09.夜闇に踊る影二つ

「うん?」


 視線を感じ、ふと足を止める。

 何者かが、屋敷裏手の路地に身を潜めていた。あまりに屋敷に近すぎ、ここは不意に一般人が紛れ込むような通りではない。不運なことに、ルチアに警戒してもらっている範囲からも外れている。

 狙いすました待ち伏せとしか思えない。肌をざらつかせるような気配を受け、研ぎ澄ました五感が警告していた。これは敵意だ。


「……よく見つかるな最近。たるんでるぞ、あたし」


 視線の主たる怪人物が姿を現した。どうやらこちらを品定めしているらしく、意趣返しとばかりに睨み返してやる。

 身を隠すためであろう、暗緑色に染め抜いた外套をまとっている。おぼろげで線の細いシルエットは、しなやかに獲物を捉える猫科の肉食獣を想起させた。背中に垂らした長い三つ編みが、尻尾のように見えるからだろうか。

 影をことさら不気味たらしめているのは、顔だ。獣の耳のように両サイドに垂れ布を下げた、ぶかぶかとした道化じみた覆面。

 まさかの同業者か? と身構えると、『怪人』はゆっくりとこちらを指差した。


「なんだよアンタ、言葉で言わなきゃ分かんないだろ……ん? あぁ、これかい?」


 返答はなかった。盗賊行為を弾劾するよう突き出された指先は、抱えたツボを示しているようだ。即座に推察できたその意図は二つ――『置いていけ』か『よこせ』だ。待てと言われて待つバカはいないというお決まりのやり取りがあるが、まさしくそれに近い。果たして素直に従う盗賊などいるのだろうか。

 本当の意図が何にせよ、どうでも良かった。すでにフレッタの思考は、どうやってこの闖入者を煙に巻こうかという方向に進んでいる。


 そんな彼女の前で、怪人は突き出した右手にをまとわせ始めた。


(魔法ッ!)


 間一髪だった。距離を取ろうと一歩下がった時、怪人の右手からほとばしる『雷撃』が辺りを照らした。

 バチバチッ、と余韻のように白光が散る。雷を放つ携行武器だとすれば世紀の大発明だろうが、そうではなかった。射出の直前、明らかにひらめいた星命力アリアの光――雷撃を放つ魔法に違いない。

 今のはわざと甘く狙った、明らかな威嚇だ。大した焦げ跡さえ無い地面を見るに、仮に当たったとしても命まで奪われはしないだろう。

 しかしフレッタにとっては、行動の自由を奪われるだけでも致命的だ。あの雷撃は直撃すれば、まず間違いなく動けなくなるだろう。あいにく雷に打たれた経験はないが、そのくらいは察せられた。

 両者の間に緊張が走り、束の間の沈黙。そして、


「冗談じゃない。こちとら、チェザロッティのフルコースがかかってんだよね!」


 ただで獲物をくれてやるほどお人好しではない。フレッタは瞬時に跳躍し、すぐ隣の壁面の取っ掛かりを一段、二段と蹴りつけながら、あっという間に三階分の屋上へと躍り出た。すばしっこさには自信がある、逃げられないはずがない――という判断は、安易だった。


「……え!?」


 まるで瞬間移動するように、怪人もまた背後に立っていた。驚いた隙を狙い、電撃を纏った回し蹴りが襲いかかる。


「くあぁっ!!」


 したたかな一撃を受け、屋根の上に吹き飛ばされる。背を蹴られた痛みよりも、全身に伝播する痺れが自由を奪った。

 起き上がろうと、なんとか屋根の上に仰向けになる。しかし思い切り胸元を踏みつけられ、たまらず息苦しくなった。ピン刺しされた昆虫標本の様相だ。

 グッと押しつけてくる、重量ある右足をよく見て驚いた。くすんだ黄金色の光沢を放つロングブーツ――身体強化機械肢が装着されている。完全な義肢ではなく、自前の足に取り付けるものだ。


「『バネ足』かよ、クソっ。けっこーおカネかかってんじゃないの、それ?」


 むせ返りつつも挑発を投げかけ、心中でその跳躍力に納得する。蹴撃も重い。足だけ見れば、黎明の蒼アッジュリーテによる身体強化に追随するほどの能力がありそうだ。

 昨今の蒸気機械発展の副産物として、このような身体機械化装具が存在することは知っていた。まさかそれが自分を襲ってくるなど、夢にも思わなかったことだ。

 もっとも、圧倒的劣勢に寝かせられながら、彼女は微塵も諦めていない。こちらを見下ろす怪人の視線に、まずはニヤリと笑みを返してみせる。土壇場でこそ、ふてぶてしくもてなしてやるのがウィンディア流だ。

