3――アパートへ(後)


 去年の写真で、私市さんは雪の結晶みたいなイヤリングを付けてた。


 普段は耳元を髪で隠してる私市さんだけど、その写真では髪の毛を掻き上げて、イヤリングがばっちり映ってた!


 それと同じ物を、今はなっちゃんが装着してる。たまたま同一商品を持ってただけ?


 すると、しびれを切らしたりょーちゃんが横から口を出した。


「お兄さんに聞いてみればぁ?」


「そうね、さっそくお兄ちゃんに~……あ」


 私、スマホを引っ張り出して通話ボタンを押そうとしたんだけど、あいにくそれが実践されることはなかったわ。


 ……駄目。


 今は、駄目。


「私、お兄ちゃんと喧嘩中なの……どのツラ下げて電話かければいいの~?」


「――そんなの気にしてる場合じゃないでしょ――」


 シシちゃんが、私の手からスマホをかすめ取っちゃった。


 あ、とひるむ間もあらばこそ、シシちゃんはワンプッシュボタンで呼び出し音を鳴らし始める。む~、私がお兄ちゃんの番号をワンプッシュ登録してること、完璧に把握されてるわね……。


 なっちゃんが「捜査中に勝手な電話していーの?」ってとがめるけど、当の警察はあっちに集まってるから、今なら叱られずに済むわ。そもそも、警察だってそこまで厳密に行動を制限する権利なんてないでしょ。


 呼び出し音が反復する中、シシちゃんは私を横目でたしなめる。


「――喧嘩したなら、和解すれば良いじゃない――人の心は通じ合うんでしょ? ルイがあたしに教えてくれたことよ――素直な気持ちをぶつけなさいよ」


 そう告げて、スマホを返してくれたの。


 シシちゃんに説教されちゃった。まさかこの子に正論を突き付けられるなんて思わなかったわ。意地の張り合いはやめろってこと?


 やがて、電話がつながる。


 お兄ちゃんが通話に応じたんだわ!


 無視されずに済んだ……それだけでも嬉しかった。


「もしもし~、お兄ちゃん?」


 怖々と話しかける私に対し、お兄ちゃんは無言だった。


 私の言葉を待ってる。私がどう繰り出すのか、試してる。


「い、今ね~。海浜区で殺人事件に巻き込まれちゃって~、その、お兄ちゃんに聞きたいことがあるんだけど~……」


『……僕に答える義理があると思う?』


 ぞくり。


 突き放すような物言いが、私の鼓膜を穿うがったの。


 取り付く島もないよ~。お兄ちゃん、まだ許してくれそうにない?


「ごめんなさい……」スマホに平身低頭な私。「お兄ちゃんごめんね! 私が悪かったから! 写真がどうこうじゃなく、人の物を勝手にいじることが駄目なのよね……反省してますっ。だからお願い~……私の質問に答えて欲しいの」


 懺悔しながら、私はもう片方の手でメモ帳をバッグから取り出した。


 シャープペンもあるから、すぐに記帳できるわ。カチカチと芯を出し、メモ帳を一枚ビリッと破る。お兄ちゃんから聞き出した情報を一言一句覚えてみせるわっ。


『へぇ……メモ用紙あるあるだね』


「え?」


 やがてお兄ちゃんは、苦笑混じりに折れてくれた。スマホの向こうではにかんでるのが判る。声の調子で全て察せるもん、私。


『ルイのメモを取る態度が聞こえたから、それに免じて許すよ』


「本当~!? お兄ちゃん優しい~! 愛してるっ、一生付いてく! ふええ~ん」


『泣くなって。これは心理学で「インタビュー効果」と言ってね。対話相手が熱心にメモを取ってると、人は親切心が働いて口が軽くなるんだ。たとえ目に見えなくとも、ルイは電話越しの物音でメモの準備をしてたのが伝わったから、僕もほだされちゃったよ……よくあることだね、あるある』


「インタビュー効果! 三船さんもよくメモを取ってるよね~」


『あの人も「インタビュー効果」を知らず知らず活用してる好例だね。まぁそれはともかく――』


 お兄ちゃん、椅子に座り直す音。居住まいを正してる。


 そっか~、私たちのこんな身近に、心理学が活かされてたのね。かたくなだったお兄ちゃんさえもなびかれるなんて、心の作用ってあなどれないわ。そのおかげで、喧嘩も棚上げ出来そうだし。


『で? 何を聞きたいんだい、ルイ?』


「私市さんが付けてた雪のイヤリングって~、どこで手に入れたか判る?」


『ああ、あれか』ほぞを噛むお兄ちゃん。『元彼の汞銀河くんからプレゼントされた物だって自慢してたよ』


「え!」


 汞銀河って、いつぞやのケーキ王子よね?


