14.街へいこうよ 三人娘

 永久の白雪ビアンカネーヴェ依頼人トリスの父親に引き渡した、あの日から三日。パステルメロディの玄関扉に、今日は定休日の札が提げられている。

 お休みだというのに、フレッタは珍しく早起きしていた。仕事などする気は無く、店のカウンター奥に座って、ダラダラと新聞を流し読み。なんとも優雅な朝だ。


「む、またソノーレ黒麦が値上がりするかもだとよ。ペッコロリ亭のふわふわ黒パン、しばらく食べらんないかもしれないぞ」

「えー、こないだ貰ったラズベリージャムだいぶ余ってるのに。値上げしそうな穀物って、金持ちが買い占めてたりするんでしょ?」

「『利に聡い』と『がめつい』はご近所さんってわけだな。麦ドロボウでもするか? ……いや、冗談冗談」


 カーディナーレ邸から永久の白雪ビアンカネーヴェが盗まれた件は、記事には一向に見当たらなかった。卿が己の恥を恐れ、報道筋に何か根回しした可能性はある。あるいは、単に記者の興味を引く案件ではなかったか。世のなか数字、それは報道も雑貨商も変わらない。


「こないだはすぐニュースなったのにな。記者さん、職務怠慢なんじゃないか」

「なに言ってんの、この目立ちたがり屋さん。そんな渋い顔しちゃだめだめ」


 ルチアは横から新聞を覗き込み、フレッタのおでこをぺしぺしと小突いた。


「平和でのんびり、ルチアはお姉ちゃんと一緒にいられるだけで幸せだしねー」

「嗚呼、殊勝な妹だ。父も草葉の陰で嬉し泣いておるぞ……やめれ、くっつくなくっつくな」


 だらけきった姉に後ろから抱きつき、ルチアは普段のキビキビした経営態度から想像もつかないほどに甘え出す。ピンと張り詰めた弓の弦も、時には緩めて手入れしなければならない。たまの休みくらい、お姉ちゃん分をたっぷり補給することを咎める者はいないだろう。

 しかし、そんな二人っきりの和やかタイムも長くは続かなかった。

 CLOSEのドアを開く者が現れる。姉妹はその来訪者の存在を知っていた。


「あの……こんにちは」


 おずおずと隙間から覗きこんできたのは、空色のケープを纏った銀髪少女――トリスだった。


「トリス! よく来たね。こっちこっち」

「……おのれ、図ったかのようなタイミング」


 歓迎するフレッタに対し、ルチアはちょっと複雑な表情でぷうっと頬を膨らませた。が、トリスのおずおずした様子を見るや否や、慌てて笑顔を作る。


「それじゃ、さっそく行こうか」

「あ、あの。来てから言うのもなんですけど、どこへ……?」

「それは歩きながら考えるよ。知ってるだろ? この街はティラミスみたいに何層もワクワクが詰まってて、どこをどう切っても美味いんだから」

「さすがお姉ちゃん、行き当たりばったりの行動派」

「だから色々アタマで考えるのはルチアの仕事。音楽だって旋律メロディ律動リズムがあって初めて成り立つわけだろ。補い合ってちょうどいいのさ」


 フレッタは冗談交じりな妹の頭をわしゃわしゃと撫でつけた。髪が乱れるのも気にせず、きゃーと楽しそうに小さく声を上げるルチア。そんな様子を見て、控えめにトリスも笑った。

 今日は、三人で『お出かけ』しようと約束を交わしていた日だった。先日のいざこざを水に流し、これも何かの縁だと親交を深めたい、そんなフレッタの気まぐれな提案によるものだった。

 三人は意気投合し、アテもなく街へ繰り出していく。




「いや待て待て、大人しそうで清楚な見た目にさ、活動的なスタイルっていうギャップがいいんだ」

「でもお姉ちゃん、素材の味は大事にしなきゃ。ルチア的には、このブラウスにバルーンスカートで――」


 広大な敷地にところ狭しと並べられた女性ファッションの、ここはまさしく王国。物言わずハンガーにズラリとその身を預け、かしずくべき主人の登場を今か今かと待っている。女性達はそのめくるめく彩りの中に身を躍らせ、思い思いに悩みふけるのだった。

