第2話 代行
エルキスが失踪してから数日、王宮内は何事もなかったかのように時が流れている。
リディアはエルキスの手がかりを探し続けていた。彼が行きそうな酒場や店を調べているがこれと言って確かな情報はない。
はぁと溜め息をついたリディアにメイドが言った。
「リリー様、あまり
「大丈夫よ。ありがとうセイラ。」
セイラはリディアが幼い頃から仕えているメイドである。リディアにとって姉のような存在でもあり、いろいろと相談にのってもらっている。セイラもまたリディアのことを妹のように思っているのでメイドの中で唯一リディアのことをリリーと呼んでいる。
セイラはお茶を
「本日はハーブティーを用意しました。お疲れでしょうから。」
「ありがとう。いただくわ。」
リディアはカップを手に取り一口飲んだ。
「美味しい。」
「ありがとうございます。」
と、扉がノックされ入って来たのは意外な人物だった。
「リディア様、陛下がお呼びです。」
え?と思わずカップを落としそうになる。
グレイス自ら呼びに来るとは初めてのことである。
「あなたが来るなんて珍しいわね?」
「私も陛下に呼ばれたのでついでに来ただけですよ。行きましょうかリディア様。セイラ、後でまた頼む。」
セイラは黙って一礼すると茶器を下げた。
リディアはグレイスと共にウェントスのもとに向かった。部屋にはウェントスとレティアが座っていた。
「お呼びですか?陛下。」
一言添えた後、グレイスは一礼した。リディアも一礼する。
「うむ。例の件だが大臣たちと協議した結果、リリー、お前にキースの代わりを頼みたい。」
リディアは目を見開きレティアを見た。彼女はコクリと頷いた。
「…なぜ私が?」
ウェントスは顎ひげを撫でながら言った。
「私たちはここから離れるわけにはいかない。ある程度の
グレイスは胸に手を当てて一礼した。
「かしこまりました陛下。
「頼むぞグレイス。」
「はい。」
リディアはしばらく沈黙したあと真っ直ぐウェントスを見て言った。
「分かりました…。お受けいたします。」
「すまんな。こんなことになってしまって…。」
ウェントスは申し訳なさそうに言う。
「仕方ないわ。お兄様がいない以上誰かが代わりをしないと公務が進まないもの。」
ウェントスは苦笑しながら言う。
「そうだな。さっそくだが午後に商談が数件ほど入っている。任せたぞ。」
二人は一礼して部屋を出た。
部屋に戻ったリディアの前に再びティーセットが用意された。しかも二人分。
「グレイス様も一緒にいかがですか?」
カップにハーブティーを注ぎながらセイラが声をかける。部屋から出ようとしていたグレイスは彼女に向き直る。
「よろしいですか?」
「ええ。もちろんです。こちらにお座りください。」
セイラは向かいの椅子に彼を案内して二人分のハーブティーをカップに注いだ。
失礼しますと言ったグレイスは向かい合わせで座った。リディアの頬が少し赤くなっている。
グレイスはその様子に小さく笑う。しばらくして落ちついたのかリディアは静かに顔を挙げた。
「時間はよろしいの?」
「ええ。仕事が一段落して休憩しようかと思ってましたから。」
「そう。ゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます。」
セイラはスコーンを取り分けながらリディアに聞いた。
「どのような用件だったんです?」
リディアは答えた。
「お兄様が見つかるまで公務の代行を頼まれたわ。補佐と護衛に彼を指名してね。」
予想していたのだろうか。セイラが驚いた感じはない。
「リリー様をよろしくお願いします。」
グレイスはもちろんですと返した。
リディアは頼みますと告げ話題を変えた。
「ところで調査の進展は何かありましたか?」
グレイスはふぅと息をついて言った。
「ありませんよ。あったら苦労しません。」
なんとも気のない返事にリディアは眉を寄せて軽く睨んだ。グレイスはそれを受け流す。
二杯目のハーブティーに口をつけながらリディアはふと思い出したようにグレイスを見つめた。それに気づいた彼は言った。
「何か言いたいことでも?」
リディアはカップをソーサーに戻すとグレイスを真っ直ぐ見て言った。
「そういえばあの時、あなた"詳細は知らない"
と言ってたわよね。なぜかしら?…それと猫を被っているように見えるのは私の気のせいかしら?」
グレイスは一瞬、驚いた
「気のせいではないな。」
リディアはふふと笑った。
「やっぱりそうなのね。私、人より洞察力に優れているみたいだから…。」
グレイスは小さく息をつくと口を開いた。
「その方が都合がいいからそうしてるだけだ。いろいろとな…。他に質問は?ないなら行くが?」
