第1話(5)


(柚季さんっ・・・一体どこに行っちゃったんですか?)

 柚季がいないという事実に気付いたアルトは、もと来た道を引き返して彼女の姿を探していた。

 ・・・後ろからついてくるはずの柚季の気配がない・・・と思って、振り返ったら案の定だ。

(あーっ・・なんでもっと早く気付かなかったんでしょうっ・・・)

 こんな背の高い本棚が並んでいては、探しづらくて仕方ない。

 アルトは、床を蹴って浮き上がると本棚の上に足をつく。そして、さっきより高い位置から、周囲をじっくりと見渡した。

「うーん・・」

(それらしき人物は見当たりませんね・・)

 それ以前に、視界が薄暗いので、遠くの方はよく確認することができなかった。

「よ!アルト」

 その声と共に、勢いよく肩を叩かれる。

「!」

 振り返ると、いつの間にかアルトの後ろにはシイカが立っていた。

「・・・シイカ」

 シイカはニコニコと機嫌がよさそうな表情で、

「何か困ってそうだなっ」

「・・・そうですよ。柚季さんとはぐれてしまって今、大変なんです」

 アルトは、ため息まじりにそう言った。

「だから、シイカと話しているヒマは・・・」

「マジか!そりゃぁ大変だなっ。早く見つけなくちゃヤバくねぇか!?」

「そうなんですよっヤバいんですよ・・・!!」

 すると、シイカは辺りをぐるりと見渡す。そして、目を僅かに見開くと遠くの方を指差した。

「あれってもしかして、柚季じゃねぇか?」

「!・・僕には何も見えないですけど・・」

 シイカの指差す方に目を凝らしても、ただ薄暗い中に本棚の列が続くだけ・・。

「何で見えねーんだよ。あっちにいるだろ?」

 シイカはそう言うと、隣の本棚の上へ身軽に移動し、そのまま次々と本棚の上を器用に渡り歩く。

「・・・」

(ほんとに見えているんでしょうか・・?)

 アルトは疑問を抱きながらも、念のためシイカの後に続いた。



「人間界にいるゆずに、あれだけの量の薬を飲んでもらうのとても大変だったんだから。なのに、他人にそう簡単に助けてもらうなんて卑怯よ?」

 すずは悲しげにそう言いながら、柚季に近付いてくる。

 柚季はそれに、負けじと言い返した。

「・・・何が卑怯なの?変な薬を飲ませて、わたしの体を勝手に乗っ取ろうとしているあなたに言われなくないっ・・」

「ふぅん・・強気ねぇ・・すごい」

「・・・」

「・・・でも、境界に来ちゃったことは間違いだったわね。地上とここじゃ、まるっきり違うから」

 すずは幸せそうに微笑む。

 柚季はその笑みに、恐怖を覚えた。

「──・・・まるっきり違うって何が?」

 柚季の問いに、すずは静かな声で、

「使える薬の種類とその効果」

「!!」

 その時、柚季は気付いた。・・・足が動かない。

 見ると、床から生えた植物のツタのようなものが柚季の両足をぐるぐると縛り付けている。

「っ・・何?」

 柚季は振り払おうと足に力を込めるが、それは叶わず、反動で床にしりもちをついてしまった。

「!!」

 と同時に、床についた両手にも、そこから現れたツタによって力強く縛り付けられる。

 柚季は全く身動きがとれなくなってしまった。

(うそっ・・どうしよっ・・)

 どう力をこめても、縛り付けるツタは解けそうにない。

 その時、視界にすずの服の裾がうつり込んだ。

「!!」

 見上げると、柚季のすぐ前に立つすずが、口元に笑みを浮かべこちらを見下ろしていた。

「っ──・・・アルトーっ!!」

 もし、彼が近くにいたら助けにきてくれるかもしれない、柚季はそう願って叫んだ。

「無駄よ。あの子が足止めに行ってるはずだから」

 すずはそう言いながら、柚季の前にしゃがみ込み、その赤の瞳でこちらを見据える。

 すると、すずは掌を柚季の前に差し出した。

「!」

 ・・・その手の上には、一錠の薬。

 柚季が知らずに飲まされていた薬ととても似ていて、でも色だけが違う。それは、紫と黄色をしたカプセルだ。

「ゆず、飲んで?」

 すずは、そのカプセルを柚季の口のすぐ前まで持ってきた。

「!!・・・飲むわけないじゃん!」

 柚季はすぐさま顏を背け、そう叫ぶ。

 今度はどんな効果のある薬なのだろう。

 きっと、柚季にとって最悪のものに違いない。

「やっぱりそうよねぇ・・・じゃぁ、あたしが飲ませてあげるから」

 すずはため息交じりにそう言うと、そのカプセルの薬を自分の口へ放り込む。

「?・・」

 次の瞬間、すずは唇を柚季の口に押し当てた。

「!!!」

 すずの両手は、しっかりと柚季の頭を押さえている。

 少しの沈黙・・・。そして、すずは柚季の口から唇を離した。

「っ・・・!!」

(うそっ・・・飲んじゃったっ・・・)

