「送り人」

俺は昔、24時間営業の喫茶店でバイトしてたんだが、その店では本当にいろんな事があったんだ。

数え切れないくらい。

中でも特に店の常連客でもある、毎日メロンソーダばかり頼む為、バイト仲間の間で通称メロンちゃんと呼ばれる子がいるのだが、その子が絡むと本当に怖い体験をする事が多々あった。

今からその一部を話したいと思う、良ければ最後まで付き合ってくれ。


あれは、連日の異常な暑さに、日本中が異常気象だと騒いでいた時の話だ。


その日、俺はいつも通り深夜帯の喫茶店でアルバイトをしていた。


ここで働いてだいぶ月日がたった。おかげで


「中尾くん、良かったら正社員にならない?」


などと店長から打診されてしまった。


思わず冗談は顔だけにしといてくれと言いたくなったが止めておいた。


どんなに高待遇でもこの店に永久就職するのだけはごめんだ。


この店はとにかく変な客が多い。


突然わめき出しナイフをくれと言ってくるOLの女や、犬の首を売りつけようとする頭のイカれた男、そしてこんな深夜だと言うのに、店の前で一人遊ぶ女の子……女の子?


俺は思わず、店の透明なガラス扉を二度見してしまった。


女の子だ、六歳くらいの……。


時刻は深夜二時。間違っても子供が一人外で遊ぶ時間ではない。


「おいおいおい……」


助けを求めるように辺りを見渡すが、自分でも意味のない事だと思いそうそうに諦めた。


「警察に……いやもしかしたら親が近くにいたりとか?」


確かめようと扉に近づくと、女の子の姿はそこになかった。


「あれ?」


柱の影など見回したが見つからない。


季節は夏、御盆の中日。


「まさか……」


そう思い考えた。

思い起こせばこの喫茶店ではこういった事が多々あったのだ。


見えてはいけないもの、いわゆる幽霊、というやつだ。


頭がおかしいと思われるかもしれないが、俺はこの店で働くようになって本当にそういった霊体験に何度か遭遇した。


それは、決まってこの店の常連客である、


「呼びましたか……?」


そう、今話しかけてきた人物メロンちゃんがいる時に限って色々と……。


「うわぁっ!?」


いつの間に現れたのか、背後から俺に声を掛けてきたメロンちゃんを見て思わず尻餅を着きそうになった。


「どうしたんですか?お化けでも見たような顔して」


メロンちゃんの言葉に、思わず似たようなもんだろと、心の中で悪態をつく。


「えっ?ああ、いや、何でも……」


頭を掻きながらそう答えると、メロンちゃんはふと、店の入口に目をやった。


「あ、子供……」


「えっどこ?」


尋ねながら釣られて俺も目をやった。


いた、さっきの女の子だ……。メロンちゃんに見える、という事はやはり……。


女の子はその場にしゃがみこむと、地面に指を立て円を書くようになぞっている。


「お、御盆だからかな……?」


微かに上擦る声でメロンちゃんに尋ねると、


「送り人……ですかね」


「なにそれ?」


「そのまんまですよ……あ、ほら、来ました」


「来ましたって……あっ」


俺たちが見ていた子供が、いつの間にか立ち上がり駆け出していた。


よく見ると、子供の前方を女性が一人歩いている。


「行きますよ店員さん。ほっとくとまずいかもです……」


「へっ?ええっ!?」


メロンちゃんは俺の返事も待たず店の外へそそくさと歩いて行ってしまった。


「い、いや店が……!」


カウンター越しに、厨房にいる相方に目をやった。


相変わらずイヤホンで音楽を聞きながら肩を揺らしていた。


「ああもう!」


こうなりゃヤケだと、俺は着ていたエプロンを脱ぎカウンターに放り投げ、メロンちゃんの後を追いかけた。


店を出てメロンちゃん達が向かった方角にしばらく走ると、視界の先、街頭に照らされた小さな公園が見えてきた。


その手前の電柱に、潜むようにして様子を伺うメロンちゃんの姿がそこにあった。


「はあはあ……美、美兎ちゃ、」


思わず以前教えてもらった本名で呼んだ瞬間、


「しーーーーーーっ」


と、メロンちゃんは口に人差し指をつけて俺に振り向いた。


慌てて俺は黙って頷く。


するとメロンちゃんはまた公園の方に向き直り何かを観察するように視線をやった。


