第二十二話


 不特定多数の人間から見られているという現実から目を背けるために、高安はずっとうつむいていた。おかげで読書に集中できない。

 文庫本のブックカバーを引っ掻く。上も下も真っ平な体を見て何が楽しいのやら。


 今日のためにと姉たちが選び父親から贈られた純白のワンピースは、露出が多すぎると思う。


 スカートはいつまでたっても慣れない。なぜロングではないのだ、ロングスカートならこんなにも人の視線が集まることはなかったはすだ。


 せめて足を隠すタイツが欲しかったが、揃いで与えられた靴がそれを許さなかった。空調が効きすぎてノースリーブには少々寒いが、カーディガンは受付で没収されている。


 ヒールの靴は大嫌いだ。立っているだけで足も背中も腰も痛くなる。もはや拷問だ。一人でいるときに座ることを禁じられているのがまた辛い。


 色々と塗られた顔も気持ち悪い。盛られた髪は頭を締めつけてくる。斎藤がきっと似合うと言ってくれた短い髪は、高安自身一度も見たことがない。


 最悪の気分だ。胃のあたりがきりきりとして、綺麗な姿勢を保つことで精いっぱいな時間。病院で吐いていたほうが数倍ましだったと思えるほどに耐えがたい。


 自分は女でいることに向いていないとつくづく思う。だから自分は、本当は男である。というわけではない。世間一般に女らしいと評される事柄のほとんどが、受けつけないものであった。ただそれだけのことだ。


 いっそ全てを脱ぎ捨て裸になれば、父親は二度とこういう場所には連れてこないだろう。病院にも戻れるに違いない。


 そんなお粗末なことを考えながら、高安はじっと、笑みを張りつけてここに立っている。


 父親と交わした約束は、高安晶という名の人形を操る糸になった。無数の糸が体中に、心にさえ伸びてきて、絡みついている。


 引き裂かれそうになっても、耐えるしかない。憤りとか恥辱とか、数え出したらきりがない重石たちから逃れようともがけば、たちまち絞殺されてしまうものが、高安の中にある。


「約束を忘れないで」

「ああ、もちろんだとも。……お互いにね」


 何十回と繰り返してきたやりとり。その意味が分からないほど馬鹿ではなかった。


 自分に従う限り、斎藤のことは忘れる。つまりは、そういうことだ。


 あの一件に関わった人間には、父親が色々な手を使って口止めしているはずだった。自分の変化は傍目には見事「完治した」ように見えるだろう。


 母親と姉たちは驚きつつも喜んでいた。もしかすると彼女たちも、自分がこうなることを望んでいたのかもしれない。


 斎藤が今どこで何をしているのか、高安は何も知らない。父親からはあの日以来行方をくらませていると聞いている。つまりは消息不明なのだ。


(何をやってるんだ)


 へその上で組んだ指のピンク色の下に、病的に白い膝小僧と脚が見える。こんな姿を斎藤に見られたらと思うと、毎度のことながら恥ずかしくて顔から火が出そうだ。給仕に勤しむスタッフの露出を抑えたスーツが羨ましい。


 今にも会場の入り口からあの執事服が入ってくるのではないかと期待してしまうのは、あちこちに花が置かれ、どこかしこから子どもの笑い声が聞こえるからだろう。


 あちこちで小さな方々のサークルが作られ、その中心ではバルーンアートや本の読み聞かせ、工作教室などが営まれている。手品師もいるが、すっぴんだったし花も出さなかった。


 とある企業が今度〈花と子ども〉をテーマに病院のボランティア活動を行うようで、このパーティーはどんな催し物が子ども受けするのかを見極めるという趣旨らしかった。


 それとは別に、ホテルに隣接するチャペルの見学に行くと初めのあいさつで言っていた気がする。美しい装飾の歴史ある建物だとか。何にしても、面倒なことだ。


 ホテルの祭場を貸し切っているこの名目上のパーティーは、父親の知り合いが主催者を務めているらしく、高安は同行を誘われて、受けた。


(てか、行かねぇって言ったが最後、脅してくるだろうしな)


 髪留めの細工をため息交じりに弄る。高安がこういった場に顔を出すようになってから、父親の要求はエスカレートしたように思える。参加者の息子と引き合わせたり、性別を強調する格好をさせたりするのだ。


 教養ある女性、とやらを目指しているなら、もっと肌を見せない格好をさせればいいのにと辟易していたのだが、どうにも最近意図が読めた。


 女らしくいることを拒んだ過去を忘れさせたいのだ。先へ進むことを促しているのだ。

高安は完全には変わっていない……。


 否、変われなかった。


 自分の部屋にいる時や頭の中での一人語りはすべて、あの時のままだ。表面上は取り繕っても、結局人の本質は変えられない。それを隠しながら今まで過ごしてきたのだが、おそらく父親は気づいたのだろう。


 心中で、獣のように唸る。手品師、病院のボランティア、はしゃぐ子ども、色とりどりの花たち。父親は狙って自分を連れてきたのではないだろうか。ここは、思い出すものがあまりにも多すぎる。


「晶さん」


 そこにいたのはおしゃれスーツを着こなす青年であった。


「覚えていますか? 僕のこと」


 いや、まったく覚えてねぇよ、あんた誰? とは言えない。


 曖昧に濁してみると、青年は大げさにならないよう肩を落とした。


「以前、別なパーティーでお会いしたことが」

「ああ、あの時の」

「思い出してくれましたか」


 顔を輝かせる青年には申し訳ないが、どのパーティーでも複数人の男に声をかけられた、という記憶しかない。つまりは思い出してなどいない。


 青年は主催者の息子と名乗った。父親を探すと、でっぷりとした腹の男と談笑しているところであった。


(なるほどな)


 いよいよ相手を絞ってぶつけてきたのだ。幼い子どもばかりだと思ったら、この状況を作りたかったらしい。


「退屈そうにしているので、話し相手になれたらなと思いまして」


 と青年がにっこりするので、「よかったら、是非」と高安もまた同じようにする。


 父親が見ている手前断るわけにもいかない。座りながらという条件で青年と時間を潰すことにしたのだ。

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