グレイスは椅子から立ち上がる。リディアは待ってと彼の袖口を掴んだ。
「なんだ?」
振り返ったグレイスと視線がかち合う。心臓が大きく脈打った。それに気づかないフリをしてリディアは尋ねた。
「まだ最初の質問に答えていないわ。」
「…確かに詳細は知らん。だが、何者かに狙われていることは知っていた。これで答えになったか?」
「え?どういう…―。」
気づくとグレイスはリディアに背を向けて歩き出していた。いつの間に抜けたのか分からなかった。行き場を失った手が空を掴んでいる。扉の前で立ち止まったグレイスは言った。
「午後に迎えに来ます。機会があればまたお誘いくださいリディア様。」
そう言い置いて彼は部屋を出ていった。
「リリー様?」
セイラが
「…セイラ、彼が言ったことは本当かしら?」
「確証がないのでなんとも言えませんね。様子を見てはいかがですか?」
リディアはそうするわと答えた。
午後になりグレイスが迎えに来た。エルキスの執務室に移動し来客を待つ。机には山積みの書類が置かれていた。
「お兄様はこれだけの量を一人で片付けていたの?」
「ああ。俺も少し手伝っていたがな。一応目は通しておけ。それと、商談は当面、俺が進める。異議があるならその時に言え。」
「わかったわ。ねぇグレイス、セイラとは知り合いなの?」
「ああ。」
「そう…。」
返事をするものの胸はズキと痛んだ。なんとも思っていないはずなのにどうしてそうなるのか分からなかった。しばらく黙っているとグレイスが言った。
「リディア、そろそろ時間だ。」
グレイスに名前を呼ばれ胸が高鳴る。気づかれないように深呼吸をしてそれをやり過ごす。
「ええ。お願いします。」
グレイスは外に立っている部下に通せと一言言った。執務室の扉が開けられ一人目の商人が入って来た。
「初めまして。兄の代理の者です。こういう場は不慣れなので彼を通していただけるかしら?」
「構いませんよ。あなたのほうがいろいろと詳しそうですから。」
グレイスに含み笑いを浮かべた商人は机に書類を出した。グレイスは軽く商人を睨んだあと自身の持っている資料と照らし合わせ確認していく。
「問題ないようですね。こちらに署名をお願いしますリディア様。」
「わかったわ。」
リディアはさらさらと名前を書いた。それを受け取った商人は言った。
「一つだけ質問してもよろしいですか?」
リディアはグレイスに目配せした。彼は小さく頷いた。
「エルキス様が行方不明だそうですね。」
「…っ。どうしてそれを―。」
驚きのあまり椅子から立ち上がったリディアをグレイスが庇うようにして前に出た。思わずグレイスの服を掴む。
冷たい声音が響く。
「お前、何者だ?その情報をどこで手に入れた?」
グレイスの右手が腰の剣にかかる。
商人は
「噂かと思ったが本当だったのか…。また来いよレイヴァス」
「…―。そういうことか…」
グレイスは状況がのみ込めたらしく剣にかけていた手を離した。
「では、失礼します。」
商人はにこやかに笑って出ていった。
「グレイス、あの方は誰?顔見知りのようだけど?」
「…昔からの知り合いだ。さあ、俺も仕事がある、さっさと終わらせるぞ。」
彼はそれ以上のことを教えてはくれなかった。
商談をすべて終えた頃には日が傾きかけていた。
「大変ね。お兄様はこんなことを毎日やっていたのね。」
「ああ。多いときには6件くらいあったからな。」
「そんなに?」
商人から受け取った書類をひとつにまとめながらグレイスに答える。
「いずれお前にもやってもらうからな。」
一国の姫をお前呼ばわりすることができるのは彼以外いないだろう。
「なら、これからの指導も期待してるわ」
「仰せのままに。」
わざとらしく礼をとるグレイスにリディアは笑った。
「笑う必要があるのか?まぁいい。俺は仕事に戻るからそれを陛下に渡しといてくれ。それで今日は終了だ。」
そう言ったグレイスは先に執務室を出ていった。
リディアは頬を紅潮させながらウェントスのもとへ向かっていた。部屋の前で立っている衛兵に
中ではウェントスが読書をしていた。
「無事に終わったようだなリリー。」
「ええ。グレイスのおかげで
リディアの頬が紅潮しているのに気づいたウェントスは満足そうに頷いて書類を受け取った。
「そうか。もう下がりなさい。」
「はい、失礼します。」
リディアは優雅に礼をしてウェントスのもとを後にした。
歩きながら思い出すのは先ほどのやりとりだ。自然と笑みがこぼれる。
なぜか無性にグレイスに会いたくなって自室とは反対方向にある
『会いたい』この思いがなんなのかリディア自身が気づくのはまだ少し先の話。
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