第5話(5)



「あ、この服アルトに似合いそう~」

「は、はぁ・・・」

 アルトはフミカに連れられて、近くのショッピングモールまでやってきていた。

 アルトが思い出した、と暴露してからというもの、フミカはずっと機嫌がよさそうだ。

 特別なことに触れることはせず、昔と同じようにフミカはアルトと接している。

「やっぱアルトは、着飾っている服より、シンプルなデザインの服が似合うと思うんだよね」

 フミカは棚の上に並べられている服を手に取ると、それを広げてじっりと眺めた。

「うん、これいいかも」

「あのーフミカさん?」

 アルトには、フミカに言いたいことがたくさんあった。

「よし、これにしよう!買ってくるからここで待っててねー」

「あ、はい・・」

 ・・・けれど、フミカはそれを言わせてくれる雰囲気にしてくれない。

 むしろ、あえてきかないようにしているようだ。

「おまたせ~」

 会計を済ませたフミカが、早足で戻ってきた。

「・・・」

 それならば、フミカが話してくれるまで待ってみよう、アルトはそう思った。

 フミカは、にっこりと笑ってアルトの手を取ると

「アルト~、次は別の店行ってみよー。あ、あとクレープ食べたいな」

「も、もちろん、いいですよ!行きましょう!」

 アルトはフミカの期待に応えたいと思い、明るい声と笑顔でそう返した。

 そして、フミカの手を握り返す。

(懐かしいですね・・)