俺もそれを目で追うと、ハッとして身を隠した。


いた、公園に。先程の女の子と、そして大人の女性。


二人はブランコに腰掛け、女の子はしきりに女性の方を向いて楽しそうにしている。


「あの女性に取り憑いてるのか……?」


俺がメロンちゃんにそう聞いた時だった。


「行きましょう、店員さん」


「えっ?ちょ、ちょっと待って」


メロンちゃんは電柱の影から抜け出ると、まっすぐに二人の元へ向かった。


俺もその後に続き公園へと足を踏み入れる。


あの女の子を止めなくては。


さっきメロンちゃんが言った言葉、ようやく俺は理解できた。


送り人、昔そんな名前の映画を見た事がある。

死への旅立ちをお手伝いする送り人。確か葬儀屋かなんかの映画だったと思う。


あの女の子はあの女性を……!


まずい事になるかも、メロンちゃんのその言葉が脳裏を過ぎる。


俺がブランコに座る女の子の前に立つと、彼女は不思議そうに俺の顔を見上げてきた。


首を傾げ、こちらを覗き込んでくる。


「き、君は、」


「貴女は、」


俺とメロンちゃんの声が、静まり返った夜の公園にハモるようにして響いた。


「へっ?」


思わず間抜けな声が俺の口から漏れる。


唖然としながらメロンちゃんを見ると、なんとメロンちゃんは女の子ではなく、女性に向かって話しかけていた。


なぜ?送り人は、この少女じゃないのか?女性に取り憑こうとして……。


するとメロンちゃんは俺には見向きもせず話を続けた。


「貴女は、どちらですか?」


どちら?一体何の事だ?


メロンちゃんの言っている言葉の意図がつかめない。


「もし、貴女が良くない方の送り人なら、私は……」


そう言ってメロンちゃんが片手を女性に伸ばした時だった。


「恵!?恵!!」


「お父さん!」


突然夜の公園に、俺とメロンちゃん以外の声が響いた。


恵み?お父さん?


お父さん、と言ってブランコから飛び降りた女の子は、同じく恵と叫んで現れた男性の元に駆け寄った。


メガネを掛けた三十代くらいの男性だ。駆け寄ってきた女の子を噛みしめるような顔で抱きしめ、目には涙を浮べている。


何?なんなんだこの展開?


混乱しながら男性と女の子を交互に見ていると、メロンちゃんは女性の方に向き直り再び口を開く。


「なるほど、貴女は娘をお父さんの元へ送り届けた、送り人……なのですね」


やんわりとした口調、どこか温もりのあるメロンちゃんの声。


するとブランコに座ったままの女性は、何かボソボソとメロンちゃんに告げ、その場で立ち上がり礼儀正しく頭を下げた。


「お父さん!ママ、ママがいたんだよ!」


「ま、ママ?ちょ、ちょっと待ってくれ恵。あ、あのう!」


声に振り向くと、娘の言葉に戸惑いつつ、男性がこちらに近づき声を掛けてきた。


「は、はい!」


「もしかして貴方達が恵を見つけて電話してくれたんですか?」


「え?」


「いや、夜中に娘が家から居なくなっていて、警察に電話しようとしたら非通知から掛かってきまして……電話に出ると微かに聞き取れるくらいの女の子で『すぐそこの公園に……』と連絡がありまして、何処のどなたか尋ねたのですが、それだけ言うと電話を切られてしまったので」


「あ、へっ?あ、いやその……」


あの女性が……どうしたものかと困っていると、


「はい、私です。近くの喫茶店でその子を見かけまして、女の子から話を聞くと家の電話番号を教えてくれましたので……電話はすみません、公衆電話からかけたもので途中で切れちゃいました」


すらすらとさも当たり前のようにメロンちゃんは言ってのけた。


全くこの子は……。


俺は苦笑いで男性に同意して見せた。


「あ、そういえば、貴方見たことあります、そうでしたか、あの喫茶店の店員さん」


どうやらこの男性は俺の事を知っているようだ。


「実は、亡くなった妻と、よくあの喫茶店に通っていたんです。亡くなる直前にも喫茶店に三人で行ったもんですから、きっとこの子は一人で……」


そう言って男性は抱き上げた恵ちゃんを見て目を細めた。


「だってお父さん言ったでしょ!明日になったらママが帰ってくるんだよって!家の中探したけどママいなかったの、もしかしたらあのお店にいるかもって思って、恵あのお店にママを迎えに行ったの!」


