2――グレート・マザーの保健室へ(前)

   2.




「はぁ~……もしもし、お兄ちゃん? 死体発見で急遽、学校が休校になっちゃったんだけど、生徒の中で私だけ帰れないみたい~」


『なんでまたルイだけが』


「ほら、私、首吊り死体を目の当たりにしたでしょ? だから気分が悪くなって、先生たちに見付かっちゃって……おぇっぷ」


『こらこら、吐くな。汚い』


「うぇぇ。ひどいよ~お兄ちゃん、そこは可愛い妹を慰める所でしょ? もっといたわってよぉ、背中さすってよぉ。服を脱がして温めてよぉ。私はいつでもウェルカムよ!」


『電話越しに出来るわけないだろうに』


「ひぃ~ん。それで今、保健室で横になってるの。体調が回復したら、警察に事情聴取もされるみたい」


『警察か。ルイ一人で大丈夫かい?』


「お母さんが迎えに来るみたいなこと言ってたわ。仕事を抜け出して来るって。あと、ひとまず変死体発見ってことで、警察は強行犯係の泉水いずみおばさんが来てる」


『おばさん呼ばわりはやめてあげなよ』


 はぅあ、しまった。


 なかなか言い慣れないのよね、泉水おば……姉さん。


 ともかく、そんな経緯が災いして、私は保健室でぽつねんと寝込んでるわけ。


 寂しくお兄ちゃんに電話しちゃうのも、無理ないよね?


 もう時刻は正午近いし、お腹も空いて来る頃よ。高校は臨時休校、生徒は私を除いて強制下校。反面、先生たちは警察に協力しなきゃいけないから居残ってる。


 他には、ハシゴを貸した用務員とか、学校の責任者である校長とかも――。


『そう言えば、カウンセラーの瀬川先生って、朔間学園の校長と――』



「あら、目が覚めた?」



 ――そんなとき。


 お兄ちゃんの発言を遮るように、瀬川先生が保健室に入って来たわ。


 やたら空元気を装ってるのは多分、気のせいじゃなさそう。本当は憔悴しきってるのに、私の容態をおもんぱかって、わざと明るく振る舞ってるんだわ。さすがカウンセラー。


「あ、はい、おかげさまで」


 私はスマホをポケットに突っ込んで、ゆっくりと起き上がったわ。


 保健室のベッドは二台あって、そのうち一つを使わせてもらってたの。横になってたせいか、ブレザーにしわが付いちゃった。スカートもめくれてパンツ見えてたし。不覚。


 ベッド自体は新品同然で、シーツも毛布も卸し立ての真っ白。対して、もう一台のベッドは誰かが寝起きした痕跡があるわ。よれよれに乱れてる。


 きっと今朝、宇水雫が使ってたのね。毎朝ここに登校して、養護教諭や瀬川先生と話をしてたに違いない。


「あとで保健室の先生も来るわ」にっこりとえくぼを作る瀬川先生。「お昼には、あなたのお母さんも迎えに来るでしょうし、それまでは安静にしてなさい」


「ご迷惑かけちゃって、すみませんでした」


 私、ベッドの上で居住まいを正してから、ぺこんと頭を下げたわ。寝ぐせのついた黒髪が顔にかかっちゃう。ああ~、みっともない。


 慌ててヘアゴムで結び直したわ。お母さんと合流したら、からかわれそう……死体を見て貧血を起こしちゃうなんて。


 でもでも、あんなの誰だってびっくりするじゃない?


 首吊り自殺なんて初めて見たし――。


(ん?)


 ――私、黒髪をたくし上げてうなじをさらしつつ、ぴたりと手を止めた。


(あれって、?)


 準備室は、入口の引き戸が鍵で閉まってて、誰も立ち入れなかったわ。


 言ってみれば――『密室』。


 場所は二階。ハシゴがなきゃ登れない。


 頑張れば壁伝いに這い上がれるかも知れないけど……どうだろ?


