24.怪盗姉妹、推参
いよいよ夜の帳が広がり始めた。
不夜の宴と称して飲み明かす大人達の社交場、踊り明かす民衆達の舞踏会場――夜通し続くであろう冷めやらぬ熱気は、夜闇を打ち払うように方々で湧き上がっている。
裏腹に、そんな喧騒とは無縁の静寂に包まれた一角もまた存在した。ヴィヴィアーニ星命科学研究所の建つ街区がその一つだ。
一切の灯を落とし、祭りに遠慮するかのようにひっそりたたずむ地味な建物。素っ気ない象牙色の外壁も、今は深い夜色に染まっている。
それを物陰からうかがう、バニーとお嬢様の人影。
「見えるか、ルチア」
「……屋上に二人、かな? 白衣の人が立ってる。片方は拳銃ぶら下げてるね。見るからに普通じゃなさそう」
「わざわざ夜中に見張りを置くか。いよいよ何かあるな」
「厄介な仕事になりそうだね」
「その方が燃えるだろ? ディーラーがどんな
初夏の夜にありながら、言い知れぬ悪寒がぞわりと素肌を舐ぶる。眼前に建つはさながら魑魅の息づく昏き
だからこそ逆に、怪盗はふてぶてしく闇を笑い飛ばすのだ。たやすく掌中に収まる宝石などに、どれほどの価値があるだろう。己が身を裂く灼けるような
フレッタは右手首の
「だってさ。どうしても、欲しくなっちまったんだから」
見果てぬ夢を掴むように、拳を握る。双眸を深く閉じ、イメージするは月下の徒へと変ずる己の姿。欲する物を手にするための、魔法の力。
勇ましさと乙女心を携えた少女は――昂る戦意を載せて、詠唱する。
「
瞬間、辺りに優しく吹き渡る蒼の天風。淡い光が踊り、一瞬にして彼女の肢体を包み込む。バニースーツは
仕上げに、目鼻周りを覆う
「あんまり時間は掛けられない。
「それじゃ、ルチアも一肌脱ぎましょ」
ルチアはドレスを豪快に脱ぎ捨て、肌に張り付く漆黒のインナースーツ姿へと早変わりした。フレッタのような身体強化の恩恵こそ無いが、夜闇に乗じるにはうってつけの装備だ。
最後に、姉とお揃いの
「上、頼んだぞ。あたしは正面からドアノッカーの世話になる」
「じゃあ、先に行くね」
ルチアは素早い身のこなしで駆け出していった。怪盗の妹はダテではない。
それから数分の間を置き、フレッタは夜の女王を気取る月を見上げる。
「さぁ、行くか――あたし達の
ルチアはコの字型の研究所を回り込んで、西側へと辿り着いた。
「……いる」
屋内に人の気配がある。灯りは最低限、陽炎のように揺らめくばかりで、注意深く観察しなければまず気付けない。遠くからは祭りの喧騒が聞こえてくるというのに、ここはまるで別世界だ。闇を隠れ蓑に、悪意の芽は育ちつつある。
西側から、屋上へのハシゴを登る。その先に現れた光景に、思わず息を呑んだ。
(シップだ!)
駆動機関を積んだ紡錘状の長い胴体に、暗緑色の二対双翼――
眼下の光景に目を奪われていると、やがて慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ラフォレーゼ教授殿の言った通りだな。薄汚いハイエナめ」
「みたいッスね。教授の研究を狙う、不逞の輩ってやつだ」
メガネをかけたオールバックの男と、金髪の軽薄そうな男――先ほど広場から去っていった男だ――が並んで立っていた。二人とも吹きさらしの風で白衣をはためかせ、くすんだ黄金色の靴――いや、身体強化機械肢を装着している。
ただの研究員が、こんなに物々しい様子で屋上に構えているわけはない。やはり、何かが起ころうとしている。
金髪の男は目を細めてじっくりルチアを観察し、下卑た笑みを浮かべた。
「へー。その仮面、かっこいいね。もしアンタが女で舞踏会の会場をお間違えなら、オレが
「まぁ、その時に四肢が無事である保証はしかねるがな」
「え、マジでそこまでするんスか?」
「当たり前だろうが。お前は何しに来たんだ」
凸凹コンビ、という言葉が似合いそうな二人だった。
とはいえ、放たれるは敵意は本物。
「おっと、動くな。すばしっこさには自信ありそうだが、そういう相手は研究用のネズミ捕りで慣れている」
「先輩、そういうの上手いッスもんね」
メガネ男は拳銃を構えた。薬室と一体化した四つの銃身を束ねた、
「私にも慈悲はある。清廉たる研究の園を、貴様ごときの血で穢したくはない。そこで貝のように口を噤み、亀のように丸くなっているがいい」
「案外、簡単にとっ捕まえられましたね」
「そうだな。あとは縄でふん縛って、教授殿に報告だ」
撃ち殺されてしまってはかなわない。ルチアは両手を上げ、無抵抗を示す。
「降参。ちゃんと屋上まで見張りがいるとはねー」
知っていて来たというのに、白々しく言い放つ。
メガネ男はルチアに向けアゴをしゃくった。金髪が頷き、ロープ片手に近付いてくる。
「悪く思うなよ、ぜんぶ教授の指示なんだ」
「ねぇ、雪でなにかする気なんでしょ? ルチ……わたしにも教えてよ」
「雪ぃ?
