第三十回 初めてでもよく分かる! ここから発狂! クトゥルー神話スターターセット!

【はじめに】


 これまで様々な神格を紹介してきたこのクトゥルフ講座なのですが、興味はあるけど手を出せていない人が何処から手を出すかという話をしていませんでした。初めてでもよく分かるのは良いんですが、何を知りたいかがハッキリしないとどこを見れば良いのかなんて分かったものではありません。

 その上クトゥルー神話の世界は広い。気にはなるけど、何を知りたいか分からない。あるいはどこから手を付ければ良いか分からない。よく分かります。私もそうでした。

 そういう時にオススメなのは手を付けやすいものから雰囲気を味わってみることです。


 そこで今回は私が触りやすくて楽しみやすい作品をいくつかピックアップしました。勿論ピックアップした作品を読んだところで、全貌や概要などというものはこれと名状しがたいのですが、読み終える頃にはクトゥルー神話への興味が芽生えてくると思います。興味が湧いたらそれに関係しているこの講座の他の項目を読んで雰囲気を掴んでみてください。他にも面白い参考作品が見つかるかと思われます。その興味を持つ為に「ああ~! こういうやつね!」ができる作品をまずは紹介します。「これだけ読めば大丈夫!」ではなくて、「これを読んだら興味が湧く!」タイプのお求めやすい作品です。それでは始まり始まり。


【エーリッヒ・ツァンの音楽~日本で最初のクトゥルー神話~】


 こちらは日本で最初に紹介されたラヴクラフト先生の作品です。ラヴクラフト先生はクトゥルー神話を生み出した偉大なお方で、しかもそんなお方が自らの自信作として名前をあげているこの作品は、ラヴクラフト先生の作品の雰囲気、そしてクトゥルー神話の雰囲気を掴むのにぴったりなことでしょう。描写も陰惨すぎないし、宇宙的恐怖の規模の大きさを理解してもらいやすいし、綺麗に纏まってて良いこと尽くめなのです。


 青空文庫でも活躍なさっているThe Creative CAT様が著作権の切れたこの作品の翻訳をなさっています。直接リンクを載せてしまうと色々問題がございますので「エーリッヒ・ツァンの音楽 asahi」で検索して出てくるページをご覧いただければと思います。


 先に把握しておくと読みやすくなるのであらすじも纏めておきましょう。ネタバレが嫌な人は少しスクロールしてください。


     *


 集合住宅に引っ越してきた大学生の主人公は、引っ越してきた最初の日の夜に奇妙な音楽を耳にします。音の源となる部屋の様子を探ってみると、そこには老音楽家エーリッヒ・ツァンが住んでいることが判明し、興味のままに主人公はツァンに会いに行きます。ところがツァンはなにかに怯えるように彼を遠ざけるばかり。その態度に不快な気持ちとなった主人公でしたが、夜毎の旋律はどうしようもなく彼を引きつける。我慢しきれない主人公は盗み聞きを続けるようになってしまいました。

 盗み聞きを続けていたある日のこと、突如ツァンが悲鳴を上げて部屋の中で倒れてしまいます。居ても立ってもいられずに助けに飛び込んだ主人公に、ツァンは自らを襲う怪現象と主人公が聞いていた音楽について伝えることを決めます。

 しかし、口の聞けないツァンが文章に全てを纏めようとしていた丁度その時、主人公とツァンの双方の耳に、遠く彼方から音楽が聞こえてきます。それを聞いたツァンは文章を書くのも放り出し、楽器を手に取り今までに無い熱量で音楽を奏でます。主人公は異様な状況下で、どこから音楽が聞こえているのかと窓を開けて外の風景を確認しようとしますが、そこにはもはやパリの街並みなどありません。そこにあるのは闇。本来なら存在する筈の街の灯さえも消え去った真の闇。暗黒と音楽だけが存在する異常な空間から半狂乱で逃げ出した主人公だけは、いつの間にか彼が知る日常の世界へとなんとか帰ってきます。

