第三話
一週間後、斎藤はピエロとしての役目を果たすべく病院にいた。更衣室で支度を整えて、今は飲み終えたパックジュースのストローを意味もなく食んでいる。
「斎藤君どうしたの?」
「え?」
隣で新聞を読んでいたおばさんは、ぽってりとした頬に手を当てた。
「疲れてる? 大丈夫?」
「なんでですか?」
「なんか、怖い顔してるから」
「そんな顔してますか?」
「してるしてる」
すると、同意の声が次々に上がる。
「メイクも新しくなったんだしさ、そんな暗い顔しないで」
「それにしても上手く描いたわねぇ」
「私たちより上手くできるのよね、斎藤君は」
「お前さんたちよりもよっぽど手先が器用だからな」
それまで見物していたそのおじさんは、この発言のせいでおばさんたちの猛反発を食らうことになった。斎藤はその行方を見届ける前に時間となり、控室を出た。
今日をどうやって盛り上げるか、斎藤はずっと考えていた。怖いと指摘されたのは、ちょうどショーの流れを整理していたときであった。
あれから一週間、あの仏頂面がなかなか消えてくれない。今日は不特定多数の誰かに当ててではなく、あの子を笑わせるためにピエロを演じようと決めていた。メイクもかつらのセットも気合いを入れた。あとは実行あるのみだ。
ピエロに扮した斎藤は、事前に看護師と準備したフロアの一角で子どもたちを待つ。看護師が彼らを連れてくるまでは、椅子に座ってひたすらじっとしているのだが、今日は華やかにして迎えようと、色とりどりの花を出しては、それらを持参のセロハンテープでホワイトボードに貼りつけていった。
貼る場所がなくなってきたころ、子どもたちがやってきた。
一身に喝采を受けながら笑顔で振り向くと、視線を走らせ高安を探した。しかし、半円状に座る小さな方々の中にあの痩せぎすの子どもはいなかった。
一抹の不安が頭をよぎる。しかしショーはもう始まっている。斎藤はいつもと同じように両手いっぱいに蓄えた花を、子どもたちの上に撒いていった。白と淡い赤色の入り混じるそれはカスミソウという。
そうしながら、見落としているのかもしれないと目を皿のようにして観察したのだが、やはりいない。終始廊下や大きな方々の後ろに気を配っていたが、結局高安が来ることはなく、手品ショーは終わった。
深くお辞儀をした斎藤は、見えないように表情を曇らせた。今日は来ていないのか、これまでも来ていなかったのか。後者であれば姿がないのは自然なことであるが、痩せぎすの体と点滴がフラッシュバックする。顔を上げた先には、やはりいない。
(まさか、死んだとか?)
なにかしらの病気や怪我を療養するために入院しているのだ。可能性はゼロではない。となると安否を確かめたくなる。
しかし喋らないピエロの姿で子どもと話すわけにはいかない。メイクを落としても不審な男が話しかけてきたと思われてしまう。ならば看護師に聞くしかない。
また派手に散らかしたなと苛立つ彼女たちにどう声を掛けるか考えていた斎藤の足を、誰かがつついた。
「ねぇねぇ」
もしや高安かと振り向くと、見知らぬ少年が二人、きらきらした目で斎藤を見上げていた。脱力すると同時に思い出したのは、あの子どもがこんなに可愛らしい声を出すなどありえないということだった。
「お兄ちゃんどうやって花出してるの?」
「これって本物だよね! すごいね!」
「ねぇねぇ、どうやって出してるの?」
「教えてよ!」
「お兄ちゃん!」
二人はきゃっきゃと足にしがみついてくる。斎藤は心の中で苦情を訴えた。助けを求めて看護師たちを見るが、ちらりと一瞥するだけで近寄ってすらくれない。
(勘弁してくれよ)
無理に振り払って泣かれても困る。かといってこのままでは動けない。執事服のテールを引っ張られているのも気になる。ぴょんぴょんと跳ねる少年たちにいよいよ危機感が募る。
「お兄ちゃん!」
「ピエロのお兄ちゃんってば!」
やれやれというように首を振って、斎藤は柏手を打った。掌が離れると、そこからミヤコワスレの花が落ちた。一つ二つと現れた鮮やかな紫の花に、少年二人はテールを放して手を伸ばす。
その瞬間、じゃあな! と心の中で叫んで、斎藤は一目散に逃げ出した。背後で看護師が何か言っている。
「待って!」
そう言われるとむしろ止まりたくなくなるのが人の性だ。
見覚えのある廊下を走り、そのつきあたり、例の部屋に飛び込んだ。
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