第1話(2)
「そうだったんだ・・・ご苦労様ー・・じゃなくて!言ってることがほんと、意味不明なんだけどっ」
「あっ・・すみません・・何というか、こう説明するしか方法が思いつかなかったんです」
「・・・」
柚季の頭の中は、これまで経験したことのないぐらいパニックを起こしていた。
(落ち着け・・・自分!)
心の中でそう念じると、
「・・・現実なの?今、起きてること・・」
アルトは、柚季の言葉に目をパチクリさせる。そして、困ったような笑顔を浮かべた。
「当たり前じゃないですかっ。現実じゃなかったら、何になるんです?
こうしてお互い、触れることもできますし」
するとアルトは、柚季の手を何のためらいもなく掴む。
「!・・・」
「ほら、これで信じるしかないですよ、柚季さん」
・・・アルトの手はひんやりとしていて、まるで血が通ってないかのように色白だった。
柚季は丁寧にアルトの手から、自分の手を抜き取ると、
「分かった、信じるからっ・・」
という他なかった。
「さっそくですが、柚季さん。カバンの中にある薬を見せてもらってもいいですか?」
「え?薬ってこれのこと?」
柚季はカバンの中から、さっき受け取ったばかりの薬の袋を取り出すと、アルトに見せる。
アルトはそれを受け取ると、中の薬を一束とりだした。そして、難しい顏をする。
「むむ・・確かにそれっぽいですね」
すると、アルトはもう片方の手の中に、まるで手品のように、ポンッと手帳のようなものを現した。
パラパラとページを捲ると、あるページで手の動きを止める。
「間違いないですね・・”魔女の呪い”の原因は、この薬にあります」
アルトは薬と手帳の紙面を交互にみながら、そう言った。
柚季は嫌な予感を持ちながらも、
「一体何?その魔女の呪いっていうの・・・」
アルトはその言葉に、「ちょっと失礼します」と言って柚季の方へ手を伸ばす。
「!・・・」
そして、柚季の左目を隠している眼帯を丁寧に外し言った。
「この赤い瞳のことですよ」
「!!」
アルトは柚季の左目を、じっと観察するように見る。
「・・・もうこの左目は、柚季さんのものではありません。”境界の魔女”のものです。
この薬をずっと飲み続けていれば、柚季さんの体は魔女にのっとられてしまう・・・でしょう」
アルトは手帳を見ながらそう言い終えると、手帳を手の中からかき消した。
柚季はアルトの言葉に耳を疑った。
「え・・!?わたしの体をのっとるって・・・──?
それにわたし、この病気を治すために薬のんでた・・・──」
「ん~・・・そこらへんは詳しく説明しなくちゃですね・・そうですね・・まず・・」
アルトは考えるような仕草をして、
「この薬、初めて飲んだ時のこと、覚えていますか?」
「!・・もちろん、覚えて・・・──」
柚季はそこで言葉をとめた。
確か、一年ぐらい前・・・のはず、だけど・・・。
「ちょっと待って・・・今、思い出すからっ・・」
「・・・」
「──・・・あ・・れ?」
柚季は頭を抱える。
「うそ・・思い出せないっ」
何となく、薬を飲み始めて一年ぐらいたつと思っていただけで・・・柚季は、その日のことを全く記憶してなかった。
どうやって、病院に行ったかも、薬を受け取ったときのことも。
アルトは、柚季がこう反応することを知っていたかのように、言った。
「・・・つまり柚季さんは、その赤い瞳になるために、薬を飲まされていたわけですね・・・本当にお気の毒さまです」
アルトは悲しそうな顔をする。
「うそっ・・」
柚季は改めて知った事実に、言葉を失った。
まさか、自分で自分に”毒”を与えていたなんて。
少し前のその光景が頭に浮かんで、ゾッとした。
「っ・・わたし、どうなっちゃうの?」
「・・・このまま何も知らずに薬を飲み続けていたら、柚季さんの体は境界の魔女のものになっていたことは事実ですね・・」
「!!」
「でも、大丈夫ですよ?僕がこうして助けにきたんですから。
それに、瞳の変化はまだ左目だけです!まだ時間はあります!」
アルトはにっこりと笑って、柚季を見た。
「・・・ほんとに大丈夫なの?」
・・・アルトの笑顔を見ても、どうも安心することはできない。
「はいっ。今から境界(きょうかい)にいる、”魔女”に会いに行こうと思います。
あっ境界っていうのは、地上界と天界の間にある世界のことですね。
それで・・その魔女から、柚季さんの体に定着した薬の効果を解除する薬をもらいます。彼女は、どんな薬でも作れてしまうらしいので」
アルトは、読み上げるようにその言葉を並べる。
一瞬黙りこむ柚季。そして、
「・・・っていうか・・フツーに考えて、作ってくれるはずないと思うんだけどっ」
「え・・・」
「だって・・・この薬を飲ませて、わたしの体を乗っ取ろうとしてる?のは魔女なんだよね?」
柚季が必死にその言葉を並べても、アルトは微笑みを浮かべた。
「・・・大丈夫ですよ!魔女と言っても、もとは地上にいたヒトなわけですし・・・頑張って話をすれば、きっときいてくれるはずですよ」