 しかし、彼の住んでいた筈のアパートやその周辺の地域は、何度探しても見つからず、この世界から切り取られでもしたかのように、無かったことになったのでした。


     *


 あらすじはここまでです。上記の内容さえ理解していればラヴクラフトの文体に馴染みが無くても、必ず読み切れます。なにせ短編が多いラヴクラフト作品の中でも短くて、読みやすく、情景描写の豊かさも目を引く名作です。あと他の作者やクトゥルフ神話TRPGによる後付パワーで、クトゥルー神話において最も偉大な外なる神アザトースと関係する話という扱いも出来てしまう作品なので、そういう意味でも始まりには相応しいと言えますね。


 これを読んで「ふーん」となってから、続いて紹介する三つの作品のうち、気に入ったどれかを読んでみましょう。


【魔犬 ラヴクラフト傑作集(ビームコミックス)】


 続いてはこれ。漫画です。小説はちょっと大変だという方でも読みやすい。電子書籍になっており、こちらも簡単安価に手に入れることが可能です。

 こちらはラヴクラフト先生の作品をコミカライズしたものが三本収録されており、話の筋を比較的短時間で把握することが出来ます。作者の田辺剛先生は他のラヴクラフト作品もコミカライズしており、特に最近映画になったばかりの「宇宙からの色」のコミカライズも手掛けてらっしゃいます。映画に興味のある方はこちらを読んでみるのも良いかもしれません。大学生の頃は研究室の自分の机に田辺先生の作品をこっそり忍ばせていたものです。

 今回「魔犬」をオススメした理由は他の収録作品も傑作という理由があります。まずラヴクラフトの創作においても明確にクトゥルー神話を意識した初期作品である「無名都市」、そして私がラヴクラフトの描く宇宙的恐怖とは何かを端的に描写した傑作と信じて疑わない「神殿」の二本が収録されています。文章を読むだけとはまた異なる田辺先生の神話的感覚が練り込まれており、迫る恐怖を臨場感たっぷりに描いているので、この漫画を読んだ後に興味があれば、田辺先生の他の作品や原作の収録されているラヴクラフト全集を買ってみても良いかもしれません。少し大きいですが内容の補足がたっぷり入っていて更に楽しむ為の知識も一緒に摂取できる星海社FICTIONSから出版されているバージョンが圧倒的にオススメです。


【タイタス・クロウの事件簿】


 続いてはこれ、ラヴクラフト先生以外の短編集も紹介していきましょう。こちらは840円(+税)なので少し高くなってしまっているのですが、アマゾンなどでもまだ在庫があるので入手そのものは簡単です。

 こちらのオススメポイントはクトゥルー神話用語たっぷりなのに陰惨すぎない展開+主人公が強くて格好良いので読んでいてワクワクするというポイントです。クトゥルー神話と言えば暗かったりグロテスクだったり触手だったりというイメージを持っている方が多いのですが別にそういうのって見た目に派手だからそう見えるだけで全体のごく一部です。タイタス・クロウの事件簿は邪悪な陰謀を前に知識と機転でひたすら立ち向かう短編がたっぷり詰まったヒロイックなクトゥルー神話なので、安心しながらオカルトの神秘的な世界に没入できます。

 と言ってもまあ見ない人は見ないのですが、ここまで読んでくれるような方にとっては手を出しやすい&本格的なクトゥルーの空気感を味わえる絶妙な一本で、短編集なので読みやすいのでとってもオススメです。気に入ったら全集を読んでもいいし、タイタス・クロウシリーズの長編に入ってもいいでしょう。多分その頃には全集も読むぞ~って気分になってます。


