第16話

「は?」

「返して・・・返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して!」

「何を・・・」

「返せよぉぉぉぉ!」


 不自然に低い声の持ち主が、ぼくの学生服の胸倉に片手で掴みかかる。ものすごい力だった。黒い布は動くたびにはたはたと揺れていて、するりとぼくの右ポケットから何かを抜き取ると、掴みかかった手を引く。

 

 胸倉を掴みかかられてほとんど息が出来なかったぼくは、はやったように息を吸い込む。2、3回深呼吸していると、また白い手が伸びてくる。それに対して防御するよりも早く。


「ばーいばい」

「え?」


 ぼくの胸を突く。突然の浮遊感に、階段に放り出されたことを知る。全てはスローモーションで見える。一度目、不注意で階段から落ちそうになったときみたいに。

 伸ばすぼくの手を見もせずに、上段に上っていくローブの人。引力にひかれるがごとく身体が宙に投げ出されるのを感じていると、声がした。


「広瀬!」

「え?」

「ぐっ」

「わっ!」


 背後から誰かに抱きとめられる。だが勢いは殺せず、そのまま落ちそうになるのをとめる誰かの手が手すりを掴んでいるのを見て、僕もそれに習う。若干マシになったのではないかと思うが、男子1人分の重さには耐え切れず、2人して踊り場に転がった。


 大して痛くもない身体に首を傾げつつも、先ほどの声の主を探す。助けてくれた恩もあるし、何より彼の声に似ていた。

 案の定、ぼく横に転がっていたのは彼だった。見た限りでは怪我はしていなくてほっと息をつくが、わからない。頭を打ったのだとしたら、明確に血液が見える怪我なんかよりもよっぽど厄介だ。


 自分でもさあと血の気が下がる音がわかるほどに引いていると、唸りながら彼が身じろぎした。


「いってぇ」

「君、大丈夫か!? どこが痛いんだ、頭!?」

「いや、背中。頭はかばったし打ってもいねえよ。っつーか、お前も大丈夫か?」

「ぼくは君がかばってくれたから」

「そうかよ。っていうか、また足滑らせたのか、このドジ! 俺が気分変わってこっちから帰ろうとしなきゃあんた死んでたぞ!」

「な、誰がドジだ! 突き落とされたんだよ!」

「はあ? 誰に?」

「それがわかったら苦労しないさ」


 お礼を言う前に、まさかぼくが自分で足を滑らせたことになっていて、思わず食ってかかってしまった。失態だ。黙っていればよかった。たぶん、あれが魔女。どうして出てきたのかはわからないが、これは仕事の範囲内だっただろうに。

 

 でもはじめての友達に、ぼくがドジをして怪我をしたなんて思われたくなかったし。ああ、二律背反がつらい。そんな苦悶の表情が出ていたらしい。

 一番痛いのは彼のはずなのに、心配げに見つめてくる。それに笑い返すと、大丈夫そうだな、と言って立ち上がった。見たところふらつきも無く立ち上がれていたし、大丈夫だとは思うけど。


「もしなんだったら、病院行くかい?」

「いや、大丈夫。時間ないし、もう帰るわ。また明日な。」

「あ、ちょっと、待ってくれ」

「なんだよ」

「その・・・ありがとう、助けてくれて」


 ぼくの照れながらの言葉に、彼は破顔して帰っていった。


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