第1話(3)

 

柚季はいつもよりだいぶ重く感じる自宅の玄関の戸を、ゆっくりと開いた。

(って言うか、思わず怒鳴って帰ってきちゃったけど・・ヤバかったんじゃ・・)

 そんな考えが頭の隅をチラつく。

 だって、この状況を知りどうにかしてくれそうな人物は、アルトしかいない(なんだか頼りないが)。

 今のところ、薬の効果は現れてないが・・──柚季は怖くて怖くて仕方なかった。

 この体はいつ、魔女にのっとられてしまうのか。

 その時、自分の意識はどこに行くのか・・・

 どちらにしろ分かりきっていることは、ここの世界から自分という存在が消えてしまうこと、だ。

 もし、魔女が柚季になりすまして生きるとしたら・・誰も柚季の死を認識してくれない。

 誰も・・悲しんでくれない。

 誰も・・──。

 それならばいっそ、その前に・・・・。

 とその時、後ろから誰かに肩をたたかれた。

「どうしたの?こんなところに突っ立って」

 ・・・母は不思議そうな顔で柚季を見た。

「あっ母さん、お帰りなさい」

「ただいまーあ、今日、病院で薬もらってきたんでしょ」

 柚季はそれにドキリとするが・・

「・・うん。ちゃんともらってきたよ」

 と何事もないように言うしかなかった。

「そう、お金は足りた?」

「大丈夫。前回のぶんが余ってたから」

 すると母は、心配そうに柚季の顔を見据える。

 その時、柚季は眼帯をしていないことに気付いた。

「目の調子はどう?悪化してない?」

「大丈夫、大丈夫~」

 柚季はそう言って何とか笑顔を作ってみせる。

 母は「ならいいけど」と呟くと、靴を脱いで家の奥へ姿を消した。

 実は母に・・・この左目が全く見えなくなったとは伝えてなった(全く見えなくなったことは最近のことだ)。

 ただ、見えにくい、時々痛みが走ると言ってあるだけで。

 柚季はそのことを伝えるべきか否か・・悩んでいる。

(ただえさえ心配性の母さんに、そんなこと言ったらどうなるんだろ・・)

 柚季はそんなことを考えながら、靴を脱いで家に上がった。そして、二階の自室へ足を進める。

(・・・とりあえず、またアルトに会わなきゃ)

 柚季はそう、心に決めた。

 とても怖いけど・・・──ほんとはまだ、諦めたくないから。


 その日の夜。

 柚季は刺すような痛みで目を覚ました。

「痛っ・・」

 右目が・・痛い。

 まるで、力一杯握られているようなそんな痛みが、右目全体に広がっていた。

 柚季は目を開けていることができなくなって、力強く目を閉じた。

(イタイ・・イタイ・・・っ)

 見えなくなった左目は、もう痛むことはしなくなったが、今度は右目の番。

 左目に走った痛みよりも、明らかに強い痛みだと分かって柚季は怖くなった。

(このぶんだと、きっと左目よりも早く・・・)

 すると、すっと痛みが和らぐ。

 だけど、また何時間後には痛みだすことを柚季は知っていた。

 その事実は夜の闇よりも、暗く深く柚季の心を縛り付ける。

「・・・」

 目の淵にいつの間にか溜まった涙は、柚季が目を閉じると静かに頬を伝っていた。


 そして次の日。

「柚季ーおはよー」

 いつもの通学路を歩いていると、後方からその声がきこえてきた。

「あ、おはよ~」

 隣まで駆け寄ってきた琴音に、柚季は笑顔でそう返す。

「なんか、すごーくだるそうに歩いてるねぇ~?大丈夫??」

「え、わたし、そんなふうに歩いてた?」

「うん、めちゃ疲れてそうな歩き方してるよ?」

 琴音は苦笑しながらそう言う。

「うーん・・ちょっと寝不足だからかも。

 まっそんなに大丈夫だから気にしないで」

「そう?」

 ・・・実際、柚季は寝不足だった。

 昨日、あの痛みに襲われてから、目が妙にさえてしまってあまり寝付けなかった。

(って言うか、どこにいるんだろ・・アルト)

 今朝、学校に行く前、ためしに名前をよんでみたのだが、彼は姿を現さなかった。

(こんな異常事態に、一体どこで何やってるのー?)

