08.ビアンカネーヴェ
今宵の仕事場は、街の投資家・カーディナーレ卿の本邸だ。面積こそパステルメロディの数倍はあろうが二階建て。そのぶん、地下も二階まで存在することも調査済みである。
(こういう時こそ急がば回れ。最短ルートが正解だなんて甘くない。焦らず攻めろだ)
外を厳重に見回る警備員達の目を盗むのは困難と考え、二階の窓から潜入した。出迎えたのは、南国の珍品と思われる、極彩色の
暗闇に足を取られぬよう、木製の扉の前をいくつか通り過ぎる。この家に住まう者達の寝室だろう。宝以外に興味は無い、妙な気を起こさずスルーに限る。
二階では物陰で警備をやり過ごすこと、たったの一度きり。いかに寝静まった後とはいえ、寝室の周りを大勢にうろつかれるのは、気分が良いものではないのだろう。
(さて、正念場はここからだ。お宝は地下二階の可能性大、こちとら調査済みなわけでしてー)
宝物庫を造るにあたって、潜入が難しい地下の防御力に頼みを置く金持ちは少なくない。
廊下をまっすぐ抜けた先の扉を開けると、エントランスに出た。二階まで解放感のある吹き抜け構造になっていて、壁面に沿って大きくコの字状に設えられた回廊から階下を悠々と見下ろせる。一階には玄関口をカンテラ片手に見張る警備員らの姿。今は外を気にしているようだが、何かの拍子に見上げられないとも限らない。
フレッタが出てきたのはコの字の片端。斜め向こうと、対面の廊下に警備が一人ずつ、こちらへ巡回してくるのを確認。手すりに隠れてしゃがみこむ。このままではカドを曲がってきた瞬間に鉢合わせだろう。
どのみち、地下へ行くには反対側へ向かう必要がある。
(――下は厳しいね)
飛び降りれば一巻の終わり。戻っては話が進まない。不意打ちによる敵の無力化も可能だが、これは最終手段だ。
見上げると、木造の
強めに踏みつけても軋まない、足裏二つ分の細い道。ためらえば危険だ。中腰の姿勢を取り、梁から梁へネズミのごとく一気に駆け抜ける。
(他には、いない。よし)
コの字の反対側へ降り立ち、先ほどまで自分がいた廊下を見回る警備員を確認。カドにもう一人いるが、明後日の方向を向いている。そのスキに眼前の扉を開け、階下への螺旋階段を駆け降りる。
その途上に飾られた絵画、描かれた貴婦人の咎めるような鋭い視線に、思わず心臓が飛び出る心地がした。
(うーわ、こわ。金持ちのセンスって分からんなー)
邸宅そのものの造りは、壁紙から柱の一本に至るまでエレガントに彩られている。しかし道々に飾られた絵画、壺といったインテリアは、良く言えば独創的、本音を言えば奇妙奇天烈なデザインが目立つ。まるで邸宅と宝物の所有者が別であるかのような、そんなちぐはぐさが随所に見て取れた。
珍品に目が無いとくれば、『雪』が欲しいと子供じみた駄々の一つもこねるだろう。その駄々を叱ってくれる存在がいないのだから、まったく始末が悪い話だ。
金持ちの気持ちなど一生分かる日は来るまい――自分で思って少しだけ悲しくなりつつ、フレッタは慎重に先を急いだ。
◆
「……どういうことだってのよ」
フレッタはひとけの無い
地下二階の一室、宝物庫への潜入は成功したものの、肝心の獲物は見当たらなかったのだ。他にも様々なお宝がある中で、彼女はそれらに目もくれず、手ぶらで部屋を後にした。
卿のこれまでの傾向を調べた限りでは、来訪者の目のつくところに置く品は、値段や品格を問わず見た目がハデな物品ばかりという。屋敷内を駆け回って、それは実際に確信している。
調査続行か撤退かの二択。長くとどまればリスクは高まる。そこでフレッタは――前者を選んだ。
しゃにむに探してもラチが開かない。そんなわけで、アクビしながら見回りをしていた警備員の一人を後ろから思いっきり締め上げるという、あまりにも物理的な戦法での突破を図った。
「と、『溶けない雪』? それなら宝物庫には、ねぇよ。一階北側の、物置の中さ」
「物置だって……!?」
結果的には、その拙速が功を奏してしまった。もとよりそれが狙いだったとはいえ、これほどあっさりとあっては、それはそれで複雑な心境になってしまう。
お宝を物置に。にわかには信じがたい話だ。ともあれ警備員にはしばらく昏倒してもらって、彼女は警戒しつつも件の物置とやらに急いでいた。
やがてそれらしき場所に辿り着き、彼女は引き扉を開ける。
「……うわ、きったな!」
見栄っ張りな男の邸宅とは思えないほど、ガラクタが散乱した物置。メイド達が片付けるどころか、ここで横暴な主人に対する鬱憤ばらしでもしているとしか思えない。
その奥に、場の雰囲気にそぐわない硝子ケースが鎮座している。 中に飾られているのは、フレッタでも片手で抱えられそうな程度の、蓋のされた小さなツボだ。
(カーディナーレの家紋が描かれてる。家名にプライドある人だから、家紋のダミーはまず有り得ないってジュネロさん言ってたな……)
いかに物置とはいえ、罠を警戒して慎重に近づいていく。以前うかつにも、お宝に近づいたらその手前で鉄格子がせり上がってきて捕らえられるという罠にかかってしまったことがあった。ウィップを利用して強引に脱出できたのだが――盗賊生命が終わるかと思った瞬間の一つだった。
そんな力の使いどころもなく、今回は難なくお宝に手をかけられた。ゆっくりとケースを外し、ツボを手に取る。容器さえもただの陶器ではなく、銃弾でも傷一つつきそうにない、非常に硬質の素材で出来ているらしかった。
窓から差す月明かりを頼りに、フタを開けると――
(あ、白い……これが、本物の『雪』なのか?)
両掌に収まる程度の、粉末状の物体が収まっている。同じ白でも、塩や砂糖などよりもよほどキメ細やかに見える。『純白』という言葉をそのまま形にしたら、こんな物体になるのだろうか。
ツボを揺すると、わずかにサラサラ音がした。鼻を近づけても匂いはなく、むしろ部屋のカビ臭さの方が気になった。いよいよもって、こんな環境に放置している理由が分からなくなる。
これがふわふわと静寂の夜空から舞い降りてくる光景は、さぞかし幻想的だろうと思えた。空想するだけで、ここが敵地であるという状況も忘れて、なんだか心が弾むようだった。
(って、感動してる場合か。さっさと行こう)
ツボを抱え、フレッタはほっと一息つく。油断大敵とはいえ、宝を手にした一瞬はどうしても気が緩む。こればっかりは、どれだけ怪盗としての場数を重ねても、直せそうに思えなかった。
「それじゃ、
仕上げに、ト音記号をあしらったサインカードを放る。ウィンディアの犯行を示唆する証拠をあえて残し、己の存在を刻みつけていく。
元来たルートを辿りつつ、彼女は再び二階から外へ躍り出た。あとは外で待機しているルチアの元へ向かうのみ。
――というはずだったのだが。
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