第四十六回 ヘンリー・カットナーのクトゥルー神話について【綺想社『魂を喰らうもの』 補足】
【初めに】
はい、そういうわけで日本で始めてヘンリー・カットナーのクトゥルー神話作品を全部日本語訳して発表した男という栄誉に預かりました。海野しぃるです。ちょこちょここの講座で話していた名誉なお仕事というのの一つはこれです。
綺想社様から『カットナークトゥルフ大全 魂を喰らうもの』の執筆を任せていただきました。帯を書いていただいた友野詳先生、表紙絵を描いていただいたYOUCHAN先生、そして編集を担当してくださった小野塚様、企画をくださったよしとに様、改めてこの場を借りて深く御礼申し上げます。
本日はページ数の都合などで語れなかった作品ごとの個別解説に挑戦してみたいと思います。ええ、そうです。私が尊敬してやまない森瀬繚先生の『グラーキの黙示』のパクリです。作品解題パート、すごく格好良かったから……僕もやってみたかった! 非課税の1億があれば自腹を切ってページ数を増やしてお値段据え置きとかできるんですがね……!
ともあれ無いものは無いのでやっていきたいと思います。知らない本をいきなり手に取るのも抵抗感が強いと思うので、まずはこちらで雰囲気を掴んでから購入を検討していただいても良いと思いますよ。
【墓場の鼠】
カットナーのデビュー作です。「壁の中の鼠」の要素を匂わせつつも、全く異なるものとして仕上げています。カットナーの作品では「自らの意識がハッキリとしたまま死者となる」というモチーフが多いのですが、デビュー作だけあってその傾向が明確に出ていますね。
墓守の仕事の一部として後ろ暗いことをしている主人公が、墓地に跋扈する奇妙な鼠を相手している内に自ら破滅の道に追いやられていくことになります。
描写がうまい……とにかく描写が上手。デビュー作だというのに地下のあの息が詰まるような感覚はこちらまで呼吸が止まりそうでした。勿論後の作品に比べると粗さが無いとは言わないのですが、とても嫌な話として綺麗に仕上がっています。
ただ訳は大変で、ずっと「このニュアンスでいいのかなあ」と「これそのまま訳したら日本語汚くなるな……」で悩み続けました。こういうところもデビュー作故の粗さかもしれません。
【クラリッツの秘密】
これは読んでいて楽しい作品でした。これでもかとクトゥルー神話要素が出てきて、異形の怪物も、血塗られた血族も、邪悪な伝説も、次々出てくる作品です。オチがいつもの一丁なのですが、それまでの過程を充実させるという意味で墓場の鼠を綺麗に発展させており、続けて読むと更に面白いかなと思われます。内容についてはここで詳しく語れないのですが、イオドの名前が初めて言及されるのはこの作品です。
イオドは宇宙の中心に据えられており、後の作品も込で考えればカットナー的なクトゥルー神話世界観の鍵は「輪廻する魂」であり、イオドはそれを司る神であるがゆえに宇宙の中心なのでしょう。
クラリッツ一族と絆の物語、ぜひ楽しんでください。こいつらマジ邪悪!
【魂を喰らうもの】
名作です。この作品の翻訳は中々手に入れづらく、このお仕事関係で譲っていただいたものを参考にしました。この訳がすでに素晴らしかったので訳している間は正直不安でしたが、表題作ともなりますし、こちらも気合入れていきました。
ヴォルヴァドス初登場なのですが、そこで大活躍――ともならず、やっている仕事は本当に地味です。なんだかちょっと残念なのですが、仕事そのものはさておき、その後の主人公の行動も相まってとても格好いい台詞を残しています。クトゥルー神話というよりもジョジョの奇妙な冒険の住人に見えます。
人間の住む星の話ではないのですが、人間讃歌は勇気の讃歌です。
そしてこの辺りからカットナーの神話はオリジナリティが強くなり、カトゥナー神話とでも言うべき独自の発展を見せます。
【セイレムの恐怖】
マイケル・リー先生初登場。オカルティストが心霊事件に立ち向かうホラーミステリー的なアレの系譜を組む作品です。このマイケル・リーを登場させた作品はこのあとの「闇の接吻」もあります。日本では朝松健先生がこのマイケル・リーの若き日の物語を書いたりしていますね。
新しい作品を書きたくて仕事場を借りた作家が、その家にかつて住んでいた魔女の罠に嵌められて、おぞましい目に遭うというお話です。この作品が面白いのはいかにもラヴクラフト的な「人類には想像もつかない科学」という形で、マイケル・リーにクトゥルー神話的魔女物語について語らせており、クトゥルーやカットナーが初めての方にも触りやすい味になっているところです。