 すずの突然の行為に頭が混乱する中、その現実だけはしっかりと受け止めることができた。

 それと同時に、柚季の足と手を縛っていたツタは消えてなくなる。

「・・・ごめんね、ゆず。あたしはどうしても人間になりたいのよ・・・」

 すずはどこか憐れむような瞳で、柚季を見ていた。

「っ・・・ひどい!!」

 柚季は叫ぶようにそう言うと、立ち上がる。・・が、歩き出すその前に柚季の体は崩れるように床に倒れてしまった。

 ・・・──体に力が入らない。

「ゆずが今飲んだのは、魂が体から離れる薬、よ。やっぱり境界では、薬の効果がすぐにでるみたいね」

 すずは柚季の耳元でそう囁いた。

 ・・・柚季は、もうどうすることもできなかった。

 そうしている間にも、柚季の視界はだんだんと黒く染まっていく。・・・そして、何も見えなくなった。



 時は少しさかのぼり・・。

「シイカ!ほんとにこっちでいいんですか?」

「おうっ絶対間違いない!」

 アルトは不安が心を満たす中、シイカの背中を追いかけていた。すると突然、彼は動きをとめる。

「ほらっあれだよ!ここからならアルトも分かるだろ?」

「・・・」

 アルトはシイカの目線を目で追う。

「!!」

 そして見つけた。柚季の姿を。

 彼女と一緒にいる人物は・・・間違いなく、魔女─・・すずだ。

「柚季さ・・」

 この場から動き出そうとしたその時、後頭部を強くたたかれた。

「イタッ!!・・何するんですかっシイカ!」

 が振り返ったそこには、シイカの姿はなかった。

「オレじゃねーぞ!」

 アルトの隣にいるシイカはそう呟く。

 そこにいたのは・・・あのときの女の子だ。

 魔女の家の場所を、辛口で教えてくれた女の子。

 彼女は、アルトとシイカのいるところから一つ間をとった本棚の上から、こちらを見据えていた。

「おお!可愛い子だなっ。アルトの知り合いか?」

「・・・それより早く柚季さんのところへ・・」

 女の子はすっと目を細めると、静かな声で言った。

「・・・行かせない」

 と同時に、女の子の周囲に風が巻き起こり、彼女の二つに結わえた髪をそして、本棚の中の本を空中に浮き上がらせた。

「アルトっ何かヤバくないか?」

 シイカは苦笑いを浮かべる。

「や・・ヤバすぎます!!早く何か対抗できる術を・・・!」

 アルトはそう言いつつ、手の中に、柚季の中にある砂時計をだしたときと同じ、大きくて分厚い本を現した。

 ・・・がその瞬間、数冊の本に勢いよく体当たりされる。

「うわぁっ」

 アルトは本棚の上から足を踏み外し、落下するが床にぶつかる前にフワリと浮き上がった。

「えっえーと・・えーと・・」

 本に直撃された額を手でさすりながら、アルトはパラパラとページを捲る。

(確かっ・・こんな時に使うのはっ・・・──)

 そんなことをしている間にも、本たちは次々とアルトの方へ攻撃してくる。

「うわぁ!」

 ギリギリで逃れることはできるものの、この状態では目的の術を探せない・・。

「アルト、大丈夫か?」

 シイカがフワリとアルトの隣までやってきた。

「大丈夫じゃないですっ」

 アルトは手を動かしながら、そう返す。

「・・・─何かあの子、アルトのことだけ狙ってるみてーだなぁ」

「・・・」

 すると、シイカは手の中に背丈以上もある大きな鎌を現した。

 とその時、本がアルトにせまってくる。

 シイカは口元に笑みを作ると、その鎌で本を切り裂いた。

 バラバラになった本は、白いページをまき散らし床へと落ちる。

「!シイカ・・ありがとうごさいます!」

「いいっていいって~」

 シイカは笑顔でそう言った。が、向こう側にいる女の子は無表情の顔を僅かに歪ませる。

(この間に早くっ・・・)

