第1話(4)

 


アルトは柚季が意識を失った(眠った)ことを確認すると、安堵の溜息をついた。

(よかった・・砂時計の効果は無事、でてくれたみたいですね・・)

 天界の図書館には、そのての資料がたくさんある。

 その中でも時間を止める方法が示された本は、わずかしかなかった。それに加え、自分が使える術となると、より限られてきて・・・。

 アルトは、柚季の腕を肩にのせ、彼女の体をズルズルと引きずりながら移動する。

(確か、柚季さんの家はここでしたよね・・・)

 柚季の家までアルトはやってくると、扉をあけてすぐ近くにある部屋の中に足を進めた。

 そして、目に留まったソファに柚季を横にさせる。

(眠った柚季さんを道端に放置するわけにもいかないですし・・・取りあえず、これで大丈夫ですよねっ)

「・・・」

 アルトは静かに柚季の顔を見下ろした。

 きっと薬の効果が完全に現れる・・魔女が完全に柚季の体をのっとるには、そう時間はかからない。

 だから、こうして時間を止めた、のだが・・・。

 正直、まだ不安だった。

 魔女がこの事実に気付いたらどうなるか。きっと、黙ってみていることはしないだろう。

 それともう一つ、柚季には黙っていることがあった。

 天界に一度帰ったとき、出された命令は、魔女すずを消滅させること。

 もうこんな状況になってしまったら、そうするしかないのだそうだ。

(僕にそんなことできるんですかねー・・・)

 アルトは小さく息をつく。

 渡された魔女を消すための道具は、自分には荷が重すぎる・・そう思った。


 柚季がゆっくりと目を開けると、見覚えのある天井が見えた。

(ここ・・わたしんちのリビング・・?)

 どうしてこんなところに・・・

(そうだ、わたし、気を失って・・・)

 ゆっくりと体を起こすと、ある光景が柚季の目にとびこんできた。

 柚季の家のリビングのテーブルの前に座るアルト。しかも、お茶・・?まで飲んでくつろいでいる。

「アルト・・人んちのリビングで何やってるの??」

「あっ・・柚季さん、起きたんですねっ。すいません・・どうものどが渇いてしまって」

 アルトは慌てた様子で、手のグラスをテーブルに置く。

「いやっ別にいいんだけどね」

(・・・っていうか、天界のヒトでものどは乾くんだ・・)

 アルトは立ち上がると柚季に歩み寄って、

「どうですか?体に違和感はないですか?」

「うん、得に大丈夫―・・・っていうか、ほんとに砂時計の効果はでてるの?」

 時間の流れが止まってらしいが・・今までと全く変化がないように感じる。

「はい。そこらへんは心配しなくても大丈夫です。僕には分かるので」

 アルトはにっこりと笑った。

「そーなんだ・・」

 体の時間がとまったということは、どういうことなのだろうか・・。

 どんなに運動しても疲れないとか・・・?それとも、いつまでも髪が伸びないとか?

 そんなことを考えていると、アルトが口を開く。

「柚季さんも無事、目を覚ましたことですし・・・僕はちょっと境界に行ってきますね」

「え・・──もしかして、すずのところに行くの?」

「はい、そのつもりです。まだ完全に安心できる状況ではないので」

「確かにそうなんだよね・・」

(って言うか・・アルト、一人で行くなんて大丈夫なのかな・・)