 こうして、フミカの隣を歩くことが。

 ──・・・まるで、生きていたあの頃に戻れたみたいだ。



 ショッピングをある程度楽しんだ後、アルトはフミカと共に彼女が今住んでいるらしいアパートに来ていた。

 外はすっかり日がおちてしまっていて、暗かった。

 フミカは荷物を部屋に置きつつ、

「何か疲れたねぇ。ちょっと休憩しよ。アルト、座って待っててー」

 そして、キッチンのスペースの方へ歩いていく。

「あ、はい・・」

 フミカに言われた通りにテーブルの前に座って待っていると、温かそうな飲み物が入ったマグカップを持って彼女は戻ってきた。

 フミカは二つのマグカップのうちの一つをアルトに手渡すと、隣に腰を下ろす。

 フミカは飲みものをすすると、「もう5年か」と呟いた。

「・・・ですね」

 何のことか分かってしまったので、アルトはとっさにそう返す。

「・・・」

「・・・」

 すると、フミカはマグカップをテーブルの上に勢いよく置き、

「・・・ですね、じゃないよっっ」

「!?・・・えぇ?」

 フミカは表情に影を落とし、アルトを見た。

 アルトはそんなフミカを目の前にして、思わず固まる。

 ・・・そう言えばフミカは、こんな人だった。

 普段は優しく明るいのだが、彼女の逆鱗に触れてしまうとその表情はまるで別人のようになってしまう。

 フミカはアルトに詰め寄ると

「アルト、あたし半年って言ったよね!?どうして戻ってきてくれなかったの?」

「す、すみません・・僕にもちょっと事情がありまして・・」

 その事情の一つに、天界人になると地上のキオクは維持できないということがある。

 あと、一つは・・・

「へー・・・そのちょっとの事情で、あたしは5年も苦しい思いしなくちゃいけなかったんだー・・なるほどー」

 そう言うフミカの瞳には、うっすらと涙が滲んでいる。

「ほ・・本当にすみません・・僕は・・」

 フミカの涙を見て、アルトの心は罪悪感で一杯になった。

 しかし、フミカは微笑みを浮かべる。

「・・・でも、いいよ。ちゃんと戻ってきてくれたから・・本当によかった!また会えて」

 フミカは涙を拭うと、にっこりと笑う。

「・・・僕も、フミカさんにまた会えて嬉しいですっ・・」

 いくらフミカのためだったとはいえ、自分は約束を守れなかったのだ。

 そのせいで、フミカが苦しい思いをしたと言うのなら・・・やはり、申し訳ない気持ちで一杯になる。

 きっと、フミカとの再会を素直に喜べないのは、その気持ちがアルトの大半をしめているから。

 本当にフミカは、アルトのことを許してくれたのだろうか。

 もしかしたら、その笑顔の下にはまだ、おさえきれないほど憎しみが隠されているかもしれない。

「嬉しいと思っているなら、その浮かない表情、どうにかしてよー?」

 フミカは、不機嫌そうに眉を寄せ、アルトの頬を両側から引っ張る。

「久々に会えたんだから、難しいこと考えずに笑って!ね?」

「う・・」

 アルトは少しだけ、泣きそうになる。

 やっぱりフミカは強くて優しい・・。そして、自分はそんなフミカに励まされているばかりだ。

「フミカさんは・・」

「?・・・」

 フミカが手を離したので、アルトは言葉を続けた。

「苦しいはずなのに、どうして笑っていられるんですか・・?」

 フミカは困ったように微笑む。

「えー・・何だろ。多分、アルトにまた会えたことがすごく嬉しいからだと思うよー」

「・・・」

「だってあたし、ずっと前からアルトのこと好きだから」

「あ、ありがとうございます・・・僕もフミカさんのこと・・」

 すると、フミカは突然立ち上がる。そして、「だよね、やっぱり」と呟き、悲しそうに微笑んだ。

「?・・」

「ちょっと待ってて」

 フミカはそう言って、さっき買ってきたばかりの服が入っている袋を持ち脱衣所の方へ姿を消した。


 落ち着かない気持ちでフミカのことを待っていると、脱衣所から彼女が戻ってきた。

「!・・」

 アルトはその姿を見て、息をのむ。

 先ほどまでの女の子らしい服装とは真逆の、ボーイッシュな服。

 それに、髪も短くなっており化粧もおちていた。

 ──・・その姿は、生きていた頃の自分そのものだ。

「髪さぁ、自分で切ってみたんだけど、変じゃない?」

 フミカはそう言いつつ、アルトの前に腰を下ろした。

「っ──・・・」

 アルトはその姿を見るのが、辛かった。

「フミカさんっ・・今すぐ元の姿に戻って下さい!」

「──・・・どうして?これはアルトの体だよ。

 戻る必要なんてあるわけないよ」

 フミカは静かすぎる声で、そう言った。そして、言葉を続ける。

「あたし言ったよね?かして、って。

 思った以上にながくなっちゃったけど、その約束はちゃんと守らせて」

「!ダメですっ」

 アルトはすぐさまそう返した。

 フミカが自分の代わりに生きるということは自分が天界人になった時点で、そうあるべきだと決まっていた。

 今さら、心変わりなんてできるはずない。

「あれー約束と違うなぁ」

 フミカは、不機嫌そうに眉を寄せる。

「・・・僕は、フミカさんに生きていてほしいんです」

「あたしは十分生きたよ。

 ・・・そして、思ったの。人が生きることって、人が死ぬことと同じぐらい”重い”ことなんだって。

 この瞬間も、しんじゃった人にとっては必死に願っても手に入らないものなんだよね。

 そー思うと、この一瞬一瞬、息をしていることが大切で大切で重いものなんだよなーって」

「・・・」

「だから、アルトは責任をはたすべきだよ。まだ、生きてるんだから」

 フミカは低い声でそう言って、アルトの手を両手でそっと握る。

「っ──・・」

 アルトはその手を、気付いたら振り払っていた。そして、立ち上がる。

 ──・・時々怖いフミカだったが、今のフミカが一段怖かった。

「僕はっ・・・嫌です!」

 脳裏によみがえるは、生きていた頃の自分。

 勉強も運動も人間関係も、上手くこなせなかった。

 そんな自分を見る周囲の目は、もちろんよいものではなく。

 ・・・けれど、フミカがいたから。

 フミカが自分のことを頼ってくれたから。

 自分はここにいていいのだと、思うことができた。

「・・・僕にとって・・誰かのために、何かが出来るということは・・奇跡なんです」

「え・・?」

「だから、嫌です!!」

 アルトはそう言い放つと、フミカの部屋を後にした。



 アルトはフミカが追ってこないことを確認しながら、街中を歩いていた。

 フミカの言葉、姿がアルトの脳裏に焼き付いて離れない。

(一体、どうしたらいいのでしょうか・・)

 確かに今、フミカが使っている体は自分のものだった。

 けれど、それは今の自分には勿体ないものに感じる。

 ──・・・それに、やっぱり生きることは怖い。

(きっとそんなこと言ったら、フミカさんに怒られちゃいますねっ・・・)

「アルト」

「!・・」

 かけられた声に振り返すと、行きかう人々に混じりミオがたっていた。

 手には魂を灯す杖が握られている。もしかしたら、仕事帰りかもしれない。

「ミ、ミオ先輩、お疲れさまですっ」

「お疲れ~」

 ミオはにこやかにそう言いながら、こちらに歩み寄るとアルトの耳元で囁いた。

「キオク、戻ったんだね」

「!・・」

 ドキリとすると、静かな笑みを浮かべているミオと目が合う。

 ばれていないことに期待していたアルトは、一瞬にして絶望した。

「・・すみません・・・」

「今さら謝っても、どうにもならないんだよなぁ。取りあえず、話しやすいところ行こうか?」



 デパートの屋上まで浮き上がると、アルトはミオの隣に足をついた。

 ここは暗くてひっそりとしている。そして、逃げ場がなさそうな場所だった。

「まさか真面目なアルトが、こんなことするなんてねぇ・・ま、油断してたあたしも悪いんだけど」

 ミオはやれやれという風に、ため息をつく。

「・・・」

「キオクを戻すなら、許可がおりている切断係の時にすればいいはずなんだよね。どうして今さらキオクを戻そうと思ったの?」

「・・えっと・・それは・・」

 一瞬、フミカのことを話そうと思ったが、もしかしたらそれがきっかけでフミカに迷惑をかけてしまうかもしれない・・。

 そう思うと何も言うことができなかった。

「んー?言いたくないの??それなら、別にいいよ」

「すみません・・ありがとうございます・・」

「因みにこのこと、リツにもばれてるから」

「!・・」

「あたしだけだったら、黙っておいてあげてもよかったんだけどねぇ。

 ・・・それなりの処分は、覚悟しておいて方がいいと思うよ」

 ミオは引きつった笑みを浮かべた。

「・・は・・い・・」

 やはり自分は、悪いことをしてしまったんだ、そう実感した。

 けれど、キオクが戻ったことに対しては後悔していなかった。

 何もかも忘れたままだったら、フミカはずっと苦しい思いをしたままだった。

「あ、ここからが本題ね」

「?・・」

 ミオは真剣みのある表情で、言葉を続ける。

「柚季と魔女の件、天界が諦めたわけじゃないのアルトは知ってるよね?」

「・・・そうですね」

 ─嫌な予感がした。

 そうか、やっぱりそう簡単に諦めてくれるはずない。

「魔女が柚季の体を乗っ取るのも、もう時間の問題になってきた・・・だから、天界は最終手段にでたみたいだね」

「!・・・でも、柚季さんは今、魔女さんの条件をクリアするのに頑張ってて・・」

 アルトがとっさにそう言うと、ミオは表情に影を落とす。

「そんな甘い考え持ってるの、天界ではアルトだけだよ?