 そして、何とか目的のページを見つけると、術を発動させるための複雑な模様を、指示されている通りに指でなぞっていった。

 ・・・最後に指先で二回、紙面を叩く。すると、本の中から光の球体が飛び出してきた。

「シイカ!ありがとうございますっ・・・!!ちょっといいですか?」

 アルトは本の攻撃を防いでくれている彼の後ろから、そう言った。

 シイカはこちらを見ると、二カッと笑いアルトの前から場所を移動した。

「っ・・・──!」

 そしてアルトは、光の球体を手に取るとそれを女の子に向かって放った。

 光の球体は、予想以上のスピードで女の子の方まで迫ると、突然その形を膨らませ彼女をすっぽりと飲み込んだ。

 と同時に、吹き荒れていた風も本の攻撃もやみ辺りは一気に静かになる。

「よかった・・・!!これでしばらくは大丈夫です。あそこからでるのは、容易じゃないはずなのでっ」

「おぉ!やるなーアルト!」

 シイカはそう言いつつ、アルトの背中をバシバシと叩く。

「・・・それでは、早く・・」

 とその時、

「アルトーっ!!」

 柚季のその声が確かに聞こえた。

「!!柚季さん!」

 間違いなく柚季は危機的状況に陥っている、そう確信したアルトは、すぐさまこの場から離れ、彼女の方へ向かう。

 ・・・そんなアルトにシイカも続く。

 柚季の姿が近づくにつれ、今、彼女に起こっている事態を把握することができた。彼女は、床にぐったりとして倒れている。

「!──っ・・」

 一体、柚季のみに何が起こったというのだろうか。

「アルト!あぶねぇーぞ!!」

「!?」

 シイカのその声とほぼ同時に、背中に強い衝撃が走った。

 ・・・アルトはそのままの勢いで、本棚にぶつかると床へ落下する。

「っ・・・痛っ・・・」

 その衝撃により、数冊の本もドサドサとアルトの隣に落ちてきた。

「う・・」

 アルトは、全身に走った痛みに何もできず表情を歪ませた。

 ・・・術が記してある大切な本も、この衝撃でどこかへ飛ばされてしまったらしい。

 女の子は、アルトを攻撃した風の塊を手の中からかき消すと、代わりに大きな剣を手の中に現した。

 その剣は、女の子の体と不釣り合いなぐらい大きくて長い。

 彼女は表情を動かすこともせずその剣を手に持つと、動けないでいるアルト向かって急降下した。

「!!まっ・・待ってください!!」

 アルトは女の子の攻撃を、横に転がるようにして何とかかわす。

 が、彼女の攻撃はそれだけでは終わってくれない。

 女の子は立ち上がれないでいるアルトの前に立ち、剣を高々と振り上げた。

「!!っ・・・」

 その時、女の子の背後に現れたシイカが、鎌で彼女を切り裂く・・・が、刃が当たる寸前で彼女は空中に身をひるがえし、それを避ける。

「可愛いのに・・・そんな物騒なもん、似合わねーぞ!?」

 シイカはそう余裕の笑みで言いながら、次々と刃を振るっていった。

「・・・」

 女ん子は顔色ひとつ変えずに、刃を身軽にかわす。

「アルト!今のうちに行けるぞ!」

「あ・・ありがとうございますっ」

(シイカが時間稼ぎをしてくれている間に・・早くしなくてはっ)