 短編集の中でオススメなのは「FGOから講座読んだよ!」という人にはそのものずばり「ニトクリスの鏡」です。ニトクリスの宝具のイメージをそのまま楽しめます。そしてヒロイックな活躍とオカルティックな宇宙的恐怖描写という二つの魅力を存分に詰め込んだ「黒の召喚者」はタイタス・クロウシリーズの第一作として非常にパワフル。タイタス・クロウが暗黒の世界に巻き込まれていく切っ掛けとなる老魔術師との戦いを描いた「妖蛆の王」も面白い。なお、タイタス・クロウは長編になるとクトゥルーホラーではなくてヒロイック・ファンタジーになるので、この短編集とは別物の空気感になります。ご注意ください。そこら辺おさえながらラヴクラフト御大の作品と反復横跳びして落差を楽しむのが良いかもしれません。


【死もまた死するものなれば】


 クトゥルフ神話TRPGが好きで、そこから何か読んでみたいなという方にはこちら。まさしくクトゥルフ神話TRPGの世界観を元に、現実から異常世界へのシフトを大胆に見せてくれる名作です。現代の怪談とか有名なホラーネタとのすり合わせが巧みなので、ホラー自体が好きな方はよりナチュラルに楽しんでいただけるかも知れません。こちらで合うなあ~と思ったら「沙耶の唄」の小説版にで美少女&神話存在路線を楽しんで、追いかけるように「宇宙からの色」や「恐気山脈」などの小説以外のメディアでも作品が作られている名作へと追いかけていくのがベターでしょう。

 大丈夫、好きになるといつの間にか全集も読みたくなる。最高なので。


【最後に】


 という訳でクトゥルー神話世界への導入になるようなスターターセットを用意してみました。探索者で言えば親族から与えられた奇妙な遺産、あるいはふと目に入った怪現象を扱ったニュース、もしくは友人の失踪に相当する記事になっていれば幸いです。スタートダッシュSSR確定十連ガチャでもいいです。

 世界観について理解したい場合は、森瀬先生の「ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典」が今の所もっとも正確な情報を纏めているのでオススメです。


 エーリッヒ・ツァンをとりあえず通読した上で、それ以外の三つの作品のどれか面白そうなのを読めばまあ大体グッと来るものがあると思うので、マジで。あとTRPG動画とかも面白い物が多いので紹介の為に記事書きたいですね。動画の人気どころで雰囲気掴むのもいいですよ本当に。


 紹介といえば、正直他に紹介したい作品もありました。クトゥルーを美味しく調理する妖神グルメとか、皆ご存知這い寄れニャル子さんとか、そういうのも紹介したかった……! 前者はめちゃくちゃ面白いものの変化球&単行本一冊分で流石に初手からオススメしづらいし、後者はやっぱり変化球かつシリーズ物なので一度始めると読みたくなっちゃう&クトゥルー神話に触れてみようという目的でこの記事を読んでいる人が言うところの「クトゥルー神話に触れる」とは全然違う内容になるのであえて触れませんでした。どちらもめちゃ面白いです。しかもラヴクラフト先生の関係作品読んでから読むと面白さが跳ね上がります。もう読んでいる方もいると思うのですが、このあたりのラヴクラフト先生やそれをフォローしていった作品を読んだ後で、もう一度読み返すとこれまでと位相の異なった面白さを味わうことができるので、是非試してみてください。


 これまで「こういうのが良いよ!」で書いてきましたが、実のところ、この記事をご覧になっているあなたがクトゥルー神話に興味を持っていただくのが一番大事なことです。少々興奮して喋ってしまいましたが、一番大事なのは今回紹介した作品を見ている途中でも、興味を持った作品にはドンドン挑戦してほしいということです。この記事はあくまで最初の一歩であって、一度踏み出して、興味を持ったならその方向に走っていけばいいのですから。広いジャンルです。何もかも知ろうとする必要はありません。

 楽しんでいる途中に分からなければこっちに応援コメントやレビューなどでリクエストを出してくれれば丁寧に調べて記事を書きます。ぜひぜひ一言くださいませ。


 ただ本当に身も蓋もない話をすると星海社FICTIONSの新訳クトゥルー神話コレクション全部読んだら最高のエントリーになります。ぜひ買ってみて、そしてゆっくり読んでみてください。



 くれぐれも次回まで闇からの囁きに耳を傾けないように。

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