 あたしたちはなっから、魔女の言葉なんて信用してない」

「──・・」

「・・・」

「その・・最終手段っていうのは・・一体何なんでしょうか・・?」

 アルトは恐る恐るきいてみた。

 ミオはそれに口を開く。

「魔女が地上に帰るのを阻止するには、その帰る場所をなくすこと・・」

「!」

「つまり、柚季にしんでもらうってこと」

「──・・・え?」

 ミオがさらりと口にした言葉に、アルトは自分の耳を疑った。

「寿命なんて、天界で調節することは可能だし・・もちろん、突然だから、理由はこっちで作らないといけないんだけどね」

「ちょっと待って下さい!!柚季さんはまだ生きてるんですよ?

 そんなこと、絶対にありえないですよっ」

「──・・確かにそうだよね。

 でも、境界にきたヒトが、キオクを保持したまま地上に戻ることは絶対にあってはいけないんだよ。

 それに、遅かれ早かれ柚季は、魔女に体を乗っ取られて死ぬことになる・・結果的には同じだよね??」

「っ・・・同じ、じゃないです!!柚季さんにはまだ可能性があります!」

 アルトが必死にそう言っても、ミオはやれやれという風にため息をつく。

「そう言って、先伸ばして全てが終わってからじゃ、遅いんだよー」

「っ──・・でも」

「今度は魔女に気付かれないようにやらないとねぇ。柚季と魔女、意識がリンクしているみたいだからね」

 そして、ミオはアルトに背を向ける。

「っ・・何で、そんなこと・・」

「仕事、だからだよ」

 ミオはアルトに背を向けたまま、ポツリとそう言った。そして、

「アルト・・邪魔をするようだったら、もう天界に君の居場所はないと思った方がいいよ。

 キオクを盗んだ件もあるんだしね」

 ミオは、その言葉を残すとフワリと浮き上がりアルトの視界から姿を消した。

 この場に立ち尽くすことしか、出来なかった。



 次の日の朝・・

 柚季は何事もなかったように、学校の制服を着て家をでた。

 瞳の色のことで母に心配かけている以上、いくら不安でもせめていつものように振る舞う努力はしないといけない。

(実際、落ち込んでるヒマなんてないし・・取りあえず、アルトに会ってみよう)

 昨日、気まずい別れ方をしてしまったが・・・それは、完全に自分が悪い。

 早く会って謝りたかった。

 それに・・やはりこの問題と一人で向き合うのは、気が重すぎる。

 いくらフミカとアルトが、仲良しだって関係ない。

 自分にとってもフミカにとっても、アルトにとっても・・一番ベストな形の解決策は・・絶対にあるはずだ。

「・・アルトー!」

 柚季は歩道で立ち止まると、周囲に人がいないことを確認してからそう呼んでみる。

 ・・・が、反応はなかった。

「・・・はぁ」

(できれば、早く会いたいんだけど・・・)

 もしかしたらアルトは、柚季のことなんか気にすることなく、フミカと一緒に楽しくすごしているのかもしれない。

 一瞬だけ、そんなことを考えてしまう。

(・・・いや、アルトに限ってそんなことあるわけないしっ)

 大丈夫。

 大丈夫。

 ──・・・きっとアルトは、心配してくれているはず・・・だ。

 そんなことを考えているうちに、もう学校のすぐ近くまでやってきていた。

 多くの生徒にたちに混じりながら、柚季は校舎への道を歩いて行く。

「この前の数学のテスト、点数やばくてさー」

「うちもうちも」

 そんな会話がきこえてきて、柚季はそんな普通の会話ができる人たちが羨ましく思った。

 自分だって、すずに変な薬、飲まされなければ・・・。

「柚季、おはよ~」

「おはよー琴音」

 後方からやってきた琴音が、柚季の隣に並ぶ・・・と思ったが、彼女は柚季を追い越してその前に立った。

「?琴音、どうしたの??」

 柚季も思わず、立ち止まる。

「ごめんね、柚季」

 琴音は少しだけ悲しそうな顏をして、そう言った。そして、掌をまっすぐ柚季の正面に向ける。

「──・・・!!」

 次の瞬間、柚季は自分の目を疑った。

 琴音の手の中に握られているのは、間違いなく白色をした銃だ。

 ・・・まるで、状況が飲み込めない。

(──どうして、琴音が?)

 その時

「柚季さん、伏せてください!!」

「!」

 その声にはっとすると柚季は、とっさに地面にかかんだ。

 柚季のすぐ上を勢いよく通過する、光の筋。

「??」

「・・・やっぱり、邪魔するんだね」

 琴音はポツリとそう言うと、再び柚季に銃を向けた。

「!!」

 すぐに銃口から、光の筋が発射される。

 当たってしまうと思ったが。それは柚季のすぐ前に現れた透明な壁のようなものにガードされる。

「柚季さん、大丈夫ですか?」

「!・・アルト」

 いつの間にか柚季の隣に立っていたのは、アルトだった。

 手にはあの術の本が広げられている。

 琴音はわずかに表情を歪めて

「アルト・・・分かってるの?

