3――着付け室へ(後)



 警察犬ですって?


 振り向くと、三船さんが頭を掻きながら苦笑してたわ。


「俺も半信半疑だったんだけどねぇ。津波さんがどうしてもって言うから、所轄から警察犬を一匹、連れて来たよ。さぁ入った入った! どうどうどう」


 三船さんが手招きすると、待ってましたとばかりに外から犬の鳴き声が聞こえたわ。と言っても吠えたりはせず、くーんくーんって囁くような発声が可愛いの。


 警官に縄で引かれたその犬は、まばゆい毛並みのゴールデン・レトリーバーだったわ。


「わぁ! 犬だ! 不肖、この浜里漁助、犬が大好きなんですよ!」


 なぜか浜里さんが真っ先に犬へ飛び付いたけど……。


 何してんのよ、この巡査部長。犬の妨害してる……しかも抱き着いてる。頬ずりまでしてる。犬、迷惑そうにしてる。


「ああ! やっぱりレトリーバーは毛がツヤツヤで良いですね! もふもふ! もふもふ! 名前は何て言うんです? へぇ、パドルくん! 凛々しい!」


「どきなよ、浜里巡査部長」


 三船さんにどつかれて、ようやく浜里さんは警察犬を解放したわ。突き飛ばされて部屋の奥まででんぐり返った彼を無視して、三船さんは一言添える。


「ゴールデン・レトリーバーは、スコットランド原産の大型犬だねぇ。警戒能力は低いけど、臭気の追跡能力に優れているのさ。その嗅覚が評価されて、日本では平成四年から正式に警察犬として登用されたねぇ」


 匂いをかぎ分ける能力が、他の犬より上手ってこと?


 アロマキャンドルや香水だらけの面子で、匂いをたどることが重要なのかな……?


 津波さん、パドルくんの頭を優しく撫でてる。


「淡路さんが、身に覚えのない、ハンドバッグを、盗み出した経緯。それを、今から、犬のパドルくんに、たどって、もらいましょう」


 酒井薫のハンドバッグを、犬に嗅がせる。


 匂いを覚えたパドルくんは、尻尾を振るのを止めて、室内の畳に鼻を利かせ始めたわ。


 クンクンとそこら中を嗅ぎ回ると、やがて酒井薫のボストンバッグへ接近するの。


 そう、まずはそこからよね。


 そこに入ってたハンドバッグが、いかにして淡路さんの紙袋へ移動したのか――。


「くーんくーん」


 パドルくんは小さくいななきながら、隣の紙袋へ……は行かなかった。


「あれっ?」


 紙袋をスルーして、浅本さんのアタッシュケースを嗅ぎ始めたじゃないのよ!


 んん? どういうこと?


 浅本さん、すっかり腰が引けちゃってる。セールスレディの振る舞いが台無しだわ。


「くぅーん」


 パドルくんはアタッシュケースから離れて、ようやく淡路さんの紙袋に到達したの。


「判りましたか?」澄まし顔の津波さん。「ハンドバッグは、いったん、浅本さんの、アタッシュケースへ、盗まれました。その後、淡路さんの、紙袋へ、隠されたのです」


「どうしてよぉー!」


 なおも淡路さんが噛み付いてる。


 わけ判んないわよね。経緯だけ示されても、それを埋める心理がなくちゃ意味不明。


「ああ! 全くです! 何がどうなっているのやら!」


 部屋の隅に転がってた浜里さんが、やっと上体を起こしたわ。


 他の刑事さんや鑑識に煙たがられる中、浜里さんは畳に膝を立てようとして――。




「あれっ! 何だ、この布は!」




 ――足下に落ちてた何かを、高々と拾い上げたの。


 ん?


 布?


「変わった布だなぁ! 三角形で、今年の干支がプリントされている!」


 ……干支ですって?


「まるで足を通すような穴が二つ空いている! 腰に穿く穴もある! もしやこれは、女性用のパンツじゃないか!」


 ちょちょちょちょっと待って!


 干支のパンツって!


 今頃になって、私は気付いたわ。ていうか、今までどうして気付かなかったの、私!


 たちまち私の股下が、涼しさに見舞われたわ。それは決して、冬のせいじゃない。


「私、パンツ穿き忘れてる……」


 私の馬鹿~っ!


 和服を着るとき下着を脱いで、初詣のあと、私服に着替え直したとき――。


(私、急いで着替えたから、下着をうっかり穿き忘れてたんだわ!)


 パンツ、この部屋に出しっ放しだったんだ……。


 どどどどどうしよう。さっき私、店頭でスカートめくれて転んじゃったじゃないの!


「お、お兄ちゃん、さっき私のスカートめくれたとき、見ちゃった?」


「穿いてないものは、見えないよ」


「そうじゃなくて! 逆よ逆! 私のあられもないノーパン姿を見ちゃったの?」


「コメントは控えるよ。こういう台詞、よくある」


 ああああああああっ!


 私、もうお嫁に行けない……いや、お兄ちゃんの内縁の妻になる予定だから、別に構わないけど……って、そんなことはどうでもいいのよ!


(あれ? そうなると、ちょっと違和感が……)


 私は浜里さんからパンツを奪い取ると、脳裡に引っかかりを覚えたの。


 うまく言えないけど、つじつまの合わないことがあったような……?


「駄目ですよ! そのパンツも現場の遺留品なので、警察が預かります!」


 そんな、殺生な……私、浜里さんのこと一生恨むわ。


「そこ、うるさいですよ」


 津波さんが再び介入したわ。


 私たちをたしなめると、こほんと咳払いして一同を見回す。


「謎が、解けましたね」


 は? ちっとも解けてない気がするけど……と思いきや、お兄ちゃんもお母さんも、神妙な顔色で津波さんの発言を呑み込んでる。え、え、本当に解決したの?


「わたくし、津波澄子の、推察に、よれば――」


 ごくり……。


 私、つばを飲み込む。みんなも固唾を呑んで津波さんを見守る。


「これは、事故です」


「へ?」


「酒井薫さんの、死亡に、関しては、事件性が、ありません」


 はぁ~?


 私、柄にもなくしかつめらしい剣幕をかたどったわ。


 何それ、意味判んない。


 どういうことなの……?




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