 彼の好意を無駄にしたくない。

 アルトは立ち上がると、走り出した。

 ・・・柚季がいた場所は、すぐそこのはずだ。

 本棚の間を走り抜け、アルトは柚季がいるはずの場所へ向かう。

「!!」

 そして、柚季の姿を見つけた。

 彼女は・・床に仰向けに倒れ・・ぐったりとしている。

「柚季さんっ大丈夫ですか?」

 アルトはすぐさま柚季に駆け寄り、その体を揺さぶるが、彼女はそのまぶたを開く様子はなかった。

 その時、背後から声がした。

「残念。少しくるのが遅かったみたいね」

「!」

 振り返すと、そこには魔女─・・すずの姿があった。

 彼女は、余裕ありげな笑みを浮かべている。

「──・・・魔女さん。柚季さんに何したんですか?」

「何だと思う?」

 すずは流すようにそう言うと、倒れている柚季の隣に座り込み彼女の顔を見下ろした。

「・・・」

 ・・・結果は何にしろ、アルトにはやらなければいけないことがある。

 アルトは汗ばむ掌で、ポケットの中のあるものをしっかりと掴んだ。そして、それをゆっくりと取り出しすずへ向ける。

「なぁにそれ?」

 すずは楽しげな笑みを口元に作った。

「──・・・」

 アルトが今、すずに向けているものは・・・拳銃に似た武器。と言っても、全体が真っ白で形が丸みを帯びているので、そう物騒なものには見えないのだが。

「・・・すみませんが、魔女さんには魂ごと消滅してもらいます」

 アルトの言葉に、すずはゆっくりと立ち上がった。

「・・・ふぅん。どうして?」

 すずの意外な言葉に、アルトは目を見開いた。

「どうしてって・・・柚季さんに理不尽なことをしたからですよっ」

 ・・・すずは瞳をわずかに細める。

「・・・なら、この状況も理不尽だわ。その気もないヒトに、こんなものを向けられるなんて」

「・・・何でそんなことあなたに分かるんですか?」

 アルトは銃口をすずに向けたまま、静かな声でそう言った。

 すずはフワリとアルトの隣に足をつくと、耳元で囁く。

「・・・だって君、優しい、でしょう?汚らわしいほどにね」

「!・・・」

 するとすずは、アルトの手の中の銃に自分の手を乗せた。

「ははっ・・大丈夫?震えているみたいだけど」

「!・・・離れてください!」

 アルトはすずの手を振り払い、また銃口を彼女へと向ける。

 すずは相変わらず、口元の笑みを絶やさずに

「いいのよ。撃っても」

「っ・・・──」

 アルトの額に、じんわりと汗がにじんでくる。

 ──・・・撃たなくては。

 アルトが引き金に力を込めようとしたしたその時、倒れたままの柚季の体が淡い光をおび始めた。

「!?・・・」

「始まったみたいね」

 その青白い光は、柚季の胸辺りでより強く光り・・・そして、そこから何かが現れる。

「!!」

 アルトは自分の目を疑った。

 あれは間違いなく、柚季の魂だ。

(どうしてっ・・・こんなことっ・・)

