤバイらしい。


とは言え、もはや対岸の火事だ。それにこの前、俺の分の弁当を食ったつぐないをするが良い。



「エイハブ、落ち着け! 俺とお前の仲じゃないか! ……チクショウ! 聞く耳持たずかよ! 冷や汗が止まらねぇ! 滝のようだ!」



一般市民からは、単身で大蛇を討伐した英雄として知られているデズモンドが、これ程までに周章狼狽するとは……



「こうなったら最後の手段しかない……あっ! 配達の時間だ! という訳でサラバだ。なんというか、ユウ、あとは任せた! 頑張れ! じゃ」



言い終えるや否やデズモンドは脱兎の如く走り去って行った。



「待てオラァ! ユウに何でもかんでも押し付けてんじゃねぇぞ! ユウには何の非もねぇだろ! 今日という今日は許さねぇ! 野郎、ぶち殺してやる!」



エイハブは黒炎を燃え上がらせながらデズモンドの後を追って駆け出していった。


その数秒後、街外れ辺りで天にも届かんばかりの巨大な黒焔柱ひばしらが上がり、デズモンドの情けない断末魔がかすかに聞こえてくる。


あの黒焔柱は何度見ても綺麗だなぁ……懐かしいというか、心の奥底まで暖められるエイハブの優しさが秘められているようだ。


……デズモンドは災難だったとしか言いようがない。


祭にいそしんでいる人たちも、そちらの方向を一様に見ており、何かの催し物だと勘違いしているのか、歓声を上げて拍手をしていた。


仕方ない、デズモンドを拾いにいってやるか。


そう思い、歩き出そうとしたのだが……



「お前は……『You・L・Blood - Fox』だな?」



俺の名を呼ぶしゃがれ声がし、急に踏み留まったので変な体勢になってしまう。



「は、はい?!」



その上唐突に、俺の正式な名前で呼ばれたので、つい上擦った返事をしてしまったが……俺の神経を逆撫でする声の主は『目の上のこぶ』と決まっている。


反射的に返事をしてしまったことを、俺は酷く後悔してしまうのであった。






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