25.ナイトウィンド・マスカレード(1)
その部屋の主は人間なのか。それとも研究機材なのか。
ヴィヴィアーニ星命科学研究所の一室は、部屋の半分が謎めいた巨大な機械で占有されていた。それらはただひたすらに、蒸気作用に伴う甲高い水撃音を響かせながら、臓腑の脈動めいた不気味な駆動を繰り返している。
その中心部には、歪なひょうたんのような装置が据えられていた。大人が中に十数人は入れそうなほどの大型球体と、人間の頭部を一回り大きくした程度の小型球体を、太い鉄管状の器具で繋いでいる。周りのこまごました機械など、その付属品か拘束具のようでもあった。
「星命光量子束密度反応、安定……トリス、培養スフィア接続弁三番解放。変異組成を戻せ」
「はい」
獅子を思わせる風貌の男――ゼビアノは、自分の娘を己の手足のように扱っていた。彼女は言われるがまま指示に従い、無表情で機械を操作し続ける。
「いよいよ予定量に達する。決行の時は近い」
「……はい、お父様」
返答の僅かな遅れをごまかすため、トリスはかしずくようにスッと頭を下げた。
もうすぐ、もうすぐだというのに。胸の内が、頭の中がもやもやして、思い切りかきむしりたいような衝動に駆られる。喝采の一つも上げるべきなのに、思うような声が出ない。
「殊勝な娘を持てて吾輩は幸せだ。ジャンナもきっと喜んでいるだろう」
耳朶を打つ母の名に、びくりと肩が震えた。背中の腕に、自然と力がこもる。
今さら引き返せるものではない。引き返す気も無い。
今さら両手いっぱいの幸せなど望まない。大切な人に寄り添えられれば、ささやかな一握りがあれば、それで良い。自分にとっての心地良い日だまりは、もう、ここにしか無いのだから。
今さら恐怖など無い――はずだ。
「はーい。そのアヤシイ計画、ちょっと待った!」
室内に響き渡る、明朗な少女の声。ラフォレーゼ親子は入口に目をやり、ゼビアノは微笑を、トリスは怯えた表情を返す。
女性らしいくびれた体貌を覆う、流麗な黒尽くめの衣装。目鼻を覆い、己を月下に偽る
未だ駆け出し。それでも尚、欲したモノを盗み奪るという頑強な信念を胸に秘め。
舞盗のウィンディアは、二人の前に敢然と立ちはだかる。
「やぁ、ウィンディア君。それとも、ラッザロ君とお呼びするべきか? 先日は世話になったな。おかげで我が研究は新たな段階を迎えたわけだが……報酬に不満がおありだったかね」
「いいや。久々に特別おいしいご飯が食べられたよ。その節はどうも」
「では、舞踏会場をお間違えだな。ここは実に物寂しいだろう? そんな大層な仮装と仮面まで用意して、もったいない」
「ご冗談。今宵、あたしの舞盗会場はここ以外に有り得ない。――踊る相手に不足も無い」
右掌に星命の光を念じ――ヒュンッ、とウィップの風撃つ音が響く。
トリスは気色ばみ、父をかばうよう前に出た。彼我の距離、目測にして数メートル。部屋の中央に据え付けられた、四台の大きな金属机を挟み対峙する。
「やめときな、トリス。キミ達の計画が相当タチ悪いってことは想像ついた」
「……そうですか」
「中庭に停まってた
トリスは口を閉ざし、否定の言葉も無い。お決まりのバネ足は装着済みで、あらかじめの準備は万全らしい。
降雪を記念祭の開催中に行えば、どうなることか。街中の大半の人間が屋外で盛り上がっている今――迂闊に触れれば呪痕を発症するという、超高濃度星命力結晶体の粉雪を。
「その黒衣、右手のブレスレット――
「さすが、よく御存知で。父さんが遺してくれた、か弱い女の子にはありがたい一張羅だよ」
ゼビアノは苦笑した。緩々としたやり取りが我慢ならないのか、真面目な気質のトリスは歯を食いしばっている。小柄な身体が、今にも激しく弾け飛びそうだった。
直感は正しかった。彼女は唐突に、膨張する戦意を解き放った。
「はぁッ!!」
激しい稲光が明滅、一閃の雷撃が襲い来る。
「おっと!」
第二の鞭、硬化鞭で打ち払う。星命の光が視界を灼くように弾けた。射出した雷速を見てからでは遅い、ほぼ決め打ちの反射的な防御で相打つ。
フレッタとトリスはお互い右に跳んだ。中央の大机を挟み、お互い反時計回りに疾駆する。
矢継ぎ早に放たれる雷撃の閃光。そのたび薄暗い室内が照らし出される。雷速と言えど魔法――撃つ瞬間には人の意志が介在、ゆえに生じる一瞬のラグを見極めて防御する。
しかし巧みに射出軌道をズラし、フェイントを織り交ぜた雷光は自然のそれではあり得ない。トリスも本気だ。
(なかなか、近付けないな!)
