王女と海賊王

悠木葵

第1章 仕組まれた罠

第1話 失踪

中央大陸に位置する自然豊かな国、ヴィッセル王国。首都バレアにある王宮は朝から騒々そうぞうしかった。使用人たちが王宮内をせわしなく動き回っている。

異常な事態に自室で休んでいたリディア・リィーナ・ヴィッセルはシルクのネグリジェにストールを羽織り廊下に出た。

「騒がしいわね…。いったいどうしたの?」

近くにいたメイドを呼びとめる。

「ああ、リディア様、エルキス様を見かけませんでしたか?」

エルキス・ヴィンセント・ヴィッセル。ヴィッセル王国の第一王子で次期国王と言われているリディアの兄である。

リディアは嫌な予感を覚えドキドキしながら聞いた。

「いないの?」

メイドは視線をさまよわせながら答えた。

「はい。今朝、起こしに行ったメイドがこれを…。」

メイドから封筒を受け取ったリディアはすぐに中身を確認した。間違いなくエルキスの直筆だった。

詳細は書かれておらず、しばらく身を隠すとだけ記されていた。

「なんですって!お父様たちはご存じなの?」

「いえまだ…。」

リディアは美貌に険をのせて言った。

「なぜ先に報告していないの!探すより先にお父様に報告なさい!」

「も、申し訳ありません。」

「いいわ!私が報告します。仕事に戻りなさい。」

一喝したリディアはメイドの横を通りすぎ国王の寝室に向かった。

その後ろ姿を見送ったメイドは顔を上げてカツラを取った。アイスブルーの瞳に金髪のだ。彼こそがヴィッセル王国の第一王子であるエルキス本人だ。

「すまないリディア…。ここで死ぬわけにはいかないんだ。頼む。」

迷いを断ち切るようにしてエルキスは誰もいないはずの空間を見た。

 柱の裏に隠れていたのは黒いマントをかぶった青年だった。

「いいのか?言わなくて?」

どうやらエルキスの知り合いらしかった。

「ああ、余計な心配をかけたくない。リディアのこと頼むな。」

青年はめんどくさそうに答えた。

「…まぁ、どうなるか知らないが出来るだけのことはしてやる。外で部下が待ってるはずだ。さっさと行け。」

あごで外を示し腕を組む。

「最後にひとつだけ…。グレイス、約束は必ず守れ。」

真剣な声音にグレイスは黙って一礼した。部下に彼のことを任せたグレイスはマントを脱いだ。着ているのはヴィッセル王国の騎士団『ヴァイス・シュヴァルツ』の団服だ。茶色を基調としたものでマントを羽織り、胸の位置で留めている。留め具には騎士団の証である薔薇バラが彫りこまれている。

 グレイスは長靴ちょうかの音を響かせながら迷うことなく廊下を進んでいく。突き当たりで曲がり、騎士や使用人が寝起きする離宮へと向かった。


 一方のリディアは足早に国王のもとへと向かっていた。寝室の前では衛兵が数人で集まって話しをしていた。近づいてくる足音に気づいた一人がリディアを見て慌てて扉を開けた。

「ありがとう。」

お礼を言ったリディアは中へと入った。

一報が入っていたのか国王―ウェントス・グロウ・ヴィッセルは着替えを済ませ、難しい顔で長椅子に腰かけていた。白髪混じりの髪と髭をきれいに整え、威厳のある顔立ちだ。

「おはよう、リリー。キースのことだろう?」

家族しか呼ばない名前だ。

「はい、メイドがこれを私に―」

そう言って手紙をウェントスに渡す。

「他になかったのか?」

「なにも…。それだけです。」

ウェントスはさらに難しい顔になって言った。

「王宮内をくまなく探させているが見つからない。」

次期国王候補が居なくなったにもかかわらずウェントスはやけに冷静だった。

「お父様!どうしてそんなに冷静なの?」

リディアは思わず声を荒げた。

「リリー、落ちつきなさい!」

室内に響く凛とした声音がリディアに冷静さを取り戻させた。

王妃のレティア・リアーナ・ヴィッセルだ。

 ヴィッセル王国は一夫多妻であるがウェントスはレティア以外の王妃をもうけていない。彼は『愛する女性は一人でいい』と言って譲らなかった。それに庶民的なところが多くあり国民からの評価も高い。