「瀬川先生」


 だから私、口をついて出ちゃった。


「なぁに?」


 私の枕元にあったパイプ椅子を広げて、瀬川先生がゆっくり腰かける。


 あ、これはじっくり話を聞いてくれる体勢だわ。さすがはカウンセラー、患者と正しく向かい合う距離感を心得てるって感じ。


 うちのお母さんも臨床心理士と精神科医の免許を持ってるけど、それとはまた別の安心感というか、心の距離を埋める所作に優れてる。


「警察の捜査って今、どんな具合ですか?」


「そんなこと聞くの? 女の子なのに物騒ね」


「あうぅ、いえ、別に猟奇趣味とかがあるわけじゃなくて、そのっ」


 えと、えと、瀬川先生相手だと気軽に口が滑っちゃうっていうか、遠慮なく本心を喋れちゃうっていうか、あうあう。


「まぁいいわ」息を吐く瀬川先生。「目撃した以上、気になるのは当然よね。じきに警察も聞きに来るし、あらかじめ頭に入れた方が心構えも出来そうね」


「は、はいっ。よろしくお願いしますっ」


 ベッドの上に正座しちゃう私だったけど、瀬川先生は面白そうに笑い飛ばしたわ。


 え~、そんなに変な挙動だったかなぁ。私は大真面目なのにっ。


「視聴覚準備室の鍵は、宇水雫ちゃんのポケットから発見されたそうよ」


「ポケットから? てことは――」


「ええ。準備室は密室だったことになるわね。と言っても『仮の密室』だけど」


「仮の……密室?」


「雫ちゃんは窓を開けて、そこから外へ飛び降りて首を吊っていたわ。窓が開いていたということは、厳格には密室ではないわね」


「けど、別棟の二階ですし、ハシゴをかけなきゃ登れないですよ? 第三者が窓から立ち入るのは難しくないですか?」


「そうねぇ」笑顔が消える瀬川先生。「なら、やっぱり自殺かしら……嗚呼、もう」


 瀬川先生、めちゃくちゃ思い詰めてる。


 はわわ、そんな顔しないで下さい~っ。せっかくの美人が台無しですよ~。


「今朝の雫ちゃん、見かけは平静だったけど、内心では焦っていたのかしら。今日はあの子が保健室登校になってから、ちょうど一周年だったのよ」


「丸一年も、ここに通い詰めてたんですか」


「ええ。進級できずに留年しててね。親からも圧力をかけられていたみたい。だから行動を起こしたのかも知れないわ」


「それ超重要じゃないですかっ? 警察には話したんですか?」


「包み隠さず打ち明けたわ。なぜ彼女が燃え尽き症候群になったのか、もね」


「……演劇部の配役争いに負けたから、でしたっけ」


 確か、瀬川先生と沢谷先生がそんな口論をしてた気がする。


 瀬川先生はこくりと首肯した。


「演劇部は去年、オリジナル台本でコンクールに挑んだの。既存の作品じゃなく、独自性に活路を見出したのね。タイトルは『呪詛と仮面』。ジャンルはホラー」


「呪詛と……仮面?」


 何とも暗示的な題名ね。


「学生の間で噂になった不吉な呪詛。亡霊に呪いの仮面をかぶせられると死ぬ、という怪談を巡るパニックものよ。当然、呪いにかかった生徒が次々と死んで行くの」


「うわ~。人を選びそうな台本ですね」


 私、頬が引きつっちゃった。


 コンクールにはふさわしくない題材な気がする……もっと希望に満ちた青春ドラマの方が審査受けしそう。素人考えだけど。


「雫ちゃんは主役を希望したけど、採用されなかったわ。雫ちゃんは、最初に死ぬ名無しの端役モブを押し付けられて、早々に退場。それはそれで重要な役だけどね」


 あちゃ~。


 主役どころか役名さえないなんて、本人にしてみれば屈辱よね……尤も、宇水雫がどれだけ演技がうまかったのかは知らないけど。もしかしたら、分相応だったりして。


「冒頭五分で退場する、呪いの効果を提示するやられ役ね。仮面をかぶせられて、亡霊に取り殺される導入部よ。それっきり回想にも出ない」


「仮面をかぶせられるって所、気になるんですけど……えうぅ、気持ち悪い」


 私は首吊り死体を思い出して、また吐き気を催しちゃう。


 あの死体も変な仮面をかぶってたよね。


 あれって、演劇に使ってた小道具かな?


「警察もそこ、追求して来たわ。お察しの通りよ。端役は仮面をかぶって、呪詛を聞いて発狂し、首を吊って死んでいるのが発見されるの」


「じゃあ宇水雫さんって、台本の役をそのまま再現した、ってことですか?」


「状況だけを見れば、台本の見立てよね」


「見立て……」


「台本では、呪詛をしたためた貼り紙が壁に貼られていて、それを見た雫ちゃんの前に亡霊が現れ、仮面をかぶせるの。そして、亡霊の口から呪詛を連呼されて、発狂する」


 何それ怖い。


 私、ぶるって身震いしちゃった。想像しただけで嫌な気分になるよぉ。


「貼り紙と、呪詛と、仮面か~……呪詛ってどんな言葉なんですか?」


「単純よ――『仮面に呪いあれ』っていう一文」


 呪詛や亡霊の源が、その仮面に宿ってる感じなのかな?


 仮面が重要なギミックなのは間違いなさそう。作品の象徴なんだわ。


「視聴覚準備室は、演劇部の部室でもあるから、劇の小道具や備品も収納されている。雫ちゃんが自殺に使ったロープも、仮面も、演劇の道具を使用している」


「つまり、端役になりきって死んだ、ってことですか?」


「自殺だとしたら、そうなるわね」


 はぁ……けどまぁ、あの状況で他殺って難しいもんね、やっぱ。


「雫ちゃんは、ロープを室内の重量物――本棚とかロッカーとか――に何重にも括り付けてから、自分の首にも巻き付けて、窓から飛び降りたようね。首が締まる間に苦悶したのか、それとも役作りから目が覚めたのか、ロープをほどこうと首筋を引っ掻いた跡が残っていたそうよ。警察が話していたわ」


「うわ~。後悔先に立たず……他に変わった所はなかったんですか?」


「それ以上のことは、さすがに警察に聞かないと――」



警察わたしが何ですって?」



「――わひゃああっ!」


 その直後だったわ。


 タイミングを見計らったみたいに、保健室の戸が開かれたの。


 そこに居たのは、二人の刑事さん。


「泉水おば……姉さん! と、三船みふねさんも!」

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