 アルトは頭の中が混乱する中、柚季の隣に近付く。そして、彼女の魂が遠くへ行ってしまわないよう、青白く光りを放つそれを手で包み込んだ。

 ・・・かろうじて魂と柚季の体は、一本の糸のようなもので繋がっているが、いつ切れてしまうかも分からない。

「・・・──魔女さん、あなたの仕業ですか?」

 アルトの声は自分でも意外なほど、静かだった。

「そうよ?・・あまり悪く思わないでね。ゆずを境界に連れてきた君にも、原因があるんだから」

 アルトはすずの言葉に、思わずドキリとした。

 ・・・そうだ。あのとき無理やりでも柚季のことを止めていれば、このようなことにはならなかったはずだ。

 ・・・とアルトは考えたが、今はそんなこと思っているヒマはない。

「柚季さん!目を覚ましてくださいっ」

 アルトは必死に、柚季の魂を彼女の体に戻そうとする。

 ・・が、魂はまるで体と反発するかのようにその中へ入ってくれない。

「ムダムダ。さっさと諦めて、天界に戻ったら?君の代わりに、あたしがゆずの傍にいるんだから」

「──・・・」

 アルトは床の上に落としたままの銃を、ゆっくりと手に取った。そして、目を伏せながら、

「あなたを消滅させたら、薬の効果はきれますか?」

 アルトの言葉に、すずは面白そうに口元を緩める。

「・・・さぁどうでしょう?」

 その時・・・

「おっいたいた!」

 シイカが本棚の影から、ひょっこりと姿を現す。

「!シイカっ」

「今日が寿命の、柚季ってこいつのことだな?」

「!!・・・──ちょっと!何言ってるんですか?シイカ!」

 アルトはシイカの言葉に、思わずそう叫ぶ。

 シイカはそんなことは気に留める様子なく、手の中に大きな鎌を現した。

「ごめんなーアルト。言いそびれちまったけど、今日、柚季の寿命がつきるみたいなんだよなぁ・・・つーかもう魂でてるしっ!あとは繋ぎめを切るだけだなっ」

「・・・ほ・・本気で言ってるんですか?」

 シイカはアルトの動揺も気に留める様子なく、不思議そうに首をかしげる。

「はぁ・・・?本気に決まってるだろー?」

「ちょっと待ってくださいよ!柚季さんは魔女さんのせいでこうなったわけであって・・・寿命とかそういうのでは・・・──」

 シイカは困ったように笑う。

「あのなーアルト。寿命にそんな面倒な決まりはないだって!まっ柚季の場合、かなり稀な例なことは確かだけどなっ」

 ・・・すずはシイカの登場にも顔色一つ変えることなく、微笑んでいる。

 まるで、こうなることを初めから知っていたみたいだ。

「──・・・」

 シイカは、黙りこくったままのアルトの背中を、バシッと叩くと相変わらずの笑顔で言った。

「アルト~良かったじゃねーか!これで面倒な仕事とおさらばできるぞっ」

 そして、シイカは鎌を高々と振り上げた。

「待ってください!!」

 アルトはそう叫んで、シイカと柚季の間に割って入る。

「なっ何だよー?」

「シイカ・・・やめてください」

「はぁ?何でだよ?・・つーか、ここで柚季の寿命がつきるってことは、別にアルトが仕事を投げ出したってことじゃないから、大丈夫だぞ?