 これ、は天界に対する裏切りになるんだよ??」

「僕は・・・裏切っているつもりは、ありません」

 やはり柚季には、今の状況が飲み込めなかった。

「琴音っ・・・?一体、何言ってるの!?」

「──・・・」

 すると、琴音の姿が淡い光に包まれる・・・その光がおさまったかと思うと、琴音はミオ、になっていた。

「っ──ミオ!どうしてこんなことするわけ?わたし、何かした!?」

 柚季の叫び声にも、ミオは淡々とした様子で

「んー何もしてないよ。でも、放っておくわけにはいかないからね、魔女のこと」

「!・・・なら、直接すずのところに行けばいいじゃん」

「柚季さん・・天界で柚季さんを・・その・・殺すよう・・命令がでたみたいです・・」

「は!・・うそ・・」

 思いがけない事実に、眩暈がしそうだった。

 ミオの真剣な表情をみれば、そのことをひしひしと実感してしまう。

「取りあえず、人気のないところに行きましょう!」

 アルトは柚季の手を引き、走り出す。

 泣きたくなるのを何とかこらえて、柚季もアルトとともに駆け出した。

「っ──・・アルト・・どうしてこんなことになってるの!?」

「詳しくは分かりませんっ・・が、もう時間がない・・みたいです」

「!・・・──」

 そう話している間にも、ミオは銃を撃ってくる。

 柚季のすぐ横を通過する、光の筋。

「ちょっ・・危ないっ。アルト、どうにかしてー」

「あぁぁちょっと待って下さい!」

 アルトは走りながら、術の本を開くとそこに書かれている模様を指でなぞっていく。

 次に指で紙面を叩くと、柚季とアルトの周囲に薄い膜のようなものが現れる。

 それは光の筋を上手い具合に、吸収してくれた。

「今のうちにどこかに隠れましょう!」

「隠れるってどこにっ・・」

 柚季とアルトの走っている道は、人通りが多い。

 すぐ後ろには、ミオが迫ってきているし・・・。

 隠れる場所なんて、ないように見える。

 柚季と同様、焦っているらしいアルトは

「人ごみに混じれば、裏道に曲がったこと気付かれずに済むかもしれません」

「・・・そういうもん?」

(でも、ここは一か八かやってみるしかないっ・・)

 柚季はすぐに裏に続く小道を見つけると、アルトに「あそこいいかも!」と伝える。

 アルトは頷くと、裏道の方へ駆け込み、柚季もそれに続いた。

 柚季とアルトは立ち止まると、あがった息を整える。

「──・・・」

 柚季は通りの方へ目を向けてみる。

 ・・が、ミオが駆け込んでくる気配はなかった。

(大丈夫―・・・かな?)

 仮にミオに見つかってしまったら・・もう逃げ切る自信はなかった。

 そして、数十秒後・・

 アルトが、柚季の背後から呟く。

「もう・・大丈夫ですかね・・?」

「うん・・」

 すると、アルトは術の本を閉じた。

 それと同時に、柚季とアルトの周囲を覆っていた薄い壁はぱっと弾けて消える。

「・・・」

 ほっとしたのも、つかの間・・

「甘いなー君たち」

「!」

 その声が上から降ってきたかと思うと、柚季とアルトの目の前にミオが足をついた。

 アルトはすぐさま術の本を構えるが、それと同時にミオの銃の光がその本を彼の手から弾き飛ばす。

 そして、ミオは銃口を柚季に向けた。

「!!・・」

 柚季は覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。

「・・・──」

(・・・あれ)

 しかし、何も起こらない。

 そっと目を開けてみると・・目の前にアルトの背中が見える。

「アルトっ・・・大丈夫?」

 一瞬、アルトに当たってしまったのではないかと思った柚季は、彼の様子を窺がう・・・が、アルトは引きつった表情でミオを見据えているだけだ。

 どうやらミオは、銃を撃っていないらしい。

「やっぱやめた!あたし、ほんとはアルトと争いたくないんだよね」

 ミオは銃を手の中からかき消すと、困ったような笑顔を浮かべる。

「・・ミオ先輩」

「──・・」

「だから、アルト。”こっち来て”」

 ミオは表情に影を落としてそう言った。

「!・・」

「ほら、早く」

「・・・」

「・・・」

 柚季はアルトに行かないで、とは言えなかった。

 アルトが柚季から離れた瞬間、ミオはもしかしたら再び銃を撃ってくるかもしれない。

 そうだとしても、これ以上、天界でのアルトの立場を悪くしたくない。

 柚季は小声で、

「アルト、行って大丈夫だよ。わたし、すぐに逃げるようにするし」

「・・・でもっ」

 柚季はアルトの背中を軽く押す。

「いいから・・・ほら、はやくしないと」

「──・・」

 それでもアルトは、戸惑った様子で立ち尽くしている。

 柚季が恐る恐るミオの方へ目を向けると、彼女は真剣みのある表情を少しだけ緩めた。

「ごめんごめん。無理だったら別にいいよ。

 今のあたしのこと信用できないのは、当たり前だしねー」

「・・・」

 ミオはにっこりと笑顔を作る。

「あたしと一緒にきてくれたら、リツや他の上司の信用は得られたと思うんだけどね。

 んー・・・上手い言い訳、考えておかないと。どうしようかなー。

 こういう時に限って、魔女さん、はでてきてくれないし」

 ミオはこちらに歩みよってくると、柚季の目を覗き込む。

「──・・もしかして、柚季が魔女だから、もうでてこないのかな?」

「!・・・違うし」

 柚季はミオから思わず顔を背けた。

 ミオは少しだけ微笑むと、地面を蹴り、隣の家の屋根へ飛び移る。

 すると、アルトは

「ミオ先輩っ・・・ちゃんと謝りに行きますから・・」

「うん、そうだね。形だけでもよろしくね」

 そしてミオは、隣の家の屋根へ飛び移り、柚季の視界から姿を消した。

「はぁー・・取りあえず、よかった。

 ミオってある意味シイカより、何考えているか分からないかも」

 柚季はミオが消えて行った景色を眺めながら、そう呟やいた。

 ミオは柚季をピンチに追いやることを今までしてきたが、なんとなく完全に敵だとは認識できない。

「ミオ先輩は・・いいヒトですよ」

 アルトは消えてしまいそうな声で、そう言っただけだった。

「とにかく、助けてくれてありがとう!

