3――取り皿へ(後)


『無差別犯罪は、愉快犯であるケースが多い。犯罪心理学を紐解けば一目瞭然だ。通り魔殺人と似た傾向があるね、あるある。怨恨の線から捜査できないのが辛いね』


 うわ~、怖いなぁ。


 普通なら被害者の身辺を調べて、動機がありそうな奴に目星を付けるんだけど、無差別犯罪はそうも行かない。


 動機がないのに罪を犯す……これほどやっかいな犯人像もないわ。


 しかも、騒ぎになれば満足であって、被害者の生死には頓着しない。


「ケーキを選んだときの状況を、教えて欲しいねぇ」


 三船さんがボールペンを指先でくるくる回し始めた。


 これは考えあぐねて手持ち無沙汰なときの癖ね。判りやす~い。


「いや、教えろって言われてもなぁ?」


 汞銀河が肩をそびやかしたわ。


 いちいち覚えてないって言いたいようね。それは私も同感。授業中はこいつにムカムカしてたし、ケーキだって感覚的に選び取っただけだし――……って、あれ?


 ううん、違う。


 私はともかく、他のみんなは――。


「白い皿のケーキを取りましたよぉ」


 りょーちゃんが最初に挙手した。


 そうよ。この子はケーキを選ぶとき、目をく色合いで決めてたっけ。


「いろんなお皿があったのでぇ、コントラストの際立つ白い皿に決めましたぁ」


「へぇ」すかさずメモを取る三船さん。「他には?」


「あー、うちはハート型のチョコがトッピングされたケーキを取ったよー」


 なっちゃんも思い出した。


 デコレーションされたケーキのうち、バレンタインでよく見るハート型のチョコが飾られた部位を、彼女は選んだのよね。


 私も当時の状況を回想する。


「私は無難に、星型チョコが乗ったケーキを取ったよ~」


 残ってた三つのケーキのうち、一番平均的なやつ――派手なトッピングもなければ丸裸でもない――普通っぽいものを食べたわ。


「シシちゃんは左利きだったから、フォークが左側に置かれてる皿に決めてたわね」


「左側!」パンと手を叩く浜里さん。「それは、たまたまそう配置されたんですか!」


「そのはずですが?」顔を歪める汞銀河。「ケーキ皿にフォークを添えるとき、特に意識はしてなかったよな、ヒロコ?」


「ええ、ギンガ」うっとりと相槌を打つ泰野洽湖。「最後に残った二つのケーキは、ギンガとわたしで仲良く分けて食べたわ。あーんして、お互いにね」


 あ~、そうですね~。


 眼前で見せ付けられたから覚えてる。これ見よがしにイチャイチャしやがって。


「危うく、ボクらが毒入りケーキを食べてたかも知れないね?」泰野洽湖をそっと抱き寄せる汞銀河。「毒を引き当てたのがサボり女だったのは、不幸中の幸いだったなぁ? オチコボレに天罰が下ったと見るべきだね、あっはっは!」


「それは言い過ぎじゃない?」


 私、さすがに聞き捨てならなかったわ。


 シシちゃんをかばうわけじゃないけど、被害者を罵るなんてひどくない?


 でも汞銀河は、そんな私をゴミのように一瞥するの。超ムカつく。


「ハン。学生の本分は勉強だぞ? それをおろそかにしたサボり女が病院へ運ばれた……いい気味じゃないか?」


「何ですって~!」


「ボクが間違ったことを言ったか? 卒業後の進路は人それぞれだが、生徒を名乗る以上は学業に励めよ。当然だろう?」


 一理あるようなないような……。


 どうしてそこまでシシちゃんを忌み嫌うの? しばらく休学してただけじゃないの。


 私と違って、彼女と何の因縁もないくせに――。


「ギンガは学歴コンプレックスなのよ」


「――え?」


 泰野洽湖が、彼を擁護するかのごとく注釈を挟んだ。


 汞銀河が驚いて彼女の口を押さえたけど、泰野洽湖はそれすら振りほどき、自分の携帯電話をポケットから引っ張り出した。


 浜里さんが「ケータイ禁止!」って言おうとしたけど、三船さんが手で制する。ここでケータイを披露するからには、何か重要事項が明かされるに違いないもんね。


「ギンガはわたしと付き合う前……去年だけど、優秀な二年一組の女子と交際してたわ」


「一組の?」


「私立朔間学園は成績順にクラス編成されるから、一組が最も優秀な生徒……そう、悔しいけどあなたたちよ。二組は次席に甘んじたわたしたち」


 泰野洽湖は言葉を切り、ケータイ画面を切り替えた。


 そこに写し出されたのは、一通のメール。


 差出人は『私市 油見』――キサイチ・ユミ?


