1――フェスタへ(後)


「お兄ちゃん、ただいま~っ。帰って早々申し訳ないけど私、出かけるね。お兄ちゃんには寂しい想いをさせちゃうけど我慢して! お別れのチューしよっか?」


「いらないよ、早く行きなよ」


 あう~。お兄ちゃんの素っ気ない返事が胸に刺さるけど、それはそれでキモチイイ。


 時刻は一六:〇〇。私は寝室に居たお兄ちゃんの周りをぐるぐる回りながら、隙を見て抱き着いたり、まとわり付いたりしたものよ。すぐ払いのけられたけど。


 お兄ちゃんは安楽椅子に腰かけて、ラジオをBGMに読書してる。


 義足を掲げるように足を組んでるの。傍らにはステッキも置かれてる。あ~、座ってるだけなのにカッコイイよぉ。もうメロメロ。友達との約束とはいえ、お兄ちゃんと数時間も離れ離れで過ごさきゃいけないなんて、精神的な苦痛だわっ。


「ね~ね~、お兄ちゃんも一緒に行かない?」


 だから私、試しに誘っちゃった。


 お兄ちゃんは本に視線を落としたまま、私を見向きもせずに問う。


「行くって、どこへ?」


「海浜駅のスノー・イルミネーション・フェスタ! 今から友達と行くんだけど~、私としては最愛の男性とロマンチックに過ごしたいな~って」


「僕が飛び入り参加したら、友達が驚くだろう。あるある、予定外のメンバー追加で空気がギクシャクするトラブル、よくある」


「そんなことないよ~。シシちゃんやなっちゃんも来るんだよ? あ、そうそう、この二人って最近妙に仲良しなの。仕草や挙動がそっくりで、意気投合してるのよ」


「そっくり?」


「うん。けど、なっちゃんは家庭科室の『別解』でしょ? シシちゃんはそうと知らず、なっちゃんと急接近したみたいで……似た者どうしなのかな~? 少し怖い」


「気が合う人間ほど、徐々に言動が似通って来るのはよくあることさ。あるある」


「そ~なの?」


「ああ。『As ifの法則』と言うんだ。心理学者リチャード・ワイズマンが唱えた心理法則で、思考や言動を真似すると、んだよ。例えば恋人の振りをしてたら本当に恋が芽生えたり、他人になりきることでいつしか本当に自分がその人だと思い込んでしまったり……心の同化、感染、浸透作用だね」


「ふ~ん。意外よね、あの二人が……」


「ますます僕の入り込む余地はないね。外出は遠慮しておくよ」


 ああっ、しまった~。


 お兄ちゃんめ、話をそらして体良く断る口実を考えてたのねっ。私、悲しいっ。


「む~。じゃ~別の日にデートしようねっ。今日は現場の下見に徹するから!」


「友達の誘いを下見扱いするの、やめた方がいいよ」


 にべもないお兄ちゃんが、辛辣だけどクールで素敵。私、お兄ちゃんになら冷たくあしらわれても、むしろご褒美だからもっとやって!


「じゃ~私、服を着替えて来るね。あ、制服はここで脱いでもいい? あられもない妹の下着姿とか見たくない?」


「あるある、あの手この手で気を惹こうとする心理。ありがち過ぎてたしなめる気すら湧かないよ」


 お兄ちゃんってば、呆れながらも逐一ツッコミを入れてくれるから優しい。


 うん、きっとこれは私への優しさなのよ。多分……。


「どんな服がいいかな~? 今日は初めて私市さんに呼ばれたから、悩むのよね~」



「……私市だって?」


 ふと、お兄ちゃんの声色が低く沈んだわ。


 どうしたの急に? 先日の家庭科室でも名前が挙がってたから、気になったのかな?


「ルイ、いつの間に彼女と親しくなったんだい?」


「いつの間にって、今日いきなり決まったのよ~。何か引っかかるの?」


「家庭科室で彼女の名を聞いたときは、意識しないように心がけてたけど――」読んでた本を閉じるお兄ちゃん。「私市油見さんは、僕に告白したことがあるんだよ。あるある」


 …………。


 …………は?


 告白? はああ~~~~っ?


