第4話 疑惑

失踪していたと思っていたエルキスと再会した次の日、リディアは展望テラスにグレイスを呼び出した。

「何が聞きたい?俺のことか?それとも彼のことか?」

「そうね…、両方だけれどまずはお兄様のことかしら?狙われている理由は何?」

 グレイスは近くにあった椅子を引き寄せるとリディアに座るように促した。グレイスも椅子に座り向かい合った。

「詳しくは言えないが賊に狙われてる。本来、奴らが所持しているものがなぜかエルキスに渡ってしまってな…。」

「そう。それは何なの?」

 リディアはさらに聞き出そうと質問する。

「―パンドラの地図。それ以上は俺でも分からない。」

「―?どういう意味?」

「そのままの意味だ。」

 グレイスはそう答えた。リディアは眉をひそめながら言う。

「あなた、いったい何者?なぜ偽名を使う必要があるの?」

「本名だと…まぁ、いろいろと都合が悪くてな。」

 歯切れの悪い答えにリディアは不機嫌そうに言う。

「教えてくれないのね。」

「そう不機嫌になるな。美貌が台無しだぞ。」

 さらりと言われた言葉に頬が紅潮する。グレイスは面白そうにそれを眺めている。

 ずっと見つめられているとなんだが落ち着かないので思わず目をらす。

 グレイスは小さく笑いながら椅子から立ち上がる。

「そろそろ行っていいか?」

「え、ええ。仕事中にごめんなさい。」

「お前の呼び出しならいくらでも来てやるよ。」

 きびすを返して歩き出すグレイスにリディアは言った。

「レイヴァス。」

 扉をけかけていたグレイスは振り返り言った。

「リディア、お前にそう呼ばれるのは悪くない。ただし、俺と二人のときだけな。それ以外は呼ぶな。それからもう一つ、騎士でないのは確かだ。」

 それだけ言ったグレイスは展望テラスを出た。出るとリディアを迎えに来たのかメイドのセイラが立っていた。

 「機嫌がいいわねグレイス。」

「ああ。彼女にだったらあっちの名前で呼ばれるのも悪くない。」

 セイラは驚いた顔でグレイスを見る。昔から彼のことを知っているが彼が自分から本名を呼ばせることはまず、無い。それだけリディアはグレイスにとって魅力的のようだ。

「…本気ね。けどあなたの本性を知ったらどうするのかしらね?」

「さぁな。―近いうちにパンドラの地図が手に入りそうだ。」

 セイラはうれしそうに言った。

「そう。やっと取り返せるのね。」

 グレイスはああと頷いて歩き出した。

 セイラが扉をノックし中へ入るとリディアは小さく呟いた。

「騎士ではない、どういうことかしら…。」

「リリー様?考えごとですか。」

 リディアはセイラに気づき言った。

「ええ。セイラは彼と知り合いなのよね?」

「はい。それがなにか?」

「彼は騎士になる前は何をしていたの?」

 セイラは少し考えてから言った。

「各地を転々としていたと聞いています。私も行動を共にしていたのは数ヶ月ですから詳しいことはわかりません。」

 リディアはまだ納得していない様子だったがこれ以上聞き出せないと思ったらしく話題を変えた。

「そう…。ありがとう。グレイスをここに呼んだことは内密に。」

「分かっています。ではお風呂へ。」

 リディアは立ち上がりセイラと部屋を出る。

 行く途中で巡回中のグレイスとすれ違う。彼はすれ違い様にまた付き合えよと言った。

 リディアはええと頷いた。

「外の世界はどうでしたか?」

「…!抜け出したこと、わかっていたのね。なぜ父に言わなかったの?」

 セイラは優しく笑って言った。

「お二人の邪魔をしたくなかったので黙っていました。」

「…そんな関係ではないわ。」

 リディアが頬を紅潮させながらそう言うのがセイラはおかしくて思わず笑ってしまう。

「セイラ、何を笑っているの?」

「申し訳ありません。思い出し笑いです。」

 セイラはそう誤魔化して浴室の扉を開けて言った。

「ごゆっくりどうぞリリー様。ではまた後で。」

 一礼したセイラは担当のメイドたちに後を任せ渡り廊下に向かう。ここは王宮と東棟を結ぶ廊下になっており、衛兵ぐらいしか通らないので密会場所には最適だった。

 壁に背を預けていたグレイスが足音に気づき伏せていたまぶたをあげる。

「在処は分かったのグレイス?」

「いや…。彼が知らないと言うのが正しいのかもな。もう少し探る必要がありそうだ。」

セイラは残念そうに息をついて言った。

「リリー様、あなたのこと疑ってるわよ。いいの?」

「ああ。調べられても問題ないしな。セイラ、目的のものが手に入ったら―分かってるな?」

セイラは一瞬言葉につまりええと頷いた。

グレイスは背を離して言った。

「…さらうか?」

その言葉は冗談には聞こえない。

「グレイス。それこそ処刑ものよ。」

セイラは静かに淡々と言った。

「だろうな…。逃げる自信が無いわけではないんだがな。」

いったいその自信はどこからくるのかセイラは理解できない。グレイスは底が知れない男でもあるのでそこは追求するだけ無駄である。

「彼女は私たちと違うわ。」

「…そうだな。何かあれば連絡する」

セイラは頷くともと来た道を戻った。ちょうど彼女が戻るとリディアが浴室から出てきたところだった。

「あら、どこに行っていたの?」

「お手洗いです。」

リディアはそうと相づちを返して歩き出した。

部屋に戻ったリディアはセイラに休むように言って一人になった。テーブルの上にはウェントスに言って用意してもらったグレイスの資料が複数置かれている。彼が言った騎士ではないという言葉が引っかかったからだ。