「…失礼しました。」

「気持ちは分かるわリリー。座りなさい。」

レティアは優しく言ってウェントスの隣に座る。リディアも向かい合わせで座った。

と、扉がノックされ外から声がかけられた。

「グレイスです。」

ウェントスは入れと答えた。

扉が押し開けられギィと音が鳴る。

「失礼します。陛下、訪問が遅れましたことお許しください。」

グレイスは右手を胸に当てうやうやしく一礼すると顔をあげた。赤茶色の髪を片方だけ後ろに流し、整えている。耳にはピアスがキラキラと輝いている。端正な顔立ちの彼は美青年と呼ぶにふさわしい。エメラルド色の瞳がウェントスを見る。

「いつものようにまた遊んでおったのだろう?」

「違います。それよりエルキス様は見つかりましたか?」

「見つかっておらんからお前を呼んだのであろう。」

グレイスは呆れまじりに答えた。

「いくら私がエルキス様と仲が良く、あなた方の目を盗んで二人で都市に出ていようと今回ばかりは私もは知りませんよ。」

リディアはグレイスを睨みつけた。

「あなた、もう少し敬意をはらいなさい!」

思わず本音が口をついて出た。我に返ったリディアは頬を赤らめた。ウェントスとレティアも少し驚いた様子だった。グレイスも一瞬驚いたようだったがそれが楽しそうな笑みに変わる。

「面白い女…。初めてですよ女性にそんなこと言われたのは。」

「まるで他人事ひとごとね。」

リディアの言葉にウェントスは小さく溜め息をついた。

「リリー、かまわぬよ。彼は昔からこういう態度だ。」

「ですがお父様―…。」

「リリー、そのことは後で聞きます。話を逸らさないで。」

レティアの言葉にリディアも黙るしかなかった。

 ウェントスは改めて言った。

「さて…。グレイス、この一件どうみる?」

「どう、と言われましても…。警備上、外部から賊が入り込む隙はありませんからそちらの可能性は低いのではないかと。」

「それは確かか?」

「ええ。私が今まで不確かな情報を言ったことがありますか陛下?」

グレイスは挑戦的な瞳をウェントスに向けた。「そうであったな。お前が私たちを出し抜いたことなどないからな。」

「はい。」

ウェントスはグレイスのことをとても信頼しているようだった。だがリディアはそうは思わなかった。何かウラがあるような気がしてならなかった。リディアは探るように彼をもう一度見た。グレイスはそれに気づき言った。