 あくまで反抗的な態度にも、怪人は何も語ろとしない。その背に雲間からの月光が重なり、フレッタはぺろりと唇を濡らした。


「キミ、あんまり場数は踏んでなさそうだね」

「……!?」


 劣勢の身から放たれる、場違いな問いに怪人が目をみはった。あまりにも分かりやすい動揺――その瞬間を見逃さない。


「ふっ!!」


 腹筋と背筋に渾身の力を込め、ぐわんっと上半身を跳ね上げる。

 片足でバランスを崩しかけた怪人の背中に、正面から抱きつくよう手を回す。しかし一瞬背中に触れられたのも束の間、後ずさる跳躍でかわされてしまった。捕らえるには至らない。

 再び睨み合う両者。彼我の距離はキャッチボールには近すぎ、親密な握手を交わすには遠い。


「こらこら、そんな顔しちゃもったいない。翠色の綺麗な瞳が台無しだろ」

「……え?」


 ぽつりと、怪人の口から訝しげな声が漏れた。覆面のせいで、くぐもって不明瞭な響きだった。


「まるで天露に濡れた瑞々しい果実みたいだ。片っぽ無くしたくらいじゃ死にゃしないだろうし、どう、あたしに盗まれてみない?」

「……ワケの分からないことを!!」

「ま、眼が三つあったところで未来が見えるわけでもないだろうけど」


 ルチアの好きな絵本にそんなお話があったな、と思い出す。

 このバネ足怪人の魔法が優れていることが、イコール戦闘能力の高さではない。雷撃も直線的な軌道の銃撃と大差はなく、むしろ放たれる発光のタイミングさえ読めれば、かわしやすそうなくらいだ。最悪、命中しても致命傷になりはしない。その時は乙女の気合で踏ん張るべし。

 ちょっと軽口を叩いたくらいで激昂するなど、初心そのもの。すぐさまとどめを刺さない辺りも、甘い。


「キミの正体の方がよっぽど気になるな。それに比べりゃこんなツボ、大したお宝じゃないかも、ね?」

「違う! 貴方は、それの本当の価値を知らないッ!」

「へぇ、そうかい」


 追いかけっこで振り切っても良かったが、危険が大きく面倒だ。

 と、いうわけで。

 フレッタは舌先三寸に取り乱す怪人の、その目の前で――後生大事に抱えていたツボを、呆気なくあさっての方向へスッ転がした。


「あ、手元滑っちった」


 へへーといたずらっぽく舌を出すフレッタを無視し、怪人はギョッとしてツボの方へと首を向けた。

 屋根の斜面をどんどん転がる先へバネ足で飛び掛かり、見事にキャッチ。しかし。


「残念でした!」


 フレッタは拾われたツボにウィップを飛ばし、思い切り引っ張って盗み返した。大きくお互いの距離は開いている。素早く怪人は再び取って返そうとし、しかし焦るあまり凹凸のある斜面に足を取られている。


「悪く思わないでくれ!」


 フレッタはウィップで捕らえたツボを、今度は勢い良く空へ向けて打ち放った。突然の挙動に、つられて怪人も立ち止まって空を見上げた。フレッタの矢継ぎ早な奇行に対処しきれず、その動きは隙だらけだった。

 即座に手首を下へ返しスナップさせ、ふわりと宙を舞うツボがグンと反転する。

 ウィップの反動と重力の勢いを乗せた凄まじい急降下、それはもはや弾丸だ。うろたえていた怪人は驚愕し、たまらず両腕で顔面を覆い――


 ゴズンッ!


「どうだ!」


 即席の投擲ハンマーは、フレッタの思惑通り見事にバネ足へ直撃した。


「ぐうっ!」


 ご自慢の義肢にヒビでも入ったか、怪人はその場にへたり込んだ。素足に本気でぶつけていれば、骨が折れてもおかしくなかったかもしれない。ツボと義肢、両方の硬質性を鑑みなければ不可能な一撃だった。

 ともあれ、これで相手は満足に動けないだろう。義肢が脱げなければ歩くのも大変だろうが、構っているヒマはなかった。


「ま……待てっ!」


「こっちも仕事なんでね、クライアントの意向は裏切れない。もし素顔で会うことがあったら、おわびに食事でもおごるよ……それじゃ、また来週っ!」


 フレッタはそう言い残して不敵に微笑み、ツボを抱え直して飛び降りた。着地の瞬間、蹴られた背中が僅かに傷んだが、これくらい一晩寝れば治ると気にも留めない。

 屋根上の大立ち回りを目撃された可能性を考え、すぐに撤収する必要がある。あとはルチアと合流すれば仕事終了だ。予想外のハプニングにも怯むことなく、彼女は月光を背にひとけの無い街道をひた走るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る