 そんなブティックの一角で、着せ替え人形遊びが行われている。フレッタとルチアがお互いのセンスでもって、トリスにあれこれ着せようとはしゃいでいる。片や活動的で線の細い、スラリとしたシルエットのパンツルック。片や可愛らしい装飾をあしらった、いかにも夢想的で少女趣味なふわふわデコレーションに仕立て上げようとしている。


「ん? これ意外と安いじゃん。お高い店だと思ってたけど結構コスパいいな。あたしも何か買おうかな」

「もう、こんな可愛い子の前でコスパとか言わないの。こういう時くらい贅沢に……うーん、ユルい感じのも悪くないな」


 初めはトリスに遠慮がちだったルチアも、今ではすっかり打ち解けてしまっている。その真剣さときたら、自店での接客時とは比にならない。

 当のトリスは首元でケープの裾をきゅっと抑えながら、ただただ店内の物量に圧倒されていた。彼女が素材からして美少女だというのは姉妹共に認めるところで、それをより美しく飾り立てたいという熱意も、ひしひしと漂っていた。


「トリスはどっち派なんだ?」

「えーと……わたしは、こっちのスカートの方が」

「ほら! 分かる人には分かるのよねー。えっへん」

「マジか。ファッションは冒険だよ、トリス。もっと殻を破っていかなきゃ」

「あ、はい。でもその、スカートでも、あんまりもこもこしてない方が好きかも」


 明らかに不慣れな場で目を回しかけていたトリスだが、その声色は弾んでいた。鏡に映るたびに、目くるめく変身を遂げている自分。いつしか照れ笑いながらも、服に見合ったポーズまでとってみせている。とはいえ同性と言えど恥ずかしいらしく、試着途中の姿だけは決して見せようとはしなかった。


「娘さんがこんな綺麗になって帰ってきたら、お父さんもきっと喜ぶだろうな」

「お父様は……あんまり、服装とか気にしない人ですよ。自分のも、他人のも」

「たしか、ビーカーでコーヒー飲む人なのよねぇ。自分の研究にずうっと没頭してる、いかにも科学者って感じ」


 ぐへへ~、とルチアはマッドサイエンティストのマネをする。妙なツボにハマったか、トリスはしばらく口元を抑えて笑っていた。

 じゃれ合う二人を見るフレッタの眼差しは、一人の姉のそれだった。まるで二人目の妹が出来たみたいで、嬉しいようなこそばゆいような。こうして一緒に過ごしていると、やはりトリスはどこにでもいる普通の女の子だ。もっと、そんな彼女の色んな表情が見たいと心から思えた。


「あっ、これ……かわいい、ですよね?」


 トリスは初めて自分で気に入った一着を手に取り、穴が空くほど見据えていた。さらさらと柔らかな手触りのシフォン絹であつらえた、薄緑色のワンピース。姉妹どちらの趣味とも違うシンプルな一着は、しかし二人の顔を綻ばせるに十分だった。


「いいんじゃないの。ほら自信持って、試着してきな」


 フレッタの言葉にコクリと頷くトリス。妙にキリッとした表情がどこかおかしかった。まるで初めて客前に出る舞台女優のように大きく深呼吸して、ぎこちない足取りで試着室へと入る。

 それを見届けると、フレッタは近くの棚に何種類かの伊達眼鏡が置いてあることに気付いた。流行らしい細いフレームの一つを手に取り、試しに掛けてみる。


「なぁ、ルチア。これ似合うと思う?」

「はい? ……ぶふっ!」

「ぶ?」


 フレッタの顔を見た瞬間、奇声と共に身をよじるルチア。鼻血を抑えるかのように顔面に手を当て、何やらもだえている。


「ど、どした?」

「いえ、よ、よくお似合いです、はい。ヤバい何その不意打ち……眼鏡っ娘お姉様……あ、アリだわ……」


 グッと親指を立てつつ何やらブツブツと呟く妹を訝しがりつつ、フレッタはちゃかちゃかとフレームを弄ぶ。繊細な壊れ物のようでいて、真紅のカラーリングは気の強そうに自己主張している。これを掛けたらちょっとは頭良さそうに見えるかな、などと思いつつ。