丁々発止の打ち合い。硬化鞭でいなせなかった閃光は、部屋の外周に立ち並ぶガラス戸棚へ次々と命中する。そこかしこで響き渡る電閃と破砕の多重奏に、たまらず耳を塞ぎたくなる。
一か八か。機を見てウィップを天井の吊り下げランプへ放り、振り子の要領で一気に飛びかかる。一転攻勢、しかしトリスは己の適切な射程を熟知していた。近付けば即座に牽制の微弱な雷撃を散らし、妙手にて距離を取る。
埒が明かない――お宝を得るにはいつだって、創意工夫が必要だ。
「ほっ!」
砕けたガラス戸棚に鞭を放ち、ビーカーをキャッチ。続け様にトリスの足元へ勢い良く放る。
が、トリスは滑るように低い跳躍でかわす。ガンッ、と床が大きな音を立てた。バネ足の俊敏さも中々侮れない。
「……同じ手は食いませんよ」
「覚えてたか。いやあ、あれは悪かったよ」
ツボを思いっきりバネ足に直撃させた夜を思い出す。思えば、あれがトリスとの初めての出会いだった。あの時は、小さな体の中にこんなにも激情を抱えた女の子だとは、思いもしなかった。譲れないモノを秘めているのは、誰だって同じということか。
一方のゼビアノを見やる。大型機械の前で仁王立ちしたまま、トリスに加勢するでもなく傍観している。微笑んでいた。その目線は冷酷な研究者のそれであり、娘を慮る父親のものとは思えなかった。ふと亡き父の姿が脳裏をよぎるも、その父性のイメージはまるで重ならない。
「どうしたね? 続けたまえよ」
「トリスにゃ悪いけど、やっぱあたしはアンタ嫌いだ。娘を何だと思ってやがる」
「吾輩は君が好きだがね。呪いを負いながらも生き続ける人間とは、かくも美しい」
「……言ってくれるな!」
思わず飛び掛かりそうになったところで、妨害せんと構えるトリスの姿に足を止める。
「あなたをここで拘束します。ルチアさんも外にいるのが見えましたから、あとで呼びましょう。この建物の中にいれば、雪の影響を受けることはありませんから」
「なに言って……まさか、最初からそのために?」
「きっとあなた方は、わたし達を止めるためにここに来てくださると思ってましたから」
己の意思で突入を図ったつもりが、向こうからすれば、わざわざ飛び込んできてくれて手間が省けたといったところか。
次の一手を攻めあぐね、フレッタは小さな溜息とともにかぶりを振った。
「……やっぱり、未だに分からないな。なんでこんなことを」
絞り出したような問いに、答えたのはゼビアノだった。
「進化さ。呪痕はヒトに新たな力を与え、肉体を劇的に進化させる可能性だ。サルがヒトへと至り、知恵と文明を得たのならば。星の命の力――呪痕が導く進化は測り知れん。吾輩は、その可能性の導き手となる。この街はその第一歩というわけさ。君の言葉を借りるならば、今日この日は実にうってつけだ」
「小難しいことは分かんないよ。要は迷子の手を引くパパ気取りってわけ? その握る手が強すぎて傷む人達の存在を……本当に分かってるのか?」
「それだけではないさ。まったく良い例えをしてくれるな。そうさ、吾輩も父親だ」
「なに?」
不意に父親たる己を誇示するゼビアノ。傍らで、トリスが息荒く強張っている。全身で、一語一句聞き漏らすまいとしているようだった。
「
「……それは」
「民衆とは実に愚昧だ。未知の概念に恐怖し、排斥することしか知らん。しかし――全てがそうなってしまえば、境界は意味を失うだろう」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。自分の妻を手に掛けたのは、他ならぬ自分自身ではないか。娘の身体にメスを入れたのが自分自身だと、忘れてしまったとでも言うのか。己の凶行を棚に上げ、砂一粒ほども理解できない戯言を吐き続けている。