 アルトがいなかったら、絶対ヤバかったよー」

「大したこと、できませんでしたがっ」

 柚季が微笑むと、アルトも少しだけ微笑んだ。

「・・・それより、アルト・・・大丈夫なの?」

 助けてくれたことは有難いが、そのことによってアルトの天界での立場が悪くなってしまうなら・・申し訳なかった。

 アルトはそれに、「だ、大丈夫だと思います」と返す。

「──・・」

(明らかに大丈夫じゃないよね・・)

 ──もうアルトに迷惑はかけたくなかったので

「アルト・・わたしのことはいいからさー、一回天界に戻った方がいいんじゃない?

 それで、わたしと一緒にいちゃまずいようだったら・・もう戻ってこなくても、大丈夫・・だし」

 ・・・本当はそんなこと、ないのだが。

 けれど、大丈夫と言っておかないとアルトを困らせてしまう。

 アルトは、少し沈黙をおいた後、

「柚季さん、大丈夫じゃないですよね?」

「──・・大丈夫だよ!

 今すぐにすずに体をのっとられるわけじゃないし・・まだ、時間あるし・・その間に説得できればいいことだしね?」

「──・・」

「そうしてくれないと、わたしが落ち着かないからさー・・」

 柚季は出来るだけ明るい声で、そう言ってみる。

 するとアルトは、不安げな表情で言った。

「・・分かりました。でも、絶対帰ってきますからっ」

「・・・」

 そして、アルトは小さく頭を下げると、柚季の前から姿を消した。



 アルトは落ち着かない気持ちを抱えたまま、天界へ続く扉の前に立った。

「・・・」

 ・・が、その場から一歩も動くことができない。

 少し考えれば、簡単に予想はついてしまう。

 きっと再び、地上でのキオクを抜かれて・・・柚季を殺すよう命令されるのだろう。

 そう、アルトの仕事は柚季の手助けをすることから、けす、方へシフトする。

 アルトはその仕事をこなせる自信は全くなかった、

 それに・・・せっかく取り戻した地上のキオク・・・もう失いたくない。

 フミカをもう裏切りたくない。

 ・・・けれど。

 アルトはトビラの取っ手に手をかける。

 悪いことをしてしまったのは、確か、だ。

 やはり、謝らないといけない。

「・・・」

 そう思うのだが・・

(あぁぁ・・・やっぱり無理です)

 アルトの足はどうしてもトビラの前から、動いてくれなかった。

 ミオが言っていたように・・天界にはもう、自分の居場所はなくなってしまったかもしれない・・。

 そう思うと、このトビラの先がまるで別次元に続いているような恐怖を感じる。

 その時、後方から背中を強くたたかれた。

「!!」

 弾かれたように振り向くと、微笑みを浮かべたシイカが立っている。

「び、びっくりしたじゃないですかっ・・・急に叩くのやめてください!」

「突っ立ったまま動かねーから、立ちながら寝てると思ってなぁ。起こしてやろーと思ったんだよ」

「そんなことあるはずないですよっ」

 アルトは呆れ気味に、そう返す。

 シイカは首をかしげると

「ほーじゃぁ、何で中入らないんだ?」

「・・・入りますよ」

 アルトが覚悟を決めて、トビラを開けようとした時、シイカがまた言った。

「そーいや、フミカがアルトのこと探してたぞー」

「!・・そうなんですか」

「つーか、連れてこいって言われたんだよな!」

「え・・・」

 シイカはガシリとアルトの腕を掴むと、ニカッと笑う。

「逃げるなよー?」

「ちょっと待って下さいっ・・今は、フミカさんと会うわけにはいかないんです」

 最後に見たフミカの姿は”アルト”になった彼女の姿。

 今になっても、フミカに生きてほしいという気持ちは変わりない。

 アルトにとって、大切なフミカにできることはそれしかないのだ。

 だから・・そうするために、もうフミカには会いに行ってはいけない・・アルトはそう思っていた。

「フミカ、機嫌悪そうにしてたぞー?

 早くいかねぇとやべーと思うんだよなぁ」

 アルトがシイカの腕を振り払おうとしても、彼はそんなこと言って全く離そうとしてくれない。

「そんなこと言われても、無理ですよっ・・シイカ、離してください」

「んー離すぞ!一緒に来てくれたらなー」

「・・・はぁ・・悪いですけど、ほんとに無理なんです。だから・・・」

「フミカ、しんじまうぞ?」

「!」

 そして、シイカは表情に影をおとす。

「──・・・」

 アルトは、その言葉に反応せずにはいられなかった。

 シイカは、口元にうっすらと笑みを浮かべ

「アルトが来ても、来なくても、なぁ。

 そういう可能性があることぐらい、アルトも知ってたんだろー?

