12.トリス
少女は憔悴して眠り込んでしまった。今やフレッタのベッドを占領し、穏やかな寝息を立てている。
こうなっては店の営業どころではない。ルチアは小さく唸りながら落ち着き無くウロウロしている。何か事情があるのだろうとは思いつつも、怒りもまた完全には冷めやらず、板挟みの様相だ。
しばらくすると、閉店の札を提げている玄関扉を叩く音がした。二人が一階へ向かってみると、外にジュネロが立っていた。
「よぉ。見たとこケガは無さそうだな。タフで何より」
「女は男より頑丈に出来てますからね。ツボの回収、ありがとうございます」
「ございます」
フレッタは元より、ルチアもジュネロの顔を見て安心したらしい。
「これもビジネスだからな。で、一体なにが?」
ひとまず彼を店内へ招き入れ、昨晩の仕事から始まる経緯を説明した。
情報元のジュネロならばと思っていたが、彼も少女の正体に心当たりは無いらしい。
「同業者がかすめ取ろうとでもしたか。そんなハイエナ野郎の情報は入ってないんだが」
「野郎じゃなくて、かわいい女の子ですけどね。あの娘は、たぶん盗賊じゃないです」
「ほう?」
試すよう切り返すジュネロにフレッタは答えず、ルチアへと視線を向けた。呼応した彼女がスカートのポケットから取り出したのは、一枚のカードだ。
「それは? ヴィヴィアーニ研の所員証か。……ベアトリーチェ・ラフォレーゼ?」
「エウフェミアなんて名乗ってたけど、偽名だったんだ」
実のところ、フレッタは少女――ベアトリーチェが昨晩の犯人であると、彼女が入店した当初から気付いていた。アイコンタクトでルチアにもそのことを伝え、二人で彼女の出方を警戒していた。
フレッタが商品選びを手伝おうと声をかけたのも、半分がサービス精神で、もう半分は陽動。品選びに夢中になっている最中、傍らに立っていたルチアは、少女のポーチの中身を失敬していたのだ。スリの常套手段、初歩的な連携プレー。それだけ少女が、その時は気を許していたということだ。
「クライアントと同姓だな。十四になる娘がいるとは聞いていたが」
「父親の差し金……ってことはないですよね? あたし達に盗みを依頼しておいて、娘にそれを妨害させるなんて、意味が分からない」
「さて、本人に聞くのが一番だろう。それより、その娘が犯人だとよく気付けたもんだ」
その言葉にフレッタは大きな胸を張り、自分の右手を目の前でグーパーと開閉して見せた。
「昨日やりあった時、一瞬ちょいと背中に触ったんですけどね。下着の感触はあったのに、ホック付いてなかったんですよ」
「……は?」
「まず相手が男の人だったら、特殊な趣味でない限りブラなんてしてないから、女の人確定ですよね。あたし、あれ服の上から外すの得意なんですよ。でも無いものは外せないし」
ジュネロは無言で腕組みした。明らかに、『おまえは何を言っているんだ』という言葉をグッと飲み込んでいる。
「……フロントホックだったと?」
「いや、それも違います。何度かやると、これも素材の感触で何となく分かるんですけど、あれ、ホック無しの子供用下着だったんですね。上から被るだけのやつ。つまりあの怪人は、ちっちゃい女の子だったってことです。おっぱい側まで触れば確定だったんですけ――」
「お姉ちゃんその話あとで落ち着いたらじっくりゆっくり詳しく聞かせてもらいますからね逃げないでくださいよ絶対に」
得意気に語られる姉の蛮行に、ルチアはニッコリと満面の笑みで口を挟んだ。遮られ、フレッタは唐突に寒気を感じてブルッと震える。二、三度ほどその場の気温が下がったように思えるのは、果たして気のせいだろうか。
少しばかり目を泳がせ、「あぁ、そうそう」と露骨に取り繕った言葉で何とかお茶を濁す。
「もちろんそれだけじゃないですよ。客商売は人の眼を見る仕事ですからね。顔は隠してても、あの
「お前の眼フェチも役に立つもんだな。分かってたなら、何故すぐに捕らえなかった。泳がせるつもりだったのか?」
言外に、不可解な手落ちを責めるニュアンス。なまくらには出せない白刃の鋭利が、言葉の端々に滲み出ている。
しかし姉妹は二人揃って、返す刃は当然とばかりの毅然とした態度。
「あの娘は、買い物もしていったんです。父親への大切な贈り物を探しに来たと言っていました。その言葉に、決して嘘偽りはありませんでしたから」
「根拠は?」
間を置かず降り掛かるジュネロの問い。
フレッタにしてみれば、疑問にすら思わないことだった。少女が怪しいとは思っていても、父親について話し込む彼女の優しい微笑みだけは、ごく自然に『嘘ではない』とすんなり信じられたのだ。
