エイハブ散る





ラグナシアに背中を支えられたまま地平線に目を向けると、視界に収まりきらない程の『大蛇だった残骸』が眼前に展開されていた。



大蛇の頭部は胴体と無理矢理引き千切られたかのように雑な切り口で切り離され、胴体はなますの様に切り刻まれたのかかつての面影もない。


下顎のない頭部に付いた、赤い鬼灯ほおずきのような眼がこちらを睨んでいて、まるで『全て』を見透かされているようだ。



「なぁラグナシア、デズ……あの眼まだ動いてね?」



「動いてますね……」



「あぁ、お前らは見るの初めてだったな。中々にキモいだろ?」



「キモいですね……」



「ありゃ引くわ」



邪眼は、優に民家八軒分の大きさがあるので離れているこちらからでも良く見える。


そんな累々と大蛇の残骸が転がっている遥か上空に、白い布を纏った白髪で長い白髭を蓄えた、空中に浮かんでいる『一柱の年寄り』が辛うじて確認できた。




アレが恐らく『ゼウスさま』だろう。




「そうそう、ユウさんが気絶している間に神衛隊しんえいたいとゼウス様の御活躍は終わってしまいましたよ」



そう言うラグナシアは、恋する乙女のようにゼウスに見惚れていた。


彼女は神さまを、とてつもなく信仰しているのだ。というか大好きなのだ。



「偉業を見れなくて残念ダヨー。ミタカッタナー」



全てを喰い散らかす存在と言われる大蛇も『神さま』と『神衛隊ベルセルク』にかかれば実に呆気ないものだ。


そう言えば神衛隊ベルセルクのメンバーが見当たらない。


一体どこに行ってしまったのだろう。


今し方、認められていたゼウスもいつの間にか居なくなっている。共に教会都市に帰還したのだろうか。



「しかしエイハブも災難だな。まさか『元教え子』の聖剣が飛んできて、片足を切り落とされちまうなんて思ってもみなかっただろうな」



デズモンドは少しだけこちらに顔を向け苦笑する。



「まぁ教官のことだし大丈夫だろうね」



「そういうことだ。アイツはしばらく放っておけ、どこまで吹っ飛んでるか解らんし。だが今日の教習課程は、これからが本番だろ? お前らイチャついてないで、さっさと準備しろ」



「そうしたいのは山々だけど、体の自由が利かなくてね」



「ユウさん、安心してください。私がお連れしますよ」



そう言うとラグナシアは俺を軽々と抱き抱え、デズモンドの側に向かう。



「ラグナシアは相変わらず力持ちだなぁ」



と違って、伊達に鍛えていませんから」



「うむ。お前ら! 行くぞ!」



デズモンドの掛け声と共に、三人で目的地へと歩き始めた――





――黄土色の大地は大蛇に近づくにつれて激戦の跡が増え、どす黒く腐臭が漂う異様な世界へと変貌へんぼうを遂げる。


深く抉られたくぼみに溜まった大蛇の血で出来た湖は少しも波を立てようとしない。


億劫おっくうがり屋のデズモンドは、俺の予想通り早々に気を腐らせて罵詈雑言ばりぞうごんを放つ。



「まったく、はどれだけ世界を破壊すりゃ気が済むんだ。お陰で歩きにくいったりゃありゃしない」



「まったくだ。ここから向こうまで、黙って二十分は掛かるってのに、こうして迂回しなきゃならないんだからね」



「まったく……ユウさんは楽で良いですね。か弱い女の子に抱っこされてるだけなんですから」――





――血の海を優雅に歩くラグナシアは陽気に鼻歌を歌っている。


顔立ちに比例した美しい女神の奏でるような音色は、殺伐とした世界に似つかわしくない慈愛に満ちた子守唄のように俺の耳に響く。


この時間が永遠に続けば良いのにと切実に思う……



「お、『リンネ』は祝祭の練習か? 感心感心」



「デ、デズモンド様! 私は『リンネ』じゃありません!」



デズモンドの無粋な一言によって、演奏会は他愛ない雑談へと変化してしまった。全くこの男は……



「おっと悪い。そうだったな、そういうだったな。俺としたことが全くドジな事よ」



「今の私は『ラグナシア』です。というより、リンネさんの事でしたら何度も言ってますが別人でして……」



「ラグナシアよ。分かったから、まずはその微妙な表情を止めてくれ。女神の如き美貌が台無しだぞ」



「デズ……あんたにゃデリカシーってもんがないのか」――





――血溜まりを歩くこと数十分。



ようやく大蛇の頭部付近に到着したのだが、明らかに『見下されている』ように見えるのは気のせいなのだろうか。



「なぁラグナシア、デズ……やっぱりコイツはまだ生きてると思うんだよ……」



「そうですね、さっさと死ねばいいのに……」



「コイツ等は死の概念が曖昧だからな」



「流石デズ……何でも知ってるね」



「伊達に長く生きちゃいないからな」



大蛇の邪眼は尚も激しい憎しみを込めた眼光で、こちらを睨むことを止めない。



あまりの威圧感に、身がすくみそうだ。


だが邪眼を睨み付けるラグナシアの目付きは、それ以上に恐ろしく鋭い。



たまに来る夜よりも深い『闇』が込められた瞳に、俺は戦慄を覚えてしまうのであった。



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