次の闇の接吻と合わせて、まず最初にここから読み始めても良いかも知れません。
【闇の接吻】
唇だけ人間に似た海竜族に死ぬほど魂を吸われて元の肉体に戻れなくなるグラハム君のお話です。彼の結末はさておき、こちらもやはりカットナー的なクトゥルー宇宙観をわかりやすく提示してくれている作品です。特にこの作品では海底に住む神話的存在の行動原理についてよく分かります。
画家のグラハム君は海辺の家を親戚から相続して仕事場にするのですが(定番のパターンだと思ってください)、ここで日毎に悪夢を見るようになってしまいます。そんな訳で医者に相談したりする内に叔父のマイケル・リーが現れて……。
自らの肉体が悪夢を通じて海に棲む魔性に奪い取られる様や、墜落した飛行船から海に落ちる人々へ次々襲いかかる海魔など、邪悪な存在が生き生きと躍動し、人類を脅かす様は実に魅力的です。セイレムの恐怖と並んで、初めて読む人にオススメしやすい良い意味の分かりやすさと引き込まれるようなオチが待っていますよ。
【ドルーム=アヴィスタの戯れ】
これは私が日本で初めて翻訳したカットナー作品です。ああ、言ってみたかったのこの台詞。初めて翻訳というのも実は語弊がり、ハッキリとした発表の場こそ無くても既に竹岡先生がブログで紹介(https://byakhee.hatenablog.com/entry/20201106/p1)なさっていたので、その話も参考にしながら(あとは海外のファンコミュニティとか解説文献とか色々を参考にしています)読み進めました。
きらびやかな貴金属と宝石で満たされた街の大神官が、究極の金属を求めてドルーム=アヴィスタと契約します。このドルーム=アヴィスタは無数の世界を近くし夢見るアザトースのようでもあり、道化や取引という言葉からニャルラトホテプ的でもあります。
【ダゴンの落とし子】
これは珍しく心躍るファンタジー冒険譚です。腕利きでクールな盗賊と、おっちょこちょいだがやる時はやる相棒の、凸凹コンビが送る愛と勇気と邪悪の物語です。盗賊だけあって倫理観はありません。倫理観は無いんだけどメインの二人の盗賊たちはなぜだか好ましいキャラクターで、冒頭から酒場で喧嘩相手の亡骸から財布を漁っていてもそこまで嫌いにはなれません。
アクションも派手で、可愛いヒロインまで出てくるとあって、なんだかこれまでの作品とは大きく雰囲気も異なります。しかしそもそもヘンリー・カットナーは多才な作家で、多彩な作品を世に送り出しています。気になる方はカットナーの他の作品も購入してみてください。
あと具体的に何処とは言わないんですがこのアトランティス人どもの語彙が現代的すぎてちょこちょこ「それねえだろ超古代文明に!」っていいたくなる時があって面白かったです。(できるだけ違和感を消すように頑張ったけどどうしても厳しいところはちょこちょこありました)
【境界の侵犯者】
ヴォルヴァドス再登場&大活躍です。地球人にだけ激甘じゃないかと思われますが、これはこの作品に登場した主要人物たちが生き残る為に必死に頑張っていたのでヴォルヴァドスのお眼鏡に適ったのではないかと考えられます。
ヴォルヴァドスがそもそも他力本願を是としない神なので、海辺の別荘で迫る外宇宙の狂気から助かる方法を探す為に必死で頑張っていた主人公たちはヴォルヴァドスポイントが高かったのではないでしょうか。
外なる宇宙の描写がこの時期になると圧倒的で、私も翻訳しながら圧倒されるばかりでした。時系列で追いかけると描写のレベルの変化が分かって実に興味深いのですが、翻訳する人間としてはその辺りもうまく反映させられていただろうかと反省するばかりです。
【蛙】
蛙にそっくりな怪物が、気分転換に引っ越してきた芸術家(カットナー作品定番の登場人物)によって封印を解かれ、平和な田舎町モンクス・ホロウを襲撃するというものです。
これは思い切りモンスター・パニックに作品の雰囲気を振っており、人間が良いペースで死に、襲われ、派手な破壊が巻き起こります。なにせアメリカの片田舎、武器も人間も限られているのです。最後は主人公が自らを囮とする命がけの作戦に挑むことになりますが……。
構成の美しさとモチーフのシンプルさ、そしてこの時期の作者の技量により非常に洗練された作品です。三番目に読むならこの作品が良いかもしれません。
【恐怖の鐘】
個人的に一番好きな作品です。まずは大活躍したデントンさんのイメージ吹き替えCVについて話したいんですけどもこれは圧倒的に津田健次郎さんでした。これだけ格好いい男ならば津田健次郎ボイスに違いないと確信し、頭の中の津田健次郎ボイス使って翻訳しました。