「何それお兄ちゃん一体どういうことよどんな経緯よ何がどうしてそうなったのよっ!」


「落ち着きなよ、ルイ。はだけた制服姿で振り返るんじゃない」


「私の格好なんてどうでもいいの! 私市がお兄ちゃんに告白? 愛の告白よね? ちょっと頭が沸騰して来たっていうか胸がムカムカするんだけど!」


「僕は左足を怪我するまで、全日制に在籍してただろう? ルイと同じ二年一組に」


「あ、そう言えば……」


 確かに一組の生徒だったわ、お兄ちゃんも。


 てことは、そのときに私市さんと知り合ったんだわ。当時の私はブラコンじゃなかったから、すっかりノーマークだったわ! 不覚!


「私市さんは元彼モトカレ汞銀河みずがねぎんがくんを振ったあと、すぐさま次の恋人を探し始めたわけだ。同じクラスの優等生から、ね。あるある」


「それがお兄ちゃんだったの?」


「そう。お試し期間ってことで、何度か出かけて写真も撮ったよ」


 お兄ちゃんは腰を上げて、近くの棚からアルバムを引っ張り出した。


 そこには見るもおぞましい、お兄ちゃんと私市さんのツーショット写真があったの!


 なななな何これ~! お兄ちゃんが、私以外の女と仲睦まじく接してる……。


 写真はそれぞれ、買い物に行ったり、遊園地で遊んだり、レストランで食事したり……完全にデートだわ。


 あ、やばい。今の私、ちっとも顔が笑ってない。殺意に満ちてる。


「けど、僕が通信制に移ると、私市さんは見向きもしなくなった。彼女は僕のことが好きじゃなくて、が欲しかっただけなんだ」


 むむ……それはそれで腹立つわね。


 ま~今は学力主義を悔い改めたみたいだけどさ、私市さん……。


「う~、許せないよ私っ。お兄ちゃんと懇意だったなんて! このぉ!」


 私、激情にかられてお兄ちゃんのアルバムを奪い取っちゃった。


「何するんだルイ――」


 お兄ちゃんが取り返そうと手を伸ばしたけど、私は一歩飛びのいて間合いを確保した。


 足が悪いお兄ちゃんは、すぐには追い付けない。私はその間に、アルバムから私市関連の写真を根こそぎ引っぺがして、ぐしゃぐしゃに手で丸めてやった。


 こんなもの、こうしてやるっ。


 切り裂いて、握りつぶして、投げ捨てて……。


 写真には、私市さんがおめかしして、髪をアップにまとめてる絵面もあった。耳元には雪の結晶を模したイヤリングが、キラキラと陽光を照り返してる――。


「やり過ぎだ、ルイ! やめろ!」


 立ち上がったお兄ちゃんに手を掴まれちゃった。


 私はようやく我に返って、アルバムを落っことす。


 ……しまった。


 お兄ちゃん、烈火のごとく怒ってる。私を蔑視する眼差しは、明らかに非難がこもってた。私、感情的になって、何てことを……。


「人の持ち物を勝手に捨てるのは、許されないことだ」


 声が冷たい。


 本気で冷たい。


 普段のあしらいと違う。感情のない、冷戦のような無慈悲さを感じる声明だった。


「お、お兄ちゃん。ごめんね? カッとなって、つい~……」


「ルイ、出てってくれ。これから私市さんと会うんだろう? せいぜい仲良くしなよ」


「ごめんなさいっお兄ちゃん! 私、悪気はなくて――」


「ありがちな言い訳だ。けど、覆水は盆に返らないんだよ」


 ああああ……っ!


 最悪……本当に最悪……。


 私、馬鹿だ……。


 私はすごすごと退室して、ドアを閉めた。脱ぎかけの制服姿だと肌寒い。それ以上に、心が凍て付きそうだった。


 直後、ドアの鍵を内側からガチャリとかける音が響く。


 完全なる断絶。


(私、拒絶されてる……)


 抜け殻みたいになった私は、かろうじて自室へ退却する。いそいそと制服を着替える。


 こんな気分じゃ、フェスタなんて楽しめないよ~……おまけに私市さんのアパートへ上がり込むなんて……私、どんな顔をして会えばいいのっ?




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