23.偽りの宴
夕刻が終わりに近づき、茜色のグラデーションが段々と暗みを増してきた。しかし、今日のアルムジカが眠りに就くことはない。
聖堂広場――その名を戴く聖堂を始め、周囲を美術館や老舗の銘菓店といった錚々たるランドマークが取り囲む、街の中心的な憩いの場。そこで今は旅芸人の一座が屋外ショウを終えたばかりで、最後の締めに、見物客達に配られた色とりどりの風船が一斉に飛ばされ、かすみ暮れゆく空に柔らかなアートを描いていた。
「さーて。ようやく次こそお待ちかね、ってね」
祭りの一日目を堪能し尽くし、腹八分目のお腹をさするフレッタ。最も重要な日程はここからだ。
表情を強張らせる彼女の遙か上空で、ボッボッボッという蒸気ピストン・エンジンの甲高い動作音が響き、小気味良い風切音が続いた。見上げる観衆が万雷の拍手喝采を送る。
今朝から幾度も定期的に行われている、
遅れて飛んできた六機目は、祭りの盛況を祝う横断幕を提げている。街の空を賑やかす蒸気の翼を、フレッタは何度も注視していた。
「いいよなぁ、シップ。空の上から怪盗ウィンディア推して参るッ、ってやりたいなぁ」
「あれ一機チャーターするのに、どんだけおカネかかるか知ってる? 足もつくし」
「急に現実に戻るなって。お前ってばメルヘンとかファンタジーとか好きなくせに、そういうトコあるよな。絵本の国のお嬢様は、そんなこと気にしなくていーの」
ぽんぽんと妹の頭に優しく手を載せる。高貴なる令嬢にするには不敬な行為、それが許されるのはお姉ちゃん特権だ。
「……そうだね。お祭りの間くらい、おカネとか現実はパーッと忘れちゃわないと」
広場に据えられた巨大な舞台の上に、大勢の男達が現れた。慣れた手つきで、機械類を手早く設置していく。
ヴィヴィアーニ星命科学研究所、および提携先の技術開発所の所員達。彼らはアカデミックにありがちなお堅さが嘘のように、祝祭に相応しいきらびやかな仮装で、時おり観衆に大きく手を振って応えていた。
ひとしきり歓声を浴びたところで、一人の老人が一礼し、拡声筒を片手に進み出る。
「皆々様、本日はお集まり頂き光栄に存じます。我々はシティ・アルムジカの雄大な自然に根を下ろし、星命科学の研究に携わる者共にございます。芸術の祭典としての顔も併せ持つ本祝祭ではございますが、これより我々が披露する研究成果のパフォーマンスもまた、赫々たる人の精神活動の栄華に比肩し得るものと――」
地味な研究所が祝祭で大衆向けのイベントを開催するなど、それだけでも一大事だ。物珍しさも手伝ってか、観衆の多くは少なからず惹かれているようだった。
が、フレッタとルチアは例外だ。
「……いないな。裏方なのか?」
そこに最も見つけたい顔を見つけられず、フレッタの心は逸る。
――ゼビアノ・ラフォレーゼ。あの男が何かを仕掛けるならば、それは今日だろうと目星をつけていた。
「最初の挨拶の時くらい、ふつう全員揃ってるよね」
「どうかな、向こうには向こうの事情があるだろう。……ま、これだけ大勢の人間が朝から晩まで街の外に出てるなんざ、今日くらいなもんだからな。注意しないと」
このイベントは、半ば
一週間前、フレッタとジュネロがヴィヴィアーニ研で見た配達業者。大手雑貨店の印章が捺された大きな木箱が、祝祭の準備のための物品であったことは、すでに店主から聞き出している。
手がかりを調べる内に、あの木箱が何らかの大掛かりなイベントに関連したものではないかと、気付けたことが幸いした。
「あの機械とか、怪しくない? あのゴテゴテした中に入ってたりして」
「いや、雪の扱いはゼビアノが独断で行ってるはず。所長達の手が触れる範囲には置かないと思う」
「じゃあ、どこに?」
「なにかカラクリがあるはずだ。いったん別れよう。ルチアは左から見張ってくれ」
「おっけー。このルチアの視力にお任せあれ」
フレッタは一つ頷き、壇上に向かって右手側からよく見える場所を探そうと移動する。ごった返した広場では、自分の定位置を決めるのも一苦労。仮装の裾を踏んだり、無駄なトラブルは避けたかった。人より一部分だけ身体が出っぱっているのも、移動を難儀させた。
ステージ上には、大小様々な機械。
(やっぱ、いない。まだ出番ではないってだけか? あたしの考え過ぎなら、それが一番いいんだけど)
今日、何かが起こるというのは推測に過ぎない。先に雪を盗もうにも、他の研究員の目がある研究所にそのまま置いているとは考えにくく、こちらの手の内を知るトリスも向こうにいる。畢竟、相手が確実に動く可能性に賭けて、『怪しい日』に張るという結論に至ったのだ。
「ん?」
水槽に入った巨大魚に関する実験発表を行っている中、舞台袖から金髪の青年が現れた。ゼビアノの研究チームに所属していた男だ。見栄え良い飾緒がついた、古風な軍服の仮装をしている。
