2――グレート・マザーの保健室へ(後)



「泉水おば……姉さん! と、三船みふねさんも!」


 私、たまらず指差しちゃった。慌てて制服の乱れも正したわ。うぅ~油断してた。


「泪ちゃん、お目覚め? 今おばさんって言おうとしなかった?」


「めめめ滅相もないですっ」


 私は必死にかぶりを振りまくったわ。


 おば……姉さんの目、笑ってない。


 この二人、実ヶ丘署に所属する警部補と警部よ。三船さんの方が階級は上だけど、大卒のキャリア組らしくて、現場経験は少ないみたい。だからもっぱら、おば……姉さんが捜査を仕切ってるって話よ。


『あ、泉水さん来たんだ?』


 ポケットのスマホから、お兄ちゃんが唸る。


 ちゃっかり聞いてたのね。耳ざとい所も素敵。常に情報収集を怠らない勤勉さよね~。


「そろそろルイちゃんが起きる頃だと思って、お話に来たのよ。ねぇ三船くん?」


「その通り!」


 メモ帳とボールペンを構える三船さんは、相変わらず全身紫色の服装だったわ。


 スーツなんてラメ入っててキラキラしてるし。警察とは思えない派手さね……ホストみたい。叱られないのかな? 紫って、色彩心理的に何かあるのかしら?


「一応、簡単に現場の状況を伝えておくと」唇を舌で湿すおば……姉さん。「準備室の引き戸があるでしょ? その内側……つまり密室内の側面に、粘着テープを剥がしたような痕跡が残っていたわ」


「テープを剥がした跡?」


 私はぽかん、と聞き返しちゃう。


「ええ。まだ粘り気がかすかに残っていたわ。つまりこれは、剥がして間もないということ。何が貼られていたのかは断定できないけど、準備室内に居た者が、何かを引っぺがしたのは間違いなさそうね」


 そこまで話した所で、今度は瀬川先生が首を突っ込んで来たわ。


「室内にそれっぽいのは残ってないんですか?」


「なかったんです、これがまた」ボールペンをくるくる回す三船さん。「窓から投げ捨てたとしても、裏庭には何も遺留物がなくて。いやぁ参った参った。きっと、呪詛の貼り紙じゃないかなぁとは睨んでるんですけどね、ええ」


「貼り紙――」


 仮面に呪いあれ、ってフレーズよね。確か。


「演劇と同じ状況なら、呪詛の貼り紙も用意するはずだからねぇ」


「でも、本当に貼ってあったのかは定かじゃないんですよね? 誰も見ていませんもの」


「そうそう。そこなんですよ。窓の外から、誰か中を見ませんでした?」


「さぁ……誰もハシゴには登らなかったので。裏庭に何か落ちていたとしても、首吊り死体にみんな注目していましたし」


「そうですかぁ」


「その後は一一〇番通報して、警官の立ち合いのもとで引き戸を壊し、準備室へ雪崩なだれ込みました。それから、あなたがた実ヶ丘署の強行犯係と鑑識係が訪れました」


 瀬川先生は確認するように呟いてる。


 三船さんはボールペンの回転を止めて、何度も頷いたわ。


「引き戸を壊したとき、先生方が我先にと血相を変えて踏み込んだって聞きましたよ」


「だって、気が気じゃなかったもので。雫ちゃんは大事な生徒だったんですから!」


 ま、それもそうよね。


 私は死体発見と同時に貧血起こしちゃったから、その後の様子は見てないけど、ありありと頭に思い描ける。


 準備室へ雪崩れ込む瀬川先生や沢谷先生か~……現場の保存が大変そう。


「正直言うと、わたしはまだ信じられません」やけに悲しみを強調する瀬川先生。「挫折した原因である端役になりきって自殺するなんて、自分を偽っていたとしか思えません。そう、まるで心理学の『仮面』のように」


「心理学?」


 三船さんがメモの手を休める。


 瀬川先生はカウンセラーらしい知識を添えて、相槌を打ったわ。


「呪詛の仮面は、ペルソナなんですよ」


 ぺるそな?


『ペルソナ……心理学用語で、そのまんま仮面っていう意味だね』


 スマホの向こうで、お兄ちゃんがうそぶいてる。


 心理学用語かぁ~……演劇の台本と、奇妙に符合してるわね。


 ただの偶然かな? それとも、何かの見立て?