 ま、止めたいなら、会いに行く方が可能性はあるわな」

「・・・」

 アルトはシイカの青みがかった瞳をじっと見据える。

 もちろん、それだけでは彼の言葉が嘘なのか本当なのか分からない・・・。

「・・・分かりました。行きますよ・・」

 分からない、けれど・・。

 シイカがアルトに、こうも真剣に物事を頼むのは今まで無かったかもしれない。

 だから、信じてみよう、アルトはそう思った。



 その頃、柚季は・・まだ、アルトと別れた場所にいた。

「すずーっ・・」

 人が通らない時を見計らって、ひたすらすずの名前を呼び続ける。

 おそらくすずは、柚季の瞳を通してこちらの現状を少なからず把握しているはずだ。

 だから・・・もしかしたら、きこえているかもしれない。

「すずー・・・3つ目のヒントの条件、変えてほしいんだけどっ・・人を殺すなんてできるわけないじゃん」

 いくらフミカがアルトの体を使っていると分かっても、自分にできることなんてほぼないと実感してしまった。

 だから、最後の望みをかけてすずの名前を呼んでいる。

「ねぇすずー聞いてるんでしょー?」

「・・・」

 しかし、いくら呼びかけても反応はなかった。

 きこえているのか、きこえないふりをしているのか分からないが・・・、どちらにしろこのままでは

(ヤバいなー・・どうにかしないとっ)

 その時、道路の向かい側にある家の屋根に二人分の人影が見えた。

「!・・・」

(アルトとシイカだっ・・何処いくんだろ)

 ・・・アルトは無事、天界に事情を説明することはできたのだろうか。

 そして二人は、隣の家の屋根に移動し、柚季の視界から消えてしまう。

「・・・」

 正直、今、一人でいるのは不安で仕方なかった。

 取りあえず、誰かと一緒にいたい。

(2人のこと、追いかけてみよう・・)



 アルトは、シイカに連れられてとある公園までやってきた。

 午前中の早い時刻であるためか、人は見当たらない。

 ・・・と思ったが、ブランコをこいでいる人影があった。

 それに近付くと、誰なのかが分かる。

(フミカさん・・・)

 アルトとシイカが近づくと、フミカはブランコをこぐのを止めこちらに歩み寄る。

「久々にブランコ乗ったけど、けっこう楽しいね~」

「・・・」

 アルトはそんなフミカの姿を、やはり直視することができなかった。

 自然と視線は下の方へ動く。

 自分の生きていた頃の姿、なんて・・・見たくない。目を背けていたい。

「アルト、こっちみて」

「・・・」

 フミカの力強い言葉に、アルトは恐る恐る彼女の方へ目を向ける。

 フミカはただ穏やかな表情を浮かべていた、

 ・・・穏やかではない・・フミカはとても幸せそうだった。

「ごめんね。昨日は脅すようなこと言って」

「・・別に・・僕は・・大丈夫ですよ」

 アルトは戸惑いつつも、そう返す。

 フミカは、にっこりと笑うと

「あたし、アルトのことを待っている間、苦しかっただとか、生きることは重いだとか言ったけどー・・・ほんとはそれだけじゃなかったよ」

「!・・・」

「すごく楽しかったし、幸せだった」

「・・・」

「ありがとうね、アルト。あと、シイカとすずにも感謝しなくちゃー」

 フミカはアルトの後方に立っているシイカを一瞥する。

「・・・」

 フミカの「ありがとう」にアルトはいつも救われていた。

 けれど、今だけはその言葉を受け入れることなんて、できなかった。

「楽しかったなら・・これからもずっと、僕の体を使っていてくださいよっ・・」

 フミカは軽くため息をつくと、

「はぁ~・・・どうしてアルトは、いつもそうなの??」

「え・・・」

「昨日、アルト言ってたけど・・誰かのために何かができることは奇跡だとかって。

 ・・・言っとくけど、そんなこと奇跡でもなんでもないからね??」

 フミカはぎゅっとアルトの手を握ると、言葉を続ける。

「・・・知らないかもしれないけど・・アルトの優しさはいつも誰かを救ってるんだよ!絶対に!!