「いやっ・・・頑張る頑張らないの問題じゃなくて・・・」
とその時、左目に今までにない深い痛みが走った。
「!・・・──いたっ」
柚季は思わず、手で左目をおさえる。
その痛みは、ズキンズキンと柚季の目の奥で響き・・・そして、一瞬、意識が遠のいた。
「・・・柚季さん?どうかしたんですか?」
アルトが柚季に近付いたその時、
柚季の手は、アルトの手の中にある薬の入った袋を奪い取っていた。
「!?・・・え??」
柚季は自分の行動に驚く。
「柚季さん、それは僕が預かっておきますよ?天界に戻った時、上司に提出しなくてはならないこともありますし」
アルトはにこやかにそう言って、柚季の手の中の薬に手を伸ばすが・・・
「これ以上、私に触れないでくれる?汚らわしい!!」
いつの間にか、柚季はそう叫んでいた。
(えぇ!?何言っちゃってんの?わたし・・)
アルトはそれに、とてもショックを受けたような顔をした。
「あっ・・す、すみません・・」
柚季はすぐに次の言葉を続けようとするが、自分の意志では口を動かすことができなかった。
その代わり、自分の意志とは関係なしに、柚季は言った。
「・・・もうすぐで、ゆずの体が手に入るのに・・邪魔しないでくれる?」
柚季の言葉に、アルトの目の色が変わった。
「!・・・もしかして、あなた、魔女なんですか?」
その言葉と同時に、左目が上下左右に動くのが分かった。
柚季は口元に、薄い笑みを浮かべる。
「まぁね。あー・・・やっぱり、片目だけだと視界が悪くて困るわぁ」
柚季は今までにない、恐怖に襲われる。
(これ、が魔女??)
「あ、ゆず、突然こんなことになって、びっくりしたでしょう?
無理もないわよ。人間は、こっちの世界の存在さえ知らないんだし」
どうやら魔女は、柚季に話しかけたらしい。
しかし、柚季はそれにこたえる余裕はなく(どっちにしろしゃべれないが)、ただ混乱していた。
「この”人間になる薬”作り出すの、とっても苦労したんだから。でも、何の違和感もなく飲んでくれたみたいで安心したわ」
(・・・!)
柚季は満足げに微笑む。
「あと少しよ、ゆず。私はあと少しで人間になれる。この一か月分の薬を飲み終えたらね」
(!!うそっ・・・もうそれだけでっ・・?)
すると、アルトが不安げな声で叫んだ。
「魔女さん!!もうこんなことするの止めてくださいよ!
この体は柚季さんのものなんですから、乗っ取ろうなんて間違ってます!」
「・・・っていうか、その名前で呼ぶの止めてくれない?すごく不快。
私には、すずっていう可愛い名前がちゃんとあるんだから」
すると柚季は、手の中にバチバチッと青白い電撃のかたまりのようなものを発生させた。
(うそっ・・・何かすごいことやってるんだけどっ)
柚季はそう思ったが、やはり今の自分ではどうすることもできなかった。
・・・柚季は不気味に笑う。
「・・・っていうか、君がゆずの近くにいることでさえ、不快。今すぐ消え失せて」
そして、柚季の手は何のためらいもなく、それをアルトに向かって放った。
「!!」
(うそっ!?危ないっ!)
柚季は見るのも恐ろしい光景に、目を閉じたかった。
けど、できない。
「わっっ!!」
アルトはそう声をあげ、電撃のかたまりをなんとかギリギリでかわす。
アルトの体に当たらなかったそれは、病院の壁を大きくえぐった。
「ちょ・・ちょっと、落ち着いてくださいよ!」
「ははっ落ちつくのは、君の方でしょう?」
柚季は笑ってそう言うと、再び手の中に電撃を発生させ、また放つ。
「や、やめてください!!」
アルトはそう叫んで、またギリギリでかわす。
大きくえぐられる壁・・・。
するとアルトは、手の中に何やら分厚い本を現すと、落ち着かない様子でページをパラパラと捲った。
「確かっ・・・こういう事態の対処方法はっっ・・・」
その間にも、柚季の手は何のためらいもなく、次々と電撃を放っていく。
(って言うか、そんなもの見てる場合じゃないしっ・・・早くどうにかしてよ・・!!)
「なぁんだ、反撃できないの?つまんない」
柚季は不満そうな声色でそう呟くと、手の動きを止めた。
「・・・じゃ、私もやめた。今回ここに来たのは、別の目的だし」
「?」
柚季が、手に持っている薬の袋を軽く上に放り投げると、それは空中でピタリと静止する。
次に柚季が掌を胸の前で広げると、袋から自動的に薬がでてきて、それは銀色のパッケージから次々と外に出される。
(一体・・・何する気・・・)
すごく、嫌な予感がした。
パッケージからでてきた薬たちは、見る見るうちに柚季の手の中に集まっていき・・そして、袋に入った一か月ぶんの薬は全てこの手の中におさまった。
柚季は手の中の大量の薬を握りしめると、
「君がゆずの前に現れた時点で、こーすることは決めていたの」
柚季は薄い笑みを浮かべて、薬を握りしめている手を口に近付けた。
(っ!やめて!!)
