第三章 銀色の出会

10.親孝行な女の子

「はい、ありがとうございます。ぜひ大切に使ってくださいね」


 女性客に商品の入った紙袋を手渡し、フレッタはにこやかな笑顔を向ける。

 しかし満足そうに退店する女性を見送った直後、表情は一転して物憂げな曇り模様へと変わった。心ここにあらずといった視線が、何の気なしに窓へと向かう。


「今日もいい天気だなぁ」

「……お姉ちゃん、気持ち入ってなさすぎ」


 永久の白雪ビアンカネーヴェを巡る一騒動から一夜明け、今日もパステルメロディは平常営業。

 今日は朝から数人の客が入っており、誰もがペン立て、メモスタンドといった新商品の文具雑貨に目を留めていた。専売商品の新シリーズ――きっと売れるだろうと姉妹も踏んでいた。

 が、今しがた売れたところでフレッタの面持ちはこの有様。


「まだ昨晩のこと気にしてるの? もう終わったことなのに」

「気になるさ。アイツ、何だったんだろな。初めてだよあんな夜は」


 店内を歩きながら帳簿を眺めていたルチアは、姉の気の無い返答を受け、しばし虚空に目を泳がせた。


「【雪】の情報を、姉さまとは別口で聞きつけた同業者……まぁ、普通に考えれば」


 秘密の情報網は何もジュネロの専売特許ではない。光あれば闇があり、栄華あれば妬みあり――金持ちあれば盗人ありといった風情で、ここシティ・アルムジカにも何人か名の知れた悪徒が存在する。それどころか、互助組織という名目の徒党を組む者――ジュネロもそのメンバーの一人らしい――まで存在する始末。

 あの雷撃の【怪人】もまた、その一人なのだろうか。


「あんな捨てられた仔犬並に眼の澄み切った悪党なんて、聞いたことない。まだ片足突っ込んだだけってんなら、さっさと引き返してもらいたいもんだ」


 聞きつけたルチアはパタンと帳簿を閉じた。大股歩きでズイと姉に近付いていく。


「綺麗な眼をした悪党の妹なら、ここにもいますけど?」

「どした、藪から棒に」


 覇気のないフレッタを見つめながら、ルチアは右眼の眼帯を外した。くりんと丸い両の碧眼に迫られ、さしものフレッタも微苦笑が漏れる。


「どっちも綺麗な綺麗な青ーい瞳。視力は鷹並、夜目が利くこと姉以上。言うことナシでしょう」

「……かたっぽはじゃないか」


 ルチアの右眼は眼帯で覆われている以前に、精巧な作り物だ。真に迫るために技巧を凝らして造られた碧色は、金持ちの手垢にまみれたサファイアなどよりよっぽど美しい。無意識に触れたくなったことも一度や二度ではない。


「これはルチアの体の一部だもん。マガイモノだって、信じ続ければ本物になるんだから」


 違いない。物の価値など人によって様々だ。信仰を絵に込めた画家の二束三文の絵が、彼の死後になって家一軒建つほどの値がつくなど、ありふれた笑い話。ニセモノとホンモノの定義など、神ならぬ人が好き勝手に決めているにすぎない。

 あの【雪】も、怪人にとってはよほど大切な何かだったのだろう。


「その通り、自慢の妹だよ。……けどさ、大切さってのは近すぎると逆に分からなくなるもんだ。高嶺の花も手が届かないからこそ美しい。だからこそ欲しくなる。だろ」


 あやすように、妹の頬に手を添える。

 自分と同じ、吸い込まれるような碧眼。鷹並は言い過ぎにしても、夜目が利くことも事実。夜間の見張りだって安心して任せられるというもの。――だからこそ、愛でるに適切な距離を取ってもらいたい。

 ルチアは尚も不満があるのか、ぷうっと頬を膨らませ、やっと少し離れた。そんな彼女のキツい視線が、少しだけ潤んだように見えた。


「……ほんと誰にだって優しいんだから。どうせ昨晩だって倒れた相手の顎にクイッと手ぇ添えて、『君の瞳に乾杯』とか言ったんでしょ」

「言うわけあるか。あたしだって相手選ぶ権利くらいある」

「相手が良ければ言うんだ。すぐお手つきにするんだ。なんでも盗んじゃうんだ」

「一体どうしたんだよ。意味分かんないこと言って、お姉ちゃん困らせないの」


 よほど腹に据えかねたか、普段のルチアらしくない剣幕だ。何がそんなに気に入らないのだろう。若者集団のナンパに困っていた少女を助けた時も、野良犬に襲われた青年を救った時も、丸く収まったのに何故かルチアはこんな顔をしていたと思い出す。


(気分転換にって、その後ちょっと食事に誘ったりしただけなのになぁ)