世界を暗黒に包む旧支配者を、偶発的に蘇らせてしまったことから始まる三人の男の物語です。ここに出てくる宣教師のフニペロ・セラですが、いい人かどうかでいうとやべえ虐殺者なので、まるで良い人みたいに描いているのは、今やるとポリコレ的にヤバそうだなあ……と思って訳していました。ぜひ検索して僕と一緒にドン引きしてください。嫌ですよこんな外道が俺の尊敬する聖ラ・サールと同じ聖人になるの。今後も絶対に列聖しないでほしい男です。
さて、これまでのどこか浮世離れした場所で出現する神々とは異なり、ここからの三作品の神々は私達の立つ世界に現れ、世界の有り様を歪め、我々の正気を削り取るクトゥルー神話の神々です。ファンタジーとして薄皮一枚隔てていた神が、ここからは我々の日常の中に現れ、それを壊していきます。まさにクトゥルー神話の美味しいところです。なので面白い話はどれ?って質問を受けた時には、恐怖の鐘、ハイドラ、狩り立てるもの、の三つを上げたいですね。
【ハイドラ~魂の射出者~】
私には一緒に映画を見る愉快な仲間が何人か居るのですが、その時の雑談で好きな旧支配者の話になったんですね。その中にまさにこのハイドラが好きだという人が居たので、私はとてもワクワクしながら翻訳をしておりました。
この作品も友人とワクワクしながら魔術実験をした男の話となっておりまして、ラヴクラフト的な話の展開をカットナーの技量とスタイルでやったという味があり、完璧にクトゥルーの神話をモノにしているカットナーが見られます。
この話で特に魅力的なのはなんと言ってもアザトースの描写です。おそらくカットナーは一番アザトースを綺麗に描いた作家なのではないでしょうか。ラヴクラフトの定義する神話の根源に対してきっちりと向き合ったという意義もこの作品にはあるわけですね。
なのでクトゥルー神話大好きという方にはこの作品は是非是非チェックしていただきたいところです。
【狩り立てるもの】
大トリです。主人公の男のイメージはわりとベリル・ガットで翻訳していました。カットナーにとっての神話の根源は初期から一貫してこのイオドであり、そのイオドを主題においた作品です。カットナーの神話世界を短い時間で次々に展開しながら、カットナーにとっての恐怖を描いています。
話としてのオチは良くも悪くもカットナーらしいのですが、そのカットナーらしさを支えている世界観、思想、そういうものがより詳細に理解できる話です。カットナーのクトゥルー作品としてはこれが最後になってしまうのが惜しいのですが、逆にこれが最後となった事実があまりに美しい。まさしく集大成なのです。
【最後に】
余談ですがカットナーは作家としては有名ですが、クトゥルー神話の語り部としては比較的軽視されてきた歴史がアメリカにおいてもあります。そもそも1937年にラヴクラフトが死んで、クトゥルーの灯も絶えるかと思われた時期でしたし、カットナー自身は様々な作品に挑戦を続けていたし、活動期間が短いせいでとにかく印象が薄いのです。
1936~1939年というわずか三年間の短い期間でカットナーはクトゥルーと向き合い、取り込み、自分のものにした上で別の道へ飛び出していきました。素晴らしく、同時に勿体ないことです。続けていればカットナーはクトゥルー神話の中でダーレス神話と並ぶカットナー神話を確立することができただろうに。
しかし、そうやってカットナーが我が道を進んだ結果、様々な名作が生まれ、それに触発された作家たちが生まれたのも事実です。どんな道であれ、己が良いと思った道を全力で進む、そういう生き方がきっと幸せだし、充実できるのではないかと思わされました。あと、創作に理解のある奥さんが居ると幸せということも分かりました。僕も早く理解のある奥様を見つけて結婚したい。そう思わされる今回のお仕事でした。
こちらの作品が気になるなと思った方はこの講座に星を三つ入れたり、カクヨムの機能(https://kakuyomu.jp/info/entry/kakuyomu_supporters_passport_start)で作者にギフト送ったり、以下のURLより『カットナークトゥルフ大全 魂を喰らうもの』をご購入ください。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca27/846/p-r-s/
それでは次回までくれぐれも闇からの囁きに耳を傾けぬよう。
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