3――四〇四号室へ(後)



「では、皆さんの、顔ぶれが、出そろった所で、状況を、確認、しましょうか」


 津波さんは一言ずつ確認するように口上を述べると、ナースステーションから四〇四号室までを何度も往復し始めたわ。


 点滴の交換が近くなると、師長が保管庫から点滴袋を出して、机に置いておく。それを担当看護師が病室まで運んで、室内で交換するっていう流れを、当事者が再現してる。


「ね~お兄ちゃん、ケータイ小説の終盤に、三人の動機や犯罪心理が列挙されてたよね。そこからおおまかに真犯人を類推できないかな?」


『出来るとは思うよ。ただ、作者も特定しきれてないせいか、三人とも動機があるように書かれてる。みんなして主人公を狙ってる、疑心暗鬼が前面に出てるね。そのせいで、類推は出来ても確定ではない。だから現場検証が必要なのさ』


 てことは、また時間がかかるのかな~……。


 作中だと、少女を狙う三名のゾンビが、克明に内面描写されてるのよね。


 代理によるミュンヒハウゼン症候群とか、死の天使型に至る心理状態とか。これ、まんま実在のモデルをトレースしてるっぽい。


 それは警察も一読して気付くだろうけど……。


「状況だけ、申し上げると、霧原さんと、雲村さんが、疑われやすい、ですね」


「なっ」


「言いがかりです!」


 当然、指名された二人は声を荒げたわ。


 看護師と師長さん、現役のナースだもんね。職場で妙な疑惑を持たれたら居心地悪いに決まってる。


 でも客観的に見て、点滴に細工しやすい現職の人間が怪しいのも事実なわけで――。


 それに津波さんは「疑われやすい」と言っただけで、まだ確信はしてないっぽい。


「点滴を、在庫から、取り出せる者。点滴を、持ち運んで、取り付ける者。細工を、出来るのは、この二人が、有力です。ましてや、筋弛緩剤を、入手するのは、病院の、勤務者が、最も、やりやすいです」


「本当に院内の筋弛緩剤が用いられたんですか?」


「それについては! 不肖、この浜里漁助りょうすけが! ご報告しますよ!」


 けたたましく割り込んで来た浜里さんのせいで、みんな耳を塞いじゃう。とても報告を聴くような仕草じゃないけど、仕方ないわよね……だって、うるさいんだもん。


「病院内を聞き込みして回ったんですけどね! 筋弛緩剤サクシニルコリンの使用量と管理記録を見せてもらったんですよ! そしたら、割とどんぶり勘定というか、箱単位や瓶単位の大雑把な記帳しかなく、いくらかくすねても露見しづらい状態でした!」


「そりゃあ、使用時の患者や容態によって、消費量は増減しますから、大体このくらい使ったという記録になりがちです。精密に記録している病院の方が少ないんじゃないですかね」


 師長さんが弁明してる。


 ま~、そういうもんかぁ。なくなり次第仕入れる、みたいな管理なんだろうな~。


「じゃあ院内に! 監視カメラや防犯カメラは付いてないんですか!」


 浜里さんが問い詰めると、やっぱり師長さんが顔を曇らせちゃう。


「病院は患者たちのプライバシーもあるんで、そこら中に監視カメラを設置するわけには行かないんです。防犯カメラがあるのは、医局やナースステーションなどの要所や、病棟の出入口くらいですね」


「そもそも、筋弛緩剤なんて市販もされてるじゃないですかぁ?」


 割って入ったのは、池野雪絵さん――患者の母親――だったわ。


 現場検証が馬鹿馬鹿しいと斜に構えた風体で、業を煮やしたみたい。とにかくイチャモンを付けたい負の感情が顔に浮き出てる。


「私も兼ねてから娘の看病をし過ぎて、肩こりや腰痛に悩まされてましてねぇ。筋弛緩剤を買っていますよぉ?」


「確かに、筋弛緩剤そのものは、肩こりや、腰痛などの、お薬としても、市販されて、いますね」


 津波さんのメガネが曇る。


 池野ママは勢い込んで「ほらご覧なさい」とまくし立てようとしたけど、直前に手で遮られちゃった。


「ですが、サクシニルコリンは、即効性かつ、数分で、効果が、切れてしまいます。よって、肩こりの、薬に、含まれる、成分は、長期間、効く、クロルゾキサゾン、などです」


「あらぁ、じゃあ違うのねぇ」


「とはいえ、池野さん、あなたも、サクシニルコリンを、入手する、手段は、あります」


「……あら?」


「あなたは、肩こりに、悩まされていた、そうですね」


「えぇ。この病院にもかかりつけの整形外科が居て、筋弛緩剤を注射してもらっていますもの。そのついでに、ボンクラ娘の見舞いにも顔を出しているのです」


「…………っ」


 ボンクラって言われた瞬間、氷雨さんの表情が微妙に歪む。


 まぁ人目もはばからず家族に罵倒されたら、良い気分はしないわね。


「その気苦労が祟って、躁鬱病にもなりかけたことがあるんですよ。精神科のお世話にもなりましたもの。これほど献身的な母である私を、周りはもっと気遣うべきですわぁ」


 せ、精神科ですって?