 日付は、去年の四月。本文には、丁寧だけど慇懃無礼な暴言が書き綴られてた。




『本文:汞銀河は貴女に差し上げます。あの男は馬鹿すぎます。クラス替えで二組に編成された劣等生! おまけに進学校でありながら、卒業後は家業のケーキ屋を継ぐ予定だなんて言語道断です。二組の男には二組の女が分相応です。では、ご機嫌よう』




 し、辛辣な文面ね……。


「油見ちゃんは一組の首席なのよー」あちゃーと舌を出すなっちゃん。「ルイちゃんとはめったに話さないけどー、うちの友達よー。選択科目は別々だけどねー」


「うん、私ほとんど知らない」


 言われて、ようやく顔が浮かぶ程度よ。


 いくらクラスメイトでも、全員と仲良しじゃないもんね。


 泰野洽湖は画面を見せ終えると、苦虫を噛み潰すように吐露したわ。


「ギンガの元カノは、成績が釣り合わないだけで一方的に別れを告げ、あまつさえわたしにメールで当て付けたのよ! 学力が原因で失恋したギンガは傷付き、悩み、それからは勉強や学歴を意識するようになった……」


「ヒロコ、黙れ!」


 汞銀河が怒号した。


 甘いマスクからかけ離れた剣幕に、誰もが目を丸めたわ。まぁ、自分の過去を勝手に暴露されたら怒るのも栓なきことだけど……。


「シシちゃんがとばっちりを受けただけじゃん」


 だから私、言ってやったの。


 たちまち汞銀河と泰野洽湖が気色ばむけど、知ったこっちゃないわ。


「汞銀河。あなたは自分より賢い女に振られたせいで、勉強を重視するようになった。だから、休学で勉強をサボってたシシちゃんに嫌悪したのね……最低! 失恋による『学歴コンプレックス』は同情するけど、所詮はあなたのエゴでしょ~? 他人に八つ当たりするんじゃないわよ!」


「何だと貴様っ?」


「ひょっとして、シシちゃんに毒を盛ったのって、あなたじゃないの~?」


「おい、暴論も大概に――」


「無差別犯罪に、シシちゃんのケーキを狙って毒を混ぜたのよ!」


「ふざけるな! ボクがいつ、そんな真似をした? ボクは切り分けたケーキに触れてすら居ないぞ? かと言って生地作りの時点で混ぜたら、全員が苦しむはずだしなぁ?」


「じゃ~味付け用のスポイトかな? あれなら後付けで添えられるもんね? 敏感な人は少量飲んだだけでも中毒反応を示すみたいだし~」


「スポイト係はわたしよ、わたしがやったとでも言うつもり?」


 汞銀河も泰野洽湖も、飽くまでシラを切る気ね……シシちゃんに毒を盛る『動機』がある奴って、目の敵にしてたこの二人しか居ないのよ。


『学歴コンプレックスか。あるある』


 わ、お兄ちゃん?


 またぞろポケットの中でぶつぶつ呟き始めるお兄ちゃんの美声が、私の鼓膜をくすぐった。慌ててポケットに手を突っ込んで、スマホの音量を調節する。


『あいにく「学歴コンプレックス」は、正式な心理学用語ではないけどね。ブラコンやショタコンと同じ俗語だ』


 へ~、そうなんだ。


 一般名詞として定着してるから、専門用語との区別が付きにくいな~。


『しかし現実に、学歴の格差から心身を病む患者は実在する。心理相談の事例も結構あるね、あるある』


 汞銀河の心痛は、そこに端を発してる――。


 だとしても、毒をどうやって盛ったんだろ~? そしてそれを、どうやってシシちゃんに選ばせたのかな?


『話を暴露した泰野洽湖さんも、相当に心を病んでるよ』


 えっ?


『泰野さんは男性へ依存し過ぎてる。これまた心理学の俗語で「シンデレラ・コンプレックス」と呼ばれる症状があるんだよ。あるある』


 シンデレラ・コンプレックス?


 童話で有名な、あのシンデレラ?


『シンデレラは白馬の王子に憧れて、自分を幸せにしてもらうべく求愛する……そこから転じて、男性の財力や魅力にすがり、寄生してしまう女性の異常心理を指すようになったのさ。あるある』


 ま、まるでシンデレラが依存症みたいな言い方してる……。


 けど確かに泰野洽湖って、やたら汞銀河にベッタリしてた。惚れた男に付いてくって言えば聞こえは良いけど、依存してるとも言える。アルバイト先まで彼氏と同じなんて、相当な入れ込みっぷりよ。


 さすがお兄ちゃん、心理の洞察はお母さん譲りだわ。


『男性に身をゆだねるあまり、バイト先も一緒にして、接客話術やレイアウト変更まで提案するなんて、見上げた依存心だよ。シンデレラ・コンプレックスと学歴コンプレックス……これが事件を解く鍵だね。よくある、よくある』




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