第2話「白い本」
誰かが泣いている。
・・・まるで幼い子供のように、自分の感情の全てをだしきって泣いている。
誰かその子の背中をさすってあげて。
そう思っても、その子に差し伸べられる手はなかった。
柚季はそっと手を伸ばす・・・。
その時、目を覚ました。
「あ・・れ・・?」
(わたし・・どうしたんだっけ・・)
意識がふわふわとする中、柚季は今の状況を思い出す。
(そうだっわたし・・すずに会って・・)
変な薬を無理やり飲まされたんだ。
その事実を思い出して今こうして、ちゃんと生きていること、に柚季はほっと胸をなでおろす。
(って言うか・・いつ帰ってきたんだろ・・)
体を起こして周囲を見渡してみると、ここは柚季の家のリビングだった。
家の南側の窓は、淡いオレンジ色に染まっている。
(もう夕方になったんだ・・・──いつの夕方??)
次にテーブルの上に目線を移すと、その上には境界に行く前に書いた、母への書き置きがあった。
(その日のうちに帰ってこれたんだっ)
柚季は立ち上がるとテーブルに近付き、その紙をゴミ箱に捨てる。
「柚季さん、体の調子はどうですか?」
その声に振りかえると、いつのまにかそこにはアルトが立っていた。
「あっ・・・アルト。うん、大丈夫だけど・・・わたし、すずに変な薬、飲まされたみたいで・・」
柚季の言葉に、アルトは申し訳なさそうに目を伏せた。
「そのことはもう大丈夫です」
「え・・」
「すみません・・僕がもっとしっかりしていれば、柚季さんを危険なめにあわせなくて済んだのに・・」
「だ・・大丈夫だって!ほら、こうして無事に地上に帰ってきたわけだしね?」
柚季はアルトが大分落ち込んでいることが分かったので、とっさにそう言った。
アルトはそれに少しだけ微笑むと、
「あ、あと、柚季さんに言っておかなくてはならないことがあるんです」
「・・何?」
「・・・──柚季さんにかけた術、あるじゃないですか・・」
「・・あの砂時計のやつね」
「それ、解いちゃったんです」
「!!えっ・・どうして??解いたらまた、薬の効きめがでちゃうじゃん」
せっかくこれで、安心できると思っていたのに・・・自分が気を失っている間に、一体何があったというのだろう。
「実は魔女さんがだしてきた条件で・・」
するとその時、リビングに今帰ってきたらしい母が入ってきた。
「ゆず、どうしたの?一人で大声出して」
「あっ母さん。お帰り」
柚季はドキリとしたが、とっさにそう返した。
「・・・ちゃんと眼帯しておきなさいよ?それ、他の人に見られたくないでしょ?」
「うん、大丈夫。すぐつけるから」
柚季は母の言葉で、眼帯をつけていないことに気付いた。
・・・母はこの目の病気、のことを他人に知られたくないと思っているらしい。
まぁ確かに、こんな不気味な目の色をしているなんて、いくら病気、だとしても他人の向ける視線は痛々しいものだろう。
「わたしの部屋で話そう?」
柚季はアルトに小声でそう伝えると、リビングを後にした。
*
「・・・で、さっきの話の続きなんだけど・・」
柚季はそう言いながら、自室のソファ代わりになっているベッドに腰かけた。
「あ、どうぞ座って?」
立ったまま話そうとしているアルトに、柚季がそう声をかけると、彼は「すみません」と呟きながら隣に腰かけた。
「・・あのですね、実は魔女さんが、柚季さんの体を乗っ取ることを諦めてくれるチャンスをくれたんです」
「えっ!ほんとに??」
「はい・・・でも、そのためには、柚季さんにかけた術を解く必要があったので・・」
「そうだったんだっ・・それで、そのチャンスって?」
柚季の興奮気味の声色にも、アルトは静かな声で言葉を続けた。
「魔女さんの一番望むもの、を持ってくることだそうです。期限は柚季さんが飲まされた薬が完全に効果を現すまで・・つまり、柚季さんが完全に体をのっとられるまで、ですね・・」
「うそっ・・じゃぁ、あまり時間ないよね・・?」
すずが出してきたチャンス、は予想以上に難しいものだった。
「って言うか・・すずが一番望むものって、分かるわけないじゃん・・・」
すずは境界という、こことは全く別の場所に住んでいるし、これに今回会ったのは初めて。
そんな彼女の望むものなんて、少しも想像つかない。
「そうなんですよねー・・」
アルトはそう言って、頭をかかえる。
「・・・」
「・・・」
「でも、諦めるわけにはいかないし」
柚季は自分に言い聞かせるためにも、力強い声でそう言った。
チャンスと呼ぶには難しい、そんな条件がチャンスだとしても、柚季にとっての希望はそれだけしかないのだ。
信じて・・・進むしかない。
「はい、もちろんです」
アルトは柚季の言葉に深く頷いた。
「僕も柚季さんも、魔女さんのことはよく知らないわけですし・・・そのことが一番の問題ですよね・・まず、彼女のことをよく知ることから始めなくては」
「うん、確かに・・でも、どうやって?」
アルトはそれに一瞬黙りこむ。眉間にしわを寄せながら
