第9話

『ゆき先生は王子様みたい!』


 そう言って、僕のまわりをクルクル回る、可愛い小さなあの子が少し変なことに気がついた。


 夏休みが明けて、二週間。

 あまり笑わない萌ちゃんを見て、罪悪感が込み上げる。


 杏奈さんとのことは知らないはずだけど。


「もえちゃん」


 声をかけると彼女は弾かれるようにこっちを向いた。

 手には何冊もの絵本を抱えている。


「そんなに読んだの?」


 そう聞くと、うん。と頷き、お話聞いてくれる?と言った。


 なんとなく、人に聞かれてはいけない気がした。

 僕は担任ではないけれど。と許可を取りに行くと、園長も萌ちゃんの変化に気がついていたようで、応接室を使いなさいと微笑んだ。


 応接室は園内と違いモノクロだからだろうか。萌ちゃんが緊張しているような気がした。


「おじいちゃんとおばあちゃんのおうちは楽しかったかな?」


 夏休み、杏奈さんと萌ちゃんは北海道の実家でほとんどを過ごした。


 楽しかったと話した杏奈さん。


 その言葉に嘘はなかったし、萌ちゃんもとても喜んでいたと聞いていたから。


「うん!おじいちゃんの畑には野菜がいっぱいなの!萌の好きなメロンもあったし、すごいんだよ!」

「へぇ!いいね!美味しかった?」

「うん!とっても!!でも、タッキーのお料理の次ね!」


 そう言って、彼女は『あっ』と口を両手で隠した。


「あ、あぁー!秘密を守ってくれてたんだ。ありがとう、萌ちゃん」


 そう言って僕が笑うと、彼女は久しぶりにニッコリと笑った。


「ねぇ、萌ちゃん。僕も秘密を守るよ。元気がないけど、何かあったかな?」


 また曇る彼女の顔を、少し覗く。


 彼女は、少しモジモジしたあと、絵本に目をやってから、ゆっくりと話し出した。


「……探してたの」

「探してた?」

「……うん。でも見つからなかった」

「なにを探してたのかな?」

「お姫様が……王子様と結婚したあとのお話。……先生は知ってる?」

「うーん……先生も知らないなぁ。でも、どうしてそんなお話を探してたの?」


「――パパが変だから」


 なるべく触れないようにしていた彼女の家庭。

 彼女と会えるだけで幸せだったから。

 彼女と心を通わせるだけで幸せだったから。

 彼女が言わないことを聞く必要はないと思っていたから。


 けれど。


『8月31日はママの誕生日だったの』

『パパのカバンに、ピンクのとっても可愛い箱が入ってたから、ママへのプレゼントだと思ったの』

『でもね。ママにじゃなかったみたい』

『ママのお誕生日の日、パパは帰ってこなかったし。ママはなにも貰ってないみたいだし。……それに』

『臭いもん。パパ。お酒と……あと臭いお花の匂い』



 ――香水か。


 知らなければ良かったかもしれない。

 考えないようにしていた奥底の自分が叫び始める。


 そんなやつから彼女を奪ってしまえよ。

 悩みを健気に隠すこの子を守ってやれよ。


 二人を傷付けている大きな存在。

 それを意識せざるを得なくなり、急激に込み上げる感情。


 僕の心はざわつき始めた。

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