恵ちゃんは褒めてほしそうな顔で胸を張ってみせた。


なるほど、明日になれば……きっと恵ちゃんは0時丁度に起きて、御盆の時期、帰ってくると聞かされた母親の帰りを待っていたのだろう。そして我慢しきれず、一人家を飛び出してしまった。


「そうだな……ごめんな恵。恵一人に行かせてしまって……」


「ううん、大丈夫!ママいたもん!一緒にブランコで遊んだのよ!あれ?ママは?ママどこ?」


恵ちゃんの言葉にハッとし、俺も辺りを見渡す、が、あの女性の姿はもうどこにもない。


「恵……もういいから、怒ったりしないから、さあ、お家に帰ろう……」


「いや、ママ本当にいたもん!そこにいたんだもん!」


「恵!」


男性がたまらず声を張り上げた時だった。


「あの、」


それまで黙っていたメロンちゃんが男性に呼びかけた。


「はい?」


「恵ちゃんが持っている……持っている黄色のおもちゃ箱……」


「黄色?あ……た、確かにありますけど……えっ?な、何でそれを?」


男性の眉間に怪訝そうなシワが浮かぶ。


「恵ちゃんのお母さんが教えてくれました……」


「恵の……あの、助けてもらっておいてこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、さっきも言ったように恵の……私の妻は!」


男性が言い掛けた瞬間、俺はメロンちゃん、いや美兎ちゃんの手をギュッと握った。


この子にしか見えない、この子にしか聞こえない、この子にしか伝えられない物がある。


俺は、それを信じたいと思ったからだ……。


すると、メロンちゃんは黙ったままこくんと小さく頷き口を開いた。


「黄色いおもちゃ箱、今は押入れに仕舞われているそうですが、その箱の中に母親……奥さんがもしもの時の為に、二人に残した手紙や遺品があるそうです。それをお二人にぜひ見つけてほしいと、恵ちゃんに届けてほしいと、そう……言っていました」


「つ、妻が……?」


男性は驚愕した顔でそのまま俯いてしまった。


心配そうにその顔を覗く恵ちゃんに気がつくと、男性は顔を上げ恵ちゃんの頭を撫でた。

そしてこちらに振り向くと、どこか複雑そうな顔で頭を下げ、黙ったまま恵ちゃんを連れて公園から去って行ってしまった。


二人の後ろ姿をしばらく見続けていると、


「じーーーーーーっ」


メロンちゃんにジト目でつないだ手を凝視された。


「うわぁっ!ごご、ごめん!」


慌てて手を振りほどき釈明する俺に、メロンちゃんは目を背けたかと思うと、そのまま喫茶店の方に歩き始めてしまった。


俺もすぐその後を追った時だった。


夏の乾いた夜風にのって微かに、


「あり……がとう」


と、ぼそりとか細い声が前方から聞き取れた。


何だか嬉しくなり空を見上げると、雲一つない夏の夜空に、淡い光を放つ満月が、穏やかに、俺たちを照らしていてくれた。





それから数日立ったある晩の事だ。


いつもの時間、いつものように店内に現れたメロンちゃんに、俺はメロンソーダを運んだ。


「この前の……恵ちゃんのお父さん、あれから直ぐに店にやってきたんだ」


「そうですか……」


興味なさそうな受け答え。だが知っている。

長年彼女を見てきたからかもしれないが、彼女がこの話の続きを聞きたがっている事を。


「あのお父さん、しきりに頭下げてたよ、彼女にも……み、美兎ちゃんにも、伝えておいてくれって」


ううん、やはり名前で呼びにくい。

メロンちゃんに慣れすぎたせいだろうか?


やや照れながら言うとメロンちゃんは、


「そう……」


とだけ言ってメロンソーダのストローに口をつける。


俺はやれやれと思いながらも、メロンちゃんのその気怠げな横顔を見ながら話しを続けた。


「でさ、実はこの前言ってた黄色のおもちゃ箱に入ってたのがなんと……」


夜は長い。


深夜だからこその、微睡む特別な時間がそこにある。


俺の話に聞き耳を立てながらストローをすする彼女を、俺は何処か愛おしく感じながら、一人、語りかけるように何時までも、話し続けた……。

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