 だから、もうそんなことで大切なもの手放さないで!もっと自分を好きになって!もっと自分を信じてよ!アルトはこれから、この世界で生きていくんだから!」

 フミカは目の淵にうっすらと涙をためて、そう叫ぶように言った。

「フミカさん・・」

 すると、アルトの手を握るフミカの手がわずかに緩む。

「・・・そろそろききめが切れる頃かなー・・」

「・・・」

「ありがとうアルト。ずっと・・大好きだよ」

 すると、フミカは苦しそうに背中を丸め、そのまま地面に倒れそうになる。

 アルトはとっさに、フミカの体を支えた。

「フミカさん!目を覚ましてくださいっ・・お願いですから!フミカさんっ」

 フミカの顏を見下ろしながら、必死に叫んでも、彼女はその目を開こうとはしてくれなかった。

 その時、何処からか「アルト!」と名前を呼ばれる。

 柚季は公園にいるアルトとシイカを発見すると、すかさず2人の方へ駆け寄った。

「!」

 そして、柚季は息をのむ。

 アルトの腕の上でぐったりとしているのは、フミカだった。

 ・・・・今は、人間のアルトの姿をしている。

「フミカ・・・だよね?一体どうしたの?」

「──・・・」

 柚季がきいても、アルトは暗い表情のまま俯いている。そして、

「僕なんかに生きる資格なんか・・・」

「?・・・」

 アルトがぼそりと何かを呟いたようだが、よく聞き取れなかった。

 すると、フミカの体がわずかに光を帯び始める。

 胸部分の光がより強まったと思うと・・・その中からフワリとでてきたのは、魂、だ。

 フミカの魂・・優しげな白色の光をおびて、柚季の目線の高さまで浮き上がる。

 ただ、戸惑っているとシイカの鎌が魂と身体を繋げている糸を断ち切った。

「!ちょっと、シイカっ・・」

「柚季、これはフミカが望んだことだからなー?」

 シイカはフミカの魂を掌で包み込み、そう言った。

「つーか、今さらフミカの死についてどーのこーの言っても意味ねぇよ。

 こいつはとっくの昔にしんでんだから・・・こーなることは、当然の結果なんじゃねーのかぁ?」

「っ──・・どうしてシイカはいつもそう・・」

「柚季さん、シイカの言うとおりですよ」

「・・・え?」

 アルトは俯いたまま言葉を続ける。

「僕はずっと前から・・認めたくなかっただけかもしれません・・フミカさんがしんでしまったこと・・フミカさんに何もできなかったこと・・」

 ぽたりぽたりと涙がこぼれていく。

 それはフミカのものだったアルトの頬、を濡らしていった。

「フミカさんには、まだまだ可能性があるのにっ・・それなのにっ・・!」

「っ──・・」

 柚季の胸に大きな感情がこみ上げてくる。

 アルトの前にしゃがみ込むと、柚季は言った。

「どうして、そんなこと言うの!?

 アルトにだって・・フミカと同じぐらい可能性はあるよ!!

 生きてるって分かったんだから、もっと自分の可能性も信じてみてよ!」

「ありがとうございます・・・でも、僕は、生きている頃から何をやってもダメダメで、フミカさんの役に立つこともできなくて・・」

 アルトの視線は、下を向いたまま動こうとしない。

「っ──・・そんなはずない!フミカはアルトのこと大好きだった!

 アルトの優しさに救われたっ・・絶対にっ・・!!」

 フミカと関わったのは、ほんの少しの間だけだったかもしれないが、それだけは分かった。

 自分がそうであるように、きっとフミカもアルト自身が気づいていないであろう優しさに救われている。

「──・・・」

「ん?フミカも同じようなこと言ってたなぁ」

 シイカの呟きに、柚季ははっとした。

 アルトは少しだけ、顏を上げると

「・・・本当に・・そうでしょうか・・?」

 とその時、公園の出入口から「人が倒れてるぞ!」という叫び声がきこえた。

 すると、すぐにサラリーマン風の男性が駆け寄ってくる。

 アルトは、それと同時にアルトの体から距離をとり、一方、男性は彼の頬を軽く叩き、「大丈夫ですか?」と声をかける。

 反応がないと分かった男性は、柚季に

「彼の知り合いの方ですか?救急車よびますね!」

「あっ・・──はい」

 柚季は、アルトとシイカの方に目をやる。

 ・・・やはり、天界人の姿は普通の人には見えないようだ。

「んじゃ、オレは行くからな。こいつのこと境界に連れていかねぇといけねーし」

 シイカは手の中の魂に目をやると、そう言った。

 次にアルトの方に目をやると

「・・体の方はまだ生きてるみたいだなぁ・・。どうするんだ、アルト。戻ろうとすれば多分、戻れるぞー?」

「──・・」

 アルトは表情を硬くしたまま、黙りこくっている。

 そして、

「ぼ・・僕も、途中までシイカと一緒に行きます」

「そうかーじゃ、行くか」

 シイカは地面を蹴り、フワリと浮き上がる。

 アルトは柚季の方に目をやり、少しだけ微笑みながら頭を下げると、シイカの後に続いた。

 遠くの空へ消えていく2人の背中をみながら、柚季は思った。

(そう簡単に言えるはず・・ない・・し)

 生きて、なんて。

 どの選択がアルトにとっての正解なのか、柚季には分からないし・・もちろん、決めることもできない。

 これは・・アルト自身が決めなくてはいけない大切な問題なのだ。

「・・──」

 でも、本当は・・・

(言っちゃえばよかったかなぁ・・・)

 その時、遠くから救急車のサイレンがきこえてくる。

 すぐに公園まで到着すると、アルトの体は手際よく車の中に運ばれた。

「一緒にのって下さい!」

 スタッフにそう言われたので、柚季も慌てて中に乗り込む。

 柚季は心配で仕方なかった。

(アルト、大丈夫だよね・・?)

 ソプラノの体だって、魂の入っていない状態で10年以上生きたのだ。

 だから、大丈夫・・・だよね・・?

(お願いだから、生きていてっ・・)

 アルトが帰ってくるまでは。



 柚季は自室に戻ってくると、カバンを置きベッドの上に倒れ込んだ。

「あー・・何か疲れた」

 本当は学校に行ってもよかったのだが、行く気になんてなれない。

 心配事が多すぎるのに加え、いろいろなことがありすぎた。

 ゆっくりと目を閉じる。

 ・・・浮かんでくるのは、別れ際に見たアルトの微笑み。そして、アパートにあげてもらった時に見た、フミカの微笑み。

「──・・・」

(フミカとはもう・・会えないんだよね)

 何だか、実感がわかない。けれど、現実。

 心の隅っこが欠けているような感覚だった。

 アルトのことをずっと待っていたフミカのこと・・

 その気持ちを考えると、自然と涙がこみあげてくる。

(フミカ、本当に強い人、だったのかなー・・)

 きっと違う。

 違うに決まってる。

(少しでも幸せになってくれればいいなー・・・)

「・・・」



「ゆず」

「!・・」

 誰かに名前を呼ばれた気がして、柚季は目を覚ました。

 見慣れた自室の天井が見える。

 どうやらいつの間にか、眠ってしまったようだ。

(今、何時だろう・・)

 まだ、すっきりしない頭でそう思い、体を起こす。

「!・・」

 それと同時に、目が引き寄せられたのは、時計ではなく、白い本、だった。

 最近、大人しかった白い本だが・・・今はまぶしい光を発している。

(すずからだっ・・!)

