第22話

「委員長・・・」


 間違いようもなく、雅華乙音本人だった。しかし普段とは違い、知性に輝いていた瞳はどろりとうつろにまどろんで、唇を自嘲に引きつらせて。退廃的な雰囲気をまとう。可愛いとは表現できない形相をしていた。


 涙をにじませた声に泣いているのではないかと思っていたが彼女は泣いてなどいなかった。

 僕を警戒する目で見て、いつも穏やかに緩めていた唇を自嘲に引きつらせていた。足元に転がる血塗れで汚れた彼に驚愕し、自分でしたことだと言うのに悼んだ目をして首をかしげ、蹴り飛ばした。物みたいに2転3転しながら廊下へ出そうになった彼を急いで足で止める。


 サッカーみたいだと思ってからため息をつく。


(友だちでサッカーって...)


 とりあえず、彼が起きたら謝っておこうと思う。

「何言ってんだ?」と首を傾げる様子が目に浮かぶようだが、気にしない、絶対言わない。出来ればばれないといいんだけれど。ぼくをどこかとろりとした眠そうな目で見ていた彼女が不意に走り出す。


 追いかけようとは思わない。

 礼拝堂だ。神のいない、台座だけの礼拝堂。彼女の親友が死に、彼女にとっての親友が生まれ、これから彼女が死ぬだろう場所。死んで生まれて死んで、せわしなく生命の動く、あの場所に、彼女は向かったのだろう。最後の復讐のために。

ふと、彼を見る。

 

 彼は彼女を特別に思っていたはずだ。咎が発動する見際目を誤るくらいに。彼が生きてきた中で習った抑制が効かないくらい、自制が出来ないくらいには、彼女を特別に思っていたはずだ。


 悲しむだろうか、彼女が死んだら。

 ぼくみたいになってしまうのだろうか、もう何も感じないくらいに人格を重ねて。ぼくは生きていられればいいし、捨てては作り、拾ってきた名前に何の未練も執着もないけれど。

 

 彼は違うのだろう。階段から落ちそうになった時、ぼくの手を必死な表情で掴んだ彼は。冷やかしたら照れたように笑った彼は。感情があって、名前を守っている彼は。

 泣いてしまうのだろうか。怒ってしまうのだろうか。壊れてしまうのだろうか。嘆いてしまうのだろうか。

―――彼は、悲しむのだろうか。


「だから?だからなんだ?悲しむから、何なんだ?」


 ぐるぐる回る思考に目を閉じて、太腿に乗せていた彼の頭をそっと、ガラスの落

ちていない床において、立ち上がる。


 彼はぼくの友達だ。


 閉じていた目を開ける。床に転がってひそやかに上下する胸、かすかな呼吸音を確認して。そのまま彼を見つめる。差し込む月光に、散らばったガラス片がきらきら光っていた。彼の黒髪もぼんやりと光を返し、きれいだった。

 

他の何が許さなくても、彼はぼくの友達だ。他の誰が認めなくても、彼がそう言った。ぼくがそう、認識した。

 彼はぼくの友達で、ぼくは彼の友達だ。


「『相手のことを思いやれたら、もう友達』なんだっけ」


 友達の定義を探したぼくに、片瀬が示して彼が頷いた言葉を繰り返す。


 だから、ぼくが君を思いやってあげよう。ぼくのたった1人の友達。君がぼくを階段で助けてくれたように。心配してくれたように。思いやってくれたように。

 ぼくが君を思いやってあげよう。彼女は死なせない、君のために。それが友達ならば。


 膝を床につけて、彼の少し長めの黒髪を撫でる。さらさらとしていて、案外さわり心地が良かった。ぴくりと動いたものの、起きる気配のない彼に告げる。


「行ってくるね」


 おわらせてくるね。膝を立てて立ち上がると、ぼくは走り出した。あの礼拝堂へ。下は神聖に見えるくらい真っ白なのに、上は彼が血の海だと称するくらい真っ赤な礼拝堂。

 償いもされなかった過失、罪を隠されたあの礼拝堂へ。

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