第三十五回 ラヴクラフトへの誤解ってどこで形成されたの?
【初めに】
書肆盛林堂様からC.A.スミス翻訳短編集『深淵に棲むもの』発売中!
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca27/678/
はい、病気療養中に翻訳に参加させていただいた『深淵に棲むもの』が発売中です。
この講座を毎回追っかけている方であればC.A.スミスについてはもうご存知だと思います。前回のFGO特集から入ったよって方ならば、ゴッホちゃんをプロデュースしたヴルトゥームという邪神の創造者と言えばイメージしやすくなるでしょうか。
このC.A.スミスの未訳作品を翻訳・出版しようという企画があって、それのお手伝いをさせていただいた形になります。少部数出版なので気になる方はお急ぎで~!
今回は『深淵に棲むもの』の企画に参加した際にお世話になった方からオススメしていただいて読んだ本を紹介したいと思います。
江戸川乱歩先生の『幻影城』と呼ばれる海外の作品を中心に探偵小説を語ったエッセイです。江戸川乱歩と言えば、ミステリーと怪奇とエログロナンセンスの入り交じる極彩色の名作をいくつも著した大作家。
そんな彼がラヴクラフトに対してどんな誤解をしていたのか、そしてそんな誤解をしたのはなぜか、今回はこれを簡単に触れていきたいと思います。
【なんで探偵小説の話でホラー小説の話が出るの?】
なぜ探偵小説のエッセイでホラー小説を語るのか、皆さんは少し不思議かもしれません。僕も最初は不思議でした。ところが、乱歩の頃は恐怖小説や探偵小説が娯楽として人気であり、乱歩自身もこの本の中で「恐怖小説は探偵小説の先祖である」という言説を紹介しています。詳しい内容は割愛しますが、根本的にどちらも謎を主題とするものなので、手法・発想としては近いんですよね。いきなりホラー・ミステリーっていっしょくたにすると乱暴に見えるだけです。カクヨムコンとかのあれも正当性はあるんですよ。
とはいえそんな事言われても納得はできないと思います。ですので具体例をあげてみましょう。H.G.ウェルズの『透明人間』という作品があります。これは『自らを透明にする薬品の開発』を元としたSF小説として受け入れられている作品です。しかしこの作品、少し視点を変えれば『透明の怪物が襲いかかってくる恐怖を描く作品』であり『自らが透明になっていく恐怖を描いた小説』でもあるわけです。そして『凶行を繰り返す正体不明の怪物の正体を解き明かす小説』でもある。SF・ホラー・ミステリーが混じり合っていますね。現代でも三田誠先生の「ロード・エルメロイの事件簿」はオカルト・SF・ミステリーが混じっている作品の例として挙げられます。
乱歩自身、怪談を「Ghost story(おばけの出る話)」のみならず「Super natural(超自然的な事象を扱う話)」と定義しており、それらを取り扱うにあたっては、当然ながら探偵小説的な謎へのアプローチが含まれる作品が多くなります。なので乱歩んにとっての怪談の定義からしても、探偵を語る上では怪談を外すことは出来なかったのです。
【乱歩がラヴクラフトをいかに紹介したか】
日本において初めてH.P.ラヴクラフトの作品を紹介した小説雑誌『宝石』はご存知でしょうか。ラヴクラフト御大の『エーリッヒ・ツァンの音楽』を紹介したあの『宝石』です。江戸川乱歩先生はこの雑誌に大きく貢献をしており、赤字補てん・人材の紹介・編集長就任など、その功績は数え切れません。乱歩先生が離れてからはまたすぐに経営が傾いたそうで、会社ごと買われてしまいました。
偉大ですね、乱歩先生。ところがそんな彼がラヴクラフト御大とその作品に関しては結構的はずれな紹介を繰り返していました。
◯病気のせいで生涯に渡って生まれた土地に閉じこもっていたと紹介した
◯ダンウィッチの恐怖のラヴィニア・ウェイトリーを百姓の娘と紹介した
◯魔術的な由来を持つイブン・グハジの粉を科学者の発明品として紹介した