「それ、です」


「はぁ?」


 びし、と津波さんが指差したわ。


「筋弛緩剤を、医者から、処方された際、こっそり、泥棒する、という手も、あります」


「はぁ? そんなことしていませんし!」


「あなたは、今、自ら告白したように、お子さんを、ダシにして、周囲から同情を、買おうと、しましたね」


 あ~……『代理によるミュンヒハウゼン症候群』ってやつ? 小説にあったわ。


「そうした、心の病は、躁鬱病や、統合失調症に、端を、発します。それらを、治す、手段として、精神科には『電気けいれん療法』という、特殊な治療が、存在します。その施術には、サクシニルコリンが、投与されます」


「私が精神科にかかったときに、それをネコババしたって言うのぉ? 無茶言わないで」


「可能性を、述べてみた、だけです」


「どうだか……」


 うわ~、池野ママ、津波さんのこと睨んでる。


 めっちゃ殺気立ってるよ~。


 けど、池野ママが怪しいのは、小説にも出て来たわね。白とは言い切れない。


 ふと氷雨さんを見てみると、彼女もギュッと頬骨に力を込めてた。やがて意を決したように、口角泡飛ばす勢いで告発し始めたの。


「あたし、本当は病気じゃないんです! ママの言いなりで『代理によるミュンヒハウゼン症候群』の被害に遭ってたんです!」


 ついに言っちゃった。


 これには池野ママも血相を変えてる。


「この馬鹿娘ぇ! 何を言っているの――」


「ママは最初、ペット好きな母親を演じてました。それが徐々にエスカレートして、飼い犬を不治の病に仕立てて安楽死させ……次は人間のあたしにも牙を剥いたんです!」


「嘘よ、嘘! 娘の虚言です!」


「ママがあることないこと医者に訴えて、あたしも入院させられました。でも、何度も繰り返せば、さすがに医者からも疑われます……だからママは、あたしをべく、異物や毒物に手を出そうとしたんです!」


「ケータイ小説通りの記述だったわけね」


 新任看護師の霧原さんが、同情するように相槌を打ったわ。


 え、この人も小説に目を通してたんだ?


「あたしもオブザデッド系のホラーが好きなんで」肩をすくめる霧原さん。「この小説のこと密かに『デジャブ』だなーって感じていたんだけど、現実の出来事に重ね過ぎていたせいだったのね」


「え? えぇ……そう、ですね」


 霧原さんに予想外の反応をもらって、氷雨さんも戸惑ってるみたい?


 そりゃそうよね。霧原さんに関しても『死の天使』の犯罪心理をふんだんに書き込みまくってるんだもん、異議を唱えられないか心臓バクバクじゃない?


「大体、把握できました」踵を返す津波さん。「ひとまず、本日は、もう、遅いので、いったん、お開きと、しましょう。三船さん、この件は、持ち帰らせて、下さい」


「へぇ、珍しいねぇ。津波さんが宿題にするなんて」


「いえ。恐らく、すぐに、終わると、思います。ほんの少し、預かるだけ、です」


「?」


 津波さんの真意が読めず、三船さんは口を閉ざしたわ。


 そんなことよりも、あ~、やっと解散した~。そっちの方が何倍も朗報だわ。


 事件なんて即日解決する方が稀なんだし、これが普通よね。私も帰って良いのよね?


「は~。もしもしお兄ちゃん、今から帰るね! 私おなか空いちゃったよ~」


『やれやれ。津波さんも人が悪いな。よくあることだけど』


「へ?」


 けど、お兄ちゃんはスマホの向こうで、私よりも津波さんの言動に気を向けてた。私以外の女性を気にかけるの禁止って釘を刺してるのに~。


『まぁ、いったん退くのは良い手だね。この事件は未遂だから、犯人は遠からず、完遂すべく動き出す。証拠がまだ出ない以上、その瞬間を押さえるのが一番か……あるある』




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