18.面立ちは母に似て
(あれって、もしかして)
木製の写真立て。中には三人の男女が写っている。
フレッタの視線に気付いたゼビアノが、わずかに目を細めた。
「それは吾輩の家族の写真だ。不要な私物の持ち込みなどするものではないが、所長にお目こぼしを頂いた」
ほうっと溜息が漏れた。わざわざそこまでして家族写真を手元に置くとは、人間らしい一面もきちんとあるらしい。
奥で作業をしている四人が小さく笑うのが見えた。この男の家族思いぶりは、周囲にも知れ渡っているようだ。
そのうちの一人、金髪の軽薄そうな印象の若者が喋り出す。
「あの娘、二年くらい前までは、ここに何度か連れて来てましたよね。元気いっぱいな娘さんで」
「うむ。戯れに所員証まで作ってもらったものだが……いつまでも、こんな所に連れてくるわけにもいかんからな」
家族写真だというのに、全員が白衣を着ていた。真ん中には満面の笑みのトリスが立ち、右手で元気にピースサインをきめている。今現在でさえちっちゃいのに、その姿はさらに二、三年分ほど幼く見えた。
左隣には、彼女の肩にそっと手を置くゼビアノ。彼とは反対の右隣――柔和に微笑む痩身の女性は、母親だろう。
「……綺麗な人」
月並な表現が思わず飛び出す。
トリスが母親似であることが、確信に変わった瞬間だった。蜂蜜色の長髪は艶やかに潤い、端正な目鼻立ちにもふんわりとした慈愛が表れている。写真越しにその笑顔を見るだけで、砂糖菓子を口に入れた時のような甘い安らぎが感じられた。
いずれ、トリスもこんな風になるのだろうか。
「奥様も、研究者をしてらっしゃるのですか?」
「あぁ、同じ分野で共同研究をしていた。……半年ほど前に、病気を患い旅立ったがね」
トリスが母親にあまり言及しない理由も、察しがついた。
半年前とは、まだずいぶんと日が浅いようだ。
「……失礼しました」
「気にすることはない。事情を知らねば、詮索したくなるのも無理からぬことよ」
「白衣姿の家族写真というのも、あまり見慣れないものですね」
「それはそうだろう、吾輩も寡聞にして聞いたことがない。この白衣姿は娘の要望でな。働いている我々の姿と共に、自分も同じ格好で写真に収まりたいと」
この写真は、三人揃った最後の家族写真なのだろうか。トリスの表情は、どこか影が差したはにかんだ笑いではない。太陽に向かって咲く、大輪のヒマワリのような満面の笑みだ。
「妻の遺志は、この娘が立派に継いでくれてるのでね。吾輩も安心している」
「遺志、ですか」
「吾輩の研究に興味を持って、たびたび意見をよこしてくれるのだよ。どこまで理解してるかはさておき、子供の発想というやつは、時に冷や水のように厳しく目を覚ましてくれる。親が言うのも何だが、なかなか良い着眼点を持っているようだ」
所員証はダテではなかったということらしい。寝物語に絵本を読んでやるように、娘に『お勉強』を兼ねた仕事の話をしていたのかもしれない。
様々なことが分かってきた。人の世に忌み嫌われる呪痕を研究する男。半年前に亡くなった妻。その遺志を継ぎ、過剰なまでに父を慕う娘。その娘はおそらく呪痕症患者でありながら、それを隠している。そして、盗賊に依頼してまで手に入れた『雪』。
「……ふぅむ」
考え事は脳裏に積もり積もって、水飲み鳥のように頭を揺らそうとする。それに逆らうことなく一度うつむき、メガネのズレを手で抑えた。
何気ない仕草を横目で見やるゼビアノに、フレッタは自然な笑顔を作って問い掛けた。
「もう一つ、いいでしょうか」
「何か?」
「呪痕や、それに類似した現象を、生体で人為的に再現することは可能なのですか?」
自分で言っておいて、反吐が出そうだった。
受けるゼビアノは言葉を選んでいるのか、顎髭をなでつけながら明後日の方向を見やった。
「……理論上は可能、といったところか。何度も言うようだが、そうそう実験できるものでもないのでな。まだノウハウの蓄積に乏しいのが実情だ。もっとも、我々が真に目指しているのはその逆、呪いを抑制する方法なのだがね」
暗に人体実験を示唆した物言いにも、眉一つ動かさずに返してくる。
社会通念からの多少の逸脱など、沸き立つ好奇心の前には捻じ伏せられるということか。倫理の天秤があべこべな研究者は少なくないと聞く。悪党である盗賊の手だって借りようという不届き者ならば、なおさらのことだろう。
「しかし、呪いの人為的再現か。心を乱すゆえに呪いと人は言うが、これも言わば人の進化の可能性なのだがな。ときにラッザロ君、君に信仰はあるかね?」
「……いえ、特には」
「吾輩もだ。しかし、もしも神が天に坐すとするならば? 果たして呪いや魔法は、彼の者の如何なる意思のもとにもたらされたのか。人の進化に人為を加えると自覚した時から、その疑問が胸に根ざしてやまぬよ。あるいは彼もまた、この星をフラスコに見立てた壮大な実験の最中なのかもしれんな」
何がおかしいのか、顎髭をしきりになでつけながら彼はクツクツと笑った。自分の世界に陶酔してしまっている。それを見つめる視線は冷ややかなものになっているだろうが、今さら笑顔を取り繕う気にはなれなかった。
この男の人となりには触れられた。それが例え一側面に過ぎずとも、乗り込んで話を聞いたことは、無駄ではなかったようだ。
「お話、ありがとうございました。そろそろ、ぼくはこの辺で……」
いよいよもって、ここにはいたくない。
適当に一礼し、場を辞そうとしたのだが――
「あぁ、そういえば」
「……なんでしょう」
ゼビアノは真顔に戻り、不思議そうに首をひねった。
「君は先ほど、花を摘みにと言ったが……それは女の慣用句だな。男がする際は、鷹を狩りにと表現するのだが」
「……」
似たような真顔で聞き受けつつ、フレッタは内心で大鎚にぶん殴られるような衝撃を覚えた。心臓がばくばくと早鐘を打ち始める。あまりにも些細な、だが確かなミステイク――
「知らなかったかね? 覚えておくといい」
しかしフレッタの焦燥とは裏腹に、ゼビアノはそれだけ言うと興味を失ったようで、プイと視線を逸らした。
勘付かれないように、大きく息を吸って、吐く。最後の最後で詰めを誤らなかったことに、心の底から安堵する。まったく、油断も隙もあったものではない。
「あはは……ぼくとしたことが。しっかり覚えておきます。それでは」
「うむ。もう会うこともあるまいがな」
今度こそしっかりと頭を下げ、フレッタは部屋を後にした。
しまる扉の隙間から最後に目にしたゼビアノは、初めから訪問者などいなかったかのごとく、自身の研究に没頭し始めていた。
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