1――緑の公民館へ(後)


 ――な~んて安請け合いしたのが運の尽きだったわ。


 防寒具コートを羽織った私が、はるばる商店街の外れにある公民館を訪ねたら(緑一色グリーンの外壁が目立つから迷わず着いた)、とんでもない刺客が待ち受けてたの。


「――あら、ルイじゃない――」


「げ。おきなぎさ!」


 そう。


 奴よ。


 つい先日、病院で知り合った犬猿――というか女狐――もとい不倶戴天ふぐたいてんの敵が、しれっと自治会に来てるじゃないのよっ。


 ばったり鉢合わせた私たちは、片や微笑みを浮かべ、片や飛びのく勢いでのけぞったものよ。もちろん私が後者。


「どどどど~して沖渚がここに居るのっ!」


「――あたしのことは『シシちゃん』と呼んでよ――」


 そのニックネーム、まだ覚えてたのか。気に入ってんじゃないわよ馬鹿ッ。


「い~から私の質問に答えなさいよ!」


「――理由なんて簡単よ――あたしはお金に困ってる。自治会を手伝えばアルバイト代が出るらしいから来た――それだけ」


 そっか……お金も出るんだった。


「――それに、親戚のおばさんに誘われたしね――」


「親戚?」


「そう――あれよ」


 公民館の講堂を指差した沖渚は、片隅の更衣室から出て来た一人の女性に近付いてく。


 あ、顔立ちが似てる。なるほど親戚のおばさんね。


「――あたしん家、今、ママが倒れて大変でしょ――だから、おばさんが様子を見に来てくれてるのよ――」


 はは~ん、その一環で、自治会のイベントにも駆り出されたってわけね。


 更衣室からは続々と、都合四名の中年女性が出て来たわ。いずれも年代はアラフォー、三〇後半~四〇前半のオバサン連中よ。


 うちのお母さんも四〇そこそこだから、おおむね同年代の主婦層が参加してると思って良いのかしら。若い私たちが浮いちゃってるな~。


「――おばさん、こんにちは」


 沖渚が挨拶すると、その人――地味なモノトーンのセーターとロングスカートを着てる――もまた幸薄そうなしわのよった笑顔を、ぎこちなく返した。


 何本か白髪も垣間見える。


「あら、渚ちゃん、来てくれたのね。そっちの子は?」


「――あたしの友達」


「誰が友達よ、誰がっ!」


 私は即座に否定したけど、沖渚は全く訂正しない。も~、やってらんないっ。


 親戚のおばさんはさらにしわを刻んで微笑んだ。


「あら、そう。お友達なのね。私は水島みずしま沙代さよ。渚ちゃんの叔母おばです。よろしくね?」


 水島?


 苗字が違うのか~。結婚とかで変わっちゃう人多いもんね。


「お友達も自治会の手伝いに?」


「え~と、私はお母さんの代理で来た湯島って言います~」


「まぁ、湯島さんの!」


 水島おばさん、目を丸めてる。


 そりゃそ~か、私ん家と沖渚ん家は因縁が深いもんね。親戚の水島おばさんも聞き及んでるに決まってるわ。


「お母さんも仮装行列に参列する予定だったんですけど、私が代役で来ました~」


「そ、そうだったのね。あらあらどうしましょう。えっと、自治会の皆さーん、湯島さんの娘さんが代理にいらっしゃいまし…………ぁうっ!」


 あ、こけた。


 この人もそそっかしいんだな~。


 私の素姓を知って焦りが生じたんだろうけど、おろおろした挙句に尻餅つく醜態は、とても大人とは思えない。視線も泳いでるし、足下もおぼつかない。


「嫌ねぇ、何転んでるのよ水島さん」


 そこへ、別の中年女性が手を差し伸べたわ。


 小柄だけど気さくそうな、おしゃべり好きな雰囲気の人。


 水島おばさんはそれでも手を掴み損ねてバタバタもがいてたけど、しばらくしてようやく手を握り返し、よろよろと引き起こしてもらった。


「あ、ありがとうございます、丹羽にわさん……」


 丹羽?


 どこかで聞いたような……って、お兄ちゃんが話してた『お丹羽、外』の名前とかぶってるんだわ。偶然の一致ってあるのね。


「いいのよ別に。水島さんっていつもトロいしドジだし、いいカモだもの」


「は、はぁ……」


「だからハイ、助け起こした謝礼金、ちょうだいね」


 へ?


 ずけずけと言い放った丹羽さんは、水島おばさんに容赦なくてのひらを伸ばした。


 小島おばさんは暫時ためらったけど、根負けして千円札を懐中から献上したわ。


 ええ~っ!


 転んだ人を起こしただけで、千円も取るのっ?


 ていうか大人しく従う水島おばさんも情けなくない?


