3――機関室へ(前)
3.
それから半刻。
う~。まだ頭がクラクラする……どうにか気絶は免れたものの
「やぁやぁ。またお会いしちゃったねぇ、湯島さん方」
私たちとすっかり顔なじみになった、キャリア組の刑事さん。今は所轄に出向して現場経験を積んでる最中なんだって。将来は本庁勤めになるんだろうな~。
こんな夜中だってのに、相変わらず紫一色のラメ入りスーツを派手に着てる。おかげで私、すっかり目が覚めちゃった。本当は寝たいのに、周りがそれを許さないの。
「……出来れば、こんな再会はしたくなかったですね……」
騒ぎを聞いて来たお母さんも、頭に手を当ててるわ。
そりゃそうよね。三船さんと言えば、ここに居ない私たちの親戚・
って、駄目駄目! 感傷に浸ってたら、ますます暗く沈んじゃう。
「で、だ」
気を取り直した三船さんが、改めて事件現場――風車塔の機関室――を眺め回すの。
すでに鑑識課の人たちが青い作業服姿で行き交ってるわ。
外の階段付近では、強行犯係の刑事さんたちが、清一さんやお兄ちゃんを呼び出して聞き込みを行なってる。
私もお兄ちゃんの隣に居たいけど、貧血になったせいで別々にされちゃった。く~、ムカつく。私とお兄ちゃんを引き裂くなんて、天に唾を吐くような暴挙だと思わない?
「とりあえず変死体発見ってことで、俺たち強行犯係に声がかかったんですけども、他殺体と判明すれば捜査本部も設置されると思います。他殺体なら、ね」
三船さん、何やら意味深長に言い含んでる。
んん? 矢川さんは心臓を刺されてたのよ? どう見ても他殺でしょ?
「君、ルイちゃんだったっけ、そろそろ喋れるようになったかな?」
「ひょっとして、私の回復を待ってたんですか?」
「そういうことだねぇ。さっそく聞きたいんだけど、死体を発見した当時って、他殺とは言えない状況だったと思わないかな?」
「え? ……あ! そっか!」
そうよ。私はさっき、スマホで写真を撮ったじゃないの!
――靴跡一つない、真っ白な雪景色を。
「風車塔周辺の雪原は、靴跡が全然なかったです。このスマホ画像が証拠です~!」
「てことは、他殺ではないねぇ」さっそくメモを取る三船さん。「仮に他殺なら、犯人の出入りした足跡が残るはずだ。なのに、なかった」
「……いわゆる『雪密室』ね……」
お母さん、両肘を抱え込むようにして、考え込んでる。
そう――『雪密室』。
これも、古典的な推理モノとかによく出るんだっけ?
「死亡推定時刻の頃、すでに雪は止んでいた」ボールペンをくるくる回す三船さん。「つまり、あとから雪が積もって靴跡を消したわけではない。矢川さんは自殺で確定だ」
「けど、こんな自殺の仕方、聞いたことないっ」
私、思わずむくれちゃった。
素人知識だけど、自殺って普通は首を吊るとか、高い所から飛び降りるとかでしょ?
刃物を使うにしても、手首や頸動脈を切る方が手頃なやり方よ。
心臓を自分で刺すって、あんまりなくない?
「その死体についてだけど――」
三船さんがもう一度、矢川さんの死体へ身を翻したわ。
そこには強行犯係の若い刑事さん――こっちは地味なグレーのツーピーススーツを着てる――が座り込んでて、鑑識の人とブツブツ囁き合ってる。
情報交換でもしてるのかな?
その刑事は、三船さんの視線に気付くなり、すたすたと俊敏に歩み寄って来たわ。
もしかして、泉水さんの代わりに補充された新顔の刑事さん?