「しかし何でまたメガネ? 新しい趣味に目覚めたの?」

「趣味言うな。いやー、学者ときたらメガネってイメージかと思ってさ」


 他の眼鏡もチェックしつつ、ご機嫌に鼻歌を歌い出す。ルチアは意図が読めず首を傾げつつも、そんな姉をじっくりと眺めていた。

 やがて、トリスが姿を現す。膝下を晒した可憐なデザインのシフォンワンピースは、姉妹からトリスへの初めてのプレゼントとなった。




 ブティックを辞して、それから馴染みの雑貨店など二、三の店を巡った。結局、最初の服以外は何も買わなかったが、それでも気が付けばとっくに正午を回っていた。

 やや遅めのランチタイムと洒落込み、三人は手頃な軽食カフェのテラス席に着く。歩き通しからお尻を落ち着けると、三人そろって一気にだらけモードになった。


「いやはや。やっぱり楽しい時間ってなぁ、早く過ぎるもんだな」

「光陰矢の如し、というやつですね」

「歩いた歩いたー。でも、こういう疲れって逆に気持ち良いよね」


 南に昇った太陽の日差しが、ぽかぽかとした陽気で三人の歩き疲れを癒してくれた。

 思い思いの食事を摂りつつ、まだまだ尽きない雑談に花が咲く。その頃合いを見て、フレッタとルチアはそれぞれ洒落た包装の小箱を取り出した。


「なんですか、それ?」

「あたし達からのプレゼント第二弾。開けてみ」


 促されるままに、トリスはそれぞれの箱を開けてみた。フレッタの箱には、細長いリボン――片や夜色に染まった一本、片やりんご色が鮮やかな一本。ルチアの箱には、四つ葉のクローバーを模したヘアピンが綺麗に収まっていた。


「わぁ、ステキですね。……え、これ、私に?」


 自分を指差してぽかんとするトリスに、姉妹二人は揃って頷いた。


「昔あたしが使ってたリボンなんだけどね。別に使わなくても、ただお守りと思って持っててくれるだけでもいいからさ」

「ルチア達のお下がりってことになっちゃうけど。お近づきの印だと思って」


 思い出も愛着もある、慣れ親しんだ物品を贈り物にすること。よほどの想いを込めた相手にしか行われない行為だ。

 トリスは戸惑いと喜びが入り混じった複雑な表情で、贈り物と姉妹達を何度も交互に見比べた。まるで初めて餌を与えられ、どうしたら良いか分からない雛鳥のようだった。


「あの、早速つけてみていいですか……?」

「もちろん」


 応えてフレッタは立ち上がった。結び慣れていないであろうトリスに代わろうと、彼女の後ろに回り込む。一国の美姫に追随する侍女のように、ルチアはバッグからコンパクトミラーを取り出した。


「トリスの髪、ふわふわで綺麗だからなぁ。後ろは流してツーサイドアップにしよう」


 腰まで伸びるロングヘアーはそのままに、頭頂にほど近い両側頭部を、左右それぞれ一房ずつ結わえる。端が風でたなびく程度に細長いリボンだ。

 続けて右目を覆っていた髪を少しかき分け、そこにクローバーのヘアピンを挿す。くりんとした翠色の瞳が、ハッキリとあらわになった。


「どう……ですかね?」


 トリスははにかみながら、感触を確かめるように少し頭を振った。結われた二房が、小動物の尻尾のようにふりふり揺れる。銀髪に差された赤と黒のアクセントが映え、目元が見えず暗い印象だった前髪も、少し掻き分けただけで、年相応の元気な少女らしさをぐんと引き上げている。

 不安げな視線。それもルチアのコンパクトミラーに映る自分の姿を見て、満面の笑みへと変わった。小さな蕾が控えめにほころぶ様を思わずにはいられない。少女は自分の知らない自分に出会えた大きな喜びを、打ち震える全身で持て余していた。

 ぱっちりと世界を見通す瞳が、やがて水面のように潤んでいく。


「トリス……?」

「あっ。ご、ごめんなさい。その……嬉しすぎて、どうしたら、いいか、分からなくて」


 満たされた水瓶がそうであるように。心の許容量を越えた感情は、表に溢れてくるしかない。人目をはばかることなくトリスの笑顔を伝う雫は、昼下がりの日差しに煌めいていた。


「こういう時はごめんなさいじゃなくて、ありがとうだな」

「は、はい。ありがとうございます」


 その言葉に、姉妹もまた顔を見合わせて笑いあった。

 湧き出る純真を茶化すような無粋など、持ち合わせてはいない。

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