現代の読者からすると、変だというのは分かっていただけるかと思います。確かにラヴクラフトは病弱ですが結婚を機に移住したり、そもそもかなりの旅好きでした。インスマウスの影なんて、旅無くして書けなかった筈ですからね。そしてウェイトリーの一族は主に黒魔術で支えられていたと推測されます。イブン・グハジの粉はバリバリのマジックアイテムであり、博士が魔導書の解析を通じて作成したものです。
なにもかも変です。
当時の日本でトップクラスの探偵小説専門家であり、読書家であった彼が何故このようなことを書いて残したのでしょうか。私はそこにしっかりとした理由があると考えています。
【何故そんな紹介を?】
第一に資料不足です。
今でこそ適切な訓練を受けることで、ノイズを排除しながらインターネットから幅広く情報を集めることができますが、当時はそのような便利なものはありません。第二次世界大戦の影響がまだ色濃く残る時代において、海外の作家の資料を集められる人間はそう多くありません。江戸川乱歩自身、翻訳でのミスが多かったことは自ら言及しており、作家名の発音などで自らのミスを自らの本の中で訂正していたりします。正しい英語の知識も、そして資料も、手に入れるチャンスが少ない時代でした。誤訳や誤解は簡単に発生してしまったのです。ラヴクラフトの書簡集がもうちょっと簡単に手に入ればよかったんですけどね。
海外の資料を手に入れやすくなった今では、日本語訳の書籍でもラヴクラフトの生涯や人格について詳細に知ることができるようになりました。
第二に語彙不足です。
江戸川乱歩に語彙不足ってありえないだろう。そう思うかも知れません。
でも幻影城自体が50年以上前の文章なんですよ。それだけ時代が離れていれば言語感覚なんて別物です。今の時代の日本人に適切だと感じられる語彙で語ることなんて無理なんですね。田舎に住んでいる家の娘だから百姓の娘とか、冗談みたいなことぶちまけてもおかしくないんですよ。人間、今生きている時代と場所の感覚から抜けられませんからね。我々の日本語だって、50年100年先の人間にはピンと来ないものになっていることでしょう。我々には彼らと話し合う為の十分な語彙を持っているとは限らないのですから。
こういった「噛み合わなさ」を調整するためにも知識の継承は大切です。
【そもそもそんな誤解あったの?】
素直に言えば、僕がクトゥルー神話にふれる頃には、ほぼ払拭されていたという体感です。僕もこういった意見があり、それのソースについては殆ど知りませんでした。『~~という誤解がありますが、実際は~~でした』という紹介文しか無いから「そ、そうなんだ~!」って素朴に感じていました。
ですが冷静に考えてみれば、ダーレス先生に対する偏見だって近年の書簡の発見や森瀬先生による紹介でやっと払拭された訳で、私達はまだラヴクラフトのこともクトゥルー神話のこともちゃんと知らないんですよね。
誤解は気づかれるまでは当たり前として扱われる訳ですし、案外今我々が当たり前だと思っていることも、実は全然違う可能性が残っているわけです。怖いですね。
そういう物を減らす為にも資料を集めたり紹介したりを頑張っていきたいと思います。応援よろしくおねがいします。
【最後に】
という訳で今年最後のクトゥルフ講座はちょっと変わったネタでやってみました。間違いについて取り扱う話ではあったものの、視点を変えれば、時代を重ねていくことで人間はどんどん正確な知識に迫ることができるということ。ある意味では希望の有る話だと思っています。
私も地道にコツコツ努力を重ねてより良いものを書き、提供できるようにしたいところです。と、同時に得た知見を少しでもシェアしていくことが重要です。手にした知見を継承していくことで、後の時代の人にアップデートしてもらえるわけです。
やらなければいけないことは多いですが、折角生きているので普通の人間の一生くらいの時間はそういった仕事に使えそうなことですし、頑張っていきたいと思います。
それでは次回までくれぐれも闇からの囁きに耳を傾けぬよう。
良いお年を。
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