「うーん・・彼女に家族や友人がいればいいんですが・・・そうすれば、聞き込み?とかできそうですし」
「!・・そういえば・・」
「何ですか?」
アルトは不思議にそうに柚季を見た。
「すずがわたしのこと、妹だとかって言ってたけど・・そんなこと、ありえないしねー・・」
その言葉に、アルトの目の色が変わった。
「それ・・本当ですか?」
「・・え、うん。でも・・」
「柚季さん、それが本当の可能性は十分ありますよ?それならば、魔女さんが柚季さんに執着するのも納得いきますし」
柚季の額に、一瞬、嫌な汗がにじんだ。
柚季は必死になって、
「でもっわたしに姉妹なんていたことないし!」
「・・・柚季さんの産まれる前だったらどうですか?」
「!・・・──それは・・わかんないけど・・そういうことは親から何もきいてないし・・・」
「・・・」
するとアルトは、突然立ち上がった。
「僕ちょっと天界に戻って、魔女さんの情報、探してみます。もしかしたら、大きなヒントに繋がるかもしれません」
「えっもう行っちゃうの?」
「はい・・柚季さんはご両親に、その件について確認してもらえますか?」
「・・・うん、分かった」
「あ・・それとこれを」
「?」
アルトがズボンのポケットから取り出したのは、白い錠剤の薬が入ったビン。
「何?これ」
柚季はそれを受け取る。
「これは・・・痛み止めです。柚季さんの目・・・強い痛みがでるんでしょう?
だから、痛みを消すために毎朝飲んでくださいね?」
「ほんとにっ??ありがとう、アルト」
アルトからの思わぬ贈り物に、柚季の心は一気に軽くなった。
もうこれで、あの痛みの恐怖と戦わなくて済むんだ。
「でも、それは・・」
「え?」
「あ・・やっぱり何でもないです・・」
アルトの様子が少し気になったが、それについて深く考えている余裕はなかった。
「・・・よかった。この瞳が本当の病気じゃなくて」
柚季はいつの間にかそう呟く。
「だって本当に病気だったら、治るなんて分からなかったし・・ただ、視力を失う恐怖に支配されるだけだった・・」
「・・・」
「でも今は、こうしてアルトも協力してくれるし・・まだ、希望はあるって分かったし・・ほんとよかった!」
柚季はアルトから手渡された薬のビンをギュッと握りしめた。
アルトはそんな柚季を見て、少しだけ微笑む。
「柚季さん・・」
「ありがと、アルト。わたしのところに来てくれて」
「いいえ・・僕は、そんなお礼を言われる立場では・・・」
アルトは困ったような笑顔で、その言葉を並べる。
「まっいいじゃん。何となく、お礼言っておきたかっただけだから」
「・・・それでは、僕はとりあえず天界に戻りますね。柚季さんも確認の作業とか、お願いしますっ・・」
「うん、分かった」
するとアルトはフワリと浮き上がり、部屋の天井を通り抜け姿を消した。
*
(でも・・よく考えると・・)
夕食後、部屋に戻った柚季は考えを巡らせていた。
(仮にわたしが生まれる前にすずがいたとして・・・)
どうしてそのことを柚季に伝えないのか。
ただ、分かっていることは、すずは幼いときになくなってしまっているということ。
その事実は両親にとって、悲しみの記憶だということだ。
「・・・」
(そう考えると、かなり聞きづらいんだけど・・)
その思いがどうしても頭の中にあって、柚季は夕食のときも何もきかずに過ごしてしまった。
「どうしよ・・」
柚季は机に頬杖をつき「うーん」とうなる。
(でも、アルトと約束したし・・ちゃんと確認すべきだよねー・・)
この目のせいで両親に心配ばかりかけている柚季にとって、これ以上、親に嫌な思いはさせたくないのだが・・・そんなことも言ってられない。
「よしっ・・」
柚季は心を固めて立ちあがると、部屋を後にした。
*
「ねぇ母さん」
柚季はキッチンのテーブルをふいている母に近付くと、緊張気味にそう声をかけた。
「んー?」
母はテーブルを拭く手をとめると、柚季を見る。
「あのさー・・わたしにお姉ちゃん、っていたことある?ほら、わたしが生まれる前とかにさ・・」
柚季のその言葉に、今まで目にしたことのないような表情を母は浮かべた。
それには・・・驚き・・そして、恐怖が入り混じっているようにも見えた。
「・・・──どうしてそんなこと思ったの?」
「えっ・・ただ何となく気になったからさっ」
「ゆずのうまれる前にも、兄弟なんていないわよ。ほんと、変なこときくのねぇ」
「・・・」
母はすぐにその表情を元の落ち着いたものに戻すと、また何事もなかったように手を動かし始めた。
「・・・ほんとに?」
「ほんとに決まってるじゃない」
「そっか」
これ以上訊くと母の機嫌を損ねそうなので、柚季はそそくさとキッチンスペースを後にし2階の自室へと向かった。
「・・・」
(何かめちゃくちゃあやしーな・・)
母のあんな表情、今まで見たことない。
絶対・・・何かを隠している、柚季はそう思った。
(やっぱり・・すずとわたし・・姉妹ってこと?)