ガウンを肩にかけて椅子に座ると資料を読んでいく。

グレイスがヴァイス・シュヴァルツに入る以前の経歴がまとめられているがセイラの言うように商人として各地を転々としていたこと以外は詳しく書かれていない。出生地も空欄のままだ。そんな得たいの知れない人物をなぜウェントスは引き入れているのだろうか。何か弱みを握られてそうさせられているということも考えられる。

「信用するのは危険ね…。」

独りごちて資料をめくっていく。これといった情報は得られなかったが各資料には一つの共通点があった。それは、最終的にはグレイスが全ての領海権を得ているということだった。

「領海権…、パンドラの地図…まさかね。」

一瞬、よぎった考えをすぐさま打ち消した。リディアの頭に浮かんだのは最近、世間を騒がせている海賊のことだ。なんでも、各国にスパイを送り込み領海権を奪っていると噂されている。だが、そのあと支配されたということは聞いたことがない。

「…私の考えすぎね。憶測で物事を判断すべきではないわ。」

「よく分かってるな。閉じ込めておくのがもったいない…、拐ってやろうか?」

突然響いた声に息をのみ背筋が凍りつく。

「…ーっ。」

声にならない声が出る。

「無防備過ぎるぞリディア。けど声を上げなかったことは褒めてやる。」

肺が空になるまで息を吐き出したリディアは眉を吊り上げ言った。

「ふざけないでくださる!」

手を挙げて平手を打ちをお見舞しようとするがまたもや未遂で終わる。

「威勢がいい女は嫌いじゃない。けどな俺の前でくらい力を抜け。」

「余計な心配はなさらないでくださる?」

グレイスはリディアの手首を掴んだまま艶やかに笑う。振り払うこともできずせめてもの抵抗としてグレイスを睨みつける。彼はそれが愉しいようでクスクス笑いながら言う。

「強情だな…。」

彼はあいていた左手でリディアの唇をなぞる。ゾクと今まで感じたことない感覚が支配する。

「…っ。」

「抵抗するならしろよリジー…。」

家族でも呼ばない名前を呼ばれさらに鼓動が早くなる。吐息がかかるほど近づいてきたグレイスの唇がリディアのそれに重なった。押し返そうと抵抗したが女性の力で男性に叶うわけがない。

「んっ…ー」

抵抗するのを諦めてされるがままになる。

グレイスは唇を離して言った。

「いい子だリジー。」

そう言ったグレイスはもう一度唇を重ねた。リディアもそれを受け入れる。

「お前のファーストキス奪っちまったな。なぜ抵抗しなかった?」

リディアは高鳴っている鼓動を落ちつけながら言う。

「…分からないわ。でも嫌じゃなかった。それに、あなたのことを知りたいと思ったから。」

「…ー。で、何を聞きたい?」

リディアは資料を示して言った。

「あなた、本当に商人?」

グレイスは表情ひとつ変えることなく聞き返す。

「なぜそう思う?」

「ただの商人が各国の領海権を持っているとは思えないもの…。騎士ではないなら海賊か何かかしら?」

「ー好きに解釈しろ。」

肯定とも否定とも取れぬ言い回しでグレイスは答えた。

曖昧あいまいな答えね。」

「ちゃんと答えてやっただろう?後はまた今度な。それとなリジー、俺だから良かったものの無用心だからきちんと戸締まりするようにな。」

グレイスは来たときと同じように窓から出ていった。

「レイヴァス。」

ここは結構な高さがある、慌てて窓から下を見る。彼は見事な身のこなしで茂みに着地するとリディアを見上げ、笑った。そして何事も無かったかのように歩き出した。

グレイスの姿がみえなくなりリディアは窓を閉めてベッドに入った。

「ー…全てが人間離れしてるわ。本当に何者なのかしらね?」

リディアは無意識に唇をさわる。まだキスの感覚が残っている。あんなことをされたのは生まれてはじめてだったので思い出すだけで体が火照ってくる。

「いったいこの気持ちは何?」

物足りない。もっと一緒にいたい。そう思ってしまうのはなぜだろう。

それが分かれば苦労しないのだがリディアにはまだそれが何か分からなかった。


グレイスはリディアの質問に対して好きに解釈しろと言った。それは彼女の推測があながち間違っていないということでもある。

疑惑を追及したつもりがよりいっそう謎が深まっただけだった。

グレイスという人物をもう少し知る必要がありそうだ。

リディアはサイドテーブルの電気を消して眠りについた。














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