「…リディア様、私の顔に何かついてますか?視線が痛いのですが。」

女性が男性をじっくりと見ることはマナー違反である。

「失礼しました。あなたを観察していただけです。」

観察のつもりがつい見惚れてしまっていた。世の女性なら誰もがそうなるだろう。それだけ美青年なのである。

「…そうですか。それは残念です。私に見惚れていたのかと思いました。」

「違います!」

心を見透かされたようで思わず大きな声が出た。レティアの紫の瞳がグレイスに向けられた。彼は素直に詫びた。ここで彼女を怒らせるわけにはいかなかった。

「申し訳ありません、遊びがすぎました。陛下、外部犯ではない以上、内部もしくは殿下単独の線が高いかと。」

「……うむ。その両方で引き続き調査させようかの。指揮を頼む。くれぐれも内密にな。」

「承知しました。」

わたくしからもお願いします。」

グレイスはレティアにも一礼した。

「困ったものだ。戴冠式当日に失踪するとは…取りやめるわけにはいかぬし、どうしたものか?」

ウェントスは疲労のいろを浮かべながらそう言った。

 ヴィッセル王国の戴冠式は24歳の誕生日を迎えて半年後に行うことになっている。伝統的な行事なので延期することはできない。

レティアも同じ思いのようだ。沈黙が流れる。

 グレイスは気づかれないように溜め息をついて口を開いた。

「解決策が無いわけではありませんよ陛下。ただし、リディア様にも協力していただくようになりますがよろしいですか?」

ウェントスは申してみよと言った。

「私が殿下の代役をしましょう。国民からは遠目でしか見えませんから偽物だとは気づかないでしょう。」

「思い切った策だな。それもやむを得ぬか…。」

グレイスは薄く笑って言った。

「ええ。さいわい彼と私は背格好も同じくらいですから。」

「確かにな」

「それに私がどう協力すると言うの?」とリディアがグレイスに聞く。

「戴冠式以降の政権は殿下に引き継がれます。ですが、殿下がいない以上は引き継ぎを見送り陛下が続投するべきかと。そのかんの公務を貴女あなたが代理で行うということです。」

 ウェントスはなるほどと整った髭を右手で撫でた。今まで黙って聞いていたレティアは言った。

「あなたはリリーに命を危険にさらせというの?」

「お言葉ですが王妃様、貴女は外の世界を拡大解釈しすぎです。」

グレイスは悪びれることなくそう言った。

「あなた…―っ。」

「レティー。」

低音で一言。

ウェントスの言葉に彼女は押し黙る。リディアも無意識にスッと背筋を伸ばした

ウェントスはグレイスを見て言った。

「それが最善策か…。」

「ええ。」

グレイスはそう答えた。

「ならばそうしよう。準備を進めておけ。戴冠式は予定通りに行う。大臣たちには私から説明する。」

「承知しました。私はこれで失礼します。あ、リディア様、先ほどのお話はあくまで仮定の話です。では…。」

グレイスはそう言って部屋を出ていった。


 しばし沈黙が流れる。それを破ったのはレティアだった。

「陛下、彼を信じていいのですか?私には信じられません。」

「分かっておる。だから後で考えると申したであろう。リリー、先ほどの話を真に受けるでないぞ。」

「はい…。何かあれば教えてください。失礼します。」

「わかった。」

リディアは優雅に礼を取ると部屋を後にする。

 自室に戻ったリディアにメイドが言った。

「ああ良かった。今までどちらに行かれてたんですか?」

「どちらにって、あなたから手紙を預かって父に会いに…―。」

メイドは身に覚えがないのか困惑している。

最後まで言いかけてはっ、とする。リディアが起きたのは6時前、あの時間にメイドが歩いているというのはあり得ないことだ。王宮の衛兵なら巡回しているので通ることはある。

「まさか…」

「リディア様!」

メイドの言葉に見向きもせずにリディアは兄の部屋に向かって走り出した。メイドも後を追う。

兄の部屋に入ると執務机の上にカツラが置かれていた。

「…あの時のメイドはお兄様だったのね。不覚だったわ…―。」

小さく呟いたリディアは扉を閉め、メイドに向き直った。

「リディア様どうなさったのですか?」

「ちょっとした探し物をしていただけよ。部屋に戻るわ。」

メイドは首をかしげながら分かりましたと言ってそれ以上なにも言わなかった。


 戴冠式の一時間前、ウェントスは大臣とメイドたちにエルキスが失踪したことを話した。現在も内密に調査は継続中であると。

「ではエルキス様が見つかるまで誰が政治を行うのです?」と多くの質問が出る。

ウェントスはグレイスが言っていた案を出した。

大臣たちの目が見開かれる。一人の大臣が言った。

「陛下…その案には同意しかねます。リディア様は政治に関してうとすぎます。エルキス様が見つかるまでは陛下が仕切られるべきかと…。」

どうやら大臣はエルキスが見つかるまでリディアが国を統治すると思っているようだった。

ウェントスは呆れまじりに言った。

「誰が統治させると言った?私は公務の代理をリリーにさせると言ったんだ。」

大臣は納得したように相づちを打つと謝罪して言った。

「わたしたちも全力でサポートさせていただきます。」

「よろしく頼む。まずは戴冠式を無事に終えることが先決じゃ。」

国王の言葉に彼らは力強く頷いた。


 戴冠式は特に、大きな混乱もなく無事に終えることができた。国民からは大きな歓声と拍手がわき起こっていた。

ウェントスは満足そうに頷き髭を撫でていたた。

 だがこの時すでに事態は大きく動き出していた。









 

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