32

 レーテはまだ少し不安定な精神状態を徐々に整えながら歩いていく。恐ろしい力に頼ってしまった事に罪悪感も感じつつ、しかしその罪悪感が、恐ろしい力を受け入れている証拠でもある事は明白なので、向き合わなければいけないな、とため息をついたりもする。そして、村長ケーリー・ヒンベルグやアラスタたちのいる所に戻っていく。

 「悪さをしたあいつは、どうなりましたか?」ケーリーが話しかけてきた。

 「潰した。燃えカスとなった。」レーテは答えた。「手強い堕魔人であった。」

 「それは!」ケーリーは喜んでいた。「村に平和が訪れた!」

 村人の歓声。そして話し込んでいたらしいオドとアラスタも気づいてレーテを見る。

 「まず、クリシェ・・・奴の事だが・・・あれにやられた村人を治していきたい。」

 「もちろん。ぜひお願いします。回収できた分はあの建物のベッドに全員寝かせています。」

 「非常に残念な話だが、クリシェの人格操作は結構ひどい。だから、記憶を消さなければ元に戻らない場合も多くある。」

 「仕方ありません。」ケーリーは深々とうなづいた。「死ぬよりはマシです。動けるなら何かと役に立てるかもしれないし。」

 その利用する物言いがちょっとカラの父親だな、とレーテは不謹慎にも納得してしまった。

 「それと、あまり時間を無駄にしたくはないので、」レーテは言った。「村人を治している間に、ご子息の弱点についてお伺いしたい。」

 「もちろんですとも。もちろんですとも。案内しますよ。」ケーリーはよろよろと歩く。

 「アラスタ、すまないが」レーテは言った。「協力頼む。」

 アラスタはその場を立ち上がってレーテについてく。オドはマルカレンの胎児をじっと見つめている。アラスタはそんなオドを一瞬ちらりと見る。

 「正直気にはなっていたが。」道を歩きながらレーテはアラスタに言った。「クリシェとネジネジはどこか似ている。」

 「確かにそうですね。とはいえ、関係はないんじゃないですか?他人の人格を操作する堕魔人はそもそも多い。」

 「なぜだ?」

 「人間の心の苦しみって、他人との関わりにできるものじゃないですか。だから他人をどうこうしたくなるというか。」

 「ああ、確かに・・・。」レーテは左肩が正常である事を確認した。「確かにただ殺戮するだけの堕魔人は、もともと脳や精神をおかしくした者が多い。スニングスとか、ゲゲレゲとか・・・。」

 「ゲゲレゲもやはりそうなんですか?」

 「あれは食や生殖などの人間の生存本能が、パニックのように過活動して暴走することで生まれる堕魔人らしい。」

 「そうなのか・・・」

 「私の息子カラはどうなんでしょうね。」ケーリーは言った。「あれはもとからちょっとおかしかったが・・・さあさ、着きました。」ケーリーは扉を開ける。


 

 そこはなかなかすさまじい場所であった。ベッドがたくさん並び、デフォルメとしていちぢるしく歪んだ顔で、「俺は影の騎士・・アデュール・・・影の騎士・・・アデュール・・・」「光のお姫様マディーよ・・・」などとつぶやいていた。見回すと、一人だけ、言いたくないのに無理やり言わされているような葛藤を抱えながら寝床でブツブツと「あたしは洗濯女ルシファーよ〜」と歌う男がいた。

 「これは完治できそうだな。」レーテはそう言って右手を男の顔の上に置く。幸い男の顔は、広げられた目さえ直せば正常な模様である。ちょっと光をだしてホッと一息をついたところで、レーテは右目でアラスタに目配せをする。アラスタはうなづいて、手をかざす。男は正常に戻った瞼を開けて目を覚まし、「あなたがたは・・・」と戸惑っている。レーテは仮面の下で微笑み、「あなたの病気を治した。」と言った。男はは、と気づいて、「ありがとうございます・・・ありがとうございます・・・ずっと気持ち悪くてしょうがなかったんです・・・ありがとうございます・・・」と涙をながしながら二人に礼をし、ケーリー村長の案内で扉の外へ出て行った。