フレッタは少女の笑顔を思い出しながら、三本指を立てて応えた。
「女の勘。盗賊の直観。それに――父さんの娘としての共感です」
それを、ジュネロは真剣な顔で聞き届けた。
「……信じよう」
「ルチアもお姉ちゃんに同じく。そもそも、お客さんとして来た以上は応対しなきゃね。売れる時には売らなきゃ損損」
てへへ、とルチアは茶目っ気混じりに答えた。先ほどフォークで何をしようとしたかは、胸の内にしまっておく気らしい。
「いい商魂してるぜ、ルチア。経営者はそうでないとな」
ジュネロは苦笑したが、すぐにハッとした目つきで姉妹の背後に目を向ける。
気付いて二人も振り返ると、階段から降りてきた少女の姿があった。目視で観測した瞬間、初めてそこに現れたかのような、あまりにも希薄な存在感。先ほどまでの獣性は鳴りを潜め、借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
「あの……」
「や、眠り姫。気分は悪くない? ミルクでも飲む?」
「……い、いえ」
「それとも『雪』が気になるかい? 残念だけど、あれはキミが二階で心地良く夢見てる間にクライアントの手の内だ。奪うつもりだったなら、もう遅いよ」
それを聞き、少女はぽかんと口を開けて立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと膝を折った。何ごとかと見守るフレッタ達。その目の前で、彼女は震えながら地べたに正座すると、そのまま真正面に屈んで額を地につけ――それはもう、お手本のように見事な土下座をしてみせた。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」
怖気混じりの声色で、謝罪の意を述べる。萎縮しきった身体が、寒空に放り出された仔猫のように震えている。
フレッタは思わずきょとんとさせられた。一瞬の間を起き、これには苦笑で応える他になかった。
「そんなの求めてないよ。顔、上げて」
「……」
少女は座ったままでこわごわと顔を上げ、しかし何度も視線を合わせては逸らす。怯えきった上目遣いが、ただでさえ小さい体をよりちっちゃく見せている。こういう状態を、まな板の上のニシンと言うんだったかと、フレッタは一人で納得した。
「取って食べたりしないから、楽にして。まず、これを返すよ……ベアトリーチェ」
え、と眼をぱちくりさせ、少女は目の前に突き出された所員証を受け取った。
「それが本名でしょ? キミの正体が知りたくて、悪いけど盗賊流のやり方で借りさせてもらった。ごめんね」
「は、はぁ……」
「にしても昔の貴族みたいな名前だね。今じゃ、あんまり聞かない響きだ」
「……呼びにくいようでしたら、トリスでいいです。父は、わたしをそう呼びます」
「そっか。それじゃよろしく、トリス」
先ほどまでの大喧騒が嘘のように、あっけらかんとした調子のフレッタ。トリスの表情はますます困惑の色を強めているが、そんなことはまるでお構いなしだった。
「起き抜けで悪いけど、質問に答えてくれるかな。昨晩あたしを襲ったのと、今ここに現れたのと、どっちもキミの独断?」
トリスは「え」と小さく呟き――ややあって、こくんと首肯。正確な真偽を正すことはせず、フレッタはただニコリと笑った。
「おっけー、じゃあ二問目。どうやってこの場所に辿り着いた? 尾行は無かったと思うんだけど」
「絶対に無かったよ。お姉ちゃんとルチアが警戒してて、気付かないわけないもん」
昨晩の行動を共にしたルチアが、真っ先にうんうんと何度も頷いた。実際、彼女の周辺域警戒は信頼していた。
トリスは腰に下げたポシェットを開くと、いそいそと小さなケース――ソーイングセットのようなものを取り出した。その中から、指先ほどの小さな針を一本引き抜く。
成り行きを見守る三人の前で、トリスは針にバチッと電撃を弾けさせた。すると、針はホタルのように淡く光を放ち始めた。
「……帯電、です。わたしの魔法で帯電した針の場所を、自在に感知できます。昨晩……貴方の服に、これを忍ばせていました」
「へぇ、面白い魔法もあったもんだ。針の気配が途絶えた場所が、この店だったってわけだね」
再び、首肯。念を入れて『怪人』の尾行を警戒し、変身したままであちこちに遠回りして店まで戻ったのだが、まったくの骨折り損だったらしい。
もっとも、これらは些細な問題だ。
「じゃ、三問目――」
肝心要の質問。どうあろうと、これだけは確認せねばならない。
「キミの魔法は
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