 柚季は病院で起こった悲惨な出来事を思い出す。

「・・・魔女のところに行って・・彼女を消滅させるつもりです」

 アルトが力強く言った言葉に、柚季は目を丸くした。

 まさか、アルトからそんな言葉がでてくるなんて。

「・・・─本当に?そんなことできるの?」

 アルトはそれに不安げに目を伏せ、

「分かりません・・でも、柚季さんの安全のためにはその方法が一番いいんです。

 それに、これも仕事のうちですのでっ」

 アルトは不安げな顏を、すぐに微笑みにかえる。

「・・・」

 柚季はそれに「頑張って!気を付けて行ってきてね」という風にはどうしても言えなかった。

 確かに、アルトの仕事・・・なのかもしれないけど、これは自分の問題でもある。

 アルトに全て任せて、自分はここで待っている・・なんて都合がよすぎる気がする。

「ねぇアルト。わたしも一緒に行きたいんだけど、いい?」

 柚季がその言葉をポツリと口にすると、アルトは信じられないような表情を浮かべる。

「えぇ!?さっき一緒に行きたいって言いましたかっ?」

「思いっきり言ったけど」

「だ・・ダメに決まってるじゃないですかっ。柚季さんには危険すぎます」

 アルトは、今までになく動揺しているようだ。

 それでも柚季は、お構いなしに言う。

「危険なのはアルトも同じじゃん!わたしの問題でもあるのに、何もしないで待ってるなんてしたくない・・」

「・・お願いです・・柚季さん・・地上で大人しく待っててくださいよ・・お願いですから」

「・・・──わたしは、行くよ?」

「絶対に・・ですか?」

「うん」

「・・・」

 アルトは今にも泣きだしそうな顏でこちらを見ていたが、やがて小さく微笑むと、

「・・わかりました。柚季さんは本当に勇敢なんですね・・きっとこれなら、魔女の呪いからもすぐに解放されますよ・・」

「はは・・うん」

「でも、無茶だけはしないでくださいね?柚季さんはあくまで人間なわけですし。基本は、僕についていくという方向でお願いしますよ?」

 柚季はそれに思わず、クスリと笑った。

「・・そーだね!頼りにしてるよ、アルト」


 柚季はカバンの中に入っている大学ノートを取り出すと、まだ何も書かれていないページを破いた。

 筆箱からペンを取りだし、そこに文字を書く。


 母さんへ

 遅くなるかもしれないけど、心配しないで。絶対帰ってくるから!

                             柚季


 そして、その用紙を居間のテーブルのよく見える位置に置いておいた。

「そんな風にかいたら、余計にどこに行ったか気になりませんか?」

 テーブルに置いたそれを見たアルトは、そんなことを柚季に訊く。

 柚季はアルトの言葉にその紙を見下ろすと、

「・・確かにそうかも・・でも、異世界に行くなんて書いたら余計にややこしくなりそうだし・・」

「異世界じゃありませんよ、境界です」

「似たようなもんじゃんっ・・・──まぁ、何も書かないよりはマシだと思うし・・取りあえず、これでいいか」

「・・・いいんですか?それでは、行きましょうか」

「うんっ」

 そして柚季はアルトに続いて部屋からでた。

 ・・・本当は少し怖い。・・・いや、とても怖い。

 けれど、自分で動かないとプラスな方へ行けない気がするから。

 一刻でも早く、この眼帯を外すために・・・魔女から逃れるために・・平和な日々を取り戻すために。

(・・わたしは、行くよ)


 柚季がアルトに案内されてやってきたのは、学校の屋上だった。

「っていうか、なんでここなの?」

 柚季が訊くと、

「できるだけ、空に近い場所がいいんです」

「ふーん・・」

 ここに来るまで校内を歩いていたら、気付いたことがある。

 ・・・やっぱりアルトは、関係のない人には見えないらしい。

 白い服で金髪なんて目立つはずなのに、すれ違う生徒や先生は振り向きもしなかった。

(琴音には一言言えばよかったかなー・・)

 自分のクラスの前を通るときそう思ったが・・・今は五限目中。

 授業、真っ最中のクラスに堂々と入るのには、気が引けて・・・柚季は今、ここにいる。

 するとアルトは空に向かって手を伸ばし、そこで指をパチンと弾いた。

「あ、現れました。あれが境界への入り口です」

「?・・」

 柚季はアルトが指差した方へ目を向ける。

 そこにはトビラがあった。

 空の真ん中、雲の間にあるトビラは半透明で空の青色と同化している。

「へーすごい!」

「さて、行きましょうか」

 アルトはにっこりと笑ってそう言うと、その場で軽くジャンプする。・・と同時に、彼の体は空中に浮かび上がった。

「!」

「そーでしたっ。柚季さんは僕の背中に乗ってください」

 アルトは再び屋上に足をつくと、柚季に背中を見せる。

「あっどーも・・」

(誰かにおんぶしてもらうのって何年ぶりだろ?)