人混みをかき分けステージから離れ、急いでどこかへ向かおうとしている様子。フレッタは怪しい匂いを嗅ぎ取り、接触を試みた。
「あいたっ」
「あぁ、失礼! オレとしたことが……」
わざとぶつかってみると、金髪は大仰な仕草で慌てふためいた。よほど急いでいたか、そそっかしさが生来の性か。
尻餅をついたところで、金髪の差し出す手を取って立ち上がる。仮装とはいえ、誇り高い軍人の姿に恥じない紳士的な態度だ。
しっかり目を合わせた瞬間、彼はパッと顔を輝かせた。
「これはこれは、ウサギときたか。君みたいな美しい女の子をエスコートする者がいないなんて、まったく、この街の男達は見る目がないな」
「……はぁ」
前言撤回、とんだナンパ野郎だった。観衆の只中でよくも言うものだ。周囲の男達が何人か鼻白む気配があったが、金髪はまるで意に介していない。あまり好きなタイプの男ではなかった。
「ところで今、袖の方から出てきませんでした?」
「あぁ、オレもこう見えてあの人らと同じ、研究者なんでね。なんつーか、ちょっと野暮用ができたもんで……一足先に、研究所に戻るところだったんだ」
「まさか、お仕事? せっかくのお祭りなのに」
「そうそう、本ッ当に悲しいよ。そりゃさ、どーせオレは舞踏会で踊る相手もいないけどさ。君みたいな娘が相手だったら、より楽しかったろうに――」
そう言いつつ金髪は手を伸ばし、フレッタの尻のあたりにそっと触れた。
「はひゃぁっ!」
「ほお、良い素材の尻尾だな。安モンのコスプレじゃ――」
「なにすんだこのばか!」
フレッタは顔を真っ赤にして、男の鳩尾に正拳突きを見舞った。
「おぶぅっ!」
潰れたカエルみたいな声を上げ、男は膝をついた。変身していなくとも、並の女子より鍛えた拳は彼を悶絶させるに十分な威力だ。
お尻を両手で抑えつつ少し距離を取り、そこで周囲のざわめきに気付く。無用なトラブルは避けたいと考えていたばかりなのに。
「あ、いや、お気遣いなく! あはははは……」
フレッタは引きつった笑顔で必死にお茶を濁す。どうやらウサギ娘と軍人坊やの茶番は、壇上より興味を惹くものではなかったらしく、祝祭の活気が不穏をかき消してくれた。祭りに乗じた狼藉者は風物詩のようなもの。二、三回そんなチンケな輩を捕まえたことはあるが、まさか自分が被害者の側になるとは。
平静を保つよう務め、悶える男の手を取って無理やり人混みの薄い外縁側へとずんずん歩いて行く。
「あ、の、ねぇ。お祭り騒ぎの中だからギリギリ超ギリギリ許されたようなものを」
「いやぁ、すまんすまん。オレんち、実家でウサギ飼ってんだよね。なんか気になっちゃって」
「んなもん理由になってないし。……まぁいいや、急いでんでしょ? このお祭り中で、研究所に何の用事があるんだか」
半ばどうでも良くなって、投げやりに言い放つ。
今から研究所に向かってとんぼ返りして来たとしても、壇上の催しはとっくに終わっているだろう。忘れ物を取りに戻るわけではなさそうだ。
「なーに、ちょっとした残業だよ」
「残業?」
「おっと、企業秘密だぜ。……それじゃ、祭り中にまた会うようなことがあったら、今度はデートでも誘ってくれよな」
「やだよーだ。こりないやつ」
シュッと手を振り、男は名も名乗らずに駆け足で去って行った。
「……そっか。そういうことね」
再び壇上に目線を移す。
科学実験が大いに盛り上がる中、ようやくフレッタは合点がいった。とんだ誤算だ。
小さく舌打ちをするとほぼ同時に、人混みをかき分けてルチアが近付いてきた。心配そうな表情からするに、遠目にもこちらのざわめきが目に留まったらしい。
「お姉ちゃん、今だれかと話してなかった? っていうかお尻触られてなかった?」
「ゼビアノのチームのヤツだよ、見覚えある。あの金髪野郎、あたし嫌い」
「その胸よりあえて尻を選ぶとは通好み……じゃ、なくて。あっちって、研究所の方じゃないの?」
男が走り去った方を見やり、ルチアは気付いたようにアッと小さな声を上げた。フレッタはその驚きを肯定する。
「そうだ。本命はこのステージじゃない。むしろ邪魔な連中を全員こっちに送り出して、自分達だけで何かしでかす気だ。……悪い予想が当たっちまったかな」
見張るべきは、無人と思っていた研究所の方だった。ハデなパフォーマンスで人目を引いておき、その裏をかくのは怪盗としても常套手段。こちらの監視役であろう、あの金髪男が向こうに到着すれば、何らかの行動を開始するに違いない。
現在のヴィヴィアーニ研のイベントが終われば、いよいよ夜の始まりとともにメインイベントの
考える間も惜しい。フレッタとルチアは男を追うように、急いで研究所へと駆けていった。
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