 私市さんに手ひどく振られたっていう――。


『元彼と別れても、イヤリングは気に入ってたらしいよ。私市さんは貧乏だったから、アクセサリーは貴重なんだろう。あるよね、心は冷めても物欲は冷めない現金主義者。よくある話さ』


「お兄ちゃんもよく覚えてたね~……」


『珍しいイヤリングだからね、質問したことがあっただけさ、あるある。汞銀河くんがオーダーメイドで特注した、この世に二つとないイヤリングらしいよ』


 特注――?


「今、オーダーメイドって言った?」


『言ったけど、どうかしたかい?』


「待っててお兄ちゃん! 通話はつないだままにしておくわ! 私、今から友達を弾劾しなきゃいけないから~!」


『え? おいルイ……』


 私はスマホから顔を離して、なっちゃんに向き直った。


 なっちゃんの耳には、雪のイヤリング。


 を、なぜ、この子が持ってるの――?


「なっちゃん、どういうこと? お兄ちゃんから証言をもらえたわ。こんな所から思わぬ情報が出るなんて、なっちゃんも予想外だったんじゃない?」


「はー? うちにはサッパリ判んなーい」


「そのイヤリング、私市さんのでしょ? あなたがの?」


 私は一歩、足を進めた。気丈ななっちゃんは動かない。


 シシちゃんも私と並んで、なっちゃんの眼前に押し迫った。


「――ケーキ王子・汞銀河と言えば、なっちゃんもファンだったね――その彼がくれたイヤリングが羨ましくて、欲しくなったの――?」


「まーさーかー、おかしなこと言うねーシシちゃん?」


 なっちゃんはとぼけてる。


 形勢が逆転してるのも意に介さない。


「――元彼と別れても金目のモノは使い続ける私市油見に、なっちゃんは嫌気がさしたんじゃない? だから強奪した――真の銀河ファンである自分が使うべきだと思った――」


「やだー何それー、シシちゃんって妄想癖ー?」


「――そして自分が犯人だとバレないよう、ルイに罪をなすり付けようとした――あんなに怒った演技をしてたのは、それが理由ね――」


「いやーそれこそ濡れ衣でしょー。うちは何も知らないってばー」


「――とぼけないで」


「じゃー電車の『時刻表』はどーなるのさー? 海浜区へ帰った油見ちゃんを追いかけて殺害するにはー、片道三〇分かかるんでしょー? 待ち合わせに遅刻しちゃうよー?」


 なっちゃんは悪びれもせず、問題を蒸し返したわ。


 え~、それをあなたが槍玉に挙げるの? さっきまでシシちゃんが言及してたことを、なっちゃんが保身に転用しちゃう皮肉。


「――なら、その時刻表――あたしが解くわ」言い切るシシちゃん。「――ルイを無実の罪から救うため。今こそ恩を返すとき――時刻表トリックを、あたしが紐解く」


 シシちゃん、めっちゃ饒舌。敵意をなっちゃんに叩き付けまくってる。


 お兄ちゃんが電話口で感嘆したわ。


『へぇ。心理学の「返報性へんぽうせいの法則」だね。あるある』


「返報性~?」


『受けた恩を返そうとする人間心理さ。持ちつ持たれつ、御恩と奉公、貸し借りをチャラにしたがる心境だね。シシちゃんはルイへの恩情を、最優先事項に据えてるわけだ』


 恩返しって、心理学でも裏付けされてるのね。


 恩に報いたがるシシちゃんと、恩をあだで返すなっちゃんの、息詰まる論戦が火ぶたを切ろうとしてた。同じ服装なのに、立場はまるで正反対。


『シシちゃんがどう推理するのか楽しみだね。時刻表を詳しく洗い出して、停車駅や乗り替えを細かく検証すれば、どこかに抜け穴がありそうだ。あるある』




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