その考えが頭の隅でチラつく。
けれど、もしそうだとしても、すずがわたしにしたことは絶対に許せないけど・・・。
柚季は、家族が寝静まったことが分かってから忍び足で居間へ向かった。
奇妙なぐらい静まり返ったリビングの明かりをつけると、それはより明るく周囲を照らし出す。
(すずが、本当にこの家いたか調べてるなんて思われたくないし・・)
あの母の反応からして、このことに関係することは人目につかないところでやるべきだ、と思った。
柚季はアルバムがしまってある戸棚に近付くと、そっと扉を開けた。
ほとんどここは開けることはないが、柚季の昔の記憶によると、この中に古いアルバムがしまってあるはずだ。
「!・・あった」
戸棚の中に敷き詰められているのは、いかにも古そうなアルバム。
柚季はそのうちの一冊を手に取ると、ページを開いた。
そこにある写真に写っているのは、幼いときの自分。
(卒園式のときかなー・・)
写真の中の自分は、眼帯のないきれいな顏で笑っていた。
そこに一緒に映るのは、今より若々しい母と父で。
自分は幼いときから両親に愛されていたのだと感じて、少しだけ幸せな気持ちになる。
(これよりもっと古い写真は・・)
柚季は次々とページを捲っていったが、どうやらこのアルバムには幼稚園の頃の写真しかないらしい。
(違うアルバム見てみよ)
柚季はそう思い、出したアルバムを棚に戻し、今度は別のアルバムを取り出した。
開くとそこには、柚季の記憶にない写真があった。おそらく、幼稚園に入る以前のものだろう。
「・・・」
柚季はパラパラとページを捲り、昔へ昔へとさかのぼっていく。そして、ふと手の動きを止めた。
「?・・・──」
(写真、はいってないし・・)
そのアルバムの前半にかけて、写真が入っていない真っ白のページが続いていた。
どう見ても不自然はこの状態に、いつのまにか柚季の額に嫌な汗がにじむ。
(もしかして・・ここにすずの写真があったってこと・・?)
でも、どうして一枚も残っていないのだろうか。
とその時、二階から人の歩く音が聞こえた。
「!やばっ」
柚季は急いでアルバムを閉じると、それを元の位置に戻そうとする・・・と、その時。
棚の一番奥にある数冊の薄い本が、目に留まった。
(これって・・・!!)
柚季はとっさにその数冊の本を手に取ると、アルバムを元の位置に戻し戸棚の扉を閉めた。
・・誰かが階段を下りてくる足音。
柚季は、その誰かが降りてくる前に、その数冊の本を服の中に隠す。そして、何事もなかったように居間をでようとしたとき、二階から降りてきた母と出くわした。
「あ、ゆず。どうしたの?」
母は眠たそうな瞳で柚季を見て、そう言った。
「ちょ・・ちょっと・・のど乾いたからさー水飲んでた」
「そう」
そして母は、トイレの方へ向かっていった。
(セーフ・・怪しまれてないよねっ?)
柚季はため息を漏らすと、居間の明かりを消し2階の自室へ向かう。そして、部屋に入ると服の中に隠していた本を机の上に広げた。
・・それらの本はみんな絵本だった。
随分と古いもののようで、紙面が黄ばんでしまっている。
柚季はすずの家にあったたくさんの本棚のことを思い出していた。
・・・その中に敷き詰められている本たちは、見間違いでなければ・・みな絵本だった。
だから、この戸棚の奥から見つかった絵本も、もしかしたら、何か関係性があるかもしれない、そう思わずにはいられなかった。
「ゆず、早く寝なさいよー?」
部屋の外から聞こえてきた母の声に、「分かったー」と返事をする柚季だが、全くその気はなく机の上の絵本をながめる。
人魚姫に白雪姫、赤ずきんにヘンゼルとグレーテル・・・どの絵本も誰もが知る童話だ。
柚季はそのうちの人魚姫、を手にとると、ページをパラパラと捲る。
(わたしもよくこういうの読んだなー・・)
柚季の場合、読み聞かせてもらった記憶の方が強いが・・。
と、あるページで思わず手の動きを止めた。
童話にはつきものの、魔女が出てくるページ。
「・・・」
(そういえば・・すずって魔女って呼ばれてるけど・・これとは関係あるのかな)
同じ魔女といっても、童話にでてくる魔女と、すずは、全く違う位置にいるのだが。
(いや・・でも、不気味なところとか最強?っぽいところは似てるけど・・)
そう思いながら絵本を閉じると、裏表紙にかかれてある文字に目がとまった。
「!!・・」
思わずドキリとする。
黒のマジックで、子どもがかいたような大きく乱れた字体でかかれてあるのは、星宮 すず、という名前。
「やっぱり、すずは・・この家にいたんだ」
柚季が生まれる前、確かにここに。
もう認めるしかなかった。すずは自分の姉、だということを。
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