「――おばさん、大丈夫なの――?」


 沖渚も眉をひそめたけど、当の水島おばさんが手で制したせいで、何も出来ない。


 き、キナ臭いな~。


 丹羽さんは千円札をポケットに片付けると、何事もなかったかのように号令をかけた。


「さぁ、今日の節分お化けも張り切って行きましょうか! あなたが湯島さんね?」


「は、はい。娘のルイって言います~」


「あなたは黄鬼の着ぐるみを着てちょうだい。更衣室の中にあるから、確認して来て」


「判りました~」


「で、私が赤鬼。グズな水島さんは緑鬼がお似合いよ」


「あ、はい……」


 水島おばさんが気の弱い返事をよこす。いちいち悪口言われてる……。


 丹羽さんは私の視線などお構いなしに、他の中年女性たちへ役を割り振ってく。


「青鬼は滋賀しがさんね。滋賀さーん? 滋賀温子あつこさん!」


「はいヨー」


 けだるそうに返事したのは、講堂のかどでスマホをいじってる主婦だった。


 化粧の濃い、ケバめの女性。若く見せてるけど四〇超えてそう。語尾を半音上げて斜に構えてる。


「最後の黒鬼役は香川かがわさん、お願いね」


「…………」こくこく。


 無言で相槌を打つ、影の薄い女性が居たわ。物陰に。


 更衣室のドアの後ろからそ~っと顔半分だけ出して、こっちを観察してるの。き、気味悪いんだけど……どこの根暗キャラよ。


「あれ? じゃ~沖渚は何するの?」


 私は並び立つ仇敵へ睨みを利かせたわ。


 すると沖渚はしれっとした表情で、私の手を引いて更衣室のドアをくぐるの。


「――ここには鬼だけじゃなく、鬼を退治するヒーロー役の着ぐるみもあるのよ――」


「は? ヒーロー?」


 入室したそこには、なるほど桃太郎や一寸法師をかたどったと着ぐるみが飾られてた。


 鬼の着ぐるみはその後ろにある。


 ヒーロー役もあったのか~。私、鬼役なんて貧乏くじを引かされちゃった?


「わ! 湯島さんじゃん!」


「はひ?」


 その一寸法師を今まさに着ようとしてたのは、意外なことに私の級友だった。


増場ますば美憐みれんちゃんっ!」


「僕も居るぞ」


「アホ……じゃなかった、阿保渡あぼわたるくん!」


 桃太郎に袖を通そうとしてた男子もまた、私のクラスメイトだった。


 美憐ちゃんと阿保くんは、別の事件(第四幕)でも同席したことがあったわね。二人とも美術部で、色彩関連に異様な知識を持ってたっけ。


「って、男子も一緒に着替えるの~?」


「僕が先に着替えて退室してから、女子の着替える番だ。僕を変態扱いするな」


 阿保くんが桃太郎の着ぐるみをすっぽりとかぶった。


 そしたらすかさず美憐ちゃんが、阿保くんを横から睨み付けたわ。


「阿保くんは変態でしょ。隙あらばあたしのパンツ覗こうとするくせに!」


「そんな真似はしていない。僕はただ着ぐるみを確認すべく身をかがめたり座り込んだりしたときに、たまたま美憐をローアングルから見上げる機会があっただけだ」


「わざとでしょ変態!」


「心外だな。興奮作用のある赤い下着ばかり穿いているせいで頭に血が昇りやすいのか」


「ムキーッ、やっぱり見てるじゃないのよ!」


 あ~、また痴話喧嘩が始まった……この二人、本人は否定してるけどすっかり夫婦じみてるのよね。


 ぎゃ~ぎゃ~わめきながら阿保くんが退室し、やっと女子の着替えが始まったわ。


「――あたしはこれを着る」


 沖渚が着ぐるみのチャックを下ろしたのは、何と金太郎だった。


「ほぇ? 金太郎って鬼退治するっけ?」


「――金太郎は、のちの坂田さかた金時きんとき――平安最強の悪鬼・酒呑童子しゅてんどうじを討伐する有名な武士の一人よ――」


 へ~。私、あんまりおとぎ話って知らないのよね。


 お兄ちゃんなら知ってそう。あとで電話してみようかな。


「はい! みんな早く着替えて!」


 バタンとドアが開け放たれて、丹羽さんが元気よく立ち入った。


 う、うるさいな~。振り向くと、水島おばさんたちもドヤされて次々と足を踏み込んで来る。きりきり動かないと丹羽さんにケツを叩かれるって感じ。


「ええと、私は緑鬼でしたよね」


 水島おばさんは戸惑いながら、おずおずと着ぐるみに手を伸ばす。


 でも、それは緑鬼とは全く違う、赤鬼の着ぐるみだったわ。


「ちょい待ちドジ水島、それは赤鬼よ! 緑はこっち!」


 たちまち丹羽さんに噛み付かれて、またしても水島おばさんは委縮しちゃった。


 たどたどしく緑鬼の着ぐるみを押し付けられる。もちろん、叱られるたびに千円札をむしり取られてたわ。


 うわ~、いちいち金銭を引き合いに出されるのって感じ悪い……。


 水島おばさんはしきりに頭を下げてる。


「ごめんなさいね、私、乱視らんしなもので間違えやすいの。足下もおぼつかないし」


「いいから着替えなさいよトロ臭いわね!」


 水島おばさん、目が不自由なのか~。


 丹羽さんはその弱みに付け込んで、白昼堂々とカツアゲしてるのね……。


 見かねた私は着替える手を止めて、丹羽さんに食ってかかろうとした。あいにくそれは叶わなかったけど。だって、沖渚が私の肩を押さえて制したんだもの。


「――雑音は気にせず、気楽に行きましょ、ルイ――」


「ど~してよ? ていうか、私のこと気安く呼ばないでくんない?」


「――何照れてるのよ――」


「照れてな~いっ!」


 駄目だこいつ、早く何とかしないと……。


「――仮装行列は商店街を巡るだけだから、すぐ終わるわ――たった少しの辛抱よ――だから穏便に済ませましょ――」


 え~? あなたの親戚がお金を恐喝されてるのに、よくそんなこと言えるわね。


 見事に曲者ばかり出揃う中、節分が幕を開けたわ……も~、嫌な予感しかしないっ。




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