第6話
「ねぇ、〈用心棒〉」
尋かれ、しかし〈用心棒〉は一瞥もくれず、
「未だ、寝ていなかったのか?」
「……何となく、目が冴えちゃって。――ねぇ、〈用心棒〉、貴方、あたしをFBIに送り届けた後、どうするの?」
〈用心棒〉は何も応えようとしない。
悠理は、それだけで理解出来た。
(東京に着いたら、あたしと一緒に暮らさない?)
悠理は、その言葉をどうしても口にしてみたかった。
知り合って未だ一週間。どうしてこんな気持ちになってしまったのか。
そこはかとなく彼の横顔が父親の面影が似ていると思ってしまうのは、失くしてしまった心の一部を埋めようとする自分の心の弱さが生んだ錯覚に過ぎないと、自分に言い聞かせているというのに。
どんなに想いを込めた言葉を口にしても、この青年を引き留める事は叶わないだろう。
常に死と破壊が付き纏う〈用心棒〉の征く道は、地獄への道に他ならない。
孤高を征くこの青年をひとつの所に留められる事は誰にも出来ないのだ。
全てを終えた時、果たして彼は何処へ行くのだろうか。
そればかりは、悠理にも判らなかった。悠理は〈用心棒〉の孤高さがとても哀しかった。
〈用心棒〉《あなた》は何処へ行くの?
悠理の脳裏に過ぎったその言葉は、かつて、古えの聖者に投げ掛けた民の言葉を準えてみたものだった。聞きかじりの言葉だったのに、悠理には不思議と違和感は覚えなかったが、彼に問い掛ける勇気は無かった。
悠理は潤んだ哀しみ色の眼差しで〈用心棒〉を見つめた。彼がそれに応えてくれるはずも無いのに。
〈用心棒〉は不意に、悠理の方へ向いた。
「……既に八日目、か。休息日は終いらしい」
〈用心棒〉を振り向かせたのは、二人の居るログハウスを狙って照らされたサーチライトの群れであった。
「よくぞ此処まで逃げおおせたな!」
狂い咲くサーチライトの隙間から、何者かがスピーカーで二人に呼び掛けて来た。
「あの声は……都築!?」
怒りと戸惑いが入り交じる貌をする悠理は、その声の主を知っていた。
ジープの荷台に設置された大型サーチライトを背にスピーカーを手にしていた、アルマーニのスーツに身を包み、頭に痛々しく包帯を巻いた偉丈夫だった。
悠理の父親が勤める会社の社長と聞いていた都築というこの男こそ、悠理の父の背信に気付いて刺客を放ち、二人を追跡していた抹殺部隊を指揮する、九頭龍マフィアの幹部の一人であった。
「乗っていたヘリごと墜落させたはずだったが、流石は幹部クラス、なかなかしぶとい」
薄らと失笑する〈用心棒〉は、悠理にソファの陰に隠れるよう指示した。
「この辺りは既に包囲済みだ! お前らがそのログハウスに潜んでいる事は既に承知だぞ!」
「まさか縄張りを越えて追って来るとは、な」
〈用心棒〉は壁を背にしながら、大声で返答した。
「おっと! カッコつきよぉ、妙な事するなよ? お前ならとうに気付いているだろうが、そのログハウスの周囲には俺の部下達がナパーム弾構えて狙っているんだぜ!」
「袋の鼠と言う訳か。だが此処は関東の縄張り。余り派手な動きは出来まい?」
「嬢ちゃんが持ってるディスクは何としても処分せんとな。必死なのさ!」
「その執心ぶりには感服するが、この裏帳簿にはかなりの大物が列記されている様だな。そういえば二ヶ月前に退院した、重度の心臓病だった某市長とか、欧州にも、絶望の淵から奇跡的な回復を遂げた政治家が何人か居たな?」
「……賢しいと長生き出来ンぜ」
鼻白む都築は、脇にいた黒服の部下に合図し、ジープの荷台から出した大きなクーラーボックスを自分の足許に置かせた。
「お前ら二人には散々虚仮にされたから、ここらで帳尻合わせておきたかったのさ」
邪な笑みを浮かべた都築はクーラーボックスの蓋を開け、中からカプセル型の水槽を取り出した。
その水槽を目撃した途端、無表情だった〈用心棒〉の貌に表情が宿った。
「……外道め。それ程迄に死に急ぎたいか」
悪態をつく〈用心棒〉が、笑ったのだ。
感情を露わにした事の無い人間がそれを見せた時、果たしてここまで変わるものなのか。笑みと呼ぶには余りにも凄絶すぎる貌であった。
宛ら、天使から死神へと変貌したかの様に。傍らでそれを見ていた悠理は、戦慄を禁じ得なかった。
「これが何か、判るか?――なぁ、嬢ちゃん?」
何故、自分に訊くのかと、悠理がソファの陰から顔を出すと、〈用心棒〉が慌てて遮った。
「外を見てはいけない」
「何故――」
悠理は、〈用心棒〉の肩越しに都築が抱えている水槽を視界に捉えた途端、言葉を失くした。
まさか、とは思った。水槽の中に浮かぶそれを見て、悠理は何故そう理解したのか、理解出来なかった。
都築が抱える水槽の中に漂う脳髄が、自分の父親の物だと言う証拠は無いのに。
「この裏切り者の所為で、我々は多大なる被害を被った。
その代償に、残った身体を切り売りさせてもらったが、それでも足りないんだぜ!この糞ったれがっ!」
怒鳴る都築は、抱えていた水槽を地面に叩き付けた。
水槽は粉々に割れ、脳髄は地面に転がり、泥まみれになる。都築は哄笑と共に、右足でその脳髄を勢い良く踏み潰した。
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