 「戦うだけじゃないんですね。」戻って来たケーリーは言った。

 「戦士なんて肩書きは私にとっては名ばかりだ。」レーテは言う。「すくなくとも以前は。」レーテは辺りを見回す。「しかし他は程度の差こそあれ、重症だな。いやな意味で奴のやる気が感じられる・・・。」そして側の"影の騎士アデュール"の寝床に寄る。「そうだ、カラの弱点を聞くんだったな。」

 「おお、そうです。」ケーリーはレーテの向かい側に座った。「ただ、そのためにはカラの生い立ちを語らねばなりませんね。」

 「もちろん。ぜひ聞きたい。」

 「カラには実は兄がいたんです。」

 ふいに、犠牲者の村人たちが全員寝床から起き上がった。

 「ちょっと待って。」レーテはそうケーリー村長に言って、立ち上がった。

 「一体・・・・?」ケーリーもあたりの状態の異常を察知し少し怯えている。

 「これは、もしや。」アラスタは言った。

 「信じたくないが・・・。」レーテは傘をかまえた。寝床から既に立ち上がった村人たちが一斉に唱え出す。


 『物語は作者の世界。物語は作者の投影。物語の人物も作者の生きた記憶の投影。』


 どの顔もひどく歪んでおり、薄暗い部屋でのその光景に村長ケーリーは腰が砕けたように座り込む。


 『私たちは作者の鏡。私たちは作者である。作者は存在する。私たちも存在する。』


 村人の皮膚が次々とめくれていく。


 『あなたも私も存在する。あなたも私も作者である。あなたも私も登場人物である。あなたは私の登場人物である。』


 村人の肉が一つ所に集まり、次々と白骨だけ残ってばらばらと崩れていく。

 「逃げよう!」レーテは叫び、アラスタはうなづき、立てないケーリー村長を二人で抱えてドアへ向かう。声はまだ続いている。


 『あなたは私の登場人物。だからあなたをもうちょっと作らせてよ。レーテ。』



 「どうしたんじゃ?」オドが訊ねた。

 「最悪だ。最悪の、事態だ。」元の場所に着いたレーテは生涯最大の焦りをこの時感じていた。大失敗であった。やはり堕魔人の魂は乱暴に滅却するものではなかった。アラスタもいつになく険しい顔である。

 「わしにだけこっそり話してみてみい。気持ちが落ち着くかもしれぬ。最悪の状態なら冷静さがなお必要じゃ。」

 レーテはそれもそうだな、と思ってオドに耳打ちをする。「クリシェを燃やして殺したつもりだった。だがどうやら魂が生きのこっていた。堕魔人は乱れた魂の産物だったから、未処理のまま殺してはいけなかったんだ。だから、被造物の村人を通じて蘇った。おおよそ20人分の体を吸収して、前より恐ろしく強く蘇ってしまった。」

 オドは真剣な顔でうなづく。「よく分かった。」

 「まだあの建物の中にいる。」レーテは言った。「私ではとうていかなう相手ではない。あれは不死だ。創作の魂が尽きるまでやつは諦めない。」

 「ではやつが飽きるまで殺し続ければいいのじゃろ。」

 「持つのだろうか・・・昔の自分ならば力尽き、今の私なら堕魔人になってしまうかもしれぬ・・・。」

 「おまえさんにしろと言ってるんじゃないんだ。」オドは笑った。

 「え・・・?」

 オドは懐からマルカレンの胎児を取り出してレーテに渡す。

 「これがなぜわしのような無能に話しかけるのか不思議でしょうがなかった。」オドは言った。「だが、おまえさんがしばらくいなかった日にこやつは夢の中でわしに答えをくれた。自分は、わしから生まれた者だ、とな。」

 レーテは息を呑んで後ずさりした。「あなたは!」

 「そうじゃ。ずっと忘れていたが、わしは・・・。」

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