 なんとか苦笑いでごまかそうとすると、助け舟のように鈴の音が鳴り響いた。客が入ってきたようだ。

 フレッタはパッと明るい営業スマイルを作り、ルチアの肩越しに入り口の方を見やった。


「いらっしゃいませ」


 大きな声で挨拶をかけ、来客の姿を認める。


「こんにちは」


 ルチアよりも小柄な少女は、控えめに腰を曲げて挨拶した。

 クリーム色のワンピースにケープを羽織っている。膝裏まで背中をすっぽり包み込む銀髪は、後ろだけでなく、前髪も目元を覆うほどに長い。

 スカートを不必要に揺らさない楚々とした足取りで、少女は店棚を見て回り始める。それだけで育ちの良さを窺わせた。

 ルチアもその姿を認めると、一つ息をついてフレッタから離れた。


「何かお探しモノ?」


 フレッタは座ったまま、先手打って声をかけた。普段なら客の見るままに任せるのだが、今は場の空気を変えたい思いが勝った。

 少女は前髪の隙間から垣間見える瞳で、まっすぐにフレッタを見つめ返した。


「あ、はい。父へのプレゼントを探しているんです。その、色んな店を見てきたんですけど……なかなか、良いものが見つからなくって」


 若干たどたどしさはあるものの、少女はハッキリと自分の思いを口にした。


「そりゃ親孝行だ。よし、いろいろ選んでみようか」


 カウンターの脇に置かれた父親の写真立てに少しだけ視線を落としてから、フレッタは立ち上がった。


「キミ、名前なんていうの?」

「えと、エウフェミア・アーノニモと申します」

「エウフェミアね。あたしはフレッタ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 フレッタは少し悩み、キッチン雑貨の棚から、ペンギンをあしらった小さなペアグラスを勧めた。恋人同士でも、親子で使っても特に違和感は無いであろう品物だ。

 少女はそれを受け取り、まるで古美術商のようにしげしげと吟味し始める。傍らで見ているルチアもまた真剣な眼差しで、お買上げに期待する熱視線を送っている。売上が即、生活費に繋がる以上、手抜かりは許されないのだ。


「う~ん」

「どう? 結構オススメなんだけど」

「お父様は、食べることも飲むことも全然こだわりが無い人なんです。よくビーカーでコーヒー飲んだりしますし」

「ビーカー?」

「はい。あ、お父様は研究者でして、研究所で不要になったビーカーが家にもあるんです。わたしがちゃんと洗って消毒してますから、それを飲用にも使っているのです」

「そりゃまた変わった趣向をお持ちだ。……あぁいや、ごめん。人様の身内に」


 思わず飛び出た本音だった。角砂糖を最低五個は入れる、見た目も中身も甘々な妹といい、どこぞのコーヒー胡椒ぶっ込みおじさんといい、風変わりなコーヒー飲みにはよくよく縁があるらしい。

 しかし少女は即座にふるふると首を振ると、はにかみ笑いで応えた。


「いえ、その通りですよ。でも、わたしにはすごく優しい父親なんです。そうでなきゃ贈り物なんてしません」


 まったく、この娘の父親は幸せ者だ。ここまで愛されているなんて、とフレッタはじんわり心が暖かくなった。

 再び写真立てに視線が行く。同時に、チクリと刺すような仄暗い痛みが胸奥を突いた。そんな時は目を閉じて闇を思い、深く息を吸って、吐く。丹田から呼気を整え、心に落ち着きを取り戻す単純な所作。夜の間隙に身を潜めるようになってから、たびたび心掛けていることだった。


「お姉さん?」


 ほんの二、三秒の儀式を、きょとんと小首をかしげて見つめられていた。フレッタは思わずぷっと吹き出し、少しかがんで彼女の頭を軽く撫でた。髪はふわっふわ、丸っこく撫で心地の良い頭で、少女は少し戸惑いながらも、すぐにえへへと微笑んだ。


「ホントによく出来た娘さんだなぁ、キミは。お姉さん、ひいきしてあげたくなっちゃう」

「そんな、ちゃんと定価でお支払いします! あ、でも、かわいいは、その、ありがとうございます……」

「ふふ、素直でよろしい。それじゃ、他には――」


 二人で見て回った結果、少女は装身具の棚からネクタイピンを選んだ。小さく音符記号をあしらった小洒落た一品だ。

 カウンターを挟んで改めて相対し、オレンジ色の財布からお金を受け取ると、フレッタは包装に特別な気持ちを込めてリボンシールをペタリと貼った。


「わぁ、かわいい! ありがとうございます!」

「プレゼントだもんね。お父さん、喜んでくれるとあたしも嬉しいな」

「きっと喜んでくれると思います!」


 満面の笑みを浮かべ、白い歯を覗かせる少女。あんまり嬉しいのか、ぴょんとちっちゃく跳ねて喜びを小さな全身で表した。なんだこのかわいい生き物は――などと思ってからハッとして目を逸らすと、背筋も凍るような無表情のルチアと目が合う。

 一人の客に入れ込みすぎるのも、いかがなものか。こりゃまずい、とフレッタは少女を帰そうとする。


「じゃ、じゃあね。良かったらまた来てよ」

「はい。……あ、忘れるところだった」

「ん?」


 入口に向かおうとした少女はクルリと振り返り、発すべき言葉を探すように目を泳がせた。

 ややあって彼女はにっこりと笑った。


「【雪】は、まだここにありますか?」

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