『本性を隠すためにこしらえた、上っ面の人格を仮面ペルソナって言うのさ。外聞を取り繕うための営業スマイルとか、猫を被るとかだね。あるある』


 お兄ちゃんが淡々と美声を紡ぐ。


 電話越しなのに耳が孕むわ~。下腹部がうずいて、両脚をモジモジさせちゃう。


「宇水雫にとって、役作りは自分を偽るペルソナだったってことかな~?」


「そうね、泪ちゃん」目が潤む瀬川先生。「そうやって、自分をごまかしてまで行動するなんて、普通の燃え尽き症候群とは違うわね。やっぱり演劇部への恨み辛みが爆発したのかしら? 一周年という日に、スイッチが入ったのかも知れないわ!」


 瀬川先生ってば、だんだん熱がこもって髪の毛を振り乱してる。


 わ、わ、かなり気が立ってない? 自分で言って自分で発奮しちゃってる。相当、神経が限界っぽい。


「ちょっと落ち着いて下さいよ瀬川さん!」


 おば……姉さんと三船さんが瀬川先生を取り押さえようとしたけど、焼け石に水だったみたい。


「何よ、離しなさい! わたしは瀬川澪よ! 朔間学園の校長である瀬川涼一りょういちの娘なのよ! わたしの邪魔をしないでちょうだい!」


 え、あ、そうなんですか?


 瀬川先生って、校長のお子さんなんだ……縁故採用?


『僕、校長のこと嫌いなんだよなぁ』


 お兄ちゃんまでぼそぼそと便乗し始めてるし。


 ていうか、嫌いなの? なんで?


 お兄ちゃんが嫌いなら、私も一緒に嫌うわよ。校長サイテー。よし、いい感じ。


『ここの校長ってさ。僕が全日制から通信制へ転学するとき、手続きを妨害したんだよ』


 それは初耳……。


『僕は以前、金持ちの水野霙みずのみぞれを書類送検させたからね。校長にしてみれば、水野家は学校へ寄付金をたんまり納める優良客だ。僕を逆恨みするのも当然だね。あるある』


 こ、こんな所にも火種がくすぶってたのね……。


 水野霙なんてクソ女、もう私たちには関係ないのにっ。


『そんなとき、雨宮教頭が僕を助けてくれたのさ。手続きを支援してくれたんだ。教頭は瀬川先生の縁故採用にも反発してる。校長の公私混同に辟易してるようだ』


 あ~。そう言えば雨宮教頭って、やたら瀬川先生に突っかかってたわね。


 あれって、そういう対立構造があったのね。


「私立校だから、ある程度は校長先生の自由と言っても、コネはいろいろ禍根を生んじゃうわよね――」



校長ワタシが何だって?」



「ふぇっ?」


 やにわ、バリトンの惚れ惚れするような声色が、保健室に降って湧いたわ。


 わわっ、警察に続いて今度は誰よ……って思ったら、そこにはすらりとした長身の、ロマンスグレーの髪が凛々しい壮年男性が立ってた。


 服装もグレーのスーツ。


 瀬川先生にどことなく似た、シャープな目鼻立ちだわ。


「父さ……校長!」


 瀬川先生、言い直してる。


 あはは、私が泉水おば……姉さんを呼び直すのと似てる~。公の場では校長って呼ぶように心がけてるんだろうなぁ。


 ていうか、校長が何の用?


 まぁ学校の責任者だから、警察と積もる話があるのかな。多分、警部である三船さんが捜査主任だろうし。実際にはおば……姉さんが仕切ってるとしても――。


「そこに居る生徒の保護者が到着したので、案内した次第だが」


 ――私に用事だった。


 保護者って、もしかして――。


「……やっほー、ルイ」


「お母さん!」


 やっぱりそうだった。


 校長の長身に隠れてたけど、ひょっこりと小脇から顔を覗かせるお母さんの容姿が、私には妖精さんのごとく映ったわ。


 お母さん小さいもんね~。その遺伝なのか、私も小柄だけど……。


 ――湯島溜衣子るいこ


 実ヶ丘市民病院で精神科医を勤める、私の母親。


 こんなときでも、ぶかぶかの白衣を着てるわ。病院から直行して来たのかな。


「溜衣子さん、お早いお着きで」


「……あら、泉水ちゃん……今日もご苦労様ね……」


 お母さんは一言ずつ噛みしめるように、訥々と挨拶を交わしてる。泉水おば……姉さんとは身内だもんね、つい話しかけちゃうわよね。


『曲者たちが勢ぞろいじゃないか』あからさまに揶揄するお兄ちゃん。『ルイ、覚悟した方がいいよ。それ、しばらくまともに帰宅なんて出来ない』


 ええ~っ?


 そんな、急に突き放さないでよぉ~。


 まぁ確かに、バイタリティ強そうな面々ばっかり集まっちゃったけど……。


 むかつく校長、瀬川先生、おば……姉さん、三船さん、私。


 は、話がまとまるとは思えないメンバーだわ。


『ルイ、せいぜい事情聴取、頑張るんだね。うまくすれば、事件をスピード解決できるんじゃないかな? うん、よくあるよくある』


 ないわよっそんなの。


 お兄ちゃんが冷たいよぉ~。


 私、これからどうすれば良いの……?




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