第二十三話
何か取ってくるという申し出をありがたく受け取り、高安は先に座って待つことにした。
パーティーというだけあって一応立食が用意されていて、催し物のスペースとは会場を二分する形で設けられている。椅子は立食側の壁に沿って数個並んでいるのみだ。小説の続きを読みたかったが、さすがに我慢した。
催し物の一つであろうピアノの音に耳を傾ける。時折ハミングや子どもの声が響くのは、マイクを使っているからだろう。病院には向かないぞと、勝手にチェックを入れる。
「おまたせしました」
青年はスイーツや果物を乗せた皿と二人分のグラスを持ってきた。
「リンゴジュースは嫌いですか?」
「いえ、大好きです」
グラスと引き換えに笑顔を向けてやる。果実のように赤くなった青年がおかしくて目を伏せると、耳まで染まった。
「おいくつなんですか?」
「今年で十八です」
「高校生?」
「大学一年です」
歳の割に童顔なのだと照れくさそうに頭を掻く。二十八歳と二十三歳ならまだしも、中学生の女児に声を掛けるのは大層勇気がいることだったろうに。
(こいつも親に強要されてるとか?)
青年を見る。まだ耳は赤い。せわしなく喉仏が上下する。視線に落ち着きがない。目が合ってもすぐに逸らす。予想は外れのようだ。高安はゆっくりと背筋を正した。
「そんなに固くならないでください」
「え?」
「私まで緊張してしまいます」
「そ、そっか」
「そうですよ」
それから皿が空になるまで、会話らしいものはなかった。青年は時々何か言いたげにするのだが、ジュースと共に飲みこんでしまうのだった。高安も特に話すことが浮かばず、ピアノの演奏に聞き入ったりしていた。
グラスの最後の一滴を飲み干した青年は、取ってつけた動作で手を合わせ、会場の花は父親の会社が提供したのだと話題を振った。
「晶さんは花が好きだって聞いたんだけど、詳しいの?」
「鉢植えをいくつか育てているだけですよ」
斎藤が出した花を覚えている限り調べて、自室で育てている。記憶が色褪せないようにと世話をしていたら、花たちはそれに応えるかのように鮮やかに咲いてくれた。
父親は斎藤がどんなボランティアをしていたのか知らないようで、自分が花を育てることを趣味の一つとしか捉えていない。
ポーチの中に入れていた花はほとんどがダメになってしまったが、リンドウの花だけは生き残っていた。
高安はそれを押し花にして、大切に保管している。
「今日ある花で気に入ったものがあれば、あとで花束にしようか」
「そんな、申し訳ないです」
「初めからそのつもりだったんだ」
選びに行こうと高安の手を取り、しかし握ることはできなかった青年は指先だけを掴んだ。
導かれるままヒールをかつかつ鳴らして会場を横断した。花は催し物のスペースに飾られている。視線が苦しい。自分の顔は化粧の下で赤くなるどころか青くなっているかもしれない。
青年は大きなテーブルの前で立ち止まった。所狭しと大小様々な花瓶が立ち並び、色とりどりの花が生けてあった。
テーブルそのものが一つの剣山であるように、高安には思えた。花瓶には向かない花もあったが、それらはフラワーアレンジメントとして浅い器に生けられていた。
「どんな花が好き?」
あの人がくれた花なら、何でも好き。
そう答えたなら、青年は手を離してくれるに違いない。代わりに父親が手を取って、会場の外に連れ出してくれる。
「最近は四季に関係なく花を咲かせることができるから、だいたいの花は揃ってるはず。これなんかどう?」
フラワーアレンジメントのスポンジから抜き取られたスズランから、熟れた花が一つ二つと落ちた。
「好きです」
これは、はじめてもらった花だ。今年も自
室で美しく咲いてくれた。
今月咲いたといえば、
「ヤブランはありますか?」
「それはたしかこっちに」
テーブルを半周すると、紫の花をみっちりと蓄えたヤブランが溢れんばかりに花瓶に生けてあった。
植え込みに使われるような花がわざわざ花瓶に挿してあるのは、なんだかおかしかった。
まあ、街中で見かけるたびに斎藤がいるのではないかと周りを確かめずにはいられない自分も大概なのだが。
青年はスズランとヤブランを数本抜き取ってスタッフに渡した。それらはラッピングされ、小さな花束となって戻ってきた。
「すごい」
「気に入ってもらえたなら、嬉しいよ」
青年は純朴に笑う。
他にも知った花はないかと高安はあちこち見て回った。金魚の糞のようについてくる青年に時々笑いかけながらも探し続け、花の名前が書かれたプレートの下に、別な紙が挟まっていることに気づいた。
「それは花言葉だよ」
視線に気づいた青年が説明する通りそれは花言葉であるらしく、「ヤブラン」の下には「無邪気、謙遜」と記されていた。
「これは会場の花すべてについているんですか?」
「いや、さすがに全部ではないかな」
「そうですか」
あからさまに残念がったつもりはなかったのだが、青年はどこからか花言葉の図鑑を持ってきた。用意の良いことだ。
「もしかしたら、興味あるかと思って」
「ありがとうございます」
あるといえばあるという程度だが、礼儀として受け取っておく。
「僕も読んだけど、結構たくさん載ってたよ。花言葉は花の色によっても違うから、面白かった」
「色、ですか」
「うん、特にバラの花は分かりやすい」
白いバラを触っていた青年はそう言った直後、真っ赤になってテーブルから飛びのいた。棘でも刺さったのか。
「あの」
「は、はいっ」
「私、少し疲れてしまったようで」
「あっ、うん、じゃあ、休まないとね」
「すみません」
あたふたとする青年を置いて、高安は壁際の椅子に帰ってきた。
疲れたのは本当であった。足が痛い。背中が痛い。笑顔を作り続けるのにも疲れた。
図鑑の表紙は大輪のバラであった。深緑のカバーに金色で描かれている。花束は文庫本と共に隣の椅子へやり、せっかくだからと開いてみた。
もくじによると、花言葉だけではなく写真も載っているらしい。やたら分厚い理由が分かったところで、中身を確かめていく。
花言葉というと女々しい印象しかなかったのだが案外そうでもないらしく、強烈な臭いで悪名高いドクダミには「白い追憶」と「野生」という言葉が与えられていた。
香りと記憶は結びつくとも書いてあり、納得した。まさしく自分がそうであるからだ。
ポピュラーな花の中でも、やはり探してしまうのは記憶に深く根付いたものたちだ。香りだけではない、花そのものが斎藤の仕草や言葉と固く結びついて、彼の声を鮮明に蘇らせるのだ。
一つの花に複数の花言葉が持たされているのは特に珍しくないようで、ヤブランにはさらに「忍耐」と「隠された心」という言葉が冠されていた。
(……あれ?)
トリックの追及を避けた斎藤は、わざわざ花瓶に合わないこの花を出したのだった。
言動と花言葉と照らし合わせると、なにやら見えてくるものがある。
かちりと、ずれていた歯車が噛み合い、何かが動き出した気がした。
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