「私はもう一度人間になるのよ・・だから、ゆずは・・・私のために”しんで”」
(!!・・・)
「や・・やめてください!」
アルトは真っ青な顏をして、こちらに駆け寄ってくるが、柚季の手から放たれた電撃によって、あっけなく突き飛ばされてしまった。
「・・・──じゃぁ、いただきまぁす」
(やめてぇぇぇ!!)
・・・柚季は心の中で、必死にそう叫ぶことしかできなった。
そして、柚季の手は、全ての薬を口の中に放り込んだ。・・・ボリボリと噛み砕く。
「こんなに多くの薬を取り込んだら、体にも負担がかかるし、効果をだすのには時間がかかるけど・・・仕方ないわぁ」
薬を噛み砕きながら、柚季はそう言葉をこぼす。
「ゆず、残された時間、くいのないように生きてね」
柚季は、静かな声で呟くと、噛み砕いた薬をゴクリと飲み込んだ。
(っ・・・──)
その瞬間、ふっと意識が遠のき、柚季は思わず床にしりもちをついた。
それと同時に、周囲の景色が揺らめいたかと思うと、病院の床や壁・・全てが消えてなくなってしまった。
「!・・・」
気が付くと柚季とアルトは、誰もいない古めかしい公園の真ん中にいた。
「病院の建物は、魔女が作り出した幻だったみたいですね・・・」
アルトはそう言いつつ、地面に座り込んだままの柚季に近付く。
「わたしっ・・・薬、全部飲んじゃったっ──・・・」
柚季は、半ば放心状態のままそう言った。
魔女に体の乗っ取られるなんて・・・信じられない。
もう少しで、自分がしんでしまうなんて・・・信じられない。
いや、・・・信じたくない。でも・・・信じるしかない。
「柚季さん・・」
アルトが不安げな顏で、柚季を見下ろす。
『残され時間、くいのないように生きてね』
魔女が最後に発したその言葉が、頭にこびりついて離れなかった。
「アルト・・・っ、こうなる前に、どうして何もしてくれなかったの?」
柚季は気が付くと、そう言っていた。
「!・・・すみません・・」
「わたしのこと、助けに来てくれたんじゃなかったのっ??」
柚季の声は、自分でも驚くほど怒りに満ちていた。
アルトはそれに、怯えたように目を伏せる。
「そう・・・なんですよね・・・」
「っ・・・──」
柚季の目のふちには、いつの間にか涙が溜まっていた。
柚季は沈黙を守ったまま立ち上がると、地面に放置されたままの、カバンとスケッチブックを拾い上げる。そして、アルトの横を通り過ぎ、公園を後にした。
「・・・」
(ほんとっダメダメすぎますね・・・僕・・・)
アルトは柚季が立ち去った後、深くため息をついた。
いきなり魔女が現れてこのような展開になってしまうなんて、予想もできなかったが・・・それでも、自分にできることは何かあったはず。
なのに、何もできなかった。
(落ち込んでいる暇なんてありません・・・早くどうにかしなくてはっ・・)
「アールト!またそんな顔して!何かやらかしたのかー?」
その声に振り返ると、そこにある木の枝にはアルトのよく知る顔が座っていた。
「・・・──シイカ」
アルトは思わず表情を曇らせる。
彼─シイカは、アルトの隣にフワリと降りてくると、
「あからさまに嫌そーな顏するなよなっ。いくらオレだって、悲しくなるだろー??」
「僕が知る限り、今までシイカの落ち込んだ顏なんて、見たことないんですけど・・」
「そりゃーそーだろうな。だってそんなとこ見せたら、すきを突かれるだろっ?」
「僕、シイカのすきなんてつくつもりありませんよ!
それと、こんなところにいていいんですか?仕事はどうしたんですか?」
アルトはため息交じりにそう訊いてみた。
「おっ相変わらず真面目だなぁ、アルトは。つーかそんなこと心配しなくていいぞ?一応、ここには仕事をしにきたんだし」
「・・・そうだったんですか」
確かにシイカの手には、背の高い鎌が握られている。
彼の服は、アルトと同じような白い服だが・・・その鎌は服の色とは対照的な暗い鉛色をしていた。
そう・・・シイカの仕事は、魂と肉体の繋がりをたつことだ。
同じ天界という場所が職場でも、シイカの仕事とアルトの仕事はまた違う。
「そーいうこと!まぁ、半年もしたらまた別の場所に移動になるけど、その間はよろしくなーアルト!」
シイカはそう言って、馴れ馴れしく肩を組んでくる。
アルトはそんなシイカから半ば強引に距離ととると、
「それじゃぁ、僕はこれでっ」
「境界の魔女はほんとやっかいだよなー、まっ頑張れよ」
シイカはそう言って、にこやかにアルトに手を振る。
「・・・」
アルトはそれに少しだけ微笑みを返すと、この場を後にした。
「まっ・・・どんなに頑張っても、人間の寿命は延びねーけどな」
シイカはアルトが去った後、小さくそう呟いた。
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