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肉片。レーテは街を歩き転がるそれを見つめる。ひどい腐臭である。その有様だけでも堕魔人と化した村長の息子が数日に渡って村への殺戮を繰り返しているのが分かる。もう少し早く事件を知りたかったな、とレーテはため息をついた。村長から言われた通り、村長の息子スニングスは村の岬にある灯台に潜んでいる。レーテは腰に提げていた壊れた傘を取り出す。それは一見して小間が剥がれ足の折れた、普通の人にとってはただの廃棄物の傘である。
灯台に入った時、「誰だ・・・誰なんだ・・・」と狼狽えるような青年の声が聞こえた。その声の響きがもつ異常な気配からして、堕魔人と化した村長の息子であることは明らかであった。
「私は、戦士レーテだ!」レーテは凛々しい声を灯台中に大きく響かせた。「スニングスくん、君は、堕魔人に陥り、人を多数殺めてしまっている。私は君を助けに来た。私は君の中の正気の部分を、助け出したい。君が人を殺さないために。」
「人を殺したくない、人を殺したくない、人を殺したくない。」
その声は本心のように鋭い叫びであった。
「人を殺したくない」
そう言いながら部屋の奥からそれは姿を現した。巨大なにぎりこぶしを後ろからみたような奇妙な形であり、そこから数本の触手が生えていた。その触手は先端が刃物のように長く鋭くなっている。体の中央にメガネが反射するのが見えた。
「僕は、本当は人なんて殺したくないんだ。」
スニングスはそう言いながら小汚い満面の笑顔で、触手をレーテに向けながらじだばた接近してくる。「僕は人を殺したくない。」
もはや本心と矛盾した行動に出る事すら快楽に感じてしまっている。(これは、治癒不可能だな・・・)レーテはため息をついて壊れた傘を広げる。スニングスはすでにレーテの間近にいる。襲いかかる数本の触手を上手に傘の折れた骨に絡め取りながらそれを勢いよく捻り、触手を引きちぎる。「ひぎいっ!」とスニングスは悲鳴をあげて後ずさりし、新たに触手を数本生やして歩行し勢いよく後退する。そして壁をよじ登り、さほど高くない天井を這い回りながら「人を殺したくない、人を殺したくない、人を殺したくない」といって逆さの姿のままレーテに走り迫る。レーテは傘に念じて空気中の光を集める。そしてスニングスに向けてその光を導くと、スニングスはぎゃあ、と叫んでそのまま触手を縮みあげて地面にのべっと落ちて、苦悶の表情のまま動かなくなる。弱い。ここまでの異形になるからには相当強い魔術をもっているはずだ。にもかかわらず、攻撃は基本的に肉体的な殺人であり、”極めて知性が劣っている”・・・そう思った時、レーテははっと気づいた。知性。苦悶に歪むスニングスに近寄りレーテは囁きかけた。
「教えてくれ。スニングスよ。お前は何が苦しかったんだ。その心をききたい。」
スニングスの中のわずかな暖かい光に気づき、レーテはそこに手を当てる。そこには断片的な物語が次々と読み取れた。
ぼくはスニングス・ペルトロ。パパのブラムン村長がいつもぼくのことを頭がいいってほめてくれる。実際に僕がそう自覚したのは6歳になってからだ。小学校に入ったら誰よりも誰よりも点数がとれた。先生のいうこともすぐにわかる。クラスメートの言葉も同時に5人聞き取れる。ためしに5人別々に会話してみたりもした。みんなびっくりしてたなあ。
どうしてみんな僕を避けるのだろう。頭がいいから?でもあのクラスメートのデルライも成績いいから勉強おしえてた。僕だっておしえられるのになあ。なんでだろう。
ぼくに資源があると思うのは間違いだった。みな僕を気持ち悪いと思っているんだ。点数がなんだ。
親が僕をなだめるが親の説得がバカすぎて聞いてられない。もうみんながバカにみえてくる。バカが世界を統治しているんだ。そりゃ科学が滅んで当たり前だ。頭の優れた人間はただバカのために死に絶える運命にある。それによって人類は滅びる。人類は滅びるんだ。
ああ、なんて間違った考えをしてしまったのだろう。どうしても思考が先走りして悪い方悪い方に考えてしまう。助けて欲しいが、お父さんもお母さんに助けを求めても逆に二人を説き伏せてしまう。頭がよすぎるのが悪い。
ああ、わかったぞ。頭のいいことなんていらないんだ。頭がいいから苦しいんだ。頭がいいから人に避けられてつらい思いするんだ。頭がいいとはなにか。脳内の導線の回線が綿密かつ高速ということだ。速さについてはどうにもならない。ならばぐちゃぐちゃにしてやる。ぼくの頭の中を、魔術で、ぐちゃぐちゃに、して、うひ、いたい、苦しい、吐く、まだたりない、おひゃえ、きもちいい、まだ、たりない、おげっ、うう、他人がいらない、ぼくは、あれ、母さん、殺す。やってしまった、だめだ、ここで後悔しては無駄になる。脳を潰せ。おれの、のうを、つぶせ。はかいしろ。ぶちぶちに引き千切れ。ころしたくない。ひとを、ころしたくない、たのしい。ひとを、ころしたくない、ひとを、ころしたくない、たのしい、たのしい、たのしい。
レーテはそこまで読み取って嘆息した。そしてスニングスに軽く手を当て「レーム・ナフラ」と呪文を唱えた。瀕死の堕魔人はこれで完全に活動停止となる。スニングスの体は溶けて、やがてどろどろのふやけた寒天質の肉塊の中から5頭身の未熟児のようなものが現れる。それをだきかかえながら灯台を出ると、「レーテ様ですか。」と言いながらうやうやしく跪く者がいた。
「また嗅ぎつけて来たか。人格再定義士、アラスタ。」
「はい。その通りです。」黒い帽子と黒い服を着たアラスタという青年はそう答えた。
「堕魔人は沈んだ。これがそれだ。こいつは知能を増強された故に常人よりも早く狂気に至った。」
レーテがそう冷たくいうと、「なるほど。」と再定義士がレーテからスニングスだったものを受け取る。トントン、と再定義士がスニングスの額を指で小突くと、スニングスは目が覚めた。「あぁ〜」という声を上げた。
「もう再定義したのか?」レーテが驚いた。
「ええ。」再定義士は作り笑いを浮かべて言った。「彼は初めから知性を拒否しています。もう2度と赤ちゃんから知能が成長しない子供になりました。」
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