第12話

「『Chapelle・expiatoire』ね...」


 整備されていない道の真ん中に、埋め込まれた白く丸い石盤。被った砂を手で払って現れた金色の文字で書かれた名前は。

きっとこの礼拝堂の名前だろうと思って読み上げたが長年放置されたそれは、薄汚れて見辛かった。


 ぴったりの名前じゃないか。どちらから付けられたのかは知らないけど。


 そういえば何の宗教を信仰していたのか聞かなかった。興味もなかったし。  

まぁ、もっともこれは理事長が敬愛なる祖母のために造ったとか言ってたけど、どこまで本当だかわかったもんじゃないし。大体なんで学校に造るんだよ。おばあさん来られないじゃないか。年齢的に。と心の中でつぶやいてみる。


 キリスト教の意味か、この言葉自体の意味か、はたまたイスラムの由来だとしても面白い。

 これが礼拝堂というのならば、キリストに傾きそうなものだけれど、どっちにしても自虐的ともいえるその名前にうっかり失笑してしまった。


「意味、わかんのか?」


 答えなど返らないはずのつぶやきに別の言葉が返ってくる。


 さっきから気配は一切していなかったけれど、木々を掻き分ける音は聞こえていた。隠す気がないのかあるのかまるでわからないが彼だ。

 

 ぼくに、ぼくのアイデンティティとすらいえるものを壊して衝撃を与えた人物。ゆっくり振り返ると、案の定彼がいた。右手にはなんだか薄汚れた黒い紙袋を持っていたけれど。


「帰らなかったのかい?」

「俺は18時ろくじまで家に帰れないんだよ」


 諦めたような声で彼がつぶやく。その声はどこか哀愁を秘めていて、疲れているようにも聞こえた。納得できないことを無理やり自分に科しているように。

 家庭の事情という奴だろうか?家庭に属していると大変だ。家庭というものに縁遠いぼくにはよくわからないけど。


「大変だね、荻原灯おぎわら ともりくん」

「俺のことはどうでもいいっつうの。つかなんでフルネームなんだよ」

「なんて呼べばいいのかわからないし、名字はクラスに2人いる、許可もとっていない親しくない相手にいきなり名前で呼ぶなんてこと、できるはずがないだろう?」

「・・・変なところ遠慮しいだよな、あんた」


 彼の笑顔を初めてみた。

 教室でも中々みられないそれは、委員長と呼ばれる少女にしか向けられない。とクラスメイト、いつかのロング、お団子、ショートの女の子たちが言っていた。


絶対両想いだって!えー、でも付き合ってないっていってたよ?これからどうなるかわからないじゃん!姦しく話し合う彼女たちにいつの年頃も女性はこういう話がすきだなぁと内心苦笑いしていても、顔は自然に笑顔を作っていたぼくもぼくだけど。


ただ、せっかくだし落書きしちゃおう! とお団子頭の子がロッカーに相合傘を描いて委員長と彼の名前を入れたのには苦笑してしまったが。


 仕方ないな、とでも言いたげに笑う彼のそれは完璧な笑顔ではないけれど年相応で、ぼくが得られず得ようともしなかったもので、とても眩しく見えて目を細めた。

 

(どうしよう。せっかく覚えた名前を言ってみたかっただけなんていえない雰囲気だ、これ)


 なんだか勝手にいたたまれなくなった瞬間、甲高い、なにかを裂くような音を立てて風が木々の間を縫い、通り過ぎた。疾風が巻き上げた砂がせっかく邪魔なものを除いた石盤にかかってしまったが、もう掃おうとは思わなかった。だって必要ないし。

 

 それを一瞥してから大きな薄汚れてはいるがチョコレート色の扉の前に立ち、鈍い金色の取っ手に手をかける。


「名前、呼ばないでくれ」


 一回引いたら開かなかったからと、案外重い扉を押そうと力をこめた瞬間に言われた言葉に思わず振り返ってしまう。

 さっきの笑顔なんて消え失せた顔に教室での無表情をはり付かせて、彼はぼくのすぐ後ろに立っていた。相変わらず薄い気配に驚いているのを、彼は意に返さなく続けた。


「あんたを見ていると、名前呼んで欲しくねぇなって思う」

「・・・そこまで嫌われるようなことをぼくは君にしたかい?」

「いや、されてねぇよ?俺の勝手な感情だから気にすんな」


 いや、気になるだろう。

 言っていることの意味を図りかねているぼくの手の上に自分の手を置いて、扉を開けると上機嫌な様子で彼は中に入っていった。

 聞いたことのないメロディーまで口ずさんでいて。意味がわからない。

 困惑したまま立ちどまっているぼくを振り返り、首をかしげた。


「中、入んねぇの?」

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