 柚季はそう思いながら、アルトの背中に慎重にのる。

 次の瞬間、アルトと柚季は空中に浮きあがった。

「!すごいっ・・」

 見る見るうちに遠くなる屋上。

 見る見るうちに遠くなる自分の住む世界・・・。

「ちゃんと帰ってこれるよね?」

 柚季が呟くような声で言うと、アルトは少しの沈黙の後、

「それは柚季さん次第ですよ?」

 と静かな声で言った。

「大丈夫ですよ!」という返事を少し期待していた柚季は、少なからず動揺する。

 今になって「行きたくない」なんて言えない。

 だから・・・

「そーだよねっわたし、頑張るよ・・」

 アルトはそんな柚季に少し顏を向けると、にっこりと笑った。

「もちろん、僕もできる限りのことはやりますよ」

 そして、アルトと柚季はトビラの前までたどり着く。

 その境界へのトビラは、近くにきて見ても、やっぱり実体があるように見えない。

 すると、アルトはトビラの取っ手に手をかける。

 ・・透けているのは、しっかりと触れるなんてとても不思議な感じだ。

 アルトは、トビラを開け、中に足を踏み入れた。

 一瞬、柔らかな風に包まれたかと思うと、柚季の目の前に広がったのは街並みだった。

 街並みと言っても、柚季のよく知る街並みではなかった。

 きれいな石畳の道。それに、白色で統一された家々。

 石畳の道は、地上では絶対にありえない場所・・・空中にも続いており、その上には家々が並んでいる。

「あっ・・柚季さん、降りてもらってもいいですか?」

「ごっごめん!」

 柚季はアルトの言葉にはっとし、慌てて彼の背中から降りると、改めて景色を見渡す。

「すごいっ・・道が空中にまで続いてる!」

「そうですよ?空中も使えば、より多く家を建てられますからね」

「ふーん・・」

 柚季はふとある違和感に気付いた。

 こんな立派な街並みなのに・・・ちらほらとしかヒトが見当たらない。

 そんなことを考えていると、アルトが言った。

「この境界は、地上から離れた魂が天界に行く前に、休憩をとる場所なんです。だからみんな、自分の家に閉じこもっています」

「・・へー・・って言うか、家に閉じこもったままじゃ、逆にストレスかかりそうだけど」

 アルトは柚季の言葉にクスリと笑った。

「確かに地上ではそうですよね。でも、ここは家に閉じこもっていても、ストレスがかかることは絶対にありません」

「え、何で?」

「・・──それは、秘密です」

 アルトはにっこりと笑う。

「えっえ?」

「まぁ・・柚季さんもそのうち分かります」

「・・・」

 そして、アルトは歩き出す。

 柚季もアルトの隣を歩くため、歩調を早める。

 街の中心ぐらいまで歩いてきたその時、アルトが突然立ち止まった。

「?・・どうしたの?」

 アルトは眉を寄せながら、

「魔女の家は・・・ここにあるんですよねっ・・」

「え、そうなんでしょ?」

「今気付いたんですが・・僕、魔女の家がどこにあるのか知りません・・」

「えぇ!?」

「境界に仕事に行くことは、ほとんどないので・・・これは困りました」

 アルトは腕を組んで、うーんとうなりながら首をかしげる。

 柚季はそれに乾いた笑みをこぼすしかできなかった。

「はは・・でも、魔女って呼ばれているぐらい有名?なんだから、ここにいるヒトに訊けば分かるかもよ?」

 その時、柚季は近くを通りかかった女の子(小学中学年ぐらい)にとっさに声をかけた。

「あの・・魔女って呼ばれている、すずっていう子の家って知りませんか?」

 女の子は感情のないような静かな表情で柚季を見ると、

「・・・魔女に会いに行く?」

「?・・うん」

 すると、女の子はすぐ先にある別れ道のうちの左の方を指差すと、また静かな口調で言った。

「・・・この道をずっとまっすぐ行けばいい。

 どんな多くの分かれ道に出会っても、惑わされずにずっとまっすぐ行けば・・・着くはずだから」

 柚季は女の子の指差す先を目で追う。

 その道は上空の方へ続いており、そこにかかった大きな雲のせいで先の方はよく確認することができなかった。

「分かった。ありが・・」

「物好き。魔女に会いたいなんて。そんなこと思うの、気が狂ったひとだけ」

 女の子は独り言のようにそう言うと、すたすたと歩き出し、近くにある家の中へ入って行ってしまった。

「・・何か、けっこうひどいこと言われたんだけどっ」

 年下の女の子にさらっと言われてしまった言葉。ショックは大きい。

「そんなに気にする必要ないですよ。

 ・・・まぁ確かにここでは・・あ・・ここでも、ですが・・魔女には悪い噂しかありませんし」

 アルトは困ったような笑みを浮かべ、そう言う。

「悪い噂って例えばどんな?」

「そうですねー・・他人には言えないあやしい薬をつくっているとか・・地上の人間を呪い殺そうとしているとか・・ですかね」

「・・・」

「・・・」

「噂っていうか事実じゃん!まさに、あやしい薬を飲まされて殺されかけてるの、わたしだしっ」

「あはは~本当に、そのようなことをしているせいで、魔女なんて呼ばれてしまうわけですしねぇ」

「なら、噂でも何でもないじゃん」

「ですよね。まぁ天界では、その事実が嘘かホントか曖昧な部分も多いですから・・噂、になっているんですよ。

 事実と知っているのは、一部のヒトだけみたいですし」

 アルトは微笑みながら言葉を続ける。

「でも、境界のヒトたちは事実だって気付いているみたいですよ?きっと魔女って呼んでいるのは、関わりたくないからなんだと思います」

「・・・関わりたくない・・かぁ」

 境界の人々がそう思うのだから、よほどなのだろう。

(でも、わたしはそんなこと言ってられないし・・)

 というか、自分の体を取りもどすためには、積極的に関わっていくしかすべがない。

「じゃぁ行きましょうか。あの子の言うことが本当なら、この道を真っ直ぐいけば魔女の家に着くはずです」

「・・うん。行こう」

 柚季は不安がチクチクと心を刺激するなか、アルトと共に歩き始めた。

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