第23話
ざわめく闇の森、カシやブナの枝が邪魔する中を駆ける。昼間はそんなに感じなかったそれがうっとおしく、夜の森はどこか飲み込まれそうな威圧感すらあった。
時折、学生服や髪にひっかかる枝がすこしだけむき出しの肌を傷つけていくのを感じたが、それども気にせず走っていた。あの、人為的な獣道とでも言う道を。早く早くと、はやる心のまま。
(そうか・・・)
走りながら唐突に理解した。彼らはきっと、あの礼拝堂に運ばれたのだろう。だって、自分たちが追い詰めていわば殺してしまった場所にそうそう近寄りたいとは思えない。彼らは別の場所から、あの礼拝堂につれてこられたのだろう。
あの人為的な獣道を使って。罪を忘れさせないために。
息が荒く、胸が苦しくなってきた頃、ようやくそこに着いた。生命のせわしなく動く、礼拝堂へ。
大きなチョコレート色の扉は片方だけ開いていて、彼女がもう中に入っていることをうかがわせた。後ろ手に扉を閉めて、壁画が飾られた冷たい通路を荒い息のまま走る。かつかつと靴音が反射して、それが妙に耳障りに感じた。
純然たる白の部屋を突き抜けて、銀白の輝きを放つ螺旋階段へ飛びつき駆け上がる。普段の運動不足のせいか、そこをつきそうなほど荒い息がうっとおしかった。
それでやっとたどり着く。あの赤の海へ。
月光によってほの赤く染められた室内。その中で、彼女はその大きな窓へと白い手を伸ばしていた。
「玉葛友菊」
ぴたりと白い手が止まる。漫然と、ゆっくりとこちらを向く瞳はやはりうつろで、どこか退廃的な雰囲気を漂わせていた。あるいは死の香りとでも言えばいいのだろうか。決して今までの委員長にはなかったそれ。
「君は雅華乙音だろう」
「違う。私はトモなの。玉葛友菊なの。あの裏切り者とは違うの」
「裏切り? 委員長は君の友だちなんだろう?裏切ったのかい?」
「そう。助けてって思って、見たのに。黒い目が涙に濡れているのを見たのに。私は見たのに。あの子は、あの子は目をそらして。こっちに来ないでって、友だちなのに! なんで、私の!」
窓に伸ばしていた白く浮かぶ手をローブの中に戻して、下を向いてぶつぶつとつぶやく彼女に、靴を脱いで近づく。足音を消すためにはそうするしかなかった。乱暴に頭をかきむしってはぼさぼさの頭のまま、大きく肩で呼吸する。
彼女は完全にうつむいていて、前に立つぼくには気づいていないようだった。
「答え合わせしようか」
「え?」
「自分で自分の目は見れない。玉葛友菊の瞳は確かに黒かったけど、それを自分で見れはしないんだ」
「違う、私は」
「それとね、彼女は。玉葛友菊は日記を書いていたみたいなんだ」
「日記・・・?」
「うん。書いてあったよ。君の事、たくさん。今日はおいしいクレープを食べに行ったとか、子犬を一緒に撫でたとか、一緒に髪留めを選んでくれた、プレゼントの約束をしてくれたとか。大好きな親友って」
「嘘だ!だって、監視。そう、私はあの子を監視してたの。だから」
「そっか、君は知っていたんだね」
半狂乱に頭を振る彼女に、ぼくは一瞬目を伏せた。これを言ったら彼女は壊れてしまうかもしれない。でも、教えければいけないとぼくの中の何かが言う。勝手な正義感が。これは、雅華乙音の心を折るかもしれないけれど、玉葛友菊の本位では無いかもしれないけれど。
そうしないと、彼女は雅華乙音はずっと、彼女の死を勘違いしたまま生きることになるのだろうから。
「ここからは日記を読んだ、ぼくの推測だけど」
伏せていた目を開けて、うつむいて大きく息を吐く彼女に告げる。
「玉葛友菊は、誰よりも君を好いていて。君を守りたくて。君から目をそらした自分が許せなくて、手を振り払ってしまった自分が憎くかったんじゃないかな。いじめなんて小さなものに、彼女の心は折れなかったんだ。自分の親友である君の絶望した顔が。君が、救えない君自身を憎んだのが、彼女の心をどうしようもなく折ったんじゃないかな」
「違う、違う・・・」
「だから君は雅華乙音の作った、罪悪感から生まれた、玉葛友菊という名の人格なんだ」
「違うぅぅぅぅ!」
一瞬の出来事だったけれど、やけにゆっくりと感じた。これが脳が興奮すると景色がゆっくりと見えるという現象なのか、と階段の時から3回目でようやく認識した。
うつろな目は見開かれ、顔は絶望に歪ませて、鬼の形相をした彼女がぼくに掴みかかるよりも早く、ぼくは彼女のみぞおちに一発拳を叩き込んだ。
「くっ・・・」
「君は、雅華乙音だ」
「違う、違うの。友菊なの。私が拒絶した、友菊。私の親友。私の、私の・・・」
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