髪を短く刈り込んだ、ベリーショートの坊主頭が印象的よ。見た目はまだ二〇代前半って所かな。捜査官としては荒削りな、場慣れせず浮き足立ってる雰囲気。
「三船主任! 見て下さいよ! これ、これ!」
「
たしなめる三船さんは、それでも彼――浜里さん――の持って来た情報に耳を傾ける。
巡査部長なのね。階級としては警部補の下だけど、私服捜査官になれる程度には実績を積んでる。
「すみません! 死体の異状を報告しますね! 死後硬直・死斑ともに出始めたばかりです! さらに! あの死体って、包丁と左胸の間に、厚手のタオルが挟んであります!」
「……タオル……?」
お母さんが聞き耳を立てたわ。
私も顔を死体に向ける。うっ……見てて気持ち良いもんじゃないわね……おぇっ。
本当だわ。死体は包丁で左胸を刺される際、胸板の上にタオルを一枚介してるの。出血は全て、そのタオルが吸収してる。
おかげで返り血が飛び散らずに済んでるって寸法よ。
「ずいぶんと几帳面な自殺だねぇ」
解せない、って風体で、ボールペンの芯をカチカチと出し入れする三船さん……あ、これ相当イライラしてる仕草だわ。
それもそうよね、自殺にしては変なことが多いもん。
「室内に鮮血が飛散しないよう、タオルをかぶせたわけだ。どう思う、浜里巡査部長?」
「はい! 不肖、この浜里
「うん、まぁそう邪推するよねぇ」
「これから自刃する人が、室内の汚れを心配するとも考えにくいです! だったら違う方法で死ぬでしょ! くーっ燃えますねこれ! 犯人と警察の高度な推理合戦ですよ!」
な、何か知らないけど、一人で盛り上がってるわね……。
けど、言ってることは頷けるわ。自殺のくせに、周りに気を遣いすぎてるのよ。
「あとですね! 包丁の刺し込み角度が、妙なんですよ!」
「妙って、どんな?」
「向かって左側から、斜めに心臓を刺してるんです! ホトケ側から見ると、右ななめですね! つまり、正面から刺したんじゃなく、傾いた状態で胸部をえぐってるんです!」
「ななめに刃物を挿入……」
「ね! ね! これが覚悟の自殺だったら、きちんと真上から刺すじゃないですか? てことは、第三者と乱闘になってまっすぐ刺せなかったとか、後ろから襲われて、振り向きざまの不安定な姿勢で刺されたとか、他殺の可能性が出ますよね!」
「そこは細かく検証したい所だねぇ」
「それともう一つ! あっ鑑識さん、それ貸して!」
浜里さん、死体をいじってた鑑識課の捜査員から、小さなビニール袋を受け取ったわ。
そこには一本の糸くずが収まってるの。
黒い、洋服の糸切れ。
「これがホトケの左手に握られてたんですよ! 黒い糸! けどホトケさん、白い作業服なんですよ! インナーも白シャツにブリーフです。黒い糸を握る事由がないんです!」
確かに矢川さん、ず~っと白い作業服を着っ放しだったわね。
塔内は外と違ってエアコンが効いてるから、厚着も一切してなかったし。
「加害者と揉み合いになって、服を掴んだときに糸が千切れたとか?」
「それ! きっとそれですよ三船主任!」
浜里さんが拍手喝采してる。
大袈裟だな~。この人、いちいち賑やかよね。よく警察が務まるなぁ――。
「うっうっ、矢川さん、どうしてこんなことに……」
――そのとき、ようやく湧子さんが機関室に顔を出したの。
清一さんが気付いて、そばに寄り添う。夫婦で肩を支え合い、刑事さんに会釈してから、並んで事情聴取を受け始めたわ。
「湧子さん、気分悪そう~」
「……今まで別室で横になっていたそうよ……矢川さんの悲報が
お母さん、痛ましそうに呟いてる。
ペンション経営者にとって、風車塔の管理人はパートナーだもん、そりゃ~悲しむわ。
(湧子さんは特に、矢川さんの身の回りの世話まで親身にやってたって聞いたし)
食事や洗濯を請け負って、献身的に奉仕してたんだっけ。
自らの時間を割いてまで――そのせいで旦那さんと剣呑になってまで――他人に従事するなんて、これもメサイヤ・コンプレックスの片鱗かな?
「あるある、やたら劇的に悲しむ人ほど怪しい、よくある」
「!」
お兄ちゃんが、私のそばに戻って来たわ。
警察の聴き取りから解放されたのね、お兄ちゃん!
寂しかった私は、速攻で胸に飛び込んじゃった。何やら物騒なこと告げてるけど。
「ね~お兄ちゃん、今の言葉ってどういうこと?」
「言ったままの意味さ。この事件が他殺なら、容疑者は吹屋夫婦の二人しか居ない」
「え! ……あ~、言われてみればそうね」
私、罰が悪そうに周囲を見回したわ。
そばに立つお母さんと浜里さんが、興味深そうにお兄ちゃんを見つめてる。
「他殺の場合は、だけどねぇ」メモ帳にボールペンを当てる三船さん。「君たち湯島家は、巻き込まれただけの部外者だ。残る嫌疑は、あの夫婦だけだねぇ」
「……そんな……わたしは認められないわ……」
お母さんが頭ごなしに否定してる。当然よね、吹屋夫婦とは旧知の仲だもん。
「あの夫婦の、どちらかが殺したとしたら!」いちいち声を張り上げる浜里さん。「すぐにでも署へ連行して、尋問するべきですよ!」
「と言っても、現場は『雪密室』だったからねぇ。不可能犯罪だ。慎重に行こう」
三船さん、至って冷静だわ。
以前は泉水さんに頼ってたけど、今は自分一人で現場を仕切らなきゃいけないんだもんね。指揮官としての重圧が段違いなんだわ。やるじゃ~ん。
「いっそ、科捜研を呼ぼうかなぁ」
三船さん、用心深い余り、新たな要請を思い付いてた。
科捜研?
「……科学捜査研究所の略称ね……」お母さんの解説。「……犯罪調査を専門とする研究職よ……主に警察からの依頼で、物証の解析や心理分析を請け負っているの……」
「心理分析~?」
私、目を丸めちゃった。
そんなことまでやってるんだ? 科学の範疇なのね、心理分析も……。
三船さんがニヤリとほくそ笑む。
「その通り。被疑者が二人だけなら、手っ取り早く科捜研にお願いするのも手だと思ってねぇ。まずは現場に呼んで、状況を判断してもらおうかな」
「……わたしは、自殺だと思いますけどね……」
吹屋夫婦を信じたいお母さんが、首を横に振り続けたわ。
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