「へ?」
「外は祭りだからな。乗じてお前みたいな研究スパイが来るんじゃないかって、教授が心配してただけだよ。そしたら案の定――」
打てば響くように喋ってくれる金髪に対して、メガネ男が「おい!」と苛立った声を上げた。
「なにをベラベラ語らっている! さっさと捕えろ!」
「はいはい、今やりますってば」
どうやら、彼らさえもこれから行われる何かの核心を知らされていないらしい。ゼビアノには、重要な研究を妻と二人だけで行っていたという前科がある。部下にさえ内密にしていても不思議ではない。
そうこう考えている内に、金髪はロープ片手に背後へ回ろうとする。
その瞬間、ルチアは盛大に舌打ちした。
「妹の許可なくお姉ちゃんのお尻さわっていいと思ってんの?」
「は?」
呆けたアホ面の金髪男を睨み、ルチアは右手で素早く自らのこめかみに触れる。たったそれだけで――金髪男は、どさりとその場に倒れた。
仲間の唐突な戦闘不能に、メガネ男は驚愕した。
「な、なにをしたッ!?」
そばに仲間がいるにも関わらず、迷わず引き金が引かれる。乾いた発砲音が炸裂――予測していたルチアは瞬時に身を翻して回避、床に転がりつつメガネ男を睨みつけ、再びサッと右のこめかみに触れる。
「つぅっ……!?」
銃撃に有利な距離を取っていたにも関わらず、彼は顔をしかめ、とっさに首筋を抑えた。が、次の瞬間にはだらんとした表情に変わり、金髪男と同じように、その場にどさりと倒れ込んでしまった。
二人とも死んではいない。ルチアは彼らの口もとに耳をそばだて、すやすやと安らかな寝息を立てているのを確認する。
「やるじゃん、マノン。さすがはマッドサイエンティスト」
ルチアは呟き、ふぅ、と仮面を外した。
いつもの右眼の義眼――その周囲を補強する、くすんだ黄金色の
ルチアは達成感と共に大きく息を吸い込み、吐き出した。すると、途端にぺたりと座り込んでしまう。
「あ、あれ? ……腰、抜けちゃった」
緊張感が無くなり、ルチアはたまらず苦笑いが漏れた。
複雑なカラクリで、針は三発しかない。万が一にも外した時は、逃げの一手で陽動に徹するつもりだった。
姉はいつも、こんなギリギリのスリルに身を浸しているのだろう。いつもはねぼすけで、帳簿を理解しているかもアヤシイお姉ちゃんなのに。
自分にはとても無理だ、とルチアはうなだれた。
「……そうだ、お姉ちゃん」
ハッと頭を上げたその時、どこからか「ぎゃっ」という悲鳴が二つ聞こえた。時間差で正面から突入したフレッタが、残りの見張りを無力化したのだろう。ゼビアノのチームメンバーは四人。他に仲間がいなければ、敵の戦力は削いだことになる。
残るは首魁たるゼビアノ、そして、おそらくは――トリス。
ルチアは己の役割を果たした。あとは二人を縛り上げ、あの
(大丈夫だよね。なんてったって、ルチアの自慢のお姉ちゃんなんだから)
祈りを捧げるように、ルチアは夜空を仰いだ。
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