第五章 雪月の舞盗会(マスカレード)
22.お嬢様とうさぎさん
ブゥーン――と断続的な風切り音を轟かせ、
今日この日を待ちわびた人々で、都市は大いに湧いていた。
――シティ・アルムジカ建都記念祭。
かつて旅商人や流浪の民達が興した寄合が、自治都市として独立したことを記念する祭日だ。街の外からの観光客で人口は膨れ上がり、今やどこの大通りも人の波でごった返している。
祝祭の期間中、街の光景は盛大に一変する。手頃な通りを見やれば、贅を尽くした豪奢なドレスに身を包んだ淑女の集団がいる。叙事詩の英雄を思わせる鎧姿の好漢達と、おどろおどろしいドクロ装飾のローブをまとった旧き魔女達が、パーティを組んで練り歩いている。いつもは袖まくりして威勢良く酒場を切り盛りしている女店主が、今日はセクシーな薄衣を纏った踊り子となり、コミカルな怪物を模した着ぐるみ姿の男達と共に、大いに人目を引いている。
俗称、『大仮装カルネヴァーレ』――これから三日間だけ許された、幻想的な夢物語の呼び名であった。
「まずは……。聖堂広場にて、スキャーヴィ聖餐騎唱和団のオペラ。あと十五分で始まるよ。お姉ちゃん、いそごっ」
ピアチェル姉妹の姿もあった。ルチアは事前に入手していた宣伝チラシ片手に、大いに声を弾ませている。街の中心的な聖堂広場では、朝から晩まで大規模なイベントが絶え間なく行われる予定である。
「あぁ……そうだな」
どこか歯切れ悪い姉の言葉に、ルチアはくるりと振り向いた。合わせてふんわりと揺れる、鮮やかなひまわり色のエプロンドレス。ふんだんにあしらわれた可愛らしい装飾の数々、頭上に華やぐとっても大きな純白リボンに至るまで、さながら職人謹製のデコレーションケーキのごとく彼女を彩っている。今まさに絵物語の中から大冒険に飛び出した、おしゃまなお嬢様のイメージだ。
道すがら、すれ違う仮装者達と互いのコスチュームを褒め合うこともしばしばだった。ありとあらゆるジャンルの仮装を目にすることができるとなれば、彼我の技術を競いたがるのも人の常。ルチアの少女趣味もここぞとばかりに爆裂し、同志と出会うことを楽しみにしていた。
対してフレッタはといえば――まるで生きててすいませんとばかりに、隅っこをコソコソ移動している。彼女の顔には、仮装という行為に最も邪魔であろう感情、すなわち羞恥心がうかがえた。
フレッタは真っ赤な顔でギロリと睨み返す。
「なんだよ、どすけべ。こっち見んなよっ」
「いやいや、失礼な。これでも褒めたつもりだぜ。そのカッコ似合ってるよ」
「……いやまぁ、それなら嬉しい、けどさ……」
男の仮装者達の目線がとかく自分に注がれているようで、フレッタは内心穏やかといかない。
「ほら。お姉ちゃん、もっと堂々と歩きましょ。極上の素材が台無しだよー」
「……うぅ、なんであたしがこんな目に」
もはや半ば涙目で、上着の裾をぎゅっと抑えつけながら歩く。
ぴっちりとした黒いレオタードに包まれた、己が身をイヤでも意識する。薄手のストッキングに覆われた、しなやかに鍛えられている美脚が道を行く。合わせて揺れるお尻には、小さな白いもふもふがくっついている。
上半身に纏うはワインレッドカラーの燕尾ジャケット。胸当て部だけが白い生地で仕立てられており、真ん中には装飾の黒いリボン――大きく開いた豊かな胸の谷間に、堂々と乗っかっている。
「おーねーちゃーん。いつまでもそんな調子じゃ、こうだぞー」
「ちょ、やめて、ルチアっ、耳、耳ぎゅってしないでっ」
きわめつけに、歩くたびにひょこひょこ揺れる『うさみみ』。頭頂に着けたヘアバンドから伸びる、大きく長く、雪のように真っ白ふわふわなうさぎのお耳。がっちり頭に固定されているので、引っ張られるとそこそこ痛い。
――というわけで。
どうしようもなく扇情的な装いの二足歩行うさぎが一匹、祝祭に沸き立つ街に出没しているのだった。
「なぁ、ルチア……やっぱこれ、ちょっと祭りにはそぐわないというか、何というかだな……」
「今さら何をおっしゃる、別にそんな珍しい仮装でもなし。覚悟決めたから着てきたんでしょ?」
「だ、だってさ」