「呪いは星命の輝きの発露に他ならない、それを、その美しさを理解していたのは、吾輩だけだ。ジャンナさえも、死の際には吾輩を止めようなどとしたものだが…… 我が最愛の妻は、今や娘と一つとなった。この連鎖を、ヒトの進化を、世界が怪物の所業と呼ぼうなら――間違っているのがどちらか、知らしめるまでよ」
冥土の土産話、といったところか。彼の計画も最終シークエンスに入った。事ここに至り、いよいよ舌が回り始めたようだ。怜悧な言葉に、フレッタは引きつった微笑で応えた。
お父様――と、トリスの震え声が耳に入った。やはり、この男は狂っている。彼もまた呪痕保持者なのかどうか、もはやそんな疑いすら瑣末だった。人としての大本が、根腐れを起こしている。どこかからたわみ、歪んでしまっているのだ。
「まぁ、そんな物騒な魔法は仕舞いたまえ。娘に免じて、君の処遇は先送りにしてもいい」
あくまで、己の優位を疑っていない言葉。トリスを見れば、あきらかに感情を押し殺していたその表情に、何かしらの色が見て取れた。
――彼女はまだ。まだだ。
「トリス。ねぇ、聞いてよ。初めてあたし達のお店に来た時のこと」
「……」
「ネクタイピン、買ってあげたよね。ほら、ト音記号のやつ。お父さん、してくれてるみたい」
「……はい」
こんな時まで律儀に巻いているゼビアノのネクタイには、キラリとネクタイピンの光沢が映えていた。
あの時、とても嬉しそうに雑貨の棚を眺めていたトリスの笑顔は忘れられない。萌え出る緑の中で歌う小鳥のような声は、耳からそうそう離れるものじゃない。楽しくて、嬉しくて。大切な人の喜ぶ姿を想い、胸を躍らせて。
「あんなに楽しそうに、かわいいネクタイピンなんて選んじゃってさ」
「……嬉しかった、です。年の近い女の人に、お姉ちゃんみたいな人に、選んでもらえて」
笑った。少しだけ、口の端が動いただけ。でも、たしかに、トリスは――今、笑った。
「喫茶店で、お話したじゃない。お父さんのことさ。自慢のお父様だ、なんてさ。トリスくらいの歳なら、もう反抗期だよ。それをあんなに、いまどきあんな素直で優しい子いるかなーって、笑っちゃったよ」
「……お母様が言っていましたから。素直な子に育ってって」
トリスは端的に言葉を切り続ける。震えていた。これ以上喋れば、何かが溢れてしまうとでも言わんばかりに。
目の前の少女に、あと何度、悲しい笑顔を浮かべさせれば気が済むというのだ。こんなところで、くだらない茶番を演じるために来たのではないのに。
「お父様も、お母様も大好きです。でも、でも、フレッタさんもルチアさんも大好きなんです! わたしは……わたしはっ!」
感情を押しとどめていた心の堤防が、いよいよ決壊しつつある――トリスは両眼から大粒の涙を流し、ついに嗚咽をあげ始めた。フレッタは心の底から確信する。これは呪痕による躁鬱のせいなどでは、決してない! 好きな人を想うがゆえに葛藤する、人間ならば誰もが持ち得る、とても純粋で暖かな気持ち。
「大丈夫だよ、トリス」
「……え?」
「悪いけど、こう見えてあたしはけっこう欲深いんだ」
涙は指で拭ってあげられても、心の傷はそう簡単には癒せない。かつての喪失の痛みが、右目の疼きが己を震わせる。
フレッタは、右掌にさらなる力を込めた。
「最終楽章といこうじゃないか。――
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