 立ち上がって近付くと、白い本は勝手に開かれ、中からすずの声がきこえてきた。

『ゆず、おめでとう。3つ目のヒント、クリアーよ』

「!・・・」

『もちろん、完全にクリアーとは言えないけどー、結果的には同じになったら、大目に見てあげるわぁ』

 素直に嬉しいと言えない心情だったが、それを何とか無視して

「すず。どうしてあんな条件にしたの?

 フミカがアルトの体使って生きてたの知ったうえで、だよね・・?」

『・・・』

「・・・すずもアルトに地上で生きてもらいたかったってこと?」

『どうでもいいじゃないー?そんなこと・・それより、3つ目のヒント、欲しくないの?

 きっと、これが最後のヒントよお?』

「!・・・ほしいに決まってるじゃん」

 その時、白い本の紙面から、するすると何かがでてきた。

 人間味のない白い肌に、赤い爪・・・すずの手、だ。

 その手が開かれると、掌の上にはまえの時と同じ赤と黒のカプセル。

「はぁー・・・やっぱり飲まなくちゃいけないパターンなんだねー」

 大丈夫なはずとは思っていても、やはり気が進まない。

 柚季はしぶしぶ薬を手にとる。

『わがままはダメよ、ゆず』

「わがままなのは、そっちじゃん!大丈夫だよ!ちゃんと飲むから」

 柚季は薬を口の中に放り投げ、ゴクリと飲み込んだ。

 眠気がくるまえに、すばやくベッドに腰かける。

(さっき起きたばっかなのに・・)

 そう思っているのもつかの間、強い眠気に襲われ・・柚季はベッドに倒れ込む。

 そして、意識を手放した。



 柚季の目の前に広がったのは、真っ白の空間だった。

 目の前には、真っ白のベッド。

 ベッドの上にも、下にも数えきれないほどの絵本が散らばっている。

(やっぱりここか・・すずっぽい女の子は・・?)

 柚季は辺りを見渡す・・・その時、後方から突然、誰かに抱きつかれた。

「残念だなぁ・・今回でもうゆずに会えなくなっちゃうなんて」

「!・・・」

 肩越しに振り返り、確認すると、そこにいたのはいつもの女の子だ。

 女の子は柚季の服に埋めていた顏を上げると、にっこりと笑顔をつくる。

「って言うか・・・あなたって誰なの?何かすずっぽいけど」

「そうね!あたしはすずよ!──・・・でも、すずじゃないわ」

「・・・は?意味わからないし」

 すると、女の子は柚季の腕を引っ張り、無理やりベッドに座らせる。

「ゆず~絵本読んで?」

 そして、手に持っている白い本を柚季に手渡した。

「──・・・分かった」

 柚季は少しだけ緊張気味に白い本を受け取る。

(今日で本当に最後まで読めるってことなんだよね・・)

 いつも途中までしか読めなかった白い本にかかれた物語。

 ラストは一体、どうなるのだろう。

 柚季はそっと表紙を捲る。

「昔々あるところに・・・─・・

 柚季は今までそうしたように、女の子に白い本にかかれた物語を読み聞かせていった。

 女の子はどこか安心しきった表情で、柚季の声に耳を傾けている。

「~・・・・幸せに暮らしました。おしまい」

 柚季はラストまで読めたことに安心し、白い本を閉じる。

「──・・・」

 これで、全てのヒントがそろった。

 すずの一番望むものを持ってきて、と言われたが、もしかしてこの物語が・・・?

「ゆず~、やっと最後まで読めたのねー!おめでとう~・じゃぁ、後は頑張って」

 女の子は立ち上がると、柚季に向かって手を振る。

 ──・・・気付くと柚季は、自室のベッドで横になっていた。

(かかないとっ・・・)

 そう思い、ベッドから起き上がって白い本を開く。

 そして、今回初めて読めたページ分を白い本へしっかりとかき写す。

「──・・よし」

 夢の中にでてきた白い本を同じように、すべてのページを埋めることができた。

 ・・・かと言って、何かが起きるというわけでもない。

(このまますずのところに持ってっても、きっと違うよねー・・)

 全てのヒントが揃ったというだけで、これ自体が正解だというわけではないはずだ。

(でもこれが、正解に繋がっているってことは間違いないよね)

 アルトに相談しよう、そう思ったが、今彼はここにはいない。

 ・・・でもアルトなら、近いうちに来てくれるはずだ。

「ゆずー準備できてるの?学校おくれるわよー」

「!」

 母の声にはっとし、置き時計をみると・・もう家をでる時刻だった。

「いくかー」

 本当はそんな場合では、ないのだが。

 目のこともあるので、あまり母には心配かけたくない。

「・・・」

 柚季は、机の中の引き出しから鏡を取り出し、恐る恐る覗き込んだ。

 ─・・右目を左目の赤色に近付いてきている。明らかに時間がない。

 柚季は不安を何とか心の中に押し込んで、学校へ行くための準備を開始した。

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