実際ルチアの言う通り、露出の多い艶やかな着こなしの女性もまるで珍しくはない。今日という日は、それくらいしてもまだ目立たないほどの賑わいだ。
そうと分かっていても、フレッタはもじもじと身をよじる。真っ赤な顔で、道の隅を申し訳なさそうに進んでいく。普段の男勝りな彼女しか知らない者には、とても想像がつかない光景だろう。
「だっても何もないのー。おとぎの国に迷い込んだお嬢様、その先導役は紳士なうさぎさんって相場が決まってるんだからね」
「誰が言ったんだよ、そんなの。あたしがお前をどこに連れてくってのさ」
「ほらほらー。あんまり下引っ張ると上がぼいんとまろび出ちゃうよ」
「分かってるってのっ」
今日の朝。昨晩から部屋に用意していた小洒落たドレスはどこかへ消え失せ、代わりにバニースーツが飾ってあった。その瞬間の衝撃を、たかだか十七年で培ったボキャブラリーで表現できようものか。それはもう、ねぼすけフレッタの眠気も月までブッ飛ぶ緊急事態だった。
ウソだろマジかと目をむくフレッタの前で、これ以上無いほど満面の笑みの妹は告げた。
『この日のために用意しました。お姉ちゃんのだ~いすきな、うさぎさんの仮装だよ! まさか仮装もせずお祭りに行こうなんて言わないよねぇ~?』
――いかに、一年先に産まれた姉と言えど。
あの悪魔の笑みに抗う手段を、フレッタは持ち併せていなかった。
「ちくしょう、あたしで遊びたいだけだろ……」
「基準が謎だよね、お姉ちゃんって。普段から夜な夜なコスプレで投げキッスとかしてるくせに、どうしてうさぎさんが恥ずかしいかなー」
「それとこれとは別! しかも人をキス魔みたいに言うんじゃないよ。あれはお遊びだっての」
「そうそう、遊び。かるーく遊びだと思えばいいんだよ。楽しいのは一緒だよ」
ルチアはドレスの裾を両手でつまみ、くるりと軽やかに一回転。人波を縫いつつ、石畳で器用にタン、タタタンと陽気なステップ。今宵の聖堂広場で行われる予定のメインイベント、
「オペラが終わったら、シラクサ階段横丁の露天市とか見に行こうよ。そんでお昼は出張焼き窯の
「あぁもう、それでいいよ。任せるよ。……まったく、肝心なことは忘れてないだろうな?」
「もっちろん。その時間が来るまでは、たーっぷり楽しんじゃうもんね。お姉ちゃんとデート、デート♪」
やれやれ――と、フレッタはとうとう笑うしかなくなってしまった。これほど心の底から楽しそうな妹の姿を見てしまっては、文句を言う気も失せる。いきさつはどうあれ、ここまで来てしまった以上、しみったれた顔で歩いていても幸せを逃すだけ。同じ阿呆でも踊らにゃ損という言葉もある。
「……素材はイイもん持ってくるんだよなぁ」
むにむにと、頭頂のうさ耳を揉んでみる。柔らかくふかふか、洗いたてのタオルケットのような触り心地。実際、耳だけはちょっぴり気に入ってたりする。
もしも、銀色の髪の彼女が隣を歩いていたならば。今の自分と同じ格好をさせたならば、どんな反応をしただろう。恥ずかしさのあまり、真っ赤な顔を前髪で隠して、加熱しすぎたボイラーみたいに湯気でも出して押し黙ってしまうかもしれない。
こうして喧騒の中に身を置くほどに、想いは募る。――彼女にだって、あの写真立ての中で見た笑顔で、この祝祭の中を歩いていてほしいと。
(考え過ぎなんて、あたしのガラじゃないよねぇ)
今宵、降り掛かるであろう悪辣な運命を思えば、今のうちにたっぷり楽しんで、心の余裕を蓄えておくのは悪くない。そも、悪事が万里を走るは闇夜、怪盗の黒衣が舞うは月下の刻というのがお約束。お天道様が見ている間は、のんびりするに限る。
フレッタは歩を早め、踊るように先へ行くルチアの手を取った。ダンスのお相手つかまつる、とでも言わんばかりに。
不意な感触に驚く妹へ、ニカッと白い歯を見せて微笑みかける。
「さぁ、いざ行かん。おとぎの国のお嬢様。もう、こうなりゃヤケよ。めくるめく祝祭の喜びが、あたし達を待ってんだから」
「おー、ノッてきた。よし。気合い入れて、いざ行かーん!」
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