 もし、上から何か言われたら俺がフォローしてやっから!」

「──・・・っ・・そんなことは・・どうでもいいですよ」

 アルトの声は動揺を隠せなかった。

 どうしてシイカはこんな状況でも、平然としていられるのだろう。

 どうしてシイカは・・・こうも、命に対して無頓着なのだろう。

 シイカはアルトの言葉に困ったような顔をする。

「じゃぁ、何なんだよー?つーか・・・俺も仕事をしないとヤバいんだけどなぁ」

「・・・すいません、シイカ。柚季さんのことは見逃してくれませんか?」

「──・・・」

「僕はまだ・・──柚季さんの命を諦めたくないんです」

 アルトは必死な思いでそう言った。

 ・・・ここで諦めてしまったら、裏切ることになる。

 彼女の持っている希望も、ここまで来れた自分の気持ちも。

 シイカはアルトの気持ちを察したのか、不服そうな声で、

「・・・仕方ねぇーな。アルトがそこまで言うなら、柚季の魂は見逃すよ」

「!・・ありがとうございますっ」

「─・・やっぱりアルトは真面目ってことなんだよな。まぁそこがアルトのいいところだしなっ」

 シイカはいつもの笑顔で二カッと笑うと、手の中の鎌をかき消した。

「・・・はは」

「あっその代り、怒られたらアルトのせいにするからなー!?」

「べ・・別に構いませんよ」

 アルトは何とか微笑んでそう言った。

 そして、シイカは「じゃー俺は帰るか」と呟いて、この場から姿をかき消してしまった。

 アルトはその光景を見て、安堵の溜息を漏らす。

「あーぁ帰っちゃった」

 すずは残念そうにそう言葉をこぼした。

「・・・」

「あたしの薬は、魂を体の外に出すことはできても、切断することはできないのよねー。あの子が使う鎌だけが頼りだったのに・・」

「・・じゃぁもう諦めてください」

 アルトは睨むように、すずを見る。

「・・・」

 すずはそれに何も言い返さず、ただ不機嫌そうに表情を歪める。そして、胸の前で指をパチンと鳴らした。

「!」

 それと同時に柚季の魂は、彼女の体の中に吸い込まれるようにして戻っていった。

 ・・・青白かった柚季の顔は、見る見るうちに生気を取り戻す。

「・・・言っとくけど、諦めたわけじゃないから」

 すずは冷たい声色で言うと、柚季の前に座り込んだアルトを見下ろした。

「─・・・どうやったら諦めてくれますか?」

「ははっ。またそんなこと言って」

「・・・」

「あたしがそう簡単に諦めると思う?」

「──・・・」

 アルトは黙っていることしかできなかった。

 ・・・やっぱりこうするしか・・道はないのだろうか。そしてアルトは、手に持つ銃に力を込める。

「・・・でも、一回だけチャンスをあげる」

「!」

 顏を上げると、すずは微笑みアルトの前にしゃがみ込んだ。

「・・・──君がゆずの傍にいるのは、すごく不快。でも、あたしのゆずに、こーして優しくしてくれることは・・・まぁ不快ではないわ」

「──・・・」

「・・・その前にゆずにかけた術を解いて。話はそれからよ」

「・・魔女さんが柚季さんの体をのっとることを、諦めてくれる可能性があるってことですか?」

「まぁね。可能性はゼロではないんじゃない?」

 すずは面白っがっているような笑みを口元に作る。

「・・・」

 きっと今の自分には魔女・・すずを消滅させるほどの力はない。

 それに逆らっても、どうこうできる相手ではないだろう。

「・・・──分かりました」

 アルトは覚悟を決めてそう言うと、柚季の胸の前にかざした。

 すると、彼女の体の中から、あの時の砂時計がアルトの手に、吸い寄せられるようにでてきた。・・・それを掴む。

「・・・術はこれで解けましたよ」

 と同時に、すずはそれ奪い取った。

「!」

 そして、砂時計を床に落とすと、何のためらいもなく足で踏みつけた。

 それは鈍い音を立て、粉々になると空気に溶けるように姿を消した。

「・・・タイムリミットは、ゆずの中の薬が完全に効果を現すまで・・・つまり、あたしがゆずの体を手に入れるまでね。それまでに、あたしの一番望むもの、を持ってきて」

 すずはその言葉をつらつらと読み上げるように言うと、アルトに背を向けた。

「そーしたら、あたし、人間になること諦めてあげるから」

「!・・待ってください!!それだけじゃ分かりませんよ!」

「はは。分からなかったら、それでおしまい。よーく考えてね?

 あっゆずにもそのこと、ちゃんと伝えておくのよ」

「──・・・」

「あっ・・そうだ」

 すずは何か思い出したようにそう言葉をこぼすと、手の中に何かを現した。

 ・・・それは透明なビンに入った多くの薬。

 すずはそれをアルトの方へ放り投げる。

「!」

 それをとっさに受け取ると、すずは言った。

「・・・それ、痛みを止める薬。ゆずに飲むように言って。朝起きたとき必ずね。

 あんな痛みがでるなんて、あたしにも予想外だったから」

「!!・・・そんなことっ信じられませんよ」

「・・・そう?ゆずが痛みで、精神的におかしくなっていいっていうなら・・別にいいけど・・──」

 そして、すずはクスリと笑うと、またアルトに背を向け、

「じゃぁ、せいぜい頑張って」

 そう呟くと部屋の奥の暗闇へ姿を消した。

「・・・」

 アルトはすずから受け取った薬のビンを、力強く握りしめていた。

(一体どうすれば・・・とにかく、柚季さんが目を覚ましたら、ちゃんと伝えなくちゃですね・・・)



 すずはアルトと別れてからすぐ、こちらに向かってよろよろと歩いてくる人影を目にした。

「!・・」

 すずはそれが誰なのか察し、すぐに彼女に駆け寄る。が、その前に彼女は力なく床に倒れてしまった。

「ソプラノ!・・大丈夫?」

 すずは長い白髪を二つに結わえている女の子・・・ソプラノの上半身を抱き上げ、そう声をかけた。

「ごめんなさい・・すず様。私、足止めをすることができませんでした・・それに、すず様の大事な本たちをバラバラにしてしまいました・・・」

 ソプラノはその大きな瞳に、あふれ出しそうなほどの涙をためて表情を歪ませる。

「・・・そのことはもういいのよ、ソプラノ。それに散らかった本たちは、また元通りにすればいいことだわ・・」

 すずは彼女の目に溜まった涙を、優しく拭い取る。

 ・・・ソプラノは、とても痛々しい姿だった。

 身にまとっている黒のワンピースはやぶれ、そこから覗く肌にも血のにじんだ傷が何か所もあった。

「・・・ごめんなさい・・」

 ソプラノは整わない呼吸の中、またその言葉を並べた。

「・・・いいから。早く傷の手当てしましょう?」

「いいんです。すず様にそのようなこと、させるわけにはいきません」

 するとソプラノは服のポケットから、薬の入ったビンを取り出し、そこから一錠手に落とす。そして、それを口に含んだ。

 次の瞬間、ソプラノの歪んだ表情は何も感じていないような無表情に変化し、目からこぼれ落ちる涙も肌に吸い込まれるようになくなった。

「・・・ソプラノ。あまりそれに依存しすぎると・・」

 すると彼女は、すずの腕から離れ立ち上がると、こちらに向かって頭をさげた。

「お気遣い、ありがとうございました」

 ソプラノは淡々とした声色でそう言うと、すずに背を向ける。

「ちょっと・・ソプラノ!傷の手当はちゃんとしなさいよ?」

「・・・はい。大丈夫です」

「・・・」

 そしてソプラノは、おぼつかない足取りで歩きだし、すずの前から姿を消した。

「・・・ほんと困った子」

 すずは、ため息交じりにそう呟いた。

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