 本当はそう叫び散らしたいのだが、アルトの「助けに来た」という言葉を信じて、ここは少し待ってみよう・・・そう思った。

「そういえば、昨日、柚季が描いていた絵、もう一回見せてよ。あたし、あの絵なんか好きでさぁ」

「うん?あ・・いいよ」

 琴音にそう言われて、柚季はカバンの中のスケッチブックを取り出し、それを彼女に手渡した。

 パラパラとページを捲る琴音。

 すると、あるページで手を止めた。

「あれ・・?ここにいた男の子は?消しちゃったの?」

「あ・・」

 すっかり忘れていたその事実に、柚季は琴音の手に持つスケッチブックを覗き込んだ。

 真っ白の部屋に、男の子のいる絵・・・だったはずなのに、その男の子は今はもういない。

 そのせいで何だかとても寂しくて、不自然な絵になってしまっていた。

「いやっ・・消したわけじゃないけどっ」

 柚季がとっさにそう言うと、琴音は首をかしげる。

「え~?じゃぁ何で消えてるの?」

「実はその男の子、絵の中からここにでてきて・・・どっか行っちゃったんだよね」

「・・・」

 丸い瞳をより丸くして、柚季を見る琴音。

「あはっいいねーそういうの」

 琴音はニヤリとしてそう言った。

「・・・だよねー」

(やっぱ信じるわけないかっ・・)

 この場合、信じられても困るが。

「あたしも柚季みたく絵が上手く描けたらなぁ」

 琴音はそう呟きながら、スケッチブックを柚季に手渡した。

 柚季はそれを受け取ると、

「わたし、琴音が言うほど上手くないよ?それに、琴音だってすぐくいい絵描くじゃん!」

「そうかなぁ~?でも、柚季がそう言ってくれるとなんか嬉しー!」

 琴音は可愛らしい笑顔を作る。

 その時、

「柚季さん」

 聞き覚えのある声がした。

「!」

 ドキリとして振り返ると、そこにはアルトがいた。

 彼は申し訳なさそうに、少しだけ微笑んでこちらを見ている。

「アルト!」

 柚季がそう叫ぶと、琴音は驚いたように、

「えっ??どうしたの?」

「ごめん!先行ってて」

 柚季はその言葉を残すと、アルトの方へ駆け寄った。

 アルトは柚季が駆け寄ってくると、口を開く。

「柚季さん、目の調子はどうですか?」

「大丈夫!・・・っていいたいところだけど・・そうでもないかも。昨日の夜でた痛みが、ほんとにきつくて・・」

「そうですよね・・あんなに大量の薬を飲まされては・・・柚季さんの体にかかる負担は大きいですよね・・」

 アルトは目を伏せてそう言った。・・・が、にっこりと笑う。

「・・・でも、もう大丈夫です」

「は?」

「ちょっと天界に戻って、いい方法を探してきました」

 アルトはそう言いつつ、手の中に大きくて分厚い本を現した。そして、数か所にはまっている付箋紙のうちの一つに指をかけ、ページを開いた。

「・・・取りあえず、柚季さんの体に流れる時間を一時停止させようと思います。そうすれば、薬の効果も・・・止まるはずでしょう?」

「!・・確かにっ・・ってそんなことできるの?」

 アルトはコクリと頷くと、その本のページの上に指を乗せた。そして、紙面を指でなぞり、その跡は変わった模様が浮かび上がる。

「?・・・」

 その後、アルトが指でトントンと紙面を叩くと何かが本の中から飛び出してきた。

 それは光を帯び、空中を漂っていたが、アルトが手に取るとたちまち光は弱くなる。

 ・・・──アルトの手の中にあるのは、銀色の砂が入った砂時計だった。

「何それ?砂時計?」

 柚季が訊くと、

「そうですっでも・・少し変わった砂時計でして・・」

 するとアルトは、その砂時計を逆さまにする・・が、砂は下へとこぼれ落ちない。

 サラサラと砂が動く感じはあるのだが、上の段にある砂はずっとそこにとどまっている。

「何これっ・・不思議・・」

 柚季がそう呟くと、アルトは手の中の分厚い本をかき消して口を開いた。

「見ての通り、この砂時計には時間が流れていません」

「あ・・だから、砂が下に落ちないんだ」

「そうです・・それに加え、この砂時計にはもう一つ特別な力があります・・!」

「え、何なに?」

 するとアルトは、「手をだしてください」と言った。

 柚季は言われるがまま、胸の前に掌を見せるようにだした。

 アルトはそっと砂時計を柚季の手の上に乗せる。

 ・・が、それは柚季の手の上に乗らないまま、まるで水の中に入るように手の中に姿を消した。

「!?・・・え?」

「時間の流れが止まったものを入れれば、柚季さんの体もそれに合わせて時間の流れが止まってくれる・・・はずです」

 アルトはにっこりと笑った。

「へーすごいっ」

「あっ・・あともう一つ。時間の流れを調節するのに、一度、柚季さんには意識を失ってもらうことになります・・・!」

「・・・え?」

 その言葉とほぼ同時に、視界がグニャリと歪んだ。

 その光景はだんだんと黒く染まっていく・・・。

 柚季が足をふらつかせると、アルトが体を支えてくれたのが分かった。

(本当にこれで・